第40話
特級クラスの生徒が使う学生寮は、他の生徒たちの寮とは離れた場所にある。
寂しいけれど仕方ない。特級クラスは他言無用の機密情報を扱うこともあるのだ。だから寮だけでなく教室も隔離されているとのことだった。
特級クラスの学生寮は三階建てで、一階は共同の食堂や風呂などがある。二階は男子の部屋で、三階は女子の部屋だ。
僕は二階の一番奥にある部屋の扉を開き、中に入った。
荷物なんて何もない。空っぽな自分の部屋を見つめた僕は、扉を閉めて深呼吸する。
もう、大丈夫か……?
もう演技を解いてもいいか……?
「う、ぐ……っ!?」
「大丈夫か!? すぐに休むのじゃ!!」
苦しさのあまり呻き声を漏らすと、サラマンダーが人の姿になって僕をベッドに寝かせてくれた。
「疲れているどころではないのじゃ!! 内臓は破裂しておるし、骨は砕けておるし……演説中も何度気を失いそうになったか……っ!!」
「ごめん……サラ、マンダー……」
最終試験で魔導兵機と戦った時のことを思い出す。
皆は僕の圧倒的な勝利だと思っているみたいだが……実際はそんなことなかった。
シルフの協力を得られなかった僕は、苦肉の策として、まだ使いこなせない《精霊纏化》を発動した。
結果、僕の身体は《精霊纏化》についていけず、全身がボロボロになってしまった。
しかもその反動で僕は今、思うように魔力を操作できない。この状態では回復魔法もろくに使えず、僕はあの戦いで負った怪我を今まで隠し続けていた。
「今からでも遅くない、医者を呼ぶのじゃ!!」
「それは……よくないよ」
「何故じゃっ!?」
「僕が、こんなにボロボロだってバレたら……英雄のイメージが壊れるだろ」
サラマンダーが眉間に皺を寄せた。
「勿論、こんなのは理想論だけどさ……折角、圧倒的に勝ったように見せられたんだ。……なら、最後まで貫かないと」
僕だって毎回怪我を隠せるなんて思っていない。
しかし、ルークとして英雄を目指すと決めた以上、僕は少しでも周りの人に英雄らしい姿を見せたかった。
怪我を我慢するくらいで英雄の印象を与えられるなら、儲けものだ。
「……皆に英雄と思われることが、そんなに大事なのじゃ?」
「ああ。僕の命よりも、大事だ……」
完全無欠にして世界最強。そんな英雄に僕はならなくてはいけない。
偽物である凡人の僕が、本物である
「では、せめて今は寝るべきじゃ」
サラマンダーは有無を言わせぬ迫力で言った。
「でも……」
「《精霊纏化》の反動で、身体を動かすことは愚か、魔力を動かすだけでも激痛が走るのじゃろう? 起きていてもすることがないなら、眠って休息に徹した方が効率的じゃ」
「……そうだね」
なんだか、僕を説得するのが上手くなっている気がした。
効率的だと言われると従うしかない。
「最後に眠ったのはいつじゃ?」
「……村を出る前、かな」
「なら、今までの分も眠るのじゃ」
そう簡単に眠れるとは思えなかった。
不眠不休で活動を続けて一ヶ月以上が経っている。もしかしたら、眠り方を忘れているかもしれないな……そんなことを考えながら、僕は目を閉じた。
◇
ルークの唇から、規則正しい寝息が聞こえる。
サラマンダーは安堵の息を零した。
「……やっと、寝たのじゃ」
ルークの寝顔は先程演説していた時のような雄々しいものではなかった。どちらかと言えば大人しそうで、臆病そうで、控えめで……そして何より優しそうな顔だった。
こっちの方が、いいのに。
そう言えたらどれだけ楽だろうか。
きっとそう言えばルークは頑なに否定するのだろう。
そして否定した回数だけ無茶をする。
ルークはそういう男だった。
「……ごめん」
ふと、ルークの唇から声が漏れる。
目を覚ましたわけではない。ただ、その瞼からは涙が垂れ落ち、その口からは延々と謝罪の言葉がこぼれ落ちた。
「ごめん、アイシャ…………ごめん……」
サラマンダーの胸に、ルークの感情が流れ込んだ。
ルークとサラマンダーは強い絆で結ばれている。それこそ、かつて精霊王しか為し得なかった《精霊纏化》を、使いこなせていないとはいえ発動できるくらいに。
サラマンダーとルークは、今や互いの感情がなんとなく分かるくらい深い関係となった。
だからサラマンダーは知っていた。
ルークがいつも……絶望の底で藻掻いていることに。
「あ、あぁぁ、あぁぁぁぁ……っ!!」
どうしようもない激情に駆られ、サラマンダーは頭を抱えた。
ルークから止めどなく苦しみの感情が流れ込んでくる。
「寝ても、駄目なのか……!? どうやったら、お主はその苦しみから解放されるのじゃ……ッ!?」
瞼を閉じ、意識を失ってなお、ルークは苦しみ続ける。
そんな主に何もできない無力感が、サラマンダーの心を苛んだ。気づけばサラマンダーは、目の前にいるルークと同じように涙を零していた。
散々戦って、散々傷ついて。
皆の心を救って、皆に称賛されて……。
ルークと関わった人は皆、幸せになっていた。
なのにルーク本人だけはいつまでも苦しんでいる。
ルークはいつだって誰かを助けているのに。
ルークを助けてくれる人は現れない。
「お主は……こんなものを抱えて、ずっと……ッ!!」
睡眠中で無防備だからか、ルークの感情はいつもより鮮明に伝わってきた。
苦しい。辛い。どうして僕だけがこんな目に?
無理だ。できない。それでもやらなくちゃいけない。
なんで僕が……?
助けて……。
助けて……!!
「助けて、やりたいのじゃ……妾だって、助けてやりたいのじゃ! でも――っ!!」
でもルークは、目を覚ませば助けを求めない。
背中を押すことだけを求めてくる。
サラマンダーは滂沱の涙を流した。誰よりも救われるべき人間がそこにいるのに、何一つできることがない己の無力を心の底から呪う。
主の方が傷ついているのに、主よりも泣いてしまっていることがまた悲しかった。主は、こんなふうに自由に泣くことすらできないのに――。
「……お主はきっと、これからも色んな人を救うじゃろう」
ルークが感じている痛みに胸を押さえながら、サラマンダーは言った。
「そんなお主を、いずれ誰もが英雄と呼ぶのじゃろう。完全無欠の男だと、心が強い人間なのだと……」
現に、ルークはもう周りからそういう目で見られつつある。
たとえばリズ、たとえばエヴァ。彼女たちはルークを英雄だと思っている。
これから、ああいう人が増えていくのだろう。
いずれ世界中がルークのことを英雄だと信じて疑わなくなる。
「じゃが……妾だけは、本当のお主から目を逸らさぬ……っ!!」
静かに眠るルークへ、サラマンダーは誓いを立てた。
「妾だけは、お主が英雄ではなく、ただの人であることを知っている……ッ!! この先どんなことがあろうと……妾だけは、人としてのお主に寄り添ってみせる……ッ!!」
握り締めた拳から血が垂れた。
こんなもの、ルークが抱える痛みと比べれば何でもない。
英雄であるルークを慕う者は、これからいくらでも現れるはずだ。
だが人であるルークはどうなる? 誰が傍にいてやれるのだ。
――妾しかいない。
サラマンダーはそう思った。
この広大な世界で、自分だけが本当のルークに寄り添えると。
「妾だけは……絶対に、お主を一人にはせんぞ……ッ!!」
たとえ、ルークが自分に隠し事をしていようと、その決意は変わらない。
未来予知が嘘であることくらい、とっくに見抜いている。
本当に未来予知ができるなら、誰も死なないし、誰も不幸な目に遭わないのだ。
何故そんな嘘をつくのか。考えたことはあるが……今はもう気にしていない。
自分は、何があろうとルークに寄り添うと決めたのだから。
弱くて、内気で、凡人な彼に……最後まで付き合うと決めたのだから。
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二章終了です。ここまでお読みいただきありがとうございます。
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また、2月の頭にはHJ文庫様から『才女のお世話』というラブコメの5巻が発売します。高貴なお嬢様との恋愛をテーマにした、本作とはまた違ったテイストの作品ですので、よろしければそちらも是非お楽しみください。
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