一章 偽りの英雄
第5話
アイシャが死んでから三日が経った。
あの時の光景は今でも目に焼き付いている。僕の名を口にしながら、血を噴き出す少女の姿……きっとアイシャは最後まで僕のことを信じていたのだろう。でも僕はその信頼を裏切った。
アイシャの墓は孤児院の裏に作られた。村には墓地もあるが、アイシャはああ見えて寂しがり屋でもあったため、ここの方が喜ぶだろうという僕と院長の計らいだ。
墓の前に、僕は一輪の花を置いた。
それは以前、アイシャとのピクニックで足を運んだ湖の畔に咲いていた花だった。アイシャがその花を見て「綺麗」と言っていたことを思い出し、持ってきたのだ。
……ピクニックなんて、するべきじゃなかった。
あの時、僕はもっと剣の腕を磨くべきだったのだ。
そうすればきっとアイシャが死ぬことはなかった。
「旅立つのですね」
背後から声を掛けられる。
振り返ると、そこには院長がいた。
「……ああ」
「一人でも行くのですか」
「一人じゃないさ」
僕は自分の胸元を軽く叩いた。
「ここに――アイシャもいる」
「……ルークは、強いですね」
そうさ、ルークは強い。僕と違って。
本音を言えば、僕はまだ全然立ち直れていなかった。しばらく孤児院で塞ぎ込んでいたかった。色んな人に慰めてほしかった。……でもルークならそんなことしない。ルークなら悲しみを背負った上で前を向く。だから僕も足を止めないことにしたのだ。
「行ってらっしゃい……ルーク、アイシャ」
二人分の行ってらっしゃいを受けて、僕は村を出た。
左腰には新品の剣、背負っている小さな鞄の中には数日分の食事とお金が入っている。どちらも院長が僕らの旅立ちのために用意してくれたものだった。
お金と食糧はアイシャの分も入っていた。その重たさを噛み締めるように、僕は一歩一歩と前に進む。
「サラマンダー、起きてる?」
『うむ! 妾は元気いっぱいなのじゃ!』
あどけない少女の声が頭に響いた。
「気を遣ってくれてありがとう。でも、もう平気だから」
『う……そ、それなら最初からそう言うのじゃ』
可愛い。流石はキャラクター人気投票で何回か一位を獲っただけある。
アイシャが死んだ時、僕はサラマンダーに八つ当たりをしてしまった。後日その件について謝罪した時もサラマンダーは『誰だってそうなるものじゃ』と優しい言葉で許してくれた。彼女の心の広さはとてもありがたい。
「サラマンダーは、契約を交わす前から僕の中にいたんだよね?」
『うむ。いつかは分からんが、気がついた頃にはお主の中におったからのう。とはいえ、意識がはっきりしたのは契約を交わす十日くらい前じゃから、昔のことは殆ど覚えておらんのじゃ!』
となれば、サラマンダーは僕だけでなく、本来のルークのことも知っている。
十日前から意識がはっきりしたとなれば、僕と本物のルークをそれぞれ五日ずつ見てきたことになる。
『一つ気になっているのじゃが……どっちがお主の素なのじゃ?』
サラマンダーが訊いた。
『お主には二つの顔がある。妙に自信満々で男らしい顔と、今みたいに……その、ちょっぴり暗い感じの顔じゃ。どちらが本来のお主なのじゃ?』
その問いに僕は即答できなかった。
僕はルークにならなくちゃいけない。やがて英雄となるあの男に。……だからここは前者と答えるべきなのだが、相手がサラマンダーだと少し事情が変わる。
(……しばらくすれば、僕とサラマンダーはお互いに心を読むことができる間柄になる)
人と精霊は、契約することで徐々に関係が密接になっていくものだ。
いずれ僕たちは以心伝心の関係になる。といっても頭の中で考えていることが一言一句伝わるというほどではない。ただ、嘘はつけなくなる。
仮にここで嘘をついたところで、その時になればバレてしまうわけだ。
それならいっそ――最初から事実を伝えた方がいい。
「……こっちが素だよ」
僕は申し訳ない気持ちと共に答えた。
「ごめんね、サラマンダー。ネガティブな方が本性で」
『いや、よい。むしろ妾はそっちの方が好きじゃ』
「え?」
『あくまで妾の感性じゃが……正直、自信満々な方は気味が悪かったのじゃ。何があっても凹まないし、何があっても前向きで……熱血漢と言えば聞こえはよいが、完璧すぎて偶に人間味がないように感じた』
僕がルークになる前の頃……ルークが本来のルークであった頃の姿を、サラマンダーはそのように解釈していたらしい。
(そういえば、原作のサラマンダーはもうちょっとルークに対して冷たかったような……)
不思議なことだが、原作よりも今のサラマンダーの方が好意的に接してくれている気がする。
そんなこと、本当にあるのだろうか……?
本物のルークと比べて、僕はこんなにも情けない男だというのに。
『妾は人間が好きじゃ。……悩み、苦しみ、それでも前を向こうとするお主は、妾の好きな人間そのものじゃった。だからこそ、妾はお主の力になりたいと思うのじゃ』
「……ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ」
本心から僕は告げる。
「でも、僕の本性については絶対に誰にも言わないでくれ」
『何故じゃ?』
「僕がルークだからだ」
『?』
不思議そうにするサラマンダーへ、僕は己の覚悟を伝える。
「ルークは弱音を吐かない。ルークはいつだって太陽みたいに明るくて、皆の拠り所となるような熱い男なんだ。……僕は、そうならなくちゃいけない」
アイシャが死んだ理由を忘れるな。
彼女が死んでしまった理由は、僕がルークになりきれなかったせいだ。
皆を救えるのは僕ではなくルークである。
我欲を消せ。ルークに近づけ。そして英雄になるのだ。
ならなければ大勢が死ぬ。
「あの自信に満ちた男でなきゃ、救えない人がいるんだ。だから内緒にしてくれ」
『ううむ……お主がそこまで言うなら、分かったのじゃ』
実際、素の僕が原作のルークみたいに誰かを助けるのは客観的に滑稽である。
なんかナヨナヨした人に助けられたな……そんなふうに思われるのが関の山だ。助けたところで信頼までは掴み取れない。
人間味が疑われるなら……もっと上手く
工夫次第でどうにでもなる。
「さて、じゃあ今後の方針についてなんだけど……」
『王都へ行くのじゃな?』
「いや、その前に寄り道しようと思う」
原作の流れだと、この後は王都に向かってシグルス王立魔法学園の受験を受けることになる。
しかし受験の開始まで一ヶ月の猶予がある。そこで僕は、原作にはない予定を入れた。
「ええっと、確かこの辺りに……あ、見つけた」
僕は獣道を進んで目当ての場所に到着した。
『これは……洞窟か?』
「うん。本来なら一年後に来る予定の場所なんだけど……」
目の前には薄暗い洞窟の入り口があった。
肌寒い風が吹き抜ける。
『……強力な魔物の気配がするのじゃ』
「そうだね。アイシャを殺した魔物と同じくらい強いやつが、ここにはたくさんいる」
『そ、それは、危険ではないか……?』
「それが狙いだよ」
旅立つ直前、ふと疑問を抱いたことがある。
僕は原作のルークに近づきたいと思っている。その願いは、原作のルークを真似するだけで叶うのだろうか?
答えはきっと――否だ。
何故なら、僕とルークはあまりにも在り方が違いすぎる。
僕は原作のルークと違って、ネガティブだし、根性もないし、行動力もない。
そんな僕がルークになりきるためには、ルークの真似をするだけでは駄目だと思う。あの圧倒的な心身の強靱さを手に入れるには、過酷な環境に身を置くのが一番だと考えた。
僕にはルークのような強さがない。
だから、ルークよりも鍛えなければならない。
「――今から一ヶ月、ここで修行する」
もう二度とアイシャのような犠牲者は出さない。
そのためなら幾らでも地獄を乗り越えてみせる。
シグルス王立魔法学園の入学試験は一ヶ月後。
それまでに僕は――今よりずっと強くなる必要がある。
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