二学年、冬 向日葵
1
小さな頃から派手な顔立ちをしていると言われる事が多かった。
親戚の叔母曰く「化粧映えしそうな子ね」と。そのたびに不思議に思っていた。ぎょろりとして大きな目も、頬のえくぼも、あんまり好きではなかったから。どうしたって自信がなくて下を向いてしまうことが多くて、乱暴な男の子が苦手で部屋の隅に隠れるようにしていた私と、大人の女の人がするカラフルでキラキラしたお化粧のイメージが結びつかなかった。ああいうのは、お姫様がするものだと思っていた。
誕生日に買ってもらった憧れブランドのメイクセットからリップを取り出すと、鏡を見ながら念入りに唇に乗せていく。夢みたいに綺麗なピンク色の唇が鏡の中で弧を描く。メイクは好き。チアリーディングも好き。家族が好き、友達が好き。それから。
パタン、と軽い音をさせてメイクボックスの蓋を閉じて姿見で軽く全身のをチェックして、スマホで時間を確認すると私は大急ぎで部屋を飛び出した。待ち合わせまであと少し。きっと眠そうな顔して待ってる大好きな直斗の姿を想像して、私の足は軽やかに弾んだ。
直斗の第一印象を聞かれるといつも困ってしまう。一目見て素敵だと思うなんて、漫画かアニメみたいだから恥ずかしくて正直に打ち明けたことはない。
小学五年の秋だった。隣町からの転校生として紹介された直斗、つまり関口直斗くんは、教卓の横で背筋を伸ばして立っていた。
日に焼けた肌が滑らかで、ディズニー映画で見た王子様のようなきれいな顔立ちの男の子だった。すらっと伸びた背、長い脚をデニムで包んだ彼はクラスのどの生徒よりも大人びて見えて、たちまち目が離せなくなった。
たった数年しか生きていない人生の中でも、彼の存在は特別だと思った。
直斗の周りにはすぐに取り巻きの列が何重にもできた。
「どこから来たの?」
「どうして転校して来たの?」
「前の学校ではなんて呼ばれてたの?」
「前の学校と教科書おんなじ?」
「好きな食べ物は何?」
「お誕生日はいつ?」
みんなの興味津々の質問に驚いた顔をした直斗は、それでも優しく微笑んでひとつひとつ丁寧に答えていった。白い歯がこぼれて、ますます眩しく感じた。
私もその輪の中に入って彼に笑いかけて貰いたいと思ったけれど、その頃の私は正直なところクラスの中でそんなに発言権のないタイプで、どちらかと言えば教室の隅で大人しく本を読んだりしていることが多かった。あっという間にクラスの中心で輝き始めた王子様のような直斗に話しかけるタイミングや、適当な話題がわからなかった。
それで思った。人目を惹く女の子になろう。直斗から愛される女の子に、直斗から必要とされる女の子に、直斗の隣に並んでも誰もが納得する女の子に。
それから、子供向けのファッション雑誌や、ネットの記事なんかを見ながら少しずつおしゃれを覚え、鏡の前でキャラクター物の色付きリップを塗った時、「化粧映えしそうな顔」というのを理解した。
月日が経って中学校の制服に身を包んだ頃、やっと直斗に話しかけることが出来た。中学生の直斗は、他の小学校からたくさんの生徒が合流した中でも相変わらず輝いてて、王子様のままでいた。
その頃の直斗はテニス部に所属していた。
残念ながらクラスが別れてしまったので、せめて同じ部活にと思ったらテニス部は男子と女子で分類されていて、私の目論見は早々に崩れた。むしろ、球技は苦手な方だったので少し安心したかも知れない。さてどうしようか、考える。
放課後の教室で、窓にかかった薄手の生成りのカーテンの影から、中庭で練習しているテニス部を見る。中学校のグラウンドはふたつあって、サッカーや野球のような広いスペースが必要となる部活が使用する大グラウンドと、限られたスペースでも競技ができる部活が使用する小グラウンド、それと併せて補助的に使用される中庭が主となっている。
今日の男子テニス部は中庭に陣取って、陸上部がストレッチをしている隣でネットを張ってラリーの練習をし始めたところだった。女子テニス部が小グラウンドにネットを設置して練習している所を見ると、きっと中庭と小グラウンドを交互に使用しているのだろう。そして、この中学の部活にマネージャーはいない。
となると、同じようにグラウンドを使用する部活でも、球技でなければ一緒のタイミングで部活動できる日がありそう。今、小グラウンドで女子テニス部の隣に陣取っているのは。
私はチアリーディング部に入ることにした。中学のチアリーディング部はアクロバット要素は少なめで、どちらかと言えばダンスやフォーメーションが中心だったから、私でも問題なく活動することが出来た。
おまけに、ラッキーなことにチアリーディング部はオシャレに関心の高い女子が多かった。ファッション誌の貸し借りや、プチプラコスメの情報交換は楽しかったし、ダンスで体を動かすことが功を奏したのか低めだった身長も伸びてきた。
「茉里奈~! 練習終わったらこのメイク試させて!」
「えー、なんでうちの顔?」
「だって化粧映えするんだもん、分かりやすいじゃん」
「なんそれ、イイけど!」
猫背気味だった姿勢も自然と良くなり、私は自分がキラキラした集団の中にすっかり馴染んだのを感じた。
その日、職員会議で部活動のない放課後、コスメ談義に花が咲いて遅くなった帰り道にいつもの本屋さんに寄ったら、雑誌のコーナーに直斗が立っていた。初夏で、夏服になったばかりの半袖から日焼けした腕が伸びていた。
「あ、」
「ん?」
思わずこぼれた声に反応してか、眺めていた雑誌から顔を上げる。
「あぁ、美原さん。久しぶり」
にっこりと綺麗に笑った直斗の口から、自分の名前が出てきて驚く。嬉しさと、でも昨日の部活動で隣のスペースで練習をしていたからちっとも久しぶりではない事が、胸の中でごちゃごちゃと散らかった。
「久しぶり……ではないよ」
「そっか。でもなんか、話すの久しぶり?」
「それかも」
話したことがあるなんて言えない程度しか覚えがないけれど、直斗の記憶の中に私がいた事が嬉しかった。
私たちは直斗の手にしていたテニス雑誌について喋り、私が見ようとしていたティーン向けコスメ誌を覗き、担任が薦めていた英会話講座の教本を眺め、先日出たばかりの漫画の背表紙をなぞった。直斗の言葉は軽妙で心地良く、私たちは時間を忘れて話し込んだ。おかげで店を出る頃には外はすっかり暗くなっていた。
「送るよ、家まで」
「え!? 大丈夫だよ!」
「もう暗いから、危ないよ?」
言い切って帰路を促すのを断れず、夜の始まりの中を足音を揃えて歩く。さっき書店の鏡で軽くチェックした髪型は崩れていないだろうか。おでこに皮脂は浮かんでいないだろうか。学校を出る前に使ったシーブリーズはまだ香っているだろうか。
いざ二人きりになると色んなことが気になって、ドキドキが倍になる。直斗はさっき見た雑誌の話をにこやかに続けていて、緊張しているのはどうやら私だけかと思った辺りで団地の近所に差し掛かった。
「ここ、入ればもう家だから」
「そっか」
「ありがとうね」
「うん」
少し間が空いてから直斗がこちらを眩しそうに見る。
「あの、さ」
今ならわかる。あの時、直斗は直斗で緊張していた。
「またこうやって送ってもいい、かな」
その瞬間から私はお姫様になった。
電車から降りると、待ち合わせの駅前の赤いポストの前に、厚手のマフラーをぐるぐると巻き付けた格好で直斗が立っているのが見えた。
長く伸びた手足、頭が小さいから頭身バランスが本当に良い。モデルみたい。茶色くカラーリングされた髪が澄んだ春の空気にやわらかに馴染む。耳たぶのピアスは去年のクリスマスに二人で贈りあったペアアクセで、優しい色合いのピンクゴールドが良く似合う。そっと自分の耳たぶに触れてから改札をすり抜けると、ワクワクする気持ちのままで駆け出した。
「おはよ、直斗」
「茉里奈、はよ」
正面に立って声をかけると直斗は眠い顔のままこちらを見た。中学二年生の時から私たちは恋人同士になった。それから三年経つけれど、直斗はずっと王子様のままでいる。
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