まともな世界

雨宮羽音

まともな世界

 人間って大変だ。


 生きるために必死にならなきゃいけない。


 僕は今日も生きるために、海に入って食べ物を捕まえる。

 浮いている水草だか藻だかよくわからない物を掻き分けて、見つけた獲物を逃がすまいと飛び掛かる。


「ぷはっ、お昼ご飯ゲット!」


 岸に上がり、火を起こして獲物を焼いた。

 他の命を糧にしてご飯にありつく。〝いただきます〟と〝ごちそうさま〟は、形式ばっているが、感謝の気持ちを込めた挨拶だ。


 砂浜には朝ごはんになった動物の残骸が残っている。それだけでなく、最近食べてきた物の骸も並んでいる。


 流石に景観が悪くなってきたなぁ。

 天気も悪くないし、今日は浜辺を掃除しようか。

 そう思い、僕が四つん這いになって歩き出した矢先だった。


「こんにちは」


 浜に面した森から一人の少年が現れた。

 綺麗な純白のシャツを着た、利発そうな少年が僕を見つめている。


「こんにちは……」


 少年の言葉に挨拶を返すと、彼は黙って僕のことを見つめ続けていた。

 なんだか気味が悪かったが、時間がもったいないので僕は浜辺の掃除をし始める。



 しばらくそのまま時間が流れ、僕は次第に見つめられているストレスに耐えられなくなって口を開いた。


「あのさ……どうしてさっきから僕のことをみつめているの? そんな悲しそうな目をしてさぁ」


「ああ、ごめんね。人間観察をしてたんだ」


「なにそれ。僕ってそんなに珍しい感じのする人間かな?」


「いいや、そんなことないよ。いたって普通の、ごく平凡な一般市民だ」


「ふーん……」


 少年の言葉はなんだか気に障る。

 まるで自分が特別な存在であるかのような口ぶりだ。


「そんな風に時間を割いて他人を見ているなんて、君はよっぽど暇なのかな」


「ううん。暇ではないんだけど、何をするにしてもやりづらくてさ。世の中おかしいよね」


「なにがおかしいの? 君はあれか、夢見がちな少年ってやつか。自分だけは他人と違ってまともだと思ってるタイプの」


「まともね……おかしいのはボクの方のなんだろうなぁ。だから話が合う人は見つからないし、友達もいない……」


 そういうと少年は俯いて、しばらく黙り込んでしまう。


 僕は沈黙の間、ごみ袋に浜辺のゴミを拾い集めた。



「あのさ、ボクと同じものを見てみたくはない?」


 あらかたのゴミを集め終わった時、少年は唐突にそう言った。


「はあ? 僕と君の見ているものが違うとして、どうやってそれを同じにするっていうんだい?」


「大丈夫、方法はある。ただボクは君の了承が欲しいんだ」


「うーん……」


 僕は唸りを上げたが、少年の遊びに付き合ってやる程度の気持ちで返事を返す。


「いいよ。できるんだったらやってみて」


「やった! 君となら友達になれる気がするよ!」


 今までの様子とは打って変わって、子供らしくはしゃぐ少年。その仕草を見ていると、なんだか僕も嬉しくなる。


 パチン。

 少年が指を鳴らした瞬間、僕の体にバキバキと痛みが走り、頭の中が圧迫されるような感覚に襲われた。


「な、何をしたの……!?」


「安心して、すぐに終わるよ! 上手く説明は出来ないけど、体と脳みそのコリをほぐしたみたいな感じ!」


 少年の言葉どおり、異変はすぐにおさまった。

 僕は二本脚で真っ直ぐ立ち上がり、背筋を伸ばして深呼吸してみる。


「ぷはー! なんだか頭がすっきりした気がする! でもなんか空気が臭くて不味いよ?」


「それは……上手くいった証拠だよ! 今ならボクと同じ世界が見えるはず!」


「同じ世界ねぇ……」


 辺りを見回しはっとする。目に映る景色が先ほどまでとはガラリと変わっていた。


「……空ってこんなに曇っていたっけ?

 森の草木は元気がなさそうだし、海に浮かんでいるのは沢山の……ゴミ?」


 そこにあるのは灰色の世界だった。

 大気は汚れ、森は枯れ、海は黒く汚染されている。


 僕が今まで生きてきたはずの場所はどこへいっしまったのだろうか。


「世界を俯瞰して見るのって結構難しいんだよね。生まれながらにもつ感性とか、育ってきた環境によって、見え方や目に映るものが限られてくるから」


 僕の横に立った少年は雄弁に語りだす。


「人間は群れる生き物だから、その中にいると常識とか倫理観とかが都合のいい方向へと矯正されていっちゃうんだよ。でもふと気づいた時に遠くから見てみると、自分が歪な輪の中にいることを悟る。まあ……それを口にすると、ボクみたいに独りぼっちになっちゃうんだけどね」


「みんなにはこれが見えていないんだね……いや、見えないふりをしているのかな……?」


 僕が目に映る景色に気を取られていると、手の中に握っていたゴミ袋がガサリと音をたてて砂浜に沈む。

 焦ってそれを拾おうとした僕は、袋の中に入っているものを目にして──。


「あ……ああっ……!!」


 強烈な吐き気と、感じたことの無い悪寒が背筋を通り過ぎるのを感じた。


 赤黒い血だまりと、バラバラになった人間であったはずのモノ。

 腐乱臭が鼻をつき、生気の無い見開かれた視線が僕を貫く。


 慌てて目をそらし焚火の方を見ると、串刺しにされた死体が炙られながらこちらを見ていた。


「ああ、あああああああああ!!」


 咄嗟に自分の顔を覆おうとする両手は、真っ赤な血に染まっている。


 僕は一体、今まで何を糧として生きてきたのだろう。


「どうしてそんなに取り乱しているの? 生きるために他人を足蹴にするなんて、そんなの誰もがやっていることじゃないか。今の時代じゃ当たり前の行為だし、人間はそれを繰り返して繁栄してきたんだ。何も恥ずべきことは無いと思うけど」


「ああ……あ……」


「ねえ、ボクの話聞いてる?」


「………………」


「あーあ、壊れちゃったか……ほんとうに、まともな感性を持ってると、生き辛い世の中だよねぇ……」





まともな世界・完

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まともな世界 雨宮羽音 @HaotoAmamiya

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