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 最前列に座る桃井ももい羽純はすみが、番号を書いたコピー用紙を定規を使ってカットするのを見ながら「それでは」と声を張る。羽純は大人しいながらも協力的なほうの生徒で、何かにつけて彩花を気にかけてくれる。今も、席替えをしますという彩花の発声に対してすぐに反応し、あっという間にクジ引きの用意を整えている。ぼんやりしているようで抜け目のない、見ようによってはしたたかな感じのする生徒だ。

 教室内のざわめきを耳にする。二学期になってひと月足らずではあるが、中間考査前の良いタイミングに思う。


「ドーラちゃん、隣に藤原くん配置する?」

「いや、もう大丈夫でしょ」

「わかった。ではオール運を天で」


 謎に語感の良いことを唄うように呟きながら、クジ引きと座席の対応表を作っていく。

 羽純が口にした「ドーラ」とは、彩花のことを指すニックネームだ。二学年になって最初の自己紹介で「ジブリで好きなキャラクターはドーラです」と言い放ってからというもの、彩花のことを名前で呼ぶ者は居なくなった。女子を中心に、クラスメートは口々に「ドーラ」と呼ぶし、彩花もそう呼ばれる事を欲した。

 ドーラは「天空の城ラピュタ」に出てくる空中海賊「ドーラ一家」の統領の女で、三人の息子を始め乗組員たちの手綱を握りながら「タイガーモス号」を駆る姿に、強く感銘を受けた。賢く、強かで、決して万人から美しいと言われる容姿ではないが人を惹きつける部分がある。豪快さとお茶目さを併せ持つ、とても魅力的なキャラクターだ。自分もドーラのようにありたいと思う。

 そもそもキャラじゃないのだ。彩花、なんてかわいいっぽい名前は。

 女子の中では背が高く、顔だっていわゆる「モテ」とは遠い種類をしている。声も低めで合唱ではアルトの中でも低いパートを無理なく出せる。中学からソフトボール部で慣らした肩は他の女子よりも厚く、肝だって据わっている方だ。


「ドーラにならついて行く」


 そんな女子の圧倒的な支持を得てクラス委員をしている。空中海賊の親玉の名前で呼ばれながら慕われることは、彩花には心地のよいものだった。

 羽純の作ったクジ引きをクラスメート達が順々に引いていき、彩花も薄っぺらな籤をひとつ貰う。これから年末までの座席が決まるのだと思うと、わずかに緊張が走った。開いたところに書いてある番号は窓際の後ろの方の座席。

 良かった、教卓の前じゃなくて。最前列の座席は教師に近くて授業への参加意欲も増すので嫌いな席ではないけれど、体格の関係から適した場所ではないため交換が必要になる。反面、なかなか変わろうとしてくれる生徒もいない場所だからやはり当たりたくはない。そんな事を思っていると男子生徒の声を耳が拾う。


「藤原、どこだった?」

「廊下のほうの列の、」


 続けて藤原が説明する声キャッチするが、廊下という単語を拾った時点でフォーカスを緩める。やれやれこれで本格的にお役御免だ。黒板に示された番号で、自分と藤原が教室のほぼ対角線上に並んだのを確認して、胸を撫で下ろす。

 荷物を持って新しい座席に移動し、一抹の寂しさのようなものを覚えたのも束の間、人懐こい声が教室に響いた。


「彩花ちゃん!」


 その時、教室はあまりの違和感に静まり返った。彩花ちゃんて、誰だっけ。そんな声が聞こえるような空気だった。


 「……え、何それ」


 自身も零れるように小声でつぶやく彩花の困惑を意に介さず、小柄な身体を器用に使い、机の間をするすると縫うように藤原が近寄る。


 「彩花ちゃん、放課後すこし時間ある? 僕、みんなと同じ英単語帳が欲しいんだけど、お店の場所がまだ覚えられなくて」


 学校推薦の英単語帳を取り扱っている角屋商店という小さな文具店は、入り組んだ路地の片隅にある。推薦するなら購買で取り扱ってくれよ、と胸の中で悪態を吐きながら、それでも「わかった」と応えれば、藤原は嬉しそうに「じゃあ放課後に」と言い置いて対角線上の席に戻って行く。何だって? え、今のは、何?

 その時、クラスの中で一番混乱していたのは、およそ間違いなく彩花だった。ざわざわとした教室の空気を撹拌するように、窓から吹き込んだ風が掲示物を揺らし、床の埃を舞い上げた。


 その後、なんだか微妙な空気になってしまったのを察してか、茉里奈まりなが「も買うものあるんだけど、一緒にいい?」と声をかけてきたのを皮切りに、茉里奈の彼氏の関口と、茉里奈とよく一緒にいる羽純も付いて来ることになって、羽純が最近仲良くなったらしい白澤くんもいて、更に茉里奈に付いてきたらしい野宮萌音と、なぜか隣のクラスの神崎まで来たのには驚いた。

 大所帯はぞろぞろと角屋商店への道のりを歩いて行く。続々と集まってくるメンバーに最初はきょとんとしていた藤原も、嬉しそうに足を弾ませている。意外なことに神崎と何やら話し込んでいるのにも驚く。馬が合うのだろうか。

 角屋商店に着くとそこにもクラスの女子が数名いて、店はちょっと珍しいくらいの混雑になってしまった。

 特に買い物の予定はなかったので店の外で待つ内に、自分はなぜここに居るのかという思いがふと頭を掠める。無事に手に入れた単語帳をパラパラ繰りながら、店から出てきた藤原が隣に立った。


「やっぱり彩花ちゃんは人望がある」

「私というか、藤原くんに興味があるんじゃないのかな」

「それも彩花ちゃんありきでしょ」


 藤原が邪気のない笑顔を向けるので、彩花はどんな顔をした良いのかわからなくなって下を向いた。

 私なんかにそんな顔を見せないで欲しい。私みたいな、可愛くもない存在に。そういうのを向けられるべき女の子はきっともっと可愛らしくて、私よりもずっと藤原の隣が似合うはず。

 見下ろした視界の中でローファーが埃っぽい色をしている。帰ったら靴を磨こう、そう思った。

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