再び、三学年、春

1

 予鈴が鳴っても茉里奈の姿は現れず、そのままホームルームが始まった。新しい担任の先生は「美原さんは体調を崩されて少しの間お休みです」と簡潔に告げただけでそれ以上の説明はなく、結局同じクラスだった白澤くんと私は、それぞれの座席からお互いに顔を見合わせた。

 ホームルーム後に新歓で地学部のチラシ配りをする予定になっていたけれど私はもうそれどころではなくて、白澤くんの席まで駆けつける。


「ごめん、先に職員室に行って来てもいいかな」

「もちろん。美原さんでしょ?」


 うん、と頷くと白澤くんは少し考え込む顔をした。


「とりあえず、何が起きてるのかを把握しないとね」

「担任……はまだよくわからないから、文香ちゃんが何か知らないか聞いてこようかと」

「そしたら俺は、もう一度関口に連絡してみるよ」


 関口くんは友達ではあるけれど、私から直接に連絡するのは躊躇われるからありがたい。何より、白澤くんが一緒に茉里奈を心配してくれることが嬉しかった。私ひとりだったら、もっとうだうだしていたかも知れない。


「ありがとう」


 お礼を言うと、白澤くんは一瞬だけキョトンとした。それから目線を逸らして、そそくさと鞄を手にすると、それじゃあ後で、とか言いながら背を向けて教室を出て行ってしまった。変なの。でも、本当にありがたい。私は自分の鞄をギュッと握って、とりあえず職員室へ向かうことにした。





 新学期の職員室は教室と同じように、やっぱりどことなくざわざわした空気感があった。

 戸口から顔だけ出して見渡してみる。文香ちゃんの姿はない。今年の担任の先生は音楽担当の男の先生で、選択科目を取っていない身としてはまったく接点がないのだ。いきなり相談事をするには少しばかりハードルが高い。さてどうしようか。文香ちゃんに会えるといいんだけど。そう思っていると不意に自分の後ろで足音が立ち止まった。


「そこどいて。邪魔なんだけど」

「三浦さん」


 振り返ると、茉里奈と同じチア部の三浦雛子が不機嫌そうに立っていた。確か今年から部長になることが決まったと茉里奈から聞いた覚えがある。三浦さんだったら何か知ってるかもしれない。


「あのぅ、三浦さん」

「茉里奈のこと?」


 話が早い。三浦さんは頭の回転がすごく早いのだと、いつだったか茉里奈が言っていた。切りそろえられた前髪の下から、不機嫌そうに眉根を寄せて、軽く息をつく。


「だったら、桃井さんから伝えてくれない? 茉里奈がいないとフォーメーション決めらんないから早く戻れって」

「えっと、今って茉里奈は」

「入院したって聞いてるわ」


 どこに、と勢い込んで聞くとさすがに三浦さんは首を振る。それから「聞いてみたら」と言いながら私の後ろを指さした。つられて振り返ると、そこにはちょうど、文香ちゃんが歩いてくる所だった。


「文香ちゃん!」

「こらこら、文香先生、でしょ?」


 去年の担任の文香ちゃんは苗字は猪熊なのだけど、「風流じゃないから」という理由で名前で呼んでほしいと自己紹介していたのだった。きっと今年も同じ自己紹介をしてきたんだと思う。たれ目で童顔で雰囲気が柔らかくて、人気のある先生だ。


「先生、あの……」


 茉里奈のことをなんて聞けばいいのか分からなくて一瞬だけ口ごもる。すると三浦さんが「美原さんのことを聞きたいんですが」と続きを請け負ってくれる。それで文香ちゃんは合点がいったように、あぁ、と漏らした。


「そうか、桃井さんは美原さんと仲が良かったわね。三浦さんも、同じ部活動だったわね。お見舞いのこと?」

「お見舞い……です」

「……担任の先生は何も?」

「はい、体調不良でしばらくお休みとだけしか」

「そうかぁ……でも……いや……」


 個人情報だから、と言いたいのはわかった。だけど茉里奈と直接で連絡が取れない今、ここで教えてもらわないと駆けつけることもできない。というか、入院を知らせてくれなかった時点で茉里奈は私には来てほしくないのかも知れないけれど、それでも私は引き下がりたくなかった。だって知らなかったのが、やっぱりさみしいし、なんだか悔しい気持ちもある。さっき、三浦さんに入院したと聞いたとき、瞬間的に悔しさが沸き上がったのも事実だ。なんで教えてくれなかったの? 私たち友達じゃないの?


「教えてください、文香先生!」


 自分で思っていたよりも大きめの声が出て少し焦る。思わず横目で伺うと、三浦さんも驚いた顔をしていた。でも、もう引き下がれない。引き下がりたくない。

 文香ちゃんは、しまった、という表情のあと、苦笑いしてから手招きして廊下の隅に私を呼び寄せた。それから小声で市内にある病院の名前を告げる。


「桃井さんでもそんな顔することもあるのね。いいねぇ、友情って」


 やれやれといった風情で黒い表紙の生徒名簿で顔を仰ぐ。友情。なにも打ち明けられてもいないのに友情と呼んでも良いのかな。でも、タイミングばかり図ってちゃんと尋ねなかったのも私だ。


「気を付けて行くのよ」

「はい、ありがとうございます!」





 バス通りに出るとちょうど停留所にバスが来ていて、私はあわててそれに駆け込んだ。そう言えば面会時間とか何も調べてない。スマホを取り出してから、それどころか白澤くんに何も言わずに学校を出てきてしまったことにも気付く。

 とりあえずラインを開いて白澤くんのアイコンをタップする。


『ごめん、後で説明するけど今日のチラシ配りお休みさせて下さい』


 何をどこまで話していいのかわからないからザックリしたメッセージになってしまった。バスは速度を上げて坂道を走る。

 交差点を右折していつもとは反対方向に走り出すのを自覚すると、胸がドキドキした。茉里奈、私が突然現れたら嫌がらないかな。そもそも面会できる状態なのかな。文香ちゃんが止めなかったってことは、そこまで深刻じゃないのかも。

 そう言えば、お見舞いなのに花のひとつも持ってない。そう気付いた時には既に窓の外に病院が見えていて、私は意を決して降車ボタンを押した。


 病院のエントランスホールは天井が高い。広々した待合スペースには雑多に人が溢れていて、杖をついている人や車椅子の人、退院か入院なのか、大きな荷物を抱えた人もいる。

 受付で茉里奈の名前を伝えると普通に病室を教えてくれたので、どうやら問題なく面会出来るようだった。ひとまず安心して、辺りを見渡す。

 エレベーターの近くによく行くチェーン店のカフェがあるのを見つけて、そこで籠入りのクッキーを買った。マスコットのぬいぐるみが小さな籠を持ってて、クッキーがほんの数枚だけ入っているタイプ。こういうの見ると茉里奈は決まって「これほぼぬいぐるみの値段!」って笑う。派手な見た目のくせに意外と堅実なとこ、私は結構好きなんだ。

 時間を確認しようとスマホを見たら白澤くんからメッセージが来ていた。


『承知した』

『少しは頼りにしてくれてもいいんですよ』


 付け足された文字列にちょっと笑ってから、茉里奈の病室を目指す。

 受付で案内されたのは神経内科の病棟だった。ナースステーションの看護師さんに会釈をして通り過ぎて、病室を探す。部屋の入り口横のプレートにそれぞれ花のイラストが描かれていて、茉里奈の名前はひまわりのイラストと一緒に掲げられていた。誰かの咳払いの音と、コツコツと廊下を歩く音がする他はとても静かだ。

 ひとつ、深呼吸をしてから足を踏み入れる。右手のベッドがおそらく茉里奈だ。茉里奈、と呼びかけながらカーテンをそっとめくると、そこには誰も居なかった。でもベッド横には茉里奈の名前が書いてある。診察とか検査に行ってるのかな。


「羽純?」


 聞き覚えのある声で呼ばれた。体の中をシュワシュワと炭酸が駆け巡るような感覚がした。


「茉里奈!」


 振り返ると病院のパジャマに身を包んだ茉里奈が、しぃ、と唇の前で人差し指を立てた。その反対の腕から管が出ていて、その先が点滴と繋がれている。

 それを見た瞬間、私の目からぼとぼと大粒の涙がこぼれ落ちた。自分でも驚くくらい唐突で、恥ずかしいとか、嬉しいとか、寂しいとか、何かを感じる前にあふれたものだった。私きっといま酷い顔してる。

 茉里奈は、一瞬だけ笑おうとしたけれど、やっぱりくしゃくしゃな顔になってぽろぽろと泣き出した。

 熱い涙の塊がいくつも頬を伝う。私たちは立ったままふたりで泣いてしまい、それを見つけた看護師さんが「あらあら」と言いながらやって来て、談話室を案内してくれて、そこでようやく落ち着いて話をする事ができた。

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