三章

第41話


「九十八、九十九、百……っ」


 素振りを終わらせた僕は、額から垂れた汗を手の甲で拭った。

 百回を百セット。計一万回の素振りを済ました僕は、気づけば肩で息をしていた。


 疲労回復の魔法《バイタル・ヒール》を自分にかける。拳を作ることすら困難だった握力が回復し、肩から上には動かせなかった腕も自在に動かせるくらいに回復した。

 この魔法のおかげであらゆる修行が効率的に行えるようになった。王都に着くまでの間にアニタさんと出会えたのは本当に幸運だったと言える。


 掌を見る。指の付け根にあった豆は何度も潰れ、岩のように硬い皮膚ができていた。

 まだ僕は未熟だ。しかし、少しくらいはルークに近づくことができただろうか? そんなことを思っていると、眩しい陽光が僕の顔を照らした。


「……朝か」


 学園生活三日目。

 学生寮の裏庭で、日課にしている素振り一万回を完遂した僕は、すぐに寮の一階にある浴場へ向かった。


 シャワーで汗を流してから、部屋に戻って素振り用の木剣を置く。

 それから僕は、鏡の前で身だしなみをチェックした。


「うーん……もうちょっと、目力を出せないかなぁ」


 学生寮で過ごすようになって最初に「ありがたい」と感じたのは、自室の洗面所にある鏡の存在だった。村には汚れた鏡しかなかったが、この寮には綺麗で大きな鏡が設置されている。


『そろそろ時間なのじゃ』


「分かってる」


 鏡があるおかげで、僕はよりルークらしい身だしなみに気を使うことができるようになった。

 どの角度から見てもルークとして恥じない身だしなみになっているか丹念に確認する。


 同じ顔なのに、どうして僕はルークと違って覇気がないのだろうか。気を張っていれば演技はできるが、ふと気を抜けば情けない顔つきに戻ってしまう。


 目元に力を入れ、ルークらしい目つきを再現した。

 よし、これだ。この鋭くて熱い眼差し。ルークらしい顔になった。


「あー、あー、あー。……声も大丈夫だな」


 簡単に発声練習をする。

 僕本来のくぐもった声ではなく、ルークらしい芯のある太い声。この声をいつでも自然に出せるようになってから、部屋を出た。


「むっ」


「おっ」


 丁度、向かいの部屋から見知った人物が出てきた。

 ライオット=シャールス。訳あって僕のことを嫌っている男子である。


「……君か、ルーク」


「よお、ライオット。なんだか不機嫌そうな顔だな」


「ああ。寝起きに君と会ったからな」


 眼鏡をくいと上げながらライオットは言う。

 そのまま僕らは階段を下りて一緒に向かった。まずは朝食を取るために食堂へ向かわねばならないが……ライオットは異なる方向へ歩き出す。


「ライオット、何処に向かうんだ? 食堂はあっちだぜ?」


「軽くシャワーを浴びる。寝汗をかいたのでな」


 なるほど。

 しかし――。


「そっちは女風呂だぞ」


「なにっ!?」


 ライオットが目を見開いた。


「曜日ごとに切り替わるって教えてもらったばかりだろ。命拾いしたな」


「く……っ!! またしてもお前に借りを作るとは……っ!!」


 悔しそうな顔をして、ライオットは男風呂へ入った。

 危うくラッキースケベが起きるところだった。寮の治安を守れたことに僕は一安心する。


 ……あれ、でも原作ではルークが間違えて女風呂に入ってしまい、ラッキースケベ的な展開が起きていたような……?


 原作を踏襲する場合、僕はわざと女風呂に入らなくてはならないのだろうか? いや、しかしわざとやっている時点でそれはルークらしくないし……でも原作通りのイベントを起こした方が今後の展開を予想しやすくなる……。


(僕は女風呂に入るべきなんだろうか……?)


『な、何を考えておるんじゃ!? スケベ! このスケベめっ!!』


 サラマンダーに激しく誤解されたので、僕はこの件について考えるのをやめた。

 食堂へ向かう。そこには複数の男女が既にいて、仲睦まじく談笑していた。

 僕が彼らに近づくと、すぐに全員がこちらを振り向いた。


「お、リーダー! 今日も相変わらず存在感がバリバリだな」


「おはよう、レティ。言っている意味は分からないが、存在感があるのはいいことだ」


 リズやエヴァ、ゲン、トーマとも簡単に挨拶を交わし、僕は席につく。

 ライオットもすぐに風呂から上がってきて食事を始めた。


 本日の朝食はサラダ、スクランブルエッグ、ベーコン、そしてパンだ。特級クラスの食堂で出る料理はどれも美味しいし、お代わりも自由なので腹一杯食べられる。


「ルーク……今日も、素振りをしてたの?」


「ああ。日課だからな」


 リズの問いに答えながら、僕はベーコンを噛み千切った。

 先程まで身体を動かしていたせいか、朝食でもがっつり食べられる。


「毎朝、何時ぐらいからしているのよ?」


「午前五時に起きて、軽くランニングしてから素振りって感じだな」


「早起きね。……私も見習おうかしら」


 エヴァが僕のスケジュールを参考にしようとしていた。


『嘘つきめ……本当は一晩中起きているのじゃ』


 サラマンダーだけが真実を知っている。

 本当は、午前五時までは自室で魔法の勉強をしているのだ。この学園には魔法の勉強に役立つ書物が山ほどあるため、深夜はひたすら書物を読み漁り、魔法の知識を蓄えている。


 食事を済ませた後、僕たちは一緒に教室へ向かった。

 通常の生徒は本校舎の教室で授業を受けるが、僕たち特級クラスの生徒は第二校舎と呼ばれる離れにある建物で授業を受ける決まりである。


 特級クラスの授業は、国の機密事項に触れることも多い。そのため僕らは寮も教室も物理的な隔離されていた。

 とはいえ、休み時間や放課後は他クラスの生徒と一緒に過ごしても問題なく、束縛されている感じはあまりない。


「皆、おはよう。今日も全員揃っているわね」


 教室に着くと、イリナ先生が既に教卓の前にいた。

 僕らは挨拶しながら各々の席に座る。


 特級クラスは男子四人、女子三人の計七人。

 本当はここにアイシャが入って、男女ともに四人ずつになるはずだった。……アンバランスな男女比を目の当たりにすると、ズキリと胸のあたりが痛む。


「まだ授業開始まで五分あるわね。……皆、今日の一時間目の授業では以前も伝えた通り、最終試験で起きた事件について説明するから、そのつもりでいてちょうだい」


 授業が始まる前に、イリナ先生は僕らに心構えをするよう伝えた。

 各々が真剣に頷いた後、イリナ先生が僕を見る。


「ルーク、ちょっと来て」


 唐突に先生が僕を呼んだ。

 何か変なことをしてしまっただろうか。内心で不安を抱きながら、僕は教室を出た先生についていく。


 イリナ先生は廊下に出て、突き当たりにある階段の踊り場で足を止めた。

 教室の皆には聞こえない話がしたいのだろう。微かに緊張する。


「こんなところで何を話すんだ?」


「授業が始まる前に、どうしても確認したいことがあるのよ」


 そう言ってイリナ先生は、神妙な面持ちで僕の顔を見つめた。


「単刀直入に訊くわ。――――貴方が契約している精霊って、四大精霊のサラマンダーよね?」





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

本当なら三章開始までしばらく空ける予定だったんですが、皆様のおかげで日間1位になったことが嬉しかったので、可能な限り更新を続けたいと思います。


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