二学年、秋 われもこう

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 夏休み明けに現れた編入生はふわふわとした雰囲気の男子生徒で、一部の女子たちから小さな歓声があがった程だった。曰く、かわいい。

 男子として「かわいい」という評価はどうなのかと様子を伺っていると、特に迷惑そうな素振りも見せず、にこにこと微笑んだままで担任教師の紹介を受けている。なるほど、世渡り上手なタイプかも知れない。

 きょろきょろとクラス中を見回しているところなど、好奇心が強そうで、きっと物怖じしないのだろう。クラス委員としての心配はどうやらそれほど必要なさそうだ。


藤原ふじわら万里ばんりです。両親の仕事の都合で引っ越してきました。前の学校では部活は特にやってなくて、えーと、万里って名前は「万里同風」っていう中国の古い言葉が由来らしいです。意味的には……うーんと、まぁ、平和ってことみたいです」


 よろしくお願いします。そう締めてぴょこんと頭を下げてから担任の方を伺う姿は、小柄なのを差し引いても小動物を思わせるのに十分だ。

 眉尻を下げながら聞いていた担任の文香ふみか先生は、何度か小刻みに頷いてからこちらに向き直る。

 彼女の職員室のデスクの上に、小さな猫を模したキャラクターのマスコットが飾られていることを彩花は知っている。

 自宅でも猫を飼っていて、いつだったかの職員会議がある日に、病院へ連れて行った後の飼い猫をそのまま学校へ連れて来たことがある。教師はなかなか休暇が取りにくいと聞くものの、本当に世知辛い職業なのだ。そして、そんな古文担当の彼女のことだから、今回の転校生への感想はきっと「いとおかし」か何かなのだろう。


「湯本さん」

「はい」

「藤原くん、こちら、クラス委員の湯本ゆもと彩花あやかさん。とっても親切だから色々と頼りにしてね」

「わかりました! よろしくね」


 ぱっちりとした大きな目だけれど、近くで見ると目鼻立ちの造形が小ぶりで、何だかお人形さんみたいでもある。

 女子に人気が出そう。

 彩花は彼から見えているであろう自分の顔の、常に存在を主張している鷲鼻や、ぱっちりと言うよりぎょろりとした目が、相手を怯えさせなければいいなと思いながら、努めて優しい語感になるように「よろしく」と返した。

 それから藤原の座席は急遽彩花の隣に設けられ、その後しばらくは彩花が世話を焼くことになった。教科書や資料が揃っていなかったのは仕方がない。前の学校でやって来てない単元は教師が教えたらどうかと思いながらも、クラス委員という肩書きも手伝って、流れで教えることになる。

 元々勉強は好きで、誰かに教えることは自身の復習も兼ねることになるので苦手ではない。時間的な都合がつきさえすれば特に何も負担にならない。進学校に編入生としてやって来ただけあって藤原は頭が良くて、そのうえ回転が速いのか、教えた事を飲み込んで発する例え話も秀逸だった。


 中には「藤原くんばかりズルい」などと言っては藤原と彩花の勉強会に顔を出す生徒もいて、その代表たる女子生徒が三浦みうら雛子ひなこだった。

 小柄で華奢でおしゃれが好きで、とてもか細い声をしているのに自分の主張はしっかりと通す芯の強さがある。そんなワガママっぷりも可愛らしくて、彩花から見たらいわゆる女の子の見本のような存在だ。

 茉里奈ももちろん、例えばダリアのような華やかな魅力があるけれど、対して三浦雛子は例えたら鈴蘭とか、コデマリとか、そういった可愛らしさがある。

 放課後、二人が勉強会を始めると三浦を含むグループがいつの間にかすぐそばで観察するようにこちらを見ていて、冷やかしついでに茶々を入れ、藤原のリアクションを眺めては愉快そうに笑う。新しく加わった生徒が珍しいだけの行動かと思えば、妙に彩花を味方に引き込もうとしたりして真意の読めないところはあったけれど、害のない範囲で放課後の教室が賑わうのは悪くない。

 まだ夏の暑さが尾を引く放課後の教室で行われる補習には、数日が経つうちに藤原や三浦のグループ以外の生徒も参加するようになり、その内ちょっとしたイベントのようになった。わずか二週間の期間だと言うのに誰が言い出したものか「湯本塾」という名称が定着するほどで、その根っこはおおよそ藤原への興味と憧れに他ならないだろうと彩花は悟る。

 回を重ねるにつれて藤原は彩花のアシスタント的な役割が板につき、そのキャラクターですっかり教室に溶け込んだ。良かった。クラスメート達の中で楽しそうにしている藤原の笑顔を見て、そう思った。





 今日で藤原の補習も一段落する。生徒の中には存続を望む声も聞かれたものの、クラス委員とソフトボール部の活動もあってそれなりに忙しく、惜しまれつつも終了となる。


「最後に何か質問のある人はいますか?」

「はい、センセー! 帰りにアイス食べてきませんか!」

「……藤原くん、それは質問じゃないね」

「アイスは……」


 藤原はきょとんとした表情で小首を傾げる。彼の背後で何人かの女子生徒たちが声にならない声を発するのがわかった。これはすごい破壊力。しかも無自覚。まってそれ本当に無自覚?

 逸らしていた視線を戻せば、相変わらず傾けたままのポーズでこちらを伺う藤原がいる。まて、を貰った子犬のようだ。あざといなぁ。

 結局のところ、背後からの圧も手伝って、仕方ないという顔を作りながら頷いてやる。途端、やったぁ! と明るい歓声がいくつも教室内に弾けていく。


「……一応、買い食いは見つかると良くないから、手短にね」

「はーい!」


 自分が本物の教師になったら、こんなやり取りは日常になるのだろうか。教師は彩花の将来の夢のひとつだ。進路希望の用紙にはやはり教師と書こうか。

 窓の外で黄色く色付き始めたばかりの木の葉がふわふわと揺れている。まだ暑い日は続くのに、自然は正しく季節を移ろわせるものだ。


 夏休み明け、教室の怠い空気に紛れ込んだつむじ風のような彼は、その後の彩花の学生生活をくるくると勢い良く掻き回すことになる。



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