第4話 敵意


 午後になり、リベカ教会に護衛騎士が到着した。


「私はダグラス・ショーと申します」


 癖のあるふわふわした濃い金髪に、ヘーゼルの瞳をしたショーは、かなり若く見えた。祐奈と同じくらいの年齢かもしれない。彼はどこか甘さを含んだ顔立ちをしていた。眉の中央から眉尻にかけての、眉毛の生え方や向きが不均等で、ラインが途切れ途切れになっている。


「ご苦労さまです、私は神父のハリントンです。そしてこちらが聖女の茅野祐奈様です」


 ハリントン神父がちゃんと名前を暗記してくれていたのが嬉しい。日本名は慣れない響きで、覚えるのが大変だっただろうに。


 やはり日本人が話すのとは違って、イントネーションは少しおかしいのだが、そこがまたなんだか可愛い。


「茅野祐奈と申します。よろしくお願いいたします」


 今の祐奈はヴェールをしっかりとかぶり、服も簡素なドレスに着替えていた。このドレスもハリントン神父が用意してくれたものだ。もっと良いものを王都では揃えてもらえるはずです、と神父は言っていたけれど、祐奈はこれで十分だと思う。ただ、洗濯用にもう一着は欲しいけれど。


 ショーはハリントン神父に対して敬意を払っており、終始丁寧な物腰であったが、予定が押しているのかすぐに出発したがった。


 祐奈はハリントン神父に心から礼を言い、名残惜しい気持ちを抱えながら、ショーに促されて馬車に乗り込んだ。


 彼は四名の騎士を連れており、そちらは各々馬に乗って移動するようだ。ショーだけが一緒に馬車に乗り込んできた。


 向かい側に彼が腰かけると、不思議なことに何かが変わった気がした。祐奈はヴェール越しにショーを眺め、それで気づいた――ハリントン神父がいた時には、ショーは口元に笑みを浮かべていたのに、今は表情が抜け落ちている。冷ややかで取りつく島もないようなその顔に、祐奈は居心地の悪さを覚えた。


 馬車が走り出すと、おもむろにショーが口を開いた。


「そのヴェールはなんですか」


 祐奈は思わず右手を持ち上げ、心許なさを埋めるように、ヴェールの裾のあたりを指でなぞった。今のショーは話し方もぞんざいでなんだか怖かった。


「ハリントン神父がくださったのです。かぶるようにと」


「どうしてですか」


「それは、顔に問題があるので」


 ヴェールで遮られて見えてはいないだろうけれど、祐奈の顔が羞恥で赤らむ。


「問題とは?」


 すごいグイグイくるなこの人、と戸惑いを覚えた。


 しかし考えてみると、彼は警護に当たる立場なのだから、対象を知っておきたいと考えるのは当たり前のことか。変に濁そうとした祐奈が悪かったのかもしれない。


「ええと……ぶ、ブスなので」


「は?」


「たぶんその、ものすごく私の顔がブスなのだと思います」


 口から熱湯を流し込まれたみたいに胸が焼ける。いたたまれないし、つらかった。


 ショーの顔に侮蔑(ぶべつ)の色が浮かんだ。彼は冷ややかな眼差しで、祐奈のヴェールを眺めた。


「ブスなのだと思います、って。自覚がないのですか?」


「え?」


「ハリントン神父からそう言われて腹が立っています、みたいな言い草でしょ。なんだか感じが悪いですね」


 はっきりと敵意を向けられて血の気が引く。実は、祐奈の従兄(いとこ)がこういうタイプだった。


 祐奈がやることなすこと、さも見当違いの間抜けみたいに批判をしてくる人で、怒鳴るわけでもないのだが、とにかく嫌味が多い。自分は常識人だというスタンスで、丁寧な口調で祐奈のことを蔑み、けなしてくる。


 そうされると祐奈は、いつも恥ずかしいような気持ちになった。――自分は普通じゃないのかな。他人より劣っているのかな。とか否応なしに思わされるのがつらくて。


 相手のほうがおかしいのよ、と意識を変えようとしても、注ぎ続けられる毒が消えることはない。絶えず浴びせられていると、指先から少しずつ腐っていくような感じがしたものだ。


 祐奈はその気持ちを思い出して、上手く息ができなくなった。


 ――いいえ、だめだ。屈してはいけない。このことで『ごめんなさい』だけは言わない。悪いことをしたら謝るのは当然だけれど、ここでそれをしたら、だめだ。


「ハリントン神父のことを不快に思ってはいません。彼は親切にしてくださいましたし――」


「だけど容姿について警告を受けて、納得はしていないのでしょう?」


「な、納得?」


 いや、神父が祐奈の容姿を見て、先のトラブルを予想したことについて、理解はしているのだ。


 だけどそれら一連の祐奈の心の流れについて、どうしてショーに問いただされないといけないのだろう? しかも彼は一方的に祐奈が反発していると決めつけて、なじってくる。


 ――そもそもの話、こちらが反発したのだとしても、それが問題ですか? とも思う。なぜ納得する義務があるのだろう? 投げかけられた言葉をどう処理するかは、受け手の自由でしょうに。


「容姿の判断については、個人の価値観ですよね。でも、ハリントン神父がこちらの世界の基準で、私の顔が問題になると感じたのなら、正しいのだろうと理解はしています」


「理屈っぽいな。明らかに醜いのに、自覚がないのは問題だと思いますよ」


「そうおっしゃいますが、ショーさんは私の顔、見ていないですよね」


「でも明らかに醜いのでしょ? あの穏やかなハリントン神父が言うってよほどですよ?」


「じゃあ、ヴェール、取りましょうか?」


 口にしてからすぐに『しまった』と思った。『そうだな、取ってみろ』と言われたらどうしよう。――見てもいないのに『明らかに醜い』と言われたものだから、つい。


 これでヴェールを外し、


「やっぱりブスだな!」


 の流れになったら地獄よね。そんなことになったらもう目も当てられないよ……。


 狼狽する祐奈であったが、幸いにも、ショーのほうが嫌悪を滲ませて断ってきた。


「結構です。見たくないので」


 よ、よかった~。肩が数センチ落ちる。しかし彼の余計なひとことで全部台無しになった。


「気持ち悪いものを見せられたら、あとで食べる食事がまずくなりそうですしね」


 ……まったく、人の顔をなんだと思っているんだ。瞳がじわりと潤んできた祐奈は、それを必死にこらえねばならなかった。


 


***




 馬車が停まった。昼休憩というには時間が遅いけれど、食堂に入るらしい。


 とはいえショーからその旨の説明は一切なく、彼がさっさとひとり馬車から降りて仲間に声をかけているのを聞いて、そうと分かっただけだ。


 祐奈も昼はまだだった。リベカ教会で『そろそろ昼食を』とハリントン神父から言われた時に、ショーたちが迎えに来てすぐに出発したためだ。あの時、ハリントン神父は食事をしていってほしそうだったが、気が急いているらしいショーを見て、無理強いはできなかったようだ。


 それでも今、祐奈はまるでお腹が減っていなかった。これは精神的なダメージによるものだろう。


 この頃になると祐奈は、先ほどの口喧嘩めいたやり取りがこたえ始めていた。売り言葉に買い言葉みたいな感じで、あまりよくなかったかもしれない。


 ちょっといけ好かないだとか、物腰が嫌だとかで毎回喧嘩をしていては、世界の秩序は滅茶苦茶になってしまうと思うのだ。向こうが祐奈を嫌うのは悲しいけれど仕方がないとして、こちらはちゃんとしようと改めて思い直した。


 今後もあのいじめめいた態度が続くなら対処を考えないといけないが、もう少しだけ様子を見てみよう。


 祐奈は馬車を降り、仲間と話し込んでいるショーに声をかけてみることにした。一瞬、ほかの人と話したいとも思ったのだけれど、この中ではショーが責任者のようだし、あからさまに彼を無視するのも気が引けた。それにさっと視線を走らせたところ、ショー以外の人も特に親切そうには見えなかった。


「あ、あの」


 一斉に視線がこちらに向き、なんだか怯んでしまう。皆冷たい目をしていると感じた。


 ……なぜここまで? 疑問に感じたが、訊ける空気ではない。


「休憩、でしょうか」


 祐奈が小声で尋ねると、ショーがこちらに向き直る。


「昼休憩です。我々はあなたを迎えに行く任務で、昼食も取れていないので」


 刺々しい口調だが、無視をされなかっただけでも少しほっとしてしまう。じゃあ、と踵(きびす)を返して店に入って行こうとするので、『あ』と思わず手を上げかけて固まってしまった。


 ……こちらには訊いてくれないの? いえ、お腹は空いていないのだ。けれど祐奈も昼はまだである。この状況で放置はつらい。


 皆が食事しているあいだ、ぼんやり馬車の中で座っていろということだろうか? 『待て』と言うなら、せめてそれは直接伝えて欲しかった。『放置される』のと『頼まれて待つ』のは大きく違う。


 正直、トイレにも行きたいし。


 祐奈が困っている気配に気づいたのか、末尾にいたがっちりした体格の男が、こちらを眺めながら口を開いた。


「聖女様は、お昼は?」


「あの、まだです」


 すると行きかけていたショーがピタリと足を止め、振り返った。


「なんだ、そうなんですか? なら言ってくださいよ。まどろっこしいな」


「すみません」


 呟くように謝る。よく分からないが、段々自分が悪いことをしでかしている気分になってきた。


 確かに口に出さなければ、相手には伝わりようもない。長いこと移動してきたのなら、彼らも疲れていて余裕もないだろうし。


 けれど祐奈の声は小さすぎて、お詫びの意志表示は、彼には届かなかったようだ。


「反応ないとか、しんどいな、もう。なんなんだよ、こいつ。――じゃあ一緒に来てください」


「はい!」


 反応ないと言われてしまったので、はっきり返事をしようと思ったら、ボリューム調整を失敗した。怒鳴るまではいかないけれど、かなり強い言い方になった。


 ショーは呆れたように目を瞠り、げんなりした様子で視線を逸らした。その素振りは、『頭にきてるからって、ヒステリー起こされてもね』と言わんばかりだった。


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