第4話


「あ、ぁあ……っ!?」


 鋭い爪に胴を穿たれたアイシャは、掠れた声で僕の名を呼んだ。

 その直後、少女の唇から大量の血が噴き出る。


「あぁああぁああぁあああぁあぁぁぁぁあ――ッッ!?」


 とめどなく血を流すアイシャを見て、僕は吠えた。

 剣に炎を込めて、何度も魔物を斬る。《ブレイズ・エッジ》、《ブレイズ・エッジ》、《ブレイズ・エッジ》――――完全なゴリ押しだった。この身に宿る精霊がサラマンダーでなければ決して通用しない、ただの力任せな剣だ。


「ルーク、落ち着いて! もう魔物は倒れました!」


「《ブレイズ・エッジ》ィィィィ――ッ!!」


「落ち着いて……! どうか、落ち着いてください……っ!!」


 院長の声には悲痛な感情が込められていた。

 それに気づき、僕は我に返る。

 原作では見たことがないくらいの《ブレイズ・エッジ》の連発。無茶をし過ぎてしまったのか、いつの間にか僕の両腕は激しく火傷していた。


 それでも、痛むのは腕ではなく心だった。

 いや――痛みよりも混乱が勝っている。


「なんで、そんな、どうして……っ!?」


 床に横たわるアイシャへ駆け寄る。

 血溜まりの中で仰向けに倒れるアイシャはぴくりとも動かなかった。代わりにアイシャの胸から流れ出る血がどんどん床に広がっていく。アイシャの命が、目に見えて零れ落ちていくような光景だった。


「こら……泣いちゃ、だめでしょ……」


 ゆっくりと、青く染まりつつある唇を動かしてアイシャは言った。

 いつの間にか僕の両目からはとめどなく涙が流れていた。


「ルークは、英雄になるんでしょ……? だったら、こんなところで泣いてる場合じゃないよ……」


「でも、でも……っ!!」


「そんな顔、しないで……ルークらしくないよ」


 アイシャは優しく微笑みながら、僕を見た。


「私の分も、外の世界を見てきてね……学園に通って、色んな人と出会って、美味しいもの食べたり、珍しい経験をしたり……」


 少しずつアイシャの声が小さくなっていく。


「それで……いつか、好きな人とお出かけしたり……」


「アイシャ……っ!!」


 その好きな人が誰なのか、僕は知っている。

 知っているからこそ慟哭した。


「もぉ……泣かないで、ってば……」


 アイシャはまるで子供を見守る母のように、慈愛に満ちた顔をした。


「最後くらい……いつものルークらしく、見送ってほしいなぁ……」


 その言葉が最後だった。

 アイシャの青褪めた唇から声が聞こえることはもう二度とない。


 死んだ。

 アイシャが……死んだ。


 ――どうして。


 そんなはずがない……だって、アイシャはこれからも僕と一緒に行動するんだ。

 レジェンド・オブ・スピリットに、こんな鬱展開は存在しないはずだ。

 必死に頭を回し、この意味の分からない展開を本来のものに戻す方法を考える。


「そ、蘇生! 蘇生すればいい!!」


「蘇生……?」


「そういう魔法があるだろ! 水属性の《リザレクション》だよ!! あれを使えばアイシャを助けられる!!」


 名案だと思った。

 けれど院長は静かに首を横に振る。


「そんな最上級の魔法を使える人なんて、この国にはいませんよ」


「じゃ、じゃあ、ライフの実だ! ライフの実さえあれば……っ!!」


「……同じ話です」


 院長は唇を引き結んだ。

 前世で設定資料集を読んだ時のことを思い出す。……この世界には死人を蘇生させる方法が幾つかある。しかしいずれも死んだ直後しか通用しない。だからバトルの最中やバトルが終わった直後に死人が復活することはあっても、数年前に死んだ人物が急に蘇るような展開はなかった。


 つまり……もう無理だった。

 アイシャが生き返る術は、ない。


 嘘だ……。

 嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ――――っ!?




「うわぁああぁああああああぁああああああああああああああああぁあぁぁぁぁああああああぁあああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあああああああああああッ!?」




 アイシャが死んだ。

 その事実を受け止めきれず、僕は感情の奔流を声にして吐き出した。


「サラマンダー!!」


 己の身に宿る精霊へ、僕は怒声を浴びせる。


「どうして! どうして助けてくれなかったんだッ!! お前の力があれば、あの魔物を倒せるはずだろうッ!?」


『た、助けた! 助けたのじゃ! でも、あと一歩のところで届かなかったのじゃ!!』


「そんなわけないだろッ! だって原作では問題なかったじゃないかッ!!」


『げ、げんさ……? 何を言っておるんじゃ、お主は……?』


 言っても仕方のないことを言ってしまった。


『本当に、あと少しだったのじゃ。あと一歩、お主の剣が掠りでもしていれば……妾の炎があの魔物を焼き尽くしていたのじゃ』


「僕の、剣…………?」


 つまり、なんだ。

 僕の剣が届かなかったことが全ての原因なのか。

 その理由に……僕は心当たりがあった。


(……僕の、せいか)


 頭を抱えて蹲る。

 この悲惨な状況を生み出した人物は誰なのか……それを悟り、僕は涙を流した。


(僕のせいだ。……寂しそうなアイシャを見て、剣の素振りよりも一緒にいることを優先した。それが駄目だったんだ。……僕は原作のルークと比べて、剣の修行が足りなかった)


 よかれと思ってやったことだった。サボりたいわけじゃなかった。

 でも、きっとこれが原因だ。

 僕の努力が不足して、剣の腕が足りなかった。


(サラマンダーでもない、院長でもない、魔物ですらない。アイシャを死なせてしまった理由は――――僕だ)


 なんてことはない、極めて単純なことだった。

 全ては僕の実力が足りなかったせい。


 ――原作のルークより、僕が弱かったのだ。


 ただそれだけのこと。

 それだけのことで……アイシャは死んでしまったのだ。


「うぅ、おえぇぇえぇ……っ!!」


『き、気負うでない。今回のことは、お主だけの責任ではないのじゃ』


 涙と吐瀉物まみれになった僕に、サラマンダーは優しい言葉を掛けてくれた。

 でも……違う。

 サラマンダーは知らないだけだ。


 本来ならアイシャはここで死ぬはずがなかった。本来ならルークがアイシャを守るはずだった。アイシャはこれからもルークと一緒に旅をして、甘酸っぱい青春と、壮大な冒険を繰り広げるはずだった。


 なのに、全部――――消えた。

 在るはずだったアイシャの未来を、僕が潰してしまった。


 アイシャも、院長も、サラマンダーも、原作と異なる行動はしていない。

 僕だけだ。僕だけが在るべき姿から離れてしまった。


 だからアイシャは最後にこう言ったのだ。

 ――と。


「ごめん、ごめん……アイシャ、ごめん……っ!!」


 僕が僕だったせいで。

 僕がルークじゃなかったせいで。

 君を死なせてしまった。


『ルーク……』


 八つ当たりしてしまったのに、サラマンダーは僕のことを心配していた。


 ああ――僕はなんて馬鹿だったのだろう。

 ルークは主人公なのだ。熱くて、強くて、努力家で、皆を引っ張っていくような英雄の如き存在。……そんな偉大な英雄を、僕のような凡人が務められるはずもない。


 なのに僕は気楽に生きていた。素振りはどのくらしたらいいんだろう、とか。チュートリアルにしては強かったな、とか。自分が主人公の座についているからといって、それだけで何もかもが上手くいくと思い込んで楽観的に過ごしていた。


 ゲームのキャラクターに転生したからといって、そのキャラクターと全く同じ生き方ができるとは限らない。転生したところで僕は僕、ルークはルークなのだ。


 ――これからどうなる?


 これから僕はどうしたらいい?

 きっと今後も同じような事件に巻き込まれることがあるだろう。

 負けられない戦い。失敗してはならない状況。……下手を打つと仲間が死ぬ。そんな展開に数え切れないほど直面するはずだ。 


 ――逃げたい。


 僕のようなモブに、主人公という責任はあまりにも重たすぎた。

 背中にのし掛かる重大な責任を実感した今、恐怖のあまり震えてしまう。


 酷い。あまりにも惨い。

 耐えられるのか? 僕に? ただの凡人だった僕に……?

 耐えられるはずがない……!!


「……それでも」


 震えた声が口から零れる。


 ――それでも、やるしかない。


 だって、ルークが挫けたら、この物語は終わってしまうのだから。

 ルークが助けないと死んでしまう人がいる。ルークが守らなければ滅んでしまうものがある。


 それらを救ってみせるのが、ルークになった僕の使命だ。

 何もしなければ――もっと多くの人が死んでしまう。


「強く、ならなきゃ……」


 涙で視界が滲む。

 口の中が吐瀉物の酸っぱさでいっぱいだ。


 こんな主人公がいてたまるものか。

 このままでは駄目なのだ。


「僕は……強くならないと、いけないんだ……」


 これは義務である。

 ルークに転生した僕は、ルークの生き様を背負わなければならない。

 僕には、


 ――全てを捧げよう。


 僕が僕としてこの世界で生きる必要なんてない。この世界が求めているのは、ルークであって僕ではないのだ。僕のような凡人が自我を出せば、その分だけアイシャのような被害者が出る。


 だから、全部捧げる。

 凡人が主人公になるためには、手段なんて選んでいられない。


 鍛えろ。

 身体も心も今のままでは不十分。死すら厭わないほどの、地獄の苦しみすら凌駕するほどの壮絶な努力を己に課すべきだ。


 演じろ。

 あの熱い男を、誰よりも純粋に英雄を志すルークという少年を。彼の人格を模倣して、彼の生き様こそが正しいのだと心の底から思う必要がある。


 誓え。

 知略を尽くし、周りのありとあらゆる環境を駆使して、本物のルークの背中を追い続けるべきだ。貪欲に、一途に、彼になることを目指せ。


「……サラマンダー。僕の名は、なんだ」


『な、なんじゃ、急に。……お主は、ルークじゃ』


「そうだ」


 それこそが僕の核。

 この世界における、僕の使命。

 貫くべき意志そのもの。


 今、この瞬間から、僕は僕であることを捨てる。


 仮面を被れ。

 演じてみせろ。


 英雄を、主人公を、ルークを――――!!




は……ルーク=ヴェンテーマだ…………ッ!!」




 これは、前世で凡人だった僕が、死に物狂いで最強の英雄を物語。

 その序章が今――幕を開けた。




 ◇




 程なくして、リメール村を襲った全ての魔物が退けられた。

 辺鄙な村の住人たちは、都会からの助けを期待できない分、危機に陥っても最後まで冷静さを保っていた。彼らの臨機応変な行動が村の被害を最小限に留めたのだ。


 しかし決め手となったのはやはりあの炎の剣を手にした少年だろう。彼の振るう剣で多くの魔物は討伐された。その姿を観察していた男は、村から離れながら上司に連絡を取る。


「申し訳ございません、失敗しました」


『失敗だと?』


「サラマンダーが契約を交わしました」


『馬鹿な……陛下以外にも、四大精霊と契約できる者がいたのか!?」


「分かりません。ただ、契約した少年はヴェンテーマの者のようです」


 舌打ちが聞こえる。


『魔導王シグルス……つくづく運のいい奴め』


 世界大戦で活躍した英雄の名を、上司は口にした。

 魔導王シグルス……魔法を極めた果てにを操る術を手にしたという噂を聞いたことがある。眉唾だと思っていたが、事実の可能性が浮上してきた。


「契約者を殺しますか?」


『……いや、精霊の契約者を殺すと厄介なことが起きる。四大精霊ともなれば、その規模は計り知れん』


 そうだった、と男は思い出した。

 だから契約する前に確保したかったのだ。精霊は一度契約してしまうと引き剥がすのが難しくなる。


『一度撤退しろ』


「よろしいのですか?」


『ああ、プランを変更する。幸いその国にはもう一体の標的がいるからな』


 上司は新たな指令を下す。 


『王都に眠る風の四大精霊――シルフを捕獲せよ』


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