劉拳爆発! 悪役令嬢がやらねば誰がやる
召喚の儀で人間が召喚されるという大騒ぎの翌日。
一夜が明け、朝が来る。
されど何かが一変する、というわけでもなく。
今日もフレン・リットグレーは朝から学校に行き、勉学の予定だ。
ただしいつもと違うのは、『彼』を必ず連れて来いと学校側から言われている、ということである。
「───というわけで、学院側は現状を重く見ていて、日中は学院、それ以降は公爵家が貴方のことに責任を持つ……っていう話になってるの。授業を受ける必要はないから、学校にだけいてくれないかしら? こちらの都合で申し訳ないんだけど」
「日常生活 不自由皆無 謝謝茄子 感謝無限大 我君役立希望 君苦労我背負」
「ううん、意思疎通ができてる感じがしない……極端な話をしたら、この人が適当なこと言ってても、私達には分からないのよね……」
「君恩人 君優人 我生存 君御蔭 我恩返希望」
「お嬢様、誠意です、誠意ですよ。誠意をもって接していれば後々何かあってもわたし達は言い訳ができます。この人がなんかとんでもないことやらかしてもわたし達は善意で動いてたので無罪と主張できます。保身のために誠意を尽くしましょう」
「なんてこと言うの」
ここは劉孟徳にとって未知の世界。
目にするもの全てが初見である。
屋敷の門を出て馬車が回されるのを待っている間、劉はそこから眺められる町並みの不思議な感覚に、少しばかり胸を躍らせていた。
彼は未だに状況をよく分かっていなかったが、自分によくしてくれている人達の善意は感じられていたし、今自分が居る場所がどこか遠い場所であることも、なんとなくには理解していた。
三角の組み合わせで建物を作っていた世界から、四角の組み合わせで建物を作っている世界に移動したような。
コンクリートの組み合わせで街を作っていた世界から、レンガの組み合わせで街を作っている世界に移動したような。
大きな球体の上の世界から、大きな板の上の世界に移動したような。
そういう言語化できない不可思議な感覚が、彼の中にあった。
彼の感覚は間違っていない。
この世界では、水平線の向こう側に船が消えることはないのだから。
とはいえ、彼が町並みを見て思うことは、地球と比べてあまりにも違う創作じみた建築様式に対する驚愕ではなく、とても綺麗な街への感嘆だった。
当然ながら、ゲームのスチルで街にゴミなど映ることはない。
逆説的に、この街はとても綺麗な街なのだ。
そういう理屈が成立している。
「街綺麗 頻繁掃除 市民率先掃除 良好市街 白黒建物 撮影希望」
「お嬢様。どうやら彼は街が物珍しいようですよ」
「遠くからのお客人だものね。良い印象を持ってもらえたらいいのだけれど」
少し待っていると、令嬢フレンを迎えに馬車が走り寄ってくる。
馬車は貴族の格を示す。
貧乏貴族は公爵家ほど金をかけた馬車を持てず、公爵家ともなれば結構な金をかけて格の違いを示すもの。
一見して分かりやすいところだと、色が挙げられるだろう。
公爵家の馬車は総じて、吸い込まれそうなほど深い色の黒を塗っている。
ただしこれも、黒い馬車に乗った性格最悪の悪役令嬢が主人公の前で降りてくる、というCGのための設定である。黒=ダークなのだ。
黒塗りの公爵家の馬車が、フレン、ルチェット、劉の前でピタリと止まる。
「試合終了後 帰宅家路蹴球部員達 疲労疲労 不幸黒塗高級車追突 後輩庇 全責任負三浦対 車主 暴力団員谷岡 言渡示談条件……」
「お嬢様。どうやら彼は馬車も物珍しいようですよ」
「遠くからのお客人だものね。馬車の乗り方……いえ、それより先に街中で馬車に轢かれないように交通ルールを……あれ、どう教えればいいのかしら」
学校最寄りの屋敷からの移動だったため、馬車に揺られて10分足らずで到着。
こんくらいの距離なら歩いて行けばいいんじゃないか、と劉はちょっと思ったが、貴族社会においては『馬車で学校に入る』ということ自体に意味があるらしい。
歩いて登校など舐められる、ということなのかもしれない。
『聖アルカディア学園』。
昨日の劉は、召喚後の困惑で学園を眺める余裕もなかった。
だが、今は違う。
今は校舎を見つめ直す余裕がある。
ゲームのためにデザインされた、見栄えがよく、学校の各所だけでゲームの各イベントを処理できて、イケメンにとって居心地が良く原作主人公が訪れやすい屋上だの中庭だの保健室だのが詰まった、ちょっと不思議な形の校舎がよく見えた。
劉は預かり知らぬことだが、この校舎こそがゲーム前半の舞台。
多くの出会い、多くの恋、多くの困難がここで原作主人公を待っている。
ここで知り合った友とシナリオ後半で殺し合うのがこのゲームの持ち味である。
特定のイケメン二人の好感度をカンストさせてからシナリオ後半に入ると、そのイケメン二人が後半で主人公を取り合って殺し合う戦闘前特殊会話も見られるのだ!
この校舎を見る時、見る者によっては、まるで違うものが見えてくる。
最初からこの世界に居る一般人だと、
「わぁなんかでっかい学校!」
となる。
逆に貴族だと、
「コバルトルネサンス時代の造形、ただし何度か改築されている」
となる。
この世界をゲームとして楽しんでいた元日本人だと、
「うおお! 設定資料集で一億回見たやつ! 感動……」
となる。
乙女ゲー未知である劉孟徳は、
「なんでこの校舎前の銅像の男の人、全身ベルトまみれの服なんだろう」
と首を傾げていた。
劉はベルトまみれの銅像を見上げ、しみじみ呟く。
「竹輪大明神」
「お嬢様。毎朝なんで昇降口の前に置かれてるのか生徒に疑問に思われてることで有名な、始祖王ビーカベルの銅像を見上げて彼が何か言っていますよ。遥か遠き地の人間であっても、始祖王の偉大さを銅像越しに感じることはあるのですね」
「ねえこれ私達本当に彼が思ってること推測できてる?」
君の信じる道をゆけ、フレン・リットグレー。
「あら」
と、そこで。
フレンがあまり会いたくない人間の声がした。
劉がまだ一度も見たことのない表情をして、フレンが声の方に振り返る。
「あらあらあら! そこにいらっしゃるのはフレンさんじゃありませんこと!?」
「……アマーロ・ルヴィオレッツ。ええ。ごきげんよう」
取り巻きの女達に囲まれふんぞり返る、黄金の縦ロールがそこに居た。
顔つきは、キツめの美人。
華美な赤きドレス。
ジャラジャラした白銀の髪飾り。
これ以上どこに付けるんだというくらいに付けられたネックレス、ブレスレット、アンクレット。レースにレースにレース。
『みんな面倒臭がって体操服のファンアートと水着のファンアートしか書かないんだよなこの女』とSNSで擦られまくった服装を身に纏った高飛車な女。
そしてそれらが些末に見えるほどの、絶大な特徴があった。
このゲームの企画会議において『このまま女性ユーザーだけを対象にしていても埒が明きません! 男性ユーザーも取り込む努力と、話題性が必要です! 某ガールズサイドの乙女ゲーみたいに! 男も遊ぶ乙女ゲーを! そのためには男性側にも広まる話題性を積むべきです! 大丈夫ですよ基本的に敵として動いてるキャラなら! 太ももの錬金術士を参考にしました、これが僕の考えた最強の敵の悪役令嬢です!』という熱い主張によって、実装された悪役令嬢四天王の一人がそこに居た。
その女を見て、劉孟徳の口から、自然と声が漏れる。
「………………爆乳………………」
あまりにも真剣で緊張感のある声は、フレンとルチェットにだけ届いていた。
当然言葉の意味は伝わっていない、が。
ルチェットはもう、劉孟徳がフレンに恩を感じていることや、その人格が基本的にいい人だということを決め打ちしている。
劉がフレンに敵対的な態度を取っているアマーロを見て、警戒心を滲ませる言葉を口にしたのだと、ルチェットは判断した。
「流石ですね、リューさん。そうです。貴方の見立ては正しい。彼女は個人としても、家単位で見ても、フレン様にとって油断ならない女です」
「………………爆乳………………」
「はい、お気をつけて。あれは、リューさんにも迷惑をかけるかもしれません。彼女はフレン様に親しい者を全て敵として見ています。リューさんの考えや姿勢にかかわらず、リューさんを敵として見ていることでしょう」
悪役令嬢相対性理論!
親が子を虐待すると、その子も更に子を虐待する可能性が高まるように!
クソ野郎がいじめをすると、いじめられた方の性格にも歪みが残るように!
人の悪意は、周囲の人間の心も自然と歪めてしまう作用がある!
悪役令嬢アマーロが、フレンに悪意的に接する!
嫌がらせ、悪口、陰口、下駄箱や学習机への執拗な攻撃!
それがフレンの中に悪意を育て、フレンの悪役令嬢レベルを上げる!
フレンがやり返すと、アマーロの中にも悪意が育ち、レベルが上がる!
その内に他のイケメンも巻き込まれると、そのイケメンも性格が悪くなる!
『まあこんくらいやってもいいだろう』のハードルが下がっていく!
悪意の螺旋!
性格の悪化!
行動の醜悪!
悪役令嬢・ダーク・スパイラル!
悪役令嬢が悪役令嬢を生み、その悪役令嬢が更なる悪役令嬢を生む!
そう!
悪役令嬢は、感染する!
感染して増えるのだ!
フレンはアマーロなどの悪役令嬢から、悪役令嬢を
そうしてゲーム本編開始前に、悪役令嬢たちは育ち切る!
原作主人公のちょっとした行動で嫌がらせを始めるほどに!
ゲーム本編開始は、召喚の儀が行われてから一年後。
それぞれの召喚者が召喚獣と、ある程度絆を育みきった頃!
その頃にはこの学園には、最強の悪役令嬢四天王が君臨することとなる!
原作主人公は全ての悪役令嬢を倒し、片っ端からイケメンたちを食い荒らし、シナリオ後半の血みどろの闘争に向けて仲間を増やして行かなければならない。
フレン・リットグレーもまた、立ちはだかる悪役令嬢の一人なのである!
これこそがアインシュタインが提唱した、悪役令嬢相対性理論!
悪役令嬢は相対によって発生する!
『何か』と相対しない悪役令嬢などありえない!
『何か』に対する存在として、悪役令嬢は悪役令嬢足り得る昇華を得るのだ!
「あ、青い。今ならちょっとは伝わるかもしれませんね」
ルチェットはちょうど良く、劉の白い髪束の先が青くなったのを見て、頭の中で話す内容を整理しながら話し出す。
「彼女はアマーロ・ルヴィオレッツ。肩書きの上ではフレン様と同格の公爵令嬢です。肩書きの上では、と付くのは……まあ今度話すことにしましょうか」
劉が頷く。
普段言葉が通じないからか、ルチェットの中に不思議な楽しさが生まれていた。
「この国には三つの公爵家があります。経済のリットグレー、武門のルヴィオレッツ、魔導のメデドゥラ。リットグレーとルヴィオレッツは特に仲が悪いです。『金勘定しかできないモヤシ』『剣しか振れない脳筋猿』と煽り合ってるからです」
つまるところ、学校の中にまで持ち込まれているわけだ。
学校の外の、政治闘争が。
「まあ、仲悪いんです。それこそ子供の頃から、社交界でずっと周りの大人から『あの女の子はお前より下等だから馴れ合っちゃいけないよ』って言われながら育てられて来たので……アレ、ちょっとどうかと思うんですけどね……」
複雑そうな顔で、ルチェットが腕を組む。
どうやらこのメイドにも、この仲の悪さに思うところはあるらしい。
ルチェットは悪意的にフレンを睨むアマーロと、アマーロに同質の視線を返す悪い顔のフレンを、溜め息を吐きながら交互に見ていた。
そうして動いていた視線が、脱脂粉乳としか形容しようがない胸部のルチェットの視線が、アマーロの胸部のダブルエベレストに向けられて止まる。
僅かなみじめさと劣等感が混ざった苦笑が、少女の顔に浮かんだ。
「あれもちょっとどうかと思います」
男性向けゲームと違い、乙女ゲーは女性の胸をいじるネタのテキストが表示されることはあまりない。
が、作中人物だってゲームテキストで言わないだけで、思っていることはある。
ナイスミドルの貴族男性が『ああいうところ』でも女性を選んでいると知っているので、基本教養が高い女性ほど『そういう魅力の不足』を気にする所はあった。
髪の青が消え、黄色になり、すぐ赤になる。
部分的な翻訳が終わった証だ。
ルチェットの発言を大まか理解した劉は──伝わらないと自分でも分かっていたが──励ましの言葉を選んで、必死に身振り手振りでそれを伝えようとしていた。
「君希望 難易度例 東海帝王 有馬記念…… 希望有 我応援 希望肯定」
「声が優しいですね。ああ、政治に関して応援してくださってるなら、大丈夫です。わたしは苦労する立ち位置ではないですから。でも、ありがとうございます」
「亜 馬娘 桜驀進王 山羊座杯 育成途中放置 心残……」
「む。声の優しさがなくなった。別の話題になった……? 分かりませんね」
劉はなんとなく、自分は元の世界に帰れないのだと、そう思いはじめていた。
彼の心に浮かぶのは郷愁。
「最終幻想七 雲 格好良 好好 最終幻想七再構築作品 続編数年不出 最後迄 遊遊不可 我悲悲 心残……」
「……? 落ち込んでる……んですか?」
「一繋大秘宝 麦藁一味 天竜人 赤髪 黒髭 最終章 決着 心残……」
「ええと、元気出してください。よく分かんないですけど」
ルチェットもまた、身振り手振りで意思を伝えて励まそうとする。
互いが伝えたいことなど1%も伝わっていない。
それでも、ちょっとだけなら伝わっているものがあった。
「謝謝茄子」
「……何か伝わったなら、良かったです」
まあ、言葉が通じなくても、友達くらいにはなれるかな、なんて思って。
ルチェットはいたずらっぽく微笑んだ。
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