第六章【片隅と隔心】7

 ――早々に図書室へと辿り着いた俺は僅かに呼吸を乱していた。思わず一度、大きく息をつく。


 扉を開けるとそこは午前中同様にしんと静まり返っていて、何処となくひんやりとした空気が漂っている。それを壊さないように俺はそっと扉を閉め、一歩、踏み出す。トン、という足音が一つ、控え目に響いた。その、まるで現実から切り離されたかのような図書室という場所に、片桐の姿はなかった。扉の正面奥にある読書スペースは勿論、開閉式の書棚の奥にある長椅子にも。書棚の間を順に見ても同じだった。念の為、図書室の二階にある視聴覚室も見てみたが、誰の姿も無い。


 カチ、と時計が時を刻む音がした。静かな室内、その音は意外にも大きく聞こえ、止まり掛けていた俺の脳を揺さぶった。見上げると壁時計が目に入り、午後の三時二十分を指していた。俺は階段を下り、何となく室内を見回してみたが、そこに誰も居ないという事実に変わりは無かった。


 俺は携帯を取り出してディスプレイを見たが、電話もメールも着信してはいなかった。そのまま新規メール作成画面を起こし、片桐へ短いメールを送った。


 確実に緩やかに時は過ぎ、やがて午後の四時になろうとしても片桐は図書室に姿を見せなかった。返信も無いままに。






 ――放課後。文化祭第二日目にして最終日はようやく幕を閉じた。いつもより少しばかり長めの担任の話があり、片付けは明日の午前中を使って行われると告げられた。


 教室に戻ってから今まで、俺は携帯電話が震えないかと気になっていたのだが、それは沈黙したままだった。俺はもう一度、片桐にメールを送った。そして少し待ってみたものの、やはり返事が来ることは無かった。


 校内に文化祭の余韻が充分すぎるほどふわふわと満ち溢れる中、俺は晴れない気持ちで正門を出た。そして黙々と長い道を歩き、いつもの本屋が視界に入る頃、ブレザーの左ポケットで携帯が震えた。


 しかし、そのメールは片桐からでは無く、橘さんからだった。

 



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 From:橘芳久

 

 Sub:今日


 Text:久しぶり。今日って文化祭だったと思うんだけど、綾と何かあった?


 

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 心臓が一際、大きく打った気がする。片桐の名前が目の奥に飛び込む。学校帰りの道にも関わらず、俺はすぐに返信をした。すると再び、橘さんからメールが来る。それを読んだ後に再度返信し、俺は携帯を閉じた。しかし思い直し、片桐にメールを書き、送信する。送信しました、の表示を確かめてから俺は携帯を仕舞った。図書室に向かった時のように駅に向かう足が早くなって行く。


 電車の中から見える、視線の先に広がる空は薄暗くなり始めていて、それがまるで投影されたかのように心の中が灰色に染まる。数時間前の自分、つまりクラスの模擬店でたこ焼きを焼いていた自分が憎らしい。そんなもの放り出して、初日と同じように片桐と居れば良かったと悔やまれる。せめて、せめて片桐が来た時に気が付いていれば。


 だが、過ぎたことを後悔したところで決して時間は巻き戻らない。生じている現実は事実のまま動かない。動かすならば、現在から先でしかないのである。


 俺が電車を降りて家へ向かう間、携帯電話は無言のままだった。

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