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思いがけず神崎と話し込む事になったのは、それから間も無くのことだった。
その日、ペアのはずのもう一人の当番は部活の用事があるのだと聞いていたため、萌音は仕方なく一人でカウンターに入ることになった。不運は重なるもので、連休中に貸し出されていた本が一斉に返却され、ちょっとした祭りになるタイミングだが覚悟を決めた。それに、煩悩を捨てると思えば案外ちょうど良いのかも知れない。
返却された本を分類番号ごといくつかのブロックに分けてそれ用のカートに乗せる。たっぷりと本を積載したカートを押すのは少しコツがいる。木製タイルの床の節に嵌まらないよう、静々と進んで目的の棚へと辿り着く。分類ごと、著者の名前の順に本が収まった書架へ、手に持った一冊を戻している最中だった。カートに積んだ本の山に肘が辺り、一山そっくり床に落としてしまった。静まり返った図書室に派手な音が響く。
「しっ、失礼しました!」
思わず口走ってから慌てて拾い集めていると、視界に誰かの手が伸びてきて本を拾った。白くて細くて頼りない指は、爪の先をパールホワイトに塗ってある。
「あ、すみませ……ん」
「野宮さん、だよね?」
クラスの中でのヒエラルキーは上位だと思われるため、あまり近寄らないようにしていた相手だ。第一印象は「うわぁ、ギャルだ」で、彼女の言動はそれを否定しなかった。
たしかチアリーディング部で、中学からの経験者だかで部内でも一目置かれる存在であるらしい。進学校に通っているわけだから頭はそこそこ良いのだろうし、派手な外見と運動で引き締まったプロポーションはバランスが良く、どこぞのモデルと言われても納得できてしまうだろう。おまけにわりとイケてる彼氏もいるのだとか。どこにでも、天から一物も二物も与えられる存在はいるものなのだ。
きっとこんな人、萌音のような、クラス内でどのグループに所属するかなんて悩み、持ったこともないに違いない。
丁寧に巻かれた髪はアッシュだかメッシュだかいう不思議な色合いで、学校指定の鞄には大きな花がいくつも付いた飾りがぶら下がっている。それを臆面もなく肩にかけ、てらてら光る唇を開いた。
「図書委員って、もしかして結構な重労働?」
「あ、いえ、そこまででも、ないです」
「ヤダ、敬語! うち、同じクラスの
「え、あ、うん。あはは、そうだ」
解ってて敬語になっていたのを取り繕うように、意味もなく笑顔を浮かべる。
まつ毛、すごい長い。いや、つけまつ毛か? それにメイク。瞼がキラキラしてるし頬も嫌味なく血色が良いのはチークというやつだろうか。そして極めつけのグロスリップとかいうもの。色が優しいから自分でもイケるかと考えて入手したことがあるけれど、付け方と言うか、加減と言うか、そんなのが全く分からず引き出しの奥に追いやられているアレ。きっとこうやって使う物なのだ。髪型もすごく凝ってて、もはやどうやって結ってるのか分からないし、あれを朝から作ることを考えたら気が遠くなる。
ていうかスカートすごく短いな。長くて細い脚が余計に強調されている。
いつも遠巻きに眺めていた存在が今こんなにも近い。ギャルは圧迫感があるものなのだ。そしてギャルなのに、本を拾ってくれるなんて実はわりと良い人だ。それとも、持てる者こそが与えられる余裕なのだろうか。
萌音がいちいち驚きながらいるのを他所に、ギャルは短いスカートを物ともせず本を拾い集め、立ち上がってカートに乗せた。
「もしかしなくてもコレで全部じゃない?」
「え、あ、うん。まだあるかな」
カウンターに積まれた返却図書の山を指し示すと、ギャルはあからさまに眉根を寄せた。腰に手を当てる姿がとても見栄えがする。今週は連休明けだから仕方がないのだとしどろもどろになりながらも説明する萌音の話をひと通り聞いた後、ギャルは唸った。唸って、それから、なおもてらてらと輝く口を開いた。
「ちょっと、
間近で見る神崎は当たり前だが質量のある感じがした。書棚の間は陽がささないため、いつもは茶色っぽく光って見えた髪が艶はあれどもきちんと黒髪で、透き通るように感じていた肌も至って普通の思春期の肌だ。
あれだけ想像していた並んだ時の感覚がとてもリアルで、思い描いていたよりも少し大きいように感じる神崎の横顔から、不躾とはわかりながらも目を離すことが出来ない。あ、ニキビ。
「……見過ぎ」
「うあっ、ごめんなさいっ」
「ねぇこれ片すの手伝って!」
神崎は、うっとおしく感じたはずの萌音の視線をそれ以上非難するでもなく、ギャルの態度に不満を述べる訳でもなく、「いいけど」と言った。神崎くんもギャルもとても良い人だ。そう思った。
そこからは萌音が、本の背に貼られたシールの分類番号の見方とそれに応じた棚の在処を軽く説明して、それぞれが書架に本をしまう流れになる。
変な日だ。
仕事が片付くのは嬉しいけれど、絶対に接点が無さそうだと思っていたギャルと、接点はもう望めないと思っていた神崎。この二人とこんな時間を過ごすだなんて、なんだかあまり現実感がない。あわよくばラインアカウントくらい交換できないだろうか。ギャルとも、神崎くんとも。
時間が経てば理解できることだけれど、その時の萌音はとても浮かれていた。だから、図書室の扉をそっと押し開けた他のクラスメートがギャルを呼んだ時も、何でもないように受け止めた。
「茉里奈、そろそろ行くよ?」
「あれ
ギャルがそんな風に返事してからこちらに向き直った。ぱちりと小さな音を立てて手のひらを合わせる。
戸口のところで覗き込んでいるクラスメートは知っている子だ。ギャルとよく一緒にいるのにギャルではなくて、いつも淡々としているようでソツがなく、ギャルばかりかクラス委員の女子とも温度差なくつるんでいられる、油断ならない社交性がある。
もしギャルと自分が同じグループに所属することになったなら、この子とも友達になるのかも知れない。
「ごめーん、あと頼んでもいーい?」
そう言って小首を傾げて見せた時、まだ夢の続きにいるような気持ちだった。もちろんと快諾して、礼を言って、それからまるで神崎と二人きりでいるような、ふわふわした心になっていた。
夢心地のままで口を開いて、ずっと頭の片隅にあった事を口にする。
「先月はごめんね、なんか、その、お騒がせしました」
「別に」
書架に本をまた一冊戻した神崎がこちらをちらりと見る。
「女子って、なんか、ああいうの好きだよね」
「だよね! いや、私もあれはどうかと思ってたんだ!」
「……あぁ」
「盛り上がり方が異常だったよね! なんか、他にテキトーな話題がなかったのかって感じ!」
夢の中にいるみたいに何も考えず、調子よく思いつくままに会話を繋げていたから、次の神崎の言葉はまさに冷水を浴びたように感じた。
「……なぁ、それ以上、
「え、」
「終わり。じゃあ、部室行くわ」
ひやりと背中が冷えた。視界の中でこちらを一瞥した神崎が背中を向ける。何か、余計なことを言ってしまったのだ、自分は。それがやけにスローモーションに見えて、さあっと血の気が引いた。
回らない頭で、え、とか、あの、とか、モゴモゴしているうちに神崎は図書室を出て行ってしまった。跡にはきれいに片付いた空のカートと、事態を飲み込めないまま立ち尽くす萌音が残された。
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