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 中間考査を乗り越えると、次に待ち受けている行事は校外学習だった。

 彩花たちの学年の行き先は二泊三日の軽井沢で、紅葉シーズンの別荘地は賑わいを見せている。土産物屋を冷やかしながらの自由行動は非日常感があり、試験からの開放感も手伝ってかそれほど目新しいものは無いはずなのに、彩花と羽純、茉里奈と萌音の四人はいちいち大袈裟な歓声をあげて過ごしていた。

 そのうち別行動していた関口と神崎が合流し、茉里奈と萌音がそれぞれ離脱していく。


「羽純ちゃんはいいの? どこか、行きたい場所とか」


 何となく、今ここで白澤の名前を出すのもあからさま過ぎる気がして言葉を濁す。羽純はいつも通りの落ち着いたテンションで「ううん、特には」と言ってから少し考えて「でも」と付け加える。


「浅間の方なら見たい場所もあったんだけどね」

「あぁ、火山の博物館!」

「自由行動で行くには遠すぎるから」

「かと言って、全体で行くにはマニアック」


 ふにゃ、と珍しくニヤけた顔の羽純が「それ」と答える。そのマニアックにすっかりハマってしまった羽純の地学部への傾倒っぷりは仲間内でも笑い草ではあるものの、そうやって好きな物を見つけて、精一杯の嗅覚を働かせながら高校生活を謳歌している羽純のことは素直に羨ましいと思う。

 そう言えば、同じくチアリーディングに入れ込んでいたはずの茉里奈が最近その素振りを見せないことがずっと気に掛かっていた。聞こうとすると巧妙に話題を変えられている事に気付いてからは直接本人に聞くのは躊躇われていて、今なら羽純に聞けるのでは、と思い立ったタイミングで聞き覚えのある声がその本人を呼んだ。


「桃井さん見つけた」

「あぁ、白澤くん」

「顧問がレンタカー借りれたみたいで。ストーンサークル観に行くらしいんだけど……良かったら湯本さんもどう?」


 誘う時に羽純ではなくて彩花に声をかけるあたり、白澤は洞察力がある。とは言え、集まるのは地学部の面々だろうから、闖入者として車に乗り込んでずっと気を遣わせるのも気が引ける。


「私はいいかな。少し疲れたかも」

「え、本当? なら私も」

「そこまででは。大丈夫。せっかくだし、行っておいでよ」


 羽純はしばらく迷っていたものの、最終的に「何かあったらすぐ羽純のスマホに連絡すること」を彩花に約束させて、何度か振り返りながら出発して行った。

 いいからいいから、という具合に振っていた手を下ろして、さてこれから何をしようなどと思った段になって、またよく知った声が自分を呼ぶので少し笑う。


「彩花ちゃん!」


 声の主は、少し離れた場所からまるで飼い主を見つけた小型犬のように、嬉しそうに駆けてくる。手にはいくつもの紙袋を提げ、それはもう賑やかな笑顔を振りまいている。


「藤原くん、ひとりなの?」

「そう。さっきまでは神崎くんと関口くんも居たんだけど、僕、買い物が多くって。家族に頼まれ物してて、集中してそれを買い集めてた」


 お母さんの焼き菓子と、お父さんのご当地カレー、お姉ちゃんのジャムと、弟の地域限定記念切手と、おばあちゃんの味噌ダレと、おじいちゃんのコーヒー。

 紙袋を順繰りに見渡しながら言い切った藤原はやはりどこかオカメインコのこたろうに似ていて思わず頬が緩む。


「それで、彩花ちゃんは?」

「さっきまで四人で買い物してたんだけど、それぞれ旅立って行ったね」

「そっか」


 皆まで言わずとも事情を察してくれる辺り、本当に理解力の高い子だ。藤原は辺りを見回してから彩花に笑いかける。


「それなら僕とお茶しようよ。さっき、気になる店を見つけたんだ」


 それから二人は藤原のピックアップしていたお店を何軒か覗いて回り、感じの良さそうな、そしてそこまで肩ひじ張らない程度の価格帯のベーカリーカフェに入った。

 そこそこの有名店らしくて少し並んだけれど、古民家を改築したというカフェはお洒落な造りをしていたし、紅茶は熱くて果物のような良い香りがして、名物だというキッシュも芳醇なバターがじゅわりと溶けてとても美味しいものだった。

 教室と違って誰の目も気にせず藤原と話せるのは嬉しかったし、実際、藤原とは話せば話すほどに共有できる話題が増えて、もっと話をしたくなる。言葉が自然と溢れるようで、藤原の相槌も軽妙で、たぶん家にいる時よりも屈託なく居られたように思う。

 友達とも家族とも違う種類の存在。藤原と一緒にいる時の自分のことを、彩花はとても良いと思った。

 店を出る際にそこで飲んだ紅茶の茶葉を購入した。美味しかったので家で家族と飲もうと思ったのもあるけれど、単純に、何か記念が欲しい気持ちになったのだ。藤原と自分が軽井沢のカフェでお茶を飲むという特別な出来事を、できれば忘れたくない。そう思った。


 店を出て程なく、空から雨粒が落ちてきた。少し慌てた様子の藤原が背中のリュックから折りたたみ傘を取り出して、勢いよく広げてそのまま彩花に差し掛かる。


「あ……私はいいから」


 だって荷物もそんなにあるのに。むしろお土産が濡れるのは困るのでは。彩花の困惑を他所に藤原も譲らない。


「だめ。彩花ちゃんには風邪ひいて欲しくない」

「……藤原くん、なんだかお母さんみたいだよ?」

「なんでもいいよ。心配なんだ、彩花ちゃんのことが」

「なぁにそれ」

「当然でしょ、好きな女の子に優しくしたいなんて」


 好きな女の子だと言い切った藤原に、いつもなら茶化してお終いにするはずの彩花は微笑んだ。

 自分よりも少しだけ小柄で、惜しみなく好意を伝えてくれる、とても頭が良いのに純粋な所がある男の子。もしかしたら、さっきのお茶には人を素直にする作用があったのかも知れない。


「私も好きだわ、藤原くんのこと」


 思わず口をついて出た言葉に驚いたのは彩花の方だったのに、藤原は自信満々の表情でこう言った。


「そこは『万里くん』とか呼ぶんじゃないかな。どう?」




 帰りのバスの中では、大半の生徒がぐったりと眠っていた。四人は周りを起こさないように顔を寄せ合ってひそひそとお喋りを楽しむ。それぞれの自由行動での話題や、お土産に買ったもの、途中で買い食いを楽しんだ物など話題は尽きない。


「帰りたくないなぁ」


 茉里奈のボヤキがあながち本気に聞こえて少し心配になったけれど、彩花は彩花で藤原との間に進展があったことで頭がいっぱいになっていた。

 この旅行から帰ったら映画を観に行く約束をしてある。天気はどうだろうか。何を着ようか。その時は「万里くん」と呼んでみるべきだろうか。三人にはどうやってこの話を伝えたら良いのか。それと三浦雛子。彼女にもきちんと向き合って話をしなくては。いつかの公園で向けられた瑞々しい感情の片鱗を思い浮かべる。


 こんな時いつも頭をもたげる「私なんか可愛くないし」とか、「私なんかが恋とか」なんて考えは、不思議と浮かびもしない。きっと藤原が魔法をかけたに違いない。

 ふわふわした心持ちのままバスの窓から見上げた空はどこまでも澄んでいて、これからやって来る冬のシーズンにも楽しみしか見出せなかった。恋をするとこんなにも世界は違った手触りになる。新しい発見が彩花の視野を少しだけ狭めたことに、その時はまだ気が付けないのも無理はなかった。

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