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初めて一緒に帰った春の晩から、部活帰りの本屋に直斗の姿を見かけるようになった。私がお店を覗き込むとすぐに直斗が顔を上げて、そのままいそいそと店から出てくる。
「美原さん、いま帰り?」
「関口くんも、いま帰りなんだね」
下手くそな偶然を装う姿が可愛らしい。冗談めかして顔を見れば、たちまち頬を染めて後頭部を掻く。直斗はきっと、私みたいに何かになりたいと思ったり、誰かに見合う自分を擬態したり、そんなことしなくたって輝いている。
「今日さ、担任が」
「美術のオサムちゃんだっけ」
「そう! 次の課題の説明をしてて……」
「何それウケるー」
「ヤバいよね、マジで」
「あ、聞いてよ、うちね」
明るくて友達が多くて賑やかな輪の中心に居て。そんな自分を演出していればいつかはそれが本物になるなんて、本気で思ってる訳じゃなかったけれど。
今日あった楽しいこと、笑えること、今晩やるテレビ番組で面白そうなもの、最近ハマっている面白い配信動画。そんなことを話しながら、直斗が本当に楽しそうな表情になるのを横目で伺う。
きっと純粋に育ったんだろうと思う。怖いものとか、嫉妬とか、誰かよりも特別になりたいとか、たぶんそんなこと直斗は思ったことがない。
夏には合宿や夏期講習の合間を縫って、ショッピングモールのカフェコーナーで何人かの友達と一緒に宿題をしたし、チア部とテニス部の仲間たちも誘って花火をした。まだなお温いアスファルトから陽射しに焼かれた名残の匂いがして、煙の匂いと炭酸飲料の甘い匂いと、夏の匂いをさせながら日々は過ぎていく。
「関口は、笑うとえくぼが出る女の子、どう?」
「は? いや、どうって……」
登校日。それぞれ少し日に焼けたチームメイト達と喋っている時、テニス部の面々もそこへ顔を出して、それを待ってかのようにチームメイトがその質問をした。
その頃の直斗は既に、目ざとい他校の女子生徒なんかが、例えばテニスの大会で直斗目当てのギャラリーとしてコートの周りにぽつぽつと現れるような、私にして見たら少し焦ってしまうような状況だった。当然のように校内でも直斗は人気のある男子生徒で、だから私がいくら直斗に見合う女子になろうと努力したところで、本人に選ばれなくては意味がない。
その頃の直斗の彼女になれそうな有力候補は私を含めて三人いて、中でも頬にえくぼがあるのは私だけだった。つまりは、チームメイト達は冷やかし半分に探りを入れた事になる。
直斗は、居心地悪そうに私から視線を外して、なにそれ、と口を尖らせた。
「まぁ、その……可愛い、と思うよ」
口ごもりながらも返した答えにチームメイトは盛り上がる。わざとらしく私の身体を肘でつつく。私は赤くなった顔のまま目線を落とし、少し待ってから直斗の様子を伺えば、同じような赤い顔のままの直斗が照れ臭そうに笑いかけてくれる。
このままゆるゆると関係を育んでいき、そのうちカップルになるだろうときっと誰もが思っていた矢先、夏の終わりは変化をもたらした。
チアリーディング部は夏が過ぎると受験を控えた三年生が早々に引退し、二年生が主力となる。一年生からも選抜が行われ、有難いことに私はレギュラー入りを果たした。
ダンスの振りやフォーメーションでも細かな精度を求められるようになる。それまでとは段違いに練習量が多くなり、大会が近いともなれば朝は早朝から放課後は連日夜までと、練習に明け暮れることになった。
一方の直斗は塾通いが本格化してきていたようだった。夏前よりも塾に行く日数が増え、夜も遅い時間まで帰らないらしく、本屋で会うこともしばらくない。閉店間際の店の中に直斗の姿がないことを確認してから通り過ぎる日々が続いた。
すっかり日が短くなったある日、既に真っ暗になった帰り道をひとりで歩くうち、後ろから足音が付いて来ているような気がした。そう言えば母から、不審者情報が出ていると聞かされていた。どうしよう。走ろうか。身構えながら少し歩く速度を早める。耳を澄ましてみれば確かに足音が付いてきているような気がする。怖い。
「美原さんっ!」
「……関口くん!?」
突然名前を呼ばれて立ち止まる。振り返ると、そこには息を乱した直斗がいた。
「え、どうしたの?」
「いま、なんか変なやつ居たから俺、慌てて、声かけて。そしたら逃げたから、たぶん、もう平気」
「……ありがとう」
「うん、無事でよかったよ。明日学校で先生に……美原さん?」
怖かったのと安心したのと、直斗に会えた嬉しさとしばらく会えずにいたさみしさと、いろいろな感情がごちゃ混ぜになって、気が付けば私は泣き出していた。
チアリーディングの練習も厳しくなった分つらい瞬間が増えたし、一足先に受験期を迎えていた兄の為に家では気を遣っていたこともあった。父が昇進して忙しくなったことも、母がなんとなく私にだけ厳しい気がするのも。全部をいっぺんにこなすなんて無理。自分のキャパから洩れた色々が涙の粒になってぽろぽろと零れ落ちていた。
「大丈夫だよ、もう大丈夫」
事情を知らない直斗は、単に私が不審者の影に怯えて泣いたのだと思っていて、肩の辺りを遠慮がちに優しく撫でていた。
私たちは道すがらにあるコンビニの、駐車場のベンチに座り込んだ。圧倒的な光量の蛍光灯の明かりが滔々と降り注ぐ中、逆光になった直斗は温かいココアのプルタブを開けてから手渡してくれる。こんな時まで女の子慣れしてるんだと思った。
「関口くんて、女姉弟がいる?」
「わかる? 実は双子の姉がいて」
「え、すごいね」
「すごくないよ。口うるさいだけ」
直斗の話を聞いているうちに私の涙もすっかり落ち着いて、すこし気恥ずかしい頬を夜風が撫でた。それから、直斗はじっくりと考え考え、最近どうして本屋に現れなくなったのかを話してくれた。
普段の軽妙な口調からは珍しく思えて、これはきっと直斗にとってすごく重要なことなんだと思いながら耳を傾ける。
「小学生の時に転校して来るまでいた学校に、大事な友達がいるんだ。あんまり連絡とってなかったんだけどさ、実はこの夏の夏期講習で再会して」
ぶうんと音を立ててコンビニの駐車場に原付バイクが入ってくる。女の人と男の人のカップルで、二人はそろいのヘルメットを外すと嬉しそうに互いの顔を見合わせている。
「それで、久しぶり、どうしてた、とか話してたらあんまり元気がなくて。聞いたら、いじめっぽいのに遭ってるって。ちょっと、学校に行けてないみたいなんだ。」
「……それは、辛いね」
「塾にはちゃんと来てるし、元々すごく頭がいいから勉強は問題なくて。塾の後も少しマックとかで勉強付き合って貰ったりして気晴らしになってるみたいだし、おかげで俺の成績も上がってきたし、それは嬉しいんだけどさ。ただ、アイツが学校が辛いって話で……ほんと、俺、無力かも」
弱々しく笑って手元のペットボトルに視線を落とすのがかわいそうで、でも、私の前で弱音を吐いてくれるのがほんのりと嬉しくもあって、私は複雑な気持ちになった。「ねぇ、それって女の子?」という喉元まで出かかった言葉を懸命に飲みこんで、代わりに「うちで良ければ、話聞くよ」と口に出してみる。
直斗ははにかみながら後頭部を軽く掻くしぐさをする。それが照れている時の直斗の癖だとその頃にはもう把握していた私は、ますます何とも言えない気持ちになった。
それから、私と直斗は偶に顔を合わせれば直斗の友達についてを話題にする事が多くなった。直斗を足繫く塾に通わせて、離れているときも心配されて、無事を願って貰えるその相手のことを、羨ましく感じてしまった。
直斗の力になりたいと思う一方で、私の今の立ち位置はおよそ恋人や、恋愛っぽい雰囲気とは遠すぎるような気がする。私から見てこの関係をこのまま進行させていくと、たどり着く場所は「友達」とか「親友」のポジションにしか思えず、もやもやした感情が薄く積もっていくようだった。その頃の私は今よりも数倍不器用で、だからどうしたらこの気持ちを消化できるのか分からないまま冬を迎えた。
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