第3話 二人の聖女


 ――王都にあるシルヴァース大聖堂にて。


 聖女『アリス』の護衛部隊はすっかり浮足立っていた。というのも、もうひとり追加で聖女が現れたと知らせが入り、近隣の町リベカに迎えの部隊を送らなければならなくなったからだ。


 ふたり目の聖女は、茅野祐奈という名前らしい。予定していた動きではないので、皆が振り回されている。


 隊を統括している責任者のエドワード・ラング准将は、本件で枢機卿から至急の呼び出しを受けており、今は不在にしている。


 そのためラング准将の部下に当たるオービル・ハッチ准将が、この場を取り仕切らなければならなかった。


 ハッチ准将はラング准将より年齢こそ八つも上であるが、騎士団での在籍年数は半分以下でしかない。経験が浅いせいなのか、資質の問題なのか、ハッチ准将には柔軟に対応できるような能力が備わっていなかった。


 ハッチは冴えない男で、剣も上手く扱えない。彼はこの仕事自体を嫌っていた。なんせ醜い聖女の(下も含めた)世話をしなければならない、護衛部隊だ。


 しかし蓋を開けてみれば、やって来た聖女アリスは美しい娘で、性格も大人しく扱いやすかった。


 癇癪を起して他人の顔めがけて花瓶を投げつけることもなければ、端正な若い騎士を物色し、寝所に引っ張り込んで変態プレイを強要するというようなこともない。


 だからハッチは心からほっとしていたのだ。一か八かでこの仕事に志願したのだが、博打に勝った気分だった。この仕事を務め上げれば、国に戻った際は英雄扱いされる。聖女の人格に問題がないのなら、旅も快適だろうし、言うことはない。


 彼は完全なるキャリア志向で、これを引き受けたのは出世のためである。旅のあいだだけ我慢をすれば、あとは薔薇色の生活が待っている。この任務だけなんとかやり遂げてから、事務畑に戻してもらうつもりでいた。


 あとは出発までゆっくりと過ごして――面倒な計画立案はどうせエドワード・ラング准将がやってくれる――自分はただ旅に同行すればよいと気楽に考えていた。


 それなのに忌々しい。よりによってもうひとり、新しい聖女が来てしまうだなんて! もしもそちらの聖女が、過去のような人品卑しい女だったらどうしよう?


 聖女がふたり――よって部隊はふたつに分割されることになる。ハッチはNO.2の立場であるから、祐奈(あちら)に回されてしまう可能性もあった。そんなことになったらもう最悪だ。


 ハッチは側近を呼びつけ、新しく現れた聖女を王都に移す際の、護衛部隊を組織するよう命じた。自ら出向くつもりは毛頭なかった。


 もしもここに隊長のエドワード・ラング准将が残っていたなら、彼自身が現地に向かったことだろう。


 ラング准将はまだ二十四歳と年若いのにもかかわらず、公平で、責任感が強かった。おまけに文武両道に秀で、侯爵家の三男で家柄も良いときている。そして呆れたことに、顔も良かった。こんな欠点のない人間がいるのかと、ひがみ根性すら湧き上がらないほどに、ハッチは心底感心しているくらいだった。


 しかし考えてみれば、ラング准将はその瑕疵のなさを買われて、わりに合わない聖女の護衛責任者を押しつけられたのだ。彼は我慢強く高潔なので、国のためとあらば聖女の暴虐にも甘んじて耐え、なおかつ上手に手綱を握れるだろうと、上層部から判断されてしまったのだろう。


 いつもラング准将に頼りきりだったハッチは、今回はひとりで祐奈の移送計画を立てなければならず、強いストレスを感じていた。そしてこの任務に後ろ向きなのは役職付の者たちも同様で、皆理由をつけて、祐奈を迎えに行くのを渋った。


 そこでまだ年若い騎士のダグラス・ショーにその役目が回ってきた。


 ショーは子爵家の長男で、いずれは家督を継ぐ立場である。十九歳という年齢のせいなのか、本人の問題なのか、ショーは我儘で思い込みの激しいところがあった。


 案の定彼は迎えの役目を嫌がったが、『何人か若い隊員を見繕って、隊を好きに指揮していい』と告げてやると、少しだけ機嫌を直した。


 ハッチはショーに任務を押しつけたいあまり、無意識のうちに相手をおだてるような態度を取ってしまっていた。そのことにショーは気づき、大胆になっていく。


「ハッチ准将。確認しておきたいことがあるのですが」


「なんだ」


「もうひとりの聖女の振舞いがあまりに理不尽だった場合、私に拒否権はありますか?」


 これは本来ならばありえない質問だった。護衛隊が発足した際、集められた隊員たちは、『聖女に絶対服従せよ』ときつく命じられている。期間限定の苦役に耐えることで、その後の待遇が跳ね上がるので、手を挙げた者はそれなりの苦労を覚悟しなくてはならない。


 金のため、家のため、出世のため――志望動機は様々であろうが、本人の目的がなんであったとしても、一度やると決めたからには、『あれはしたくない』『これもしたくない』と我儘を言うのは許されないことである。


 ショーだって初めは覚悟していた。しかし聖女アリスの出現により、すべてが一変したのだ。


 自らが仕えるべき理想のあるじがすでに存在しているのに、悪夢のように醜い聖女がもうひとり出てきたからといって、そちらにも忠誠を誓う必要はあるのだろうか? アリスがいるのだから、もうそれでよいのではないか?


 ショーの解釈は自分勝手なものだった。本来は上官がこれをいさめなければならない。しかしハッチはそれをしなかった。ハッチは少し考えてから答えた。


「我々が優先すべきは、あくまでも聖女アリスだ。彼女は美しく性格も良い。しかしもうひとり現れてしまったというのだから、迎えには行かなければならない。よって、現地での対応は君の判断に任せる」


「分かりました。とりあえず、急ぎ向かうことにしますよ」


 ショーはすっかり気が楽になって、砕けた物言いで了承した。ハッチはとりあえず面倒事が片づいてほっとしていた。


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