第七章【流露と常盤】2
――学年が一緒だったら良かったね。
片桐の言葉が耳から離れない。こうして隣に座る片桐の他愛も無い話を聞いている今も、まるで消えることが無い。
紡がれて行く糸のようにくるくると回る、片桐の終わりの見えない話に耳を傾け、質問をしたり頷いたりしている間、何本もの電車が両側のホームに辿り着いては走り去って行く。夏よりも早く夕焼けに染められる空。ゆっくりと冷たくなって行く空気。遠くに、うっすらと細い月が見えた。
これきり、というわけでは無いのだ。まだ十一月、俺が卒業するのは来年の三月。たとえ卒業したって、俺が高校という場所から抜け出るだけで、俺と片桐という関係から俺が抜け出るわけでは無いのだから。
だから、もう二度と会えないかのようにこうして手を繋いだまま互いの電車を見送り続ける必要など、何処にも無い。それでも、俺は片桐のこの手を離すことが出来ない。電車に乗ろうと言い出すことが、立ち上がることが出来ない。そして互いの隠された気持ちを象徴するかのように片桐の話は尽きなかった。
しかし、時間が止まることは無い。揺らめくロウソクの炎のように頼り無く染まりつつあった空は、既に一面が赤く染まっていた。そして、さっきよりもハッキリと、猫の目のような月の姿が浮かび上がっていた。
「夕焼け」
続いていた話が不意に途切れ、片桐が言った。
「――帰ろうか。次の電車で」
「そうだな」
両のホームからは電車が走り去ったばかりだった。とは言え、十分も経たない内に電車はやって来るだろう。そして互いを乗せて、それぞれ逆の方向へと進むのだ。
さっきとは打って変わって黙りこくってしまった片桐がゆらゆらと右足を揺らしているのを見て、不安定に揺れ動く俺達のようだと、俺はふと思った。
「冬休み、何処か出掛けようか」
「怜君は受験生でしょ」
「大丈夫」
「自信家ですねー」
「行きたいところある?」
「アイスクリーム食べ放題とか」
「いや、それは無いだろ。冬に」
そうだね。言って、笑って、足元から遠くを見遣った片桐は、沈み行く夕日をその目に捉えていた。
ほぼ同時に上りと下りの電車のアナウンスが入り、間を空けずに電車がガタガタとうるさいぐらいの叫びを上げてやって来た。そこでようやくベンチから立ち上がった俺達は、繋いでいた手を離した。
「またね」
ひらりと片手を振って見せた片桐の表情は明るかった。それに少しだけ安堵し、俺も答えて軽く手を振った。
左右それぞれに動き出した電車。その、ほんの一瞬。片桐の顔に走った歪みが俺の全身を引き寄せるように掴んだ。思わず名前を呼びそうになったが、すぐに片桐の姿は飲み込まれるように電車が連れ去って行った。そして目に映り込むのはいつも通りの風景。聞こえるのはいつも通りの走行音。
意識すること無く、俺はブレザーのポケットに手を入れた。そこにあるのは携帯電話。メールを書こうとしたのかもしれない。指先が携帯に触れた時に、他人事のように思った。だが、手がそれ以上に動くことは無かった。
――俺は今まで、片桐と学年が違うことをほとんど考えていなかった。俺が先に卒業することは、何か重大な意味があるのだろうか。
いや、重大な意味など無い。浮かんだ疑問をすぐさま打ち消す。ただ、片桐があまりに泣きそうな顔をしていたから。だからきっと、同調してしまったのだと。
だが、根拠も確信も経験も無いまま思う。高校は――学校という場は、一生の内から見れば霞むほどの短い時間で、その時には分からなくとも振り返り思い出すたびに、まるで何処か夢に近いような記憶として脳の中に淡く残されるのだろうと。その淡い時間から俺は片桐より先に抜け出す。俺を待っているのは大学という、やはり学校だ。それでも、そこに片桐はいない。シャボン玉のように不安定な力で結び付き浮かんでいた俺達は、高校という青空を無くしても変わること無くいられるのだろうか。
もしも、俺と片桐が同じ学年で。同じ時に卒業を迎えるのなら。こんなにも足元が見えないような心情になることは無いのだろうか?
考えても仕方の無いことだった。電車を降りた俺を、秋の冷えた空気が包んだ。
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