第6話 不穏な呼び出し


 翌日の夜遅くに、王都シルヴァース大聖堂に到着した。


 目的地は大聖堂(ここ)だと聞いていたような気がするのだが、なぜか祐奈が中に招き入れられることはなかった。馬車内で長いこと待たされた挙句、ふたたび移動が始まって、数分後にとある宿屋の前で降ろされた。


 馬を駆り、こちらの馬車に並走する形でついてきていた年嵩の騎士が、


「こちらの最上階にお泊まりください」


 と告げて、そのまま去っていく。


 ちなみにショーたちはシルヴァース大聖堂に着くなり、急ぎ足で中に消えていって、それきりである。


 振り返って周囲を確認すると、遠巻きに、新顔の騎士二名が油断なくこちらの様子を窺っていることに気づいた。その表情は苦虫を嚙み潰したかのようだ。


『本当は付いていたくないんだけれど、これも仕事だから』という心の声が、モクモクしたフキ出しに書かれているんじゃないかと思うくらいに、分かりやすく不貞腐れた態度だった。


 祐奈は肩を落とし、宿屋の女将から鍵を受け取った。部屋に辿り着くまで、祐奈が進んだ分だけ、二名の護衛がじりじりと距離を詰めてくるという、誰も得をしない奇妙な攻防が繰り広げられた。




***




 翌日の午後、祐奈はシルヴァース大聖堂を訪ねていた。枢機卿という役職のお偉い方から、何か話があるらしい。


 大聖堂到着後、身(しん)廊(ろう)の横手にある前室のような場所に連れていかれ、ここで少し待つように言われた。前室といっても応接室のように区切られた部屋ではなく、身廊側面にある、縦長のロビーのような空間だった。


 椅子もないので、立ったまま柱のそばで待っていると、遠くのほうでヒステリックな声が上がった。視線をそちらに向けると、神職者らしい二名が揉めているようである。離れているので、具体的に何を争っているのかは分からない。けれどかなりエキサイトしているのは伝わってくる。


 ……嫌だな、と祐奈は思った。喧嘩はするのも嫌いだし、見るのも嫌いだ。


 そしてちょっとした恐怖も感じていた。彼らの関係性や揉めた経緯が分からないので、どこまでやるつもりなのか予測がつかない。それが未知の恐怖に繋がる。


 不安を感じながらチラチラと様子を窺っていると、最悪なことに、暴力沙汰に発展してしまったようだ。ブロンドの女性が男性に突き飛ばされ、勢いよく床に突っ伏す。


 祐奈は呆気に取られ、一瞬身体が硬直してしまった。


 ――神職に就く者が、暴力?


 嫌悪が湧き上がるが、『でも、そんなものなのかも』と考えている自分もいた。立派な肩書があっても、結局はその人次第ってことだろう。――リベカ教会まで迎えにきた護衛騎士だって、相当酷かったじゃない。弱きを助け、なんて崇高な精神はどこにもなかった。子供じみた理不尽な怒りを、八つ当たりのようにぶつけられただけ。


 突き飛ばされたあの女性が、移動中、誰にもかばってもらえなかった自分自身と重なって見えた。そのせいだろうか、祐奈は衝動的に足を踏み出していた。


 騒動の渦中に近づいている自分に対し、『だめ、だめ、あなたの手に負えないから、やめておきなさい』と呼びかける。けれど足は止まらない。祐奈は信じられなかった。だって、あの場に割って入ったとして、一体何ができるというのだろう? 祐奈自身が、あの打ち倒されている女性と大差ない扱いを受けているのに。


 分かっているのに、足がもつれるように勝手に進む。まるで呪いの靴を履かされているみたいだった。


 ヴェールの下で、祐奈はほとんど半ベソ状態になっていた。こ、怖い……絶対にロクなことにならないよ。


 祐奈はネズミのようにコソコソと動いて、倒れ伏した女性のそばに近寄り、膝をついた。


「大丈夫ですか?」


 そっと声をかける。いじめっ子のほうを見る勇気はなかった。


 しかし全身は緊張状態で、上から蹴ってくるかもしれないという恐怖は頭の隅にあった。


 女性が顔を上げる。遠目で見ていたより年上に感じた。二十代後半――もしかすると三十代であるかもしれない。


 綺麗な人だけれど、横に張った鼻や、華奢な割に太い首が、なんとなくアンバランスな印象を祐奈に与えた。金色の髪は根元が仄暗く、ブロンドでも落ち着いて感じられる。


 視線が絡み、ドキリとする。虹彩は灰と茶が混ざったような独特の色をしていて、放射状の滲みのような濃淡があった。神秘的でとても綺麗だと思った。


「……ものを落としてしまって」


 見れば確かに、床に書物が数冊散らばっている。


 傍らで仁王立ちになっているのは、かぎ鼻が特徴的な赤ら顔の細男だった。


「あなたはもうひとりの聖女ですね。邪魔をしないでください」


 こう言ってはなんだけれど、その男性はちっともモテそうにないし、まったくハンサムでもなかった。仕事ができそうな感じもしないし、物腰も垢抜けていない。当然、性格も悪そう。


 別に『他人より優れているやつだけ、いじめっ子になる権利がある』とは言わないけれど、この男の場合は、何を根拠に他者をこうも見下せるのかものすごく謎だった。……でもまぁ、本当に優れている人は、そもそもこんなことしないか、と祐奈は思った。


「ええと、あなたは偉い方なのですか?」


 探り探り尋ねてみる。問いかけてみたのは、昔見た映画のある場面を思い出したからだ。確か犯人と交渉するシーンで、『緊張感を和らげるために、とにかく会話を続けるべし』という教えがあったような気がする。


 しかしこの単純な問いが、意外にもクリーンヒットしたようである。


 男はぐっと言葉に詰まったように顎を引き、バツが悪そうな顔つきになった。祐奈が『おや』と思い眺めていると、ヴェール越しでも好奇の視線を感じたらしく、開き直って食ってかかってきた。


「俺は子爵家の次男で、貴族の出だ。枢機卿の側近には、原則、貴族の子弟しかなれない決まりなのに、この女は平民の分際で、なんとコネで滑り込んだんだ」


 ……え? 祐奈は耳を疑った。貴族の子弟しかなれない決まりって、それこそがコネなのでは?


 祐奈は大人しい性分ではあるけれど、だからといって心の中まで控え目なわけでもない。危うく秘儀『揚げ足取り』を実行しそうになったのだが、さすがに口に出すのはやめておいた。やはりいじめっ子の逆上キックを食らうのは怖い。


「コネ、があるのですか?」


 困ってしまい、金髪の女性に尋ねると、彼女は睫毛を伏せて、小さな声で答えてくれた。


「親族が財産家なのですが、私の腕がないことを心配して、良い環境で過ごせるようにと、多額の寄付を積み、枢機卿の側近につかせてくれたのです」


 女性は左手に長い手袋をはめている。義手を隠すためらしい。気づいてしまうと、手袋越しでもなんとなくそれと分かった。細部がまったく動かないせいだろうか。


 ご親族の気遣いが、なんともいえず切ない。彼女の幸せを願って良い職に就かせたのに、本人は暴力を振るわれ、つらい目に遭っている。


「腕がないから、ものを落とすのだろう」


 男が最低なことを言うので、


「脳味噌がないから、馬鹿なことを言うのかな」


 と祐奈は思った。思った――いや、声に出していた。


 ハッと我に返る。や、やばい……今度こそ蹴られるかも。場の緊張感が高まっているのが皮膚感で分かった。


 祐奈がひとりオロオロしていると、身廊に繋がる大扉が左右に開かれた。


「――聖女祐奈様、お入りください」


 変なタイミングで呼ばれてしまった。どうしたものかと、金髪の女性を見つめる。


 ヴェールでこちらの顔は見えていないだろうに、彼女は真摯な瞳を真っ直ぐに祐奈に向け、きっぱりと告げた。


「聖女様、お行きください」


「でも」


「わたくしは大丈夫です――さぁ、枢機卿をお待たせしてはいけません」


 もたもたしていたせいか、扉を開けた案内の人がこちらに進み出てきた。するといじめっ子の男性がそれを見て、そそくさと逃げていく。――逃げるってことは、悪いことをしている自覚はあるのねと、それで少し苛立ってしまった。じゃあ初めからしなきゃいいのに。


 祐奈は石床から膝を上げ、立ち上がって背筋を伸ばした。そうして荘厳な身廊のほうへと足を進めた。


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