第2話 ヴェールをかぶる


 ハリントン神父から渡されたヴェールを、祐奈は眺めおろした。


 ティアラのような、カチューシャのような凝った飾りが上部にあって、そこから精緻な細工の黒いヴェールが下がっている。


 全体的に色が濃く、かぶってしまえば顔はほとんど見えなくなるだろう。後頭部も覆い隠してしまうタイプなので、斜め後ろから覗き見られることもない。


 単調な質感だと重苦しいだけだが、凝ったレース飾りがちりばめられているので、デザイン的には洗練されていた。


 ――手渡されてしまうと、着けなければ悪いような気がしてくる。


 というのも、ハリントン神父は迷った末に言い出した様子であったので、当てつけや意地悪のつもりはこれっぽっちもないというのが、祐奈にもしっかり伝わったからだ。


 おそらく過去の聖女はとても見目麗しい人ばかりだったのね、と祐奈は考えを巡らせる。……そりゃそうか。なんせ『聖女』だもの。たおやかで、大人びていて、儚げで、妖精のような女性ばかりだったに違いない。


 祐奈は日本人としては平均的な容姿をしているけれども、こちらの感覚では、二目と見られない顔なのかもしれなかった。


 会う人会う人から『うわ、今度の聖女とんでもなく醜いな』とまじまじと眺められるくらいなら、初めからヴェールをかぶっておいたほうがいい。


 思い切って着けてみる。結果、『なるほど良くできている』と感じた。レース飾りのおかげで目の前に大きな隙間ができていて、視界が利く。


 頭部のティアラの位置を直しながら、祐奈はか細い声で尋ねた。


「このヴェールって、儀礼上、外さなくてはいけない場面はありますか?」


「というと?」


「目上の人がいるのに着けていると失礼に当たるとか、食事中は外さないとだめな決まりとか……」


 言いながらも、これを着けたままで果たして食事は可能なのかな? というのは疑問に感じた。


「どんな時であっても、着けたままで問題はありません。聖女様は国王陛下に次ぐ高位の存在です。ウトナまでの道程で国外に出ることもありますが、他国でも要人扱いですので、原則ヴェールを外す必要はありません」


 そうなんだ……。ハリントン神父の説明は、『顔を見られずに済むから、安心してね』という善意が込められているのかもしれなかったし、『人様を不快にさせないため、外国でも脱ぐんじゃないよ』という忠告であるのかもしれなかった。


 祐奈は途方に暮れ、しばしじっと真意を問うように神父を眺めていたのだが、相手から特に反応はない。それでハッとした。――そうか。ヴェール越しなので、あちらは見られていることにすら気づいていないのだ。


「あの、神父様。このヴェールはとても凝っていますね。どうしてこのようなものをお持ちなのですか?」


「ああ、それは、今年が前回の聖女来訪より三十四年目に当たるので、半年ほど前から準備しておいたのですよ。ここ『リベカ』は、聖女様が迷い込むことが多い土地なので」


 その時により迷い込む座標は違うのか。しかしここは聖女が来ることが多かったので、色々準備をしてくれたらしい。


 そういえば、初めに遭遇した農夫のおじいさんの行動も、妙に手際が良かった。あらかじめ色々備えてくれていたのはありがたい。おかげで一晩たりとも野宿せずに済んだのだから。


 しかし今の発言で、意味が分からない部分もあった。たまたま今回、祐奈が不美人だったから顔を隠してくれ、という流れだったはずでは?


 ヴェールをからげて不思議そうにハリントン神父を眺めると、彼は眉尻を下げ、なんともバツが悪そうな苦笑いを浮かべる。


「いえ……いつものような聖女様がいらした場合も、どのみちヴェールは必要かと思っておりましたので、作っておいたのです。祐奈様の場合は、逆の意味でお使いいただく形になりましたが」


「そ、そうですか」


 平静を装いながらも、ズドンと心が落ち込む。


 ――確かに美人だった場合でもヴェールは必要だよね。行く先々で『なんて綺麗なの!』と、ジロジロ見られるのも気疲れするだろうし。


 でもどのみち必要だったならば、『あなたの場合は、逆の意味なんだけどね』というのは聞きたくなかったな。ハリントン神父からすると、どうしても言わざるをえなかったということかもしれないけれど。


 人格者のハリントン神父にそんなことまで言わせてしまうほど、この容姿はNGってことなんだ。祐奈はこっそりと肩を落とした。


 ……悲しすぎる。


 祐奈は生まれて初めてゴキブリの気持ちが理解できた気がした。本人は何も悪いことをしていないのに、醜いと忌み嫌われ。ゴキブリも祐奈も、どちらもただただ一生懸命生きているだけなのに。


 ――ヴェールをからげた祐奈のあどけない顔を眺め、ハリントン神父は物思う様子で尋ねた。


「祐奈様は、お年はおいくつなのでしょう?」


「私は十九歳になったばかりです」


「そうでしたか」


 目を瞠り、そのまましばし黙り込んでしまう。


 実はこの時、ハリントン神父は祐奈の身を案じていた。


 なんと表現したらよいのだろう。子犬のような、子リスのような、子猫のような、純粋無垢な、邪気の欠片もないこの瞳。


 祐奈の顔は確かに、この国の美人の定義からは少し外れている。――というのも、頬骨が高く、瞳はクールで、顎の張ったキツめの顔立ちが当世の流行であったから。


 けれど普遍的な感覚として、愛らしいものを好ましく思う価値観が消えることはない。祐奈という少女を見ていると、そのことが思い出される。


 彼女はなんとも可愛らしい。性根の素直さが顔に表れている。清潔感があり、佇まいが綺麗だ。


 ――では彼女の一体何が問題なのか?


 聖女を護衛する騎士は、皆ある程度の教育を受けてきている。それはすなわち、たとえ嫌悪を催すような聖女であったとしても、絶対服従せよという教えである。


 迫られても、拒むな。


 しかしだからこそ、逆のパターンは想定されていなかった。上層部も、聖女側が襲われるケースについては、検討すらしていなかったのだ。


 目の前にいる祐奈に対しては、ハリントン神父としては、どうしても孫娘を眺めるような気持ちになってしまう。


 彼女にはなんとなく危なっかしいところがあり、それが事態を悪化させる可能性があるように思われた。男所帯の中に彼女が放り込まれた場合に、『この子は俺だけを頼ればいい』という、勘違いめいた執着を持つ輩が出てきても不思議はない。


 それでついヴェールを渡してしまったわけだが……果たしてこれだけで、この子を護れるものだろうか。


「そういえば」


 祐奈はずっと気になっていたことを尋ねてみた。


「私、この世界の言葉が理解できるし、話せるのですけど、どうしてでしょう? 私が住んでいた世界と言葉が違うのに」


「それは『三十四行聖典』に関係があるのかもしれませんね。聖女様は書物に記された言語を、音読する必要がありますので」


 お役目上必要だからでは? とハリントン神父は語る。ということはつまり、祐奈は三十四行聖典によってこの世界に呼ばれ、聖典が望むように身体を作り変えられたのだろうか。


 自分ではよく分からない。けれど分からないのは当然だろう。これから何をさせられるのか、それすらもしっかりとは理解できていない状態なのだから。


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