【秋に小説3巻発売】【受賞/ネット小説大賞】ヴェールの聖女 ~醜いと誤解された聖女、イケメン護衛騎士に溺愛される~
山田露子☆10/10ヴェール小説3巻発売
第1部『西へ』 / 1.旅立ち
第1話 迷い人
三十四年に一度、異世界より『聖女』がやって来る。
過去のほとんどの例で、聖女の外見は怖(おぞ)気(け)が走るほど醜く、心根は大変卑しかったという。そして色事を好んだとも伝えられている。
それは聖なる人というイメージとは正反対の、軽蔑すべき人物像であった。
しかし聖女には大切な役目があるため、周囲にはべる者は、心を殺して彼女に尽くすことを強いられた。
毎度、西を目指すその役目は、地獄の旅路だったと伝えられている。関係者はその年が迫るにつれ、表情を暗くしていった。親の世代から、前回の旅がどれだけ酷いものであったか聞かされているからだ。
そしてとうとう今年が、前回の聖女来訪より、三十四年後に当たる。
****
きっかけがなんだったのかは、よく分からない。高い所から落ちたわけでも、眩い光に包まれたわけでもなかった。
その時、茅(ち)野(の)祐(ゆう)奈(な)は大学から家に戻るところだった。
霧雨が降る中、お気に入りの赤い傘をさし、ぼんやりと考え事をしながら歩いていただけで、おかしなことをした記憶もない。傘の裏を見るともなしに眺めていた彼女は、ふと足元に視線を落として、驚きに目を瞠(みは)った。
――アスファルトが土に変わっている。
どうして? 数秒前までは確かに整備された歩道を歩いていたはずだ。
慌てて傘をどかし、周囲を見回す。――太い木の幹がすぐそばにあることに気づいた。そしてその奥にも鬱蒼と木々が茂っている。どういう訳か祐奈は、森の中の小道にいるのだった。
視線を前に向けると、牧歌的な風景が広がっていた。緩やかにカーブしながら続く通りの先のほうに、小川が流れているのが見えた。それにかかる素朴な木の橋。遠くには尖った三角屋根の小さな家々が並んでいる。
どこか西洋的な感じがする景色だった。時代も今というよりはうんと昔という感じで、電柱・電線のたぐいも見あたらない。
背後を振り返ってみるが、深い森が続くばかりである。
祐奈は数歩戻ることにした。――変化なし。もう数歩戻る。――変化なし。
元の住宅街にはどうしたって戻れない。
そうこうするうちに、森の奥から一台の荷馬車が現れ、ゆっくりとこちらに近づいてきた。手綱を握っているのは、年老いた農夫だった。痩せた馬がしんどそうに荷台を引いている。
『――――――』
人の良さそうな農夫が祐奈の姿を認め、何か話しかけてきた。
「あの……?」
初めは何を言われたのか理解することができなかった。しかし一体何がどうなったのか、その不思議な変化は突然祐奈の身に起こった。周波数がカチリと合ったみたいに、言葉が分かるようになったのだ。
「お嬢さん、どこから来なさったね?」
農夫はそう尋ねたようである。それで祐奈は彼のほうに数歩近寄り、一生懸命説明した。
不思議なことに、聞き取れるだけではなく、彼と同じ言葉を話すこともできた。日本語を話す感覚で、口から別の言語が出てくる。自分でも『あ、私、喋れている』と思った。
祐奈自身が何か努力をしたわけでもないのに、『聞く』『話す』という言葉の問題はいつの間にか解決してしまったらしい。
ただし言葉が話せたとしても、分かりやすく説明できる技術があるかどうかというのは別の問題だ。
口下手な自覚はある。元々人見知りで、堂々と振舞えない性格だった。祐奈は慣れない環境に置かれると、礼儀正しさは忘れないものの、少々滑稽なほどに慌ててしまう癖があった。
緊張で頰を赤らめながらやっとのこと話し終えると、農夫は驚いた顔で大きく何度か頷いてみせ、
「……なんということじゃあ」
としわがれた声で呟きを漏らした。
そして祐奈を荷台に乗せて、近くの教会に連れていってくれた。
***
リベカ教会のハリントン神父は、とても親切な人だった。髪はすっかり白くなっていて、かなり高齢のようである。
「あなた様は、異世界からの迷い人でいらっしゃる。我々の世界にはそのような方が、三十四年に一度現れるのですよ」
ミルクの入った温かい紅茶をいただきながら、居心地の良い部屋で、ハリントン神父の話に耳を傾ける。神父の語り口はゆっくりしていて、聞いていて心地が良かった。
「迷い人は『聖女』と呼ばれます」
「聖女、ですか」
祐奈は小声で繰り返し、思わず体を縮こまらせていた。なんともいえない居心地の悪さを覚える――自分が聖女だなんて、何かの間違いだ。
「でもあの私、普通の人間で、何もできませんが」
「そんなことはありません。今は実感が湧かないでしょうけれど、そのうちに魔法も使えるようになります」
「魔法……?」
壮大な話になってきたぞと思う。冷や汗が出てきた。
自分が適当に落書きしたものを見た誰かが、『世紀の名画だ!』と言い出し、あれよあれよという間にその絵にとんでもない高値がついてしまったような、そんな気分だった。
途中で止めようにも止められず、事態はどんどん悪いほうに進んで行き、散々人目を引いたあと、もう引っ込みがつかないというところまできてから、『騙したのか、詐欺師め!』と手のひらを返されそうで、ものすごく怖い。
「聖女様には果たしていただく重大なお役目があります。西の果ての『ウトナ』というところに、ありがたい聖典を取りに行くというものです。その本は一ページが三十四行で構成されていることから、俗称で『三十四行聖典』とも呼ばれています」
お役目についてはどこかで聞いたような話だった。
もしかして自分も頭に金の輪を嵌められてしまうのだろうかと、嫌な想像が膨らむ。言うことを聞かないからと、誰かに頭の輪っかを締め上げられてはたまらない。
「取りに行って、それをどうするのでしょう?」
「王都のシルヴァース大聖堂まで持ち帰っていただきます」
「王都はどちらに?」
「ここから近いところです。王都から出発して、ひたすら西を目指し、聖典を手に入れたら、同じ路程で戻ってくる。それで世界の安寧が保たれます」
それって拒否権はあるのだろうか。祐奈はふと、そんなことを考えてしまった。
考えが伝わったのか、ハリントン神父が案ずるような視線をこちらに向ける。
「いきなりこんな話をされても、訳が分からないでしょう。」
「ええと、そうですね」
「しかしこれはどうしても聖女様にやっていただかなくてはならないことなのです。聖典が三十四年ごとに巡らないと、世界が荒れ果ててしまいます。そしてそれは、聖女様自身の問題でもあるのです」
「どういうことでしょうか?」
「あなた様はもう、元の世界へ戻ることができません。元々『迷って』この世界に入り込んだので、送り返すシステムが存在しないのです。一生住むことになるこの世界が荒れ果ててしまったら、生活していく上でお困りになるでしょう?」
そうなのか。転移してしまったけれど、元の世界には戻れない。それは完全なる一方通行だ。
ところで、この世界は『魔法』が存在するとのことだが、今回祐奈が転移したことについては、人為的な力は働いていないらしい。ハリントン神父は『迷い込んだ』という言い方をした。
祐奈はぼんやりと手元に視線を落とした。感情の落としどころが分からなかった。
心細い。これからどうなるのか、見当もつかない。ただ怖かった。
とはいえ『もしも帰る方法があるならば、どうしても帰りたいのか?』と問われたなら、それもよく分からなくて。日本にいた頃はそれなりに苦労もあったから。
「突然知らない世界に来てしまって、さぞ心細いでしょう」
思い遣りのある言葉をかけられ、ゆっくりと顔を上げた。こちらを見つめるハリントン神父の瞳には、まるで孫娘を眺めているかのような、親愛の情がこめられていた。
祐奈は言葉を出そうとしたが、喉がつまったような心地がした。小さく息を吐き、考えをまとめる。だいぶ時間がたってから、ぎこちなく口を開いた。
「私……元の世界には、大事な人がいないんです。両親は二年前に、事故で亡くなりましたし」
「それはお気の毒に」
「だからその……そういう意味では、帰れないつらさというのは、少ないかもしれません」
話しながら、やはり自分は混乱しているのだと感じた。――帰れないことを納得しようとするあまり、元の世界にはそんなに価値もなかったというように、極端なことを語ってしまっている。
それはやはり不安の裏返しなのだろう。
いきなりなんの準備もなく、新天地での生活が始まるのだ。この世界のルールもよく知らない。旅がどれだけ過酷であるのかも。
……でも、じゃあ、どうすればいい? たとえ強がりでも、割り切るしかないのも事実だ。
祐奈は両親を亡くした際、かけがえのない存在を永遠に失ったつらさ、心細さをすでに体験している。その時に比べれば、今回はまだマシなはずだ――たぶんマシなはず。
祐奈はハリントン神父と目を合わせ、はにかみながらも微笑んでみせた。
神父には感謝していた。彼が高圧的な人間だったなら、祐奈は追い詰められ、もっと不安で嫌な気持ちになっていたはずだ。だからこの世界で彼とすぐに出会えたことを、ありがたく思った。
だから余計にショックだったのだ。
翌日神父から黒いヴェールを手渡され、
「祐奈様のお姿は、過去の聖女様とあまりに違いすぎます。大きな問題になりそうなので、当面のあいだは、こちらで顔をお隠しください」
と言われた時は。
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