幕間
鳴る
廊下を歩くと、その跡を追うようにミシミシという音がする。
頻発する眩暈をやり過ごしながら生活するうち、次に気づいた異変は部屋の中で鳴る「家鳴り」だった。乾いた木が割れるような「ぴし」とも「ぱき」とも付かない破裂音のようなものが、廊下を歩くたびに付いて回るような気がしている。それが耳に届くたび私の頭の中には、いつかテレビで観たホラー映画に出てきたような大きな蛇や、歴史の図録に載っていた古い屋敷の天井に巣食う悪霊のようなものが、イメージとして呼び起こされていった。
眩暈の治療薬と吐き気止めの処方は続いている。それのおかげでかろうじて部屋で過ごすことは出来ていたけれど、ダンスの動画を観ているときも、テスト勉強をしているときも、大好きな直斗とライン通話している時でさえも、何かが自分を見張っているような気がするようになった。その大きくて邪悪な、とても怖い何かが天井付近から自分を見下ろして、あるいは細長い舌をちろちろと伸ばしているように思えた。
自室にいても落ち着かず、恐る恐るとリビングに顔を出す。廊下を追ってきていた音はリビングの存在に気付いたとでも言うように、それ以降はリビングでも「ぴし」という音がするようになってしまった。
もし本当に自分が何かを連れてきてしまったのだとしたら、自室にいた方が良いのかも知れない。でも怖い。自分の好きな物だけで整えられた自分用のスペースで、何か得体の知れない物と一対一で対峙するのは、私にはまだ荷が重い。
少し迷ったけれど、リビングのソファでインテリア雑誌を広げているお母さんの隣に滑り込む。
「ねぇお母さん、最近なんか変な音がしない?」
思い切って音に関する話題を振ってみた。お母さんは、最初こそ何の音もしないと言っていた。けれど、何度か訴えるうちにとうとう「するね」と答えた。その時の私がどこかホッとしていたのも事実だ。良かった。私ひとりだけが聴こえていた訳じゃなかったんだ。
その音が聴こえると言ってはくれたけれど、その後には「でもね」と諭す言葉が付け加えられた。
「確かにそうね、音がするね。でもきっと家鳴りよ」
「でもね、眩暈のこともあるし、私、不安なの。なんだか目に見えない生き物がいるみたいで、怖いときがあるの」
「茉里奈ちゃん」
お母さんはまっすぐに私の瞳を覗き込む。
「茉里奈ちゃん。お父さんが頑張って働いて買ったお家なんだから、変なこと言わないで頂戴」
「違う。私、そんなこと思ってない」
「何でも変なふうに捉えるの、あまり感心しないよ。外に出て少し体を動かしてきたらどう? なんだかお母さんまで肩が凝ってきちゃうわ」
それから私は、授業が終わってからもしばらくはあてもなく校舎内を徘徊するようになった。家の中よりも外にいた方が気持ちも晴れるし、なにより外の空気を吸っていたほうが眩暈が良くなるような気がしたから。お休みしているチア部のメンバーには見つからないように、けれど、誰かには見つけて貰えるように。
クラスメートの誰かがいると積極的に声をかけて、少しでも長く一緒に過ごそうとしてもみた。結果、友達が増えていくのは悪くなかった。
それこそ彼氏の直斗には毎日一緒に放課後を過ごして欲しかったけれど、高校生は以外と多忙でもある。おまけに直斗はバイトもあり、それが将来の夢を見据えたものだと知れば、なおさらワガママも言えないものだ。それでも、毎朝、二人で決めた待ち合わせの駅前で眠そうながらも自分を待つ姿には励まされた。
大丈夫、大丈夫。きっと全部思い過ごし。怖いものなんか居ない。私の部屋は快適で、眩暈は一過性のものだから。私くらいの年齢ならば良くあることだ。
夜、電気を消して眠る前、天井の辺りから何かが歩いているような音がする。ゆっくりと、まるで私の心の中にある不安の芽を舐めるように。大丈夫、大丈夫。それはただの幻。くだらない妄想。大丈夫。きっと大丈夫。
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