第3話


 翌日。

 遂に村の試練が始まった。


 僕とアイシャは準備できる中では最善の装備と道具を整え、村の東に広がっている森へ突入する。

 標的は猪型の魔物。大人たちでも手こずるというこの魔物を、僕たちは――――。


「これで――とどめだッ!!」


 やっとのことで倒してみせた。


「やった! 私たち、試練に合格したのね!」


 アイシャが躍りする。

 その隣で僕は、肩で息をしていた。


「ルーク、大丈夫?」


「あ、ああ……これで村の外へ行けるな」


 アイシャが心配そうにこちらを見つめた。

 滝のように流れる汗を手の甲で拭いながら、僕は返事をする。


 バッサリと胴体を斬られた猪型の魔物を見た。

 これで討伐は完了だ。証拠品として猪の耳を切り取り、持って帰ることにする。


(……チュートリアルにしては、強かったな)


 この魔物との戦いは、基本的なコマンド操作を覚えるためのチュートリアルのはずだ。

 だからあまり強くないと思っていたが……正直、思ったよりも苦労した。


 それでも、だたのゲームオタクだった僕が猪を倒してみせたのだから、やはりルークの身体は強靱なのだろう。


「アイシャ、帰ろうか」


「うん!」


 試練に合格したことでアイシャは上機嫌だった。

 不安に感じていた分、反動でより嬉しく感じるのだろう。


(さて……ここからが本番だぞ)


 この先の展開を僕は知っている。

 だから村までの帰路は慎重に歩いた。


「……あれ? ねえ、ルーク。なんだか村が騒がしくない?」


「そうだな」


 アイシャの言う通り、村へ戻ると雰囲気が一変していた。

 近づくと、その原因が明らかになる。


「ま、魔物っ!? どうしてこんなに……!?」


 アイシャが顔面蒼白となる。

 僕たちが森へ向かうまでは長閑な村だったのに、今やその光景は地獄絵図そのものだった。狼型の魔物や鳥型の魔物があちこちで暴れ回り、村人たちの悲鳴が絶え間なく聞こえる。魔物を寄せ付けないために火を用いようとしたのだろう、そこかしこに即席の焚き火が置かれていたが、その効果はなく魔物たちは村の奥まで入り込んでいた。


「ルーク、アイシャ! 帰ってきたのか!?」


 僕たちの存在に気づき、孤児院の隣に住んでいるおじさんが叫んだ。


「おじさんっ!! 何これ、どうなってるの!?」


「分からねぇ、急に大量の魔物が襲い掛かってきたんだ!! 女子供は既に避難させてある! お前らもさっさと逃げろッ!!」


 おじさんは畑仕事で使っている鍬で、鳥型の魔物を追い払おうとしていた。


「おい、お前ら! 院長を見なかったか!?」


 村の奥から、他の住人がやって来る。

 僕たちは互いに顔を見合わせた。


「……見てねぇな。避難所にはいなかったのか?」


「ああ。……まさか、逃げ遅れたのか?」


 実年齢は六十歳の院長だ。

 もし逃げ遅れていたとしたら……一人で助かるとは思えない。


「孤児院にいるかもしれない! 俺たちが見てくる!」


「あ、おい!? 待て――」


 僕とアイシャは殆ど同時に走り出した。

 孤児院の扉を開き、僕らは急いで中に入る。


「院長!!」


「ルーク!? アイシャ!? 来てはなりません!!」


 普段優しい院長が初めて怒鳴った瞬間だった。

 でも僕たちは、そんな院長に意識を割く余裕がない。


「クキキキキキキキ――ッ!!」


 それはまさに、悪魔のような生き物だった。

 赤黒い肌、ガリガリで長い手足、鋭い尻尾、蝙蝠のような羽。身の丈三メートルはあるであろうその化け物は、気味悪い笑い声を発して院長と対峙していた。


「な、何あれ……?」


 禍々しい化け物を目の当たりにして、アイシャは激しく動揺した。


「二人とも逃げなさい!! この魔物は強力です!!」


「でも、それだと院長がっ!?」


「私のことはいいのです!!」


 院長は、決死の覚悟で魔物を睨む。

 アイシャはどうしたらいいのか分からなくなって、僕を見た。


「……よくないさ」


 ああ――いいわけがない。

 院長を残して僕たちだけで逃げるなんて、有り得ない。

 そう言えるだけの強さが、ルークにはある。


「アイシャ、戦うぞ! 俺たちで院長を助けるんだッ!!」


「……うんっ!!」


 僕が剣を構えると、アイシャは掌を前に突き出した。

 前衛で剣士として戦う僕と違い、アイシャは後衛で魔法使いとして戦う。僕たちはバランスの取れたタッグだ。


「うおぉおおぉぉぉ――ッ!!」


「《アクア・シュート》ッ!!」


 悪魔のような魔物に向かって、僕は剣を振り下ろした。

 直後、アイシャが水の弾丸を放つ。威力は足りないが、狙いがいい。アイシャは魔物の目潰しをしてみせた。


 その隙に僕は院長の身体を抱えて後退する。

 このまま逃げられると理想だったが――。


「ルーク! 危ない!」


「ぐ――っ!?」


 魔物の尻尾が頭上から迫った。

 尻尾の先端は鏃のように尖っていた。剣を盾代わりにしてどうにか防ぐが、バキッ! と嫌な音がする。刀身に罅が入ったようだ。


「きゃっ!?」


 魔物が近くにあった木のテーブルをアイシャに投げた。

 アイシャは辛うじてそれを避けたが、壁にぶつかったテーブルは派手に粉砕される。恐ろしい膂力だ、直撃すればひとたまりもない。


「ルーク!!」


 院長が叫んだ。

 一瞬だけ……ほんの一瞬だけ、僕はアイシャを心配して振り返った。

 その刹那が致命的だったのだろう。魔物はいつの間にか僕に向かって巨大な手を突き出していた。


 少し前に僕らが倒した猪型の魔物とは完全に格が違う。この魔物は巨体なのに俊敏だし、周りにある道具を利用する小賢しさもあるし、爪や尾といった恐ろしい武器もたくさん持っている。


 ――それでも、僕たちが負けるはずがない。


 何故なら、僕はルークだから。

 この世界の主人公で、いずれ英雄になることが決まっている男だから。


 魔物の爪が僕の身体を貫こうとする。

 次の瞬間――僕の胸元から、眩いが溢れ出た。


「ギイィイィィィィィイイィ――ッ!?」


 炎に焼かれた魔物は、悲鳴をあげて後退する。


「これは……」


 アイシャと院長は、僕の身体から溢れる炎を見て驚愕していた。


 来た。

 来た――っ!!

 !!


『ふぅ……ギリギリ間に合ったのじゃ』


 頭の中で誰かの声が響く。

 年老いた者の口調だが、その声色はあどけない少女のものだった。


「お前は……?」


『妾はサラマンダー! 火の四大精霊なのじゃっ!!』


「四大、精霊……!?」


 精霊には幾つかの種類がある。その中でも最も格が高い精霊――それが四大精霊だ。

 かつて精霊王と共にこの世界を創造したとされる四大精霊は、伝承でこそ語られてきたが、ここ数百年で存在を認識されたことはない。故に伝説の精霊とされていた。

 そんな伝説の精霊が、ルークに宿っていたのだ。


 ――ここから、レジェンド・オブ・スピリットの物語は動き出す。


 小さな村で生まれ育った少年ルークは、四大精霊サラマンダーと共に旅へ出る。

 ルークはやがて全ての四大精霊と契約を交わし、現代に蘇った精霊王として世界を救う。


 これは、ただの村人だった少年ルークが、精霊たちと共に英雄になってみせる物語。

 その序章が今――幕を開けた。


『ゆくぞ、ルーク! 妾の力を使ってみせよ!!』


「ああ――やってやるよ!!」


 怯んだ魔物の懐に潜り込み、ひび割れた剣を振るう。

 剣の軌道を追うように、どこからともなく炎が現れた。炎はそのまま魔物の巨躯を焼く。ジュウウッ! と魔物の赤黒い肌から音がした。


「ギ、キイィイィィィィィイイィ――ッ!!」


 形勢が不利だと判断したのか、魔物は羽を揺らして跳び上がり、アイシャの方へ向かった。


『マズいっ! 小娘が狙われておる!!』


「分かっているッ!!」


 脳内に響くサラマンダーの声に返事をしつつ、僕は魔物を追った。

 アイシャがやられてしまう。――ここでケリをつけるしかない!


「サラマンダー、力を貸してくれッ!!」


『うむ!』


 僕の呼びかけに、サラマンダーが応じた。


『荒れ狂う炎よ!!』


「邪悪を切り裂く刃と化せッ!!」


 サラマンダーが唱え、僕が紡ぐ。

 ひび割れた剣の刀身に輝く炎が集束した。


 これこそが、ルークが最初に覚えるスキル。

 刀身に炎を纏わせて、相手を切断する攻撃――。




「――《ブレイズ・エッジ》ッ!!」




 劫火の斬撃が魔物に放たれた。

 原作では、ルークがこのスキルを使用することで魔物は必ず倒される。いわばこの戦闘はスキルのチュートリアルのようなものだった。


 けれどその時、僕は安心できなかった。

 何故か……


『避けられたのじゃ!!』


「――は?」


 焦るサラマンダーに対し、僕は茫然とした。

 避けられた? ――そんな馬鹿な。


「ちょ、ちょっと待って……っ!?」


 ルークらしからぬ、本来の僕の口調が表に出る。

 この戦闘は、ルークが《ブレイズ・エッジ》を発動することで決着がつくはずだ。

 なのに、そうならないなんて――。


『――いかんッ!!』


 サラマンダーが叫ぶ。

 その叫びの意味を知る頃には、もう遅かった。




「………………ルー……ク……」




 魔物の鋭い爪が、アイシャの華奢な胴体を貫いていた。

 少女の身体から血が滝のように溢れ出し、ぼとぼとと床に垂れ落ちる。





 え?













 …………え?



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