第六章【片隅と隔心】6
文化祭第二日目にして文化祭最後の日の当日。午後、クラスの店の方に行かなければならないと朝に俺が片桐に告げると、相模原君のクラスは何をするんだっけ、と片桐が尋ねて来た。しかしそれは尋ねたというよりも、何処か独り言めいた響きを多く含んでいた。
「たこ焼き屋」
「ふーん」
簡潔な答えに簡潔な返事。互いに興味が無いことが窺い知れる。
「だから午後は一緒に回れないけど……ていうか回る気はないか。一緒には居られないけど、三時過ぎくらいには多分空くから」
「うん。分かった」
午前中、昨日同様に俺達は連れ立って図書室へ向かった。模擬店を見て回るなどの選択肢の存在すら有り得ない俺と片桐が、何処で時間を潰すかということについて話し合った結果、図書室が適しているという結論が出た。僅か二分程で。
「図書室、静かで良かった。音楽は流れて来ないし、誰も来なかったし」
「確かに」
昨日の図書室には午前中、誰一人としてやって来なかった。俺は冊子を読んでいる間は周りを気にしていなかったので、断言は出来ないが。それでも読書に集中出来る程の静けさだったことは確かだ。校内放送で流れる落ち着かない音楽もほとんど入って来ない。まるでそこだけが隔絶された空間のようだった。
やはり昨日同様に左右開閉式の書棚の奥、木製の長椅子のようなところに俺達は並んで座った。そしてしばらくした後、片桐が口を開いた。
「何かさ、私達ってちょっと変わってるかもね。文化祭、全然楽しんでない感じ」
静寂の図書室内、取り立てて大きな声で話したわけでも無い片桐の声は良く響いた。
静寂が声を広げ、そして吸収する。室内は、すぐにまた元の静けさを取り戻す。ほんの僅かにだが、外の喧騒や廊下に流れる音楽がここにも入り込んでいることに気が付く。しかしそれも、特に音楽の方は意識して耳を傾けないと気にはならない程度だ。
「昨日、教室に戻った後、楓に相模原君とこうやって過ごしました的な話をしたらね。えっ、そうなの? って、ちょっと驚かれたから。確かに文化祭という全体像を避けるようにして過ごしたなーと思って」
「ああ、模擬店なんか一つも行かなかったしな。見たかった?」
尋ねると、ぶるぶると大袈裟に首を振って片桐は否定した。
「誤解がないよう付け足すと、つまんなかったって言ってるんじゃないんだ。文化祭回避作戦を真剣に考えていた私としては、相模原君が一緒に居てくれて救われたし楽しかった。ホントに。ただ、およそ文化祭らしくない時間を二人して過ごしたなあって改めて思いました、マル」
「俺も似たようなこと響野に言われた」
「変わってる、とか?」
「そう」
会話が途切れると、再びその姿を現す静寂。
冷房が入っているわけでも無いのに、ここは何処となくひんやりとしていた。日陰になっているのだろうか。椅子から伝わる控え目な冷たさが手のひらに届く。何とは無しに視線を辺りに動かすと、自然と沢山の本が目に映る。これらを全部読んだらどれくらいの時間が掛かるのだろう。カチ、という時計の進む音がして、ふと俺はそんなことを思っていた自分に気が付いた。
途端、ジャリジャリ、という砂を噛むような音が不意に隣から聞こえて、俺は片桐を見た。その左の手のひらには、色とりどりの小さな星のかけらのようなものが載っていた。
「あ、食べる? 金平糖」
俺の視線に気が付いたのか、指先に摘んだ一粒を口に運ぶ途中で片桐は軽く首を傾けて尋ねた。それに返事をして、俺は一つのかけらを取り、口に入れる。じわりとした甘さが広がった。
「片桐って、いつも何かしら食べているイメージがあるな」
「腹が減っては戦が出来ぬ」
ジャリジャリと金平糖を噛み砕きながら、何処か楽しそうに片桐は言った。揺れる片足が、やはりその片鱗を示しているようだった。
「変わっていようがいまいが、本人が楽しければそれで万事がオッケーだよね」
ね、と同意を求めて来た片桐に、そうだな、と返すと、片桐はひどく嬉しそうに笑った。そして手のひらに残っていた十粒程の金平糖を一気に口に流し入れる。
「まだあるから大丈夫だよ」
と、小さな瓶をカチャカチャと鳴らして更に片桐は笑った。
こうして午前中、俺と片桐は図書室で過ごした。時々、金平糖をジャリジャリと食べながら。昼は、やはり昨日と同様に食堂に行き、片桐が作ったサンドイッチを食べた。今日はツナサンドに加え、ポテトサラダサンドも入っていた。
そして、午後の一時になる前に俺と片桐は別の場所に向かうこととなった。俺は、たこ焼きを焼きに正門近くに設けられた模擬店へ。片桐は、図書室へ。
「本、読んでるから。終わったら来てね」
「ああ、分かった」
ひらり、舞う蝶のように片手を振って片桐が言う。それに俺が答える。こうして俺達は別れた。
――その後。思った通り、たこ焼きを焼き始めて僅か三分程にして俺は馬鹿らしくなった。予想に反して、たこ焼き屋には列が出来るくらいに客が来た。生徒の他に一般客も混じり、焼くのが追い付かないくらいだ。
不可抗力で耳に入って来たクラスメイトの話によると、昨日もかなりの混雑を見せたらしい。たこ焼き屋をやったのが自分達のクラスだけだというのもあるかもしれない、とも。そんなことはどうでも良い。とにかく早く俺の当番の終わる三時になることを願うばかりだったが、まだ三分強しか過ぎていないのだ。軽く眩暈を覚える。俺は、とにかくたこ焼きを焼いた。焼き上がった
やがて、午後三時になり、俺はようやくここを離れられると息をついた。
「あ、相模原君。交代の時間になったから代わるよ」
言われて振り向くと、クラスメイトの女子が立っていた。
「かなり、お客さん来たよね」
「ああ」
俺は答えながら、この人の名前は何だったかと失礼な疑問の回答を考える。しかし浮かばず、俺はすぐにそれについて考えることをやめた。似合いもしないエプロンと三角巾を外し、一言断ってからその場を離れようとすると、驚くべき発言が俺の耳に飛び込んだ。
「そういえば、さっき誰かが相模原君を探してたよ。多分、二年生の女の子」
「え?」
思わず聞き返した俺を特別気に留めた様子も無く、更に続けられる。
「三時、ちょっと前に来てね。しばらくお店の前をウロウロしてた。で、相模原君いますかって」
「あ、私も見た」
後ろから別の声が聞こえ、俺がそちらを見遣ると更に一人のクラスメイトが立っていた。またも名前が分からない。
「一人でウロウロしてたよね」
「そうそう」
似たような顔と声で似たように笑う二人に、俺は正体の分からない苛立ちめいたものを覚えた。何故だろう。
「それで、何て答えたんだ」
「え?」
「だから、俺を探してたんだろ」
「ああ、相模原君ならたこ焼き焼いてるよって指差して教えてあげた」
「その後は?」
「その子、そうですかって言って相模原君を見てた」
「それで?」
「終わり」
ね、と顔を見合わせて笑う二人のクラスメイト。彼女達は俺の質問に答えただけだ。それが、どうしてこんなにも不快なのだろう。俺は普段、苛立ちやすい性格だっただろうか。
俺はとりあえず礼を言って図書室に向かおうとしたが、正にその時、一人が俺の名前を呼んだので振り返った。振り向かなければ良かったと、次の言葉を聞いて俺は後悔したが。
「ねえ、相模原君の彼女?」
俺が黙っていると、
「放課後、教室の前で待ってるでしょ、あの子。一緒に帰ってるの、何回か見たし」
と、続けられた。
「いつ頃から付き合ってるの?」
付き合っていると言ってもいないのに、それ前提で話が進み始めていることに少しばかり驚いた。それよりも、俺は気が付いたことがある。それが頭の中に急速に広がったことを感じて、そちらに意識を持って行かれた。
「私ね、知ってるんだ。部活の後輩から聞いたんだけど。あの子って変わり者で有名らしいよ?」
意識が目の前に戻る。
「しょっちゅう学校休んだり遅刻したりしてるらしいし、部活にも入ってないし。授業の途中に保健室行くことが多いんだって」
「だから?」
「だから、変わり者って話。先生とも良く言い争いしてるとか」
「だから、何だよ」
警鐘が、鳴る。根が生えたように動かない両足を意地でもこの場から引き剥がし、俺は図書室へと向かうべきだろう。ここに、居るべきではないだろう。それなのに足が、体が、縫い留められたように動かない。
目の前に居る二人のクラスメイト。その四つの瞳に浮かぶ色が俺を腹立たしくさせたのだと気付く。理解する。そこに浮かんでいたのは揶揄だった。それは声にも散りばめられていた。その対象が俺なのか片桐なのかは分からないし、知りたいとも思わない。ただ、底の方から浮かびつつある自分の感情は無視出来なかった。
「アイツが変わっていようといまいと、お前らには関係無いだろう」
途端、目前の二人からサッと表情が失われる。その目には最早、からかうような色はかけらも見えず、代わりに驚愕が滲み出ていた。
俺は二人に背を向け、図書室へと急いだ。後ろから俺を呼び留める声がしたが、今度こそ俺は振り向かなかった。
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