第七章【流露と常盤】3

 十一月が終わる。クラスメイトの中には既に推薦で大学進学が決まった者がちらほらと出始めている。かく言う俺もその中に入るのだが、まさか響野もそうだとは思わなかった。


「馬鹿にしてるだろ」


「いや、ちょっと意外だったというか」


「推薦を貰えるとは思ってなかったってことだろ」


 響野のその言葉に対する返答を俺は濁し、もうすぐ冬休みだなと話を振ってみたら、明らかに話を逸らしただろうと言われてしまった。確かにその通りなのだが。


「冬休み、片桐さんと何処か行くんだろ?」


「そうしようかと思ってたんだけど、あんまり乗り気じゃなさそうなんだよな」


 何度か、俺はそういう話を片桐にしてはみたのだが、いつものようにルンルンとした感じで返事をしない。思い違いで無ければ、どこか軽く迷惑そうな気さえする。


「それは無いだろ。別れた彼氏が何回も誘って来るなら迷惑だろうけどさ。あれ、まさか別れた?」


「別れてない」


「そうか、良かった」


「本当にそう思ってるのかよ」


 思ってる思ってる、と言う響野ではあったがどうもそうは思えない。適当に言っているのではないだろうか。


「片桐さん、もう予定が入ってるのかな。家族旅行とか」


 それは無さそうな気がする。というのは失礼なのかもしれないのだが、今まで片桐本人と橘さんから聞いた断片的な話から想像するに、俺はそんな気がしてしまう。


 しかし、特別に予定が無いとしたら、どうして微妙な返事ばかりするのだろうという疑問が残る。


「だから本人に聞くのが一番良いし、一番早いって。前にも言った気がするよ、こういうセリフ」


「ああ、そうかもな」


「だろ?」


 それとなくは聞いてはみたのだ。だが、明確な答えが返って来ない。何か言いたくない事情でもあるのかもしれないと思い、その内にまた誘ってみるかなと考えてはいたのだが……。


「この間に駅で話していた時は、アイスクリーム食べ放題に行きたいって」


「真冬に?」


 驚いた様子で響野が聞き返す。


「この季節にアイスクリームか。暖房の効いた家でゆっくり食べるならまだしも、店で食べたら帰る時に寒さ爆発だろうな。しかも食べ放題って」


「俺も驚いたんだけど片桐は割と本気そうだったな」


「凄いな」


「な」


 会話が一区切り付いたところで壁に掛けられた時計を見上げると、昼休み終了の五分前だった。俺達はどちらからともなく立ち上がり、パンの袋やペットボトルをゴミ箱に入れる。


「片桐さんがどうしてもアイス食べ放題に行きたいって言うんなら、この際、それでも良いんじゃない。つーか、アイスの食べ放題って初めて聞いたんだけど。あるの?」


「さあ」


 などと響野と話しながら俺が食堂を出ると、後ろから「あ」という声が聞こえた。振り向いてみると、俺を見上げている一人と目が合った。何処かで見たことがある。名前が出て来ないが、確か。


「あっ、九条さんだ。九条楓さんでしょ?」


 ひょい、と俺の横から後ろを見た響野が何故か弾んだ声で彼女の名前を口にした。


 ああ、片桐の友人の。俺はお茶会に来ていた子だと思い出した。すると目の前の彼女――九条楓さんが、ぴょこと小さく会釈をした。


「お昼、食べてたの?」


「はい。あの……」


 響野の問い掛けに対する返事もそこそこに、九条さんは再び俺を見て、何か言いたそうに口を開いた。


 通路で立ち止まったままの俺達三人の左右を、慌てた様子で何人かがバタバタと走り抜けて行く。そういえば昼休みの終わりが間近だったと思い、響野と九条さんも時間に気付いたようだった。


「あ、あの。明日も食堂に来ますか?」


 焦った様子で尋ねて来る九条さんに俺が肯定の返事をすると、ホッとしたように僅かにその顔が緩んだ。


「じゃあ、明日。待ってますね」


 口早に言い残し、パタパタと九条さんは走って行ってしまった。


 その言葉が何を意味するのかを考えつつ、俺が歩き出すとすぐにチャイムが平常通りに鳴り響き、俺達も九条さんに倣うように廊下を走った。


 ――そして、午後の授業を終えて帰りのホームルームを終えた時、響野が話し掛けて来た。


「九条さんって何の用事なんだろうな?」


 と、何処か――いや、確実にワクワクという文字を背負ったその言葉をかわして俺が教室の後ろ扉を開けると、


「やっほー」


 そう言って、花のように笑う片桐が目に飛び込んで来た。


 そして、いつものように俺と片桐は帰路を辿る。その「いつも」が、いつまで続くのかとふと考えてしまった自分自身の脳味噌だけが「いつも」と違っていることに――違ってしまったことに気が付く。


「ん? また何か考え事?」


「いや、ちょっとボーっとしてただけ」


「そう?」


「ああ」


 ――そういえば。もう一度、片桐に聞いてみようか。冬休み、何処かへ行かないかと。別に大きな旅行をしようというわけでは無い。高校生にそんな金は無い。ただ、小さなことで良いのだ。本当にありふれたことで良い。それこそ買い物でもカラオケでも映画でもファミレスでも。せっかくの休み、何処かへ二人で出掛けたいというのはそんなに変わったことだろうか。


「あのさ」


「うん?」


「冬休み、忙しいか?」


「怜君の方が忙しいんじゃないの、勉強とか」


「もう大学決まったから、そんなに忙しくないんだ」


「えっ! 受かったの!」


「ああ、ちょっと前に。言ってなかったな」


「そうだよ、言ってないよ! おめでとうございまーす!」


「あ、ああ。ありがとう」


 と、こちらが気後れしてしまうくらいに片桐は素晴らしい勢いで祝いの言葉を口にした。


「こういう時、何て言うんだっけ。ええと、ちょっと待って。今、出て来るから。そうだ、コングラッチュレーションズ!」


「わ、分かった。ありがとう」


 正直に言おう、嬉しい。嬉しいが、また巧みに話が冬休みから逸らされている。


 また、という確信が生まれてしまうのはこういったことが今回で三回目だからである。覚えている限りではだが。俺が冬休みという単語を出すと、片桐は話の向かう先をそっとつついて方向転換させるのだ。さすがに三度も重なれば偶然とは言い難い。


 だが、だからと言って俺は何をどう告げれば、或いは尋ねれば良いのか分からない。こんなにも一生懸命に、良かったねと何度も繰り返す片桐を曇らせるようなことは言いたくないし、何かあるのだろうかなどと疑うようなことも思いたくない。


 しかしながら、やはり引っ掛かりを覚えざるを得ない。ここは聞くしかないだろう。響野の助言通りにするようで、それも多少の引っ掛かりを覚えるが。


「あのさ、忙しいならそれで良い。でも何か、俺と出掛けたくない理由があるなら言ってくれないか」


 ぴたり。俺の予想を現実にトレースしたように片桐は途端に黙ってしまった。


 ただ、片桐はすぐに言葉を放った。


「どっちでもないんだけど、その、うまく言えないんだけれども……」


 途切れた言葉の先は片桐にしか分からない。俺は続きを待った。


「いや、やっぱりうまく言えないね」


 語尾に星か八分音符の記号でも付いているのではないかと思う、そのぐらいの変に明るい調子で片桐は言った。


「それよりも」


「いや、ちょっとタイム」


 ここは話題転換のタイミングでは無いだろう、どう考えても。


「旅行とかじゃなくて、都内に買い物とかケーキのうまい喫茶店とかでも良いんだ。前に駅で言っていたアイスクリーム食べ放題でも良い。それとも他に理由があるならちゃんと話してほしい。出掛けられないことより、隠される方が俺は」


 そこまで言って、いつの間にか片桐が俯いていることに気が付き、俺は言葉を止めた。残ったのは何とも言い難い空気と足音。


「悪い、強く言い過ぎた」


 ふるりと横に振られた首と、舞った黒髪。


 それから駅に着くまで、俺達は互いに一言も発しないままだった。ようやく、と思ってしまうような、もう、と思ってしまうような道が終わって駅に着いた時、ぽつりと落とすように片桐が言った。それは感情の読み取れない声だった。


「冬休みが終わったら、きっとすぐに春になって卒業式だね」


 片桐の目は、ただ前を見ていた。

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