第5話 あんたみたいな最悪な女
小ぢんまりした小綺麗な食堂だった。店に入ったショーはカウンターに寄りかかり、店主と雑談を始めた。ほかの四人は先に席に着いている。
祐奈はトイレを借りたかったのと、彼らとの同席が難しいと感じていたので、躊躇ったあとでカウンターのほうへと近寄っていった。
するとショーが『うわ、寄ってきたよ、気持ち悪い』みたいな迷惑そうな視線を寄越したので、心が折れそうになった。祐奈は泣きたくなるのをこらえ、店主に話しかけた。
「……すみません、お手洗いを借りられますか?」
するとショーが、すぐさま冷ややかに注意してくる。
「勝手を言わないで、先に食事を決めてから行ってもらえますか」
これはもういっそ『想定内』と言ってもいいかもしれない。来る、来る……と構えていたところに、やはり来た、みたいな感じ。
でもなぁ、と眉を顰めてしまう。来ると分かっていても、嫌なものは嫌だよね。殴られると分かっていて殴られても、結果、痛いのと一緒。先予想割引、みたいなの、ないしね。
祐奈がそんなことを考えているあいだに、ショーはメニューを見て、自分たちのオーダーを手早く済ませてしまった。部下には希望を訊かず、ショーが独断で決めるというやり方のようだ。それが騎士隊の不文律なのか、ショーの独善的な性格のせいなのか、その辺は祐奈にはよく分からない。
それで、あんたはどうするんだ、という冷たい流し目を向けられ、祐奈はたどたどしい口調で、
「じゃあ、私も同じで」
と告げていた。素直な気持ちは『フルーツだけでいい』だが、とてもじゃないがそんなことは言えない空気だった。
トイレは奥だというので、礼を言ってそちらに向かう。祐奈が動くと、値踏みするような、小馬鹿にするような複数の視線が絡みついてきた。
おそらくだけれど、ショーが祐奈に対して馬鹿にしたような態度を取り、そのさまを彼の部下たちが目撃したことで、隊の中での祐奈の扱いが確定したようだった。
元々好意的でないのは感じていたが、カウンターから店の奥に向かうまでの短い距離で、祐奈は人類から猿に退化してしまったような、奇妙な錯覚を覚えていた。
次から彼らが祐奈に食事を取らせようと考えた時は、メニューを見せずにバナナを投げつけてくるかもしれない。そんな恐れを抱いてしまうほど、彼らの変化は顕著だった。
***
トイレから戻ると、カウンターの向こうに女性の姿があった。店主の妻だろうか。
こうして町で生活している人の格好を見てみると、中世から近世にかけてのスタイルに近いのかなと思う。目の前の女性は、(簡素な普段着といった質感であるが)ドレスを身に纏っていた。
彼女の親切そうな顔つきを見て、祐奈はほっと息を吐いた。カウンターに近寄り、話しかけてみる。
「あの、すみません。私の分の食事ですが、別の場所でいただくことは可能でしょうか?」
「え?」
女性は意味が分からなかったのか、目を丸くしている。
「その、顔が……」
なんと言ったものか分からず、手を持ち上げて自分の顔の前あたりでぎこちなく動かしてみせた。
「そのヴェール、もしかして怪我でもしているの?」
あらまぁ、というように眉尻を下げる女性。対面している祐奈は少し困ってしまった。怪我ではないのだけれど、この流れで『違う』と言うのも、『ではなんなんだ』となって、かえってややこしいような。それで曖昧に答えることにした。
「ええと、そのような感じで。顔に問題があるので、人前でヴェールを外せなくて」
「奥に小部屋があるけれど、あなたの分だけそちらに運びましょうか?」
信じられないような、良い知らせ。祐奈は飛び上がって喜びそうになった。
「す、すみません」
嬉しすぎて言葉が上手く出てこない。
「いいのよ。いらっしゃい」
女性がカウンターを回ってこちらに出てくると、祐奈の背に手を当て、エスコートしてくれた。
ショーのそばを通り抜ける時に、経緯を説明しようかと思ったけれど、ちらりと視線を送ると、こちらのことはすっかり無視しているので、放っておくことにした。会話はちゃんと聞こえていただろうし。
どうせあとで『勝手な判断で動かないでくださいね、迷惑です』とか注意されるのだろうな。だけど事前に伝えたとしても、結局『面倒なことを提案しないでください』と言われるに違いない。だからどうせ言われるなら、『今は』言われないほうがいいや。
歩きながら祐奈は、こんなふうに悪い未来ばかり予想して、自分から進んで不幸になっていっているような気がしてならなかった。
嫌味を言われてもいないのに、『こう言われちゃうかも』っていうのを何パターンも考えるせいで、実際に言われたのと同じだけ、いえむしろそれ以上に、気が重くなってくる。
頑丈な鉄の鎖をぐるぐると体に巻きつけられて、そこに重りを括りつけられ、冷たい海に突き落とされたみたいな気分だった。ただひたすら沈んでいく。
暗くて、淀んでいて、苦しくて。
どんどんつらくなってくる。だけど抜け出し方も分からない。
嫌ってくれてもいいから、態度に出さないでくれるといいのに……祐奈はそう願った。
***
夕刻、宿に着いた。
一日では王都には辿り着けない距離らしい。……あとどのくらいかかるのだろう? 先のことを考えると、気が遠くなってくる。ショーは説明してくれるつもりはなさそうだし、祐奈も尋ねる気力を失っていた。
彼は祐奈に対して心底うんざりしたらしく、昼休憩後の移動では、馬車に同乗してこなかった。ほかの騎士が乗っていた馬を奪い取り、『ああ、これでお前と会話せずにすむ』とばかりに、せいせいした様子でこちらを見てきた。
馬を取られた部下は、祐奈と同乗するのだけはどうしても御免だと思ったのか、御者の隣に腰かけることにしたようだ。御者は窮屈になって、とても迷惑そうだったけれど。
着いた宿では個室を与えられたので、祐奈はほっとした。『護衛するため』とか言われて、同じ部屋に居座られたらどうしようかと心配していたのだ。しかし部屋割について、これまたろくに説明もなく、鍵を渡されそのまま一階に放置されそうになったので、
「ひとり部屋ですよね?」
と念のため確認してみたら、ショーが思い切り顔を顰めるという、『案の定』な一幕もあった。
祐奈としては、ひとり部屋だと思い込んで施錠してしまい、『護衛役なのに締め出された。変に意識されても迷惑』みたいにあとで責められても嫌なので、そのための確認だったのだが。
どうやらショーは、祐奈が『私をひとりで泊まらせる気?』とゴネだしたと解釈したらしい。
彼はすごみのある態度で、
「我々を小間使いのように思っているなら、違いますから。ひとりで寝て、自分のことは自分でやってください。――あと、この際だから言っておきますが、部屋の話題をわざとらしく持ち出して、別のサービスをほのめかすのはやめてください」
と注意してきた。
……別のサービスをほのめかすって何? 正直、意味が分からなかった。でも、尋ねたとしても、こちらが納得できるような答えは返ってこないのだろう。むしろ意図を確認しようなどと余計なことをすれば、『それって不服の意志表示ですか?』などと変ないちゃもんをつけられかねない。
ショーが祐奈に教育を施しているあいだに、ほかの騎士たちは荷物を持って階段を上がっていった。
ふと気づけば、階段室入口の狭いスペースに、祐奈とショーだけが残っていた。ショーは腕組みをして、拒絶の意志をその瞳に滲ませている。
祐奈は身体が震え出しそうになったのだが、気を抜くのは部屋に戻ってからだと自身に言い聞かせねばならなかった。
おかしな沈黙が流れた。祐奈は早く部屋に行きたかった。
おそらくであるが、この時のショーは、きつく注意をしたあとに、祐奈が了承の意を示さなかったので、様子を窺っていたのだろう。――反論してくれば、すぐさま叩き潰すくらいの心積もりで。
しかしこの時の祐奈に状況を冷静に見極める余裕などあるわけもなく、ショーがさっさと立ち去ってくれないので、困り果ててしまった。
それで人差し指を上に向けて、
「あの、私たちの部屋も上、ですよね? 行きませんか?」
と尋ねた。宿泊スペースは上だと分かっていたのだが、これは『もうこんなところで立ち話はやめましょう』という合図のつもりだった。
しかし何かが彼の癇に障ったらしかった。ショーが思い切り顔を顰め、怒りのあまり頰を紅潮させながら、大声で怒鳴り始めたのだ。それで祐奈は失敗を悟った。
「もう、いい加減にしろよっ! なんだよ気持ち悪ぃな! ずっと馴れ馴れしく話しかけてくるし、食堂でもすり寄ってきて――もう限界なんだよ! あんたみたいな最悪な女、大金積まれても、誰も相手しねぇよ! もう色目使ってくんなよ、クソ女が」
暴風雨だ。曇り空からの下りっぷり、すごくない?
感情的に振舞う人間を前にして、祐奈はかえって冷静になってしまった。――というよりも、びっくりしすぎて、半分意識が飛んでいたのかもしれない。心の中で茶化していないと、どうにかなりそうだった。
もしかするとショーは『真実を映す鏡』の化身なのだろうか? 彼は対面した者の本性を映し、嘘偽りなく教える――その者の価値を。ショーが映す祐奈という人間は、『下劣で、鈍感で、好色で、傍迷惑な、世界一の嫌われ者』だった。
……本当にそうなのかもしれない、という気がしてきた。
噓偽りの余地もないほどにショーが怒り狂っているので、祐奈は圧倒されてしまった。
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