第七章【流露と常盤】1
深まる秋は、まるで何かに背中をゆっくりと押されるように、何処か落ち着かない。何となく急かされているような気すらする。それはきっと俺が高校三年生、大学受験生ということもあるのだろう。
早いものだ、と道の両端に積もった枯れ葉を目に入れながら思う。高校に入学してから、あと僅かで三年が過ぎようとしている。高校に受かって喜んだ日が本当に遠く感じられた。
「考え事してる?」
あの時には全く想像など出来なかった。俺が片桐と出会い、同じ時間を少しずつ共有して行くことを。
「もうすぐ卒業だなと思ってさ」
「ああ、そっか。そうだね、怜君は三年生だもんね。勉強は順調?」
「まあまあ」
「ほうほう、余裕そうですね」
「そう言う片桐こそ、ちゃんと勉強してるんだろうな」
「怜君は結局、私のことを名字呼びしたままですねー」
不意に話を逸らされる。俺が返答に詰まった一瞬、片桐はすぐに自分が言ったその話題から離れるように別の話をぽとりと落とす。
「私が怜君を気になったきっかけはね」
「突然だな、話が」
俺の言葉に勢いを削がれることも無く、片桐は話を続けて行く。
「やっぱり水晶の時。雪まみれだった私に声を掛けて、一緒に探してくれて、見付けてくれた時。あの時だなあ」
懐かしむように前方に視線を伸ばす片桐は、まるで両目にその時のことが映っているかのようで。つられて俺も前方を見遣るが、そこには当たり前のように駅までの長い道が伸びているだけだった。
「あの時、それはもう必死に探してたんだ。頭の中は水晶のことでいっぱい。しゃがんでいる私の横を沢山の人が通って行ったよ。沢山の足。軽く散る雪。私はそういうのはただ目に入っているっていうだけで気にしていなかったし、気にしていられなかった」
「うん」
「だんだん手が冷たくなっちゃって。手袋、してなかったし。水晶って透明でしょ。それが雪の中に落ちたから、まさか見付からないのかなって。どうしたら良いのか分からないまま、とにかく探してた」
俺の脳裏に、あの日の片桐がよみがえる。
「そうしたら、怜君が声を掛けてくれた。私、あんまり顔とか態度に出ていなかったかもしれないけど、凄く嬉しかったんだよ?」
「うん」
いや、かなり態度に出ていたな。そう思い出し、俺は少しだけ笑った。
「あれから、もうすぐ一年が経つんだね」
「そうだな。早いな」
「早すぎるね」
そして、しばらく俺達は黙って、ただ駅への道を歩いた。歩き続けた。
やがて駅が見え始めた頃、片桐は過ぎた時間を懐かしむような、これからの時間に想いを馳せているような、何処か遠い口振りでそっと言った。
「もう、怜君は卒業なんだね」
そこに宿された気持ちを、何となくだが俺は察した。そしてすぐに、その推察が間違っていないことを知る。
「もう、こうやって一緒に歩くことも無くなっちゃうんだね」
俺より少し前を行き、駅構内へと続く階段をタンタンと下りて行く片桐の後ろ姿。
「学年が一緒だったら良かったね。そしたら、あと一年間は同じでいられたのに」
階段を下り切って振り向いた片桐は笑っていた。笑顔だった。それでも、俺にはそれが笑顔には見えなかった。
「俺が卒業したって、いつでもメールも電話も出来るし、出掛けることだって出来るだろ」
「うん」
「それに、まだ卒業じゃないし。こうやって帰れる」
「うん」
「だから、そんな泣きそうな顔するなよ」
「……うん」
俺は片桐の隣に並び、自然に片桐の右手に自分の左手を伸ばしていた。繋いだ手から伝わる柔らかな体温が俺の心を締め付ける。
手を繋いだまま、俺達は階段を上った。駅には、まだどちらのホームにも電車は来ていなかった。ベンチに座っても、俺は片桐の手を離さなかった。そろそろと夕暮れを迎える準備を始めた空を見ていると、お決まりのアナウンスが無機質に流れて静かな空間に亀裂を入れる。それは片桐の乗る電車の到着を知らせるものだった。
きゅ、と片桐の指先に僅かに力が込められた。俺はその小さな力に、どうしようも無い息苦しさ、切なさのようなものを覚える。深い海の底で泡を吐くような。
「電車、見送ろうか」
俺は言った。声にならない返事が片桐から聞こえた。
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