第六章【片隅と隔心】5

 ――そこで片桐が書いた物語は終わっていた。冊子を閉じ、隣に座る片桐を振り向くと、もぐもぐと何かを食べている。その手元に視線を落とすと食べ掛けのサンドイッチが目に入った。


「あ、読み終わった?」


 罪の無い様子で片桐は俺を見上げ、尋ねた。


「ああ。それより何、食べてるんだよ」


「ツナサンド。美味」


「違う、そういう意味じゃなくて。ここは図書室だろ。図書室で食べるなよ」


「大丈夫、ちゃんと手は拭くし。本を読みながら食べてないし」


 食べ掛けのツナサンドをポイと口に入れて、再びもぐもぐと咀嚼している。その様子に反省や後悔の色は無い。片桐の右隣には、今朝に見た紙袋が置かれていた。あれの中身はサンドイッチだったのかと合点が行く。


 図書室の中は来た時と同じ静けさが保たれていて、俺の記憶違いで無ければ俺達の他には誰もいないだろう。


 入ってすぐのところにあった三個の長机の上には冊子が置かれていて、「一冊 百円」という文字が小さな画用紙に書かれセロハンテープで机に貼り付けられていた。その隣に立ち並ぶ本棚は左右開閉式で、取り付けられたハンドルを回すと敷かれたレールの上を本棚が移動する仕組みになっている。初めて見た時には驚いた。その本棚の奥、突き当たりの壁に沿うようにして存在している木製の長椅子のようなところに、俺と片桐はひっそりと座っていた。


 いや、ひっそりとしていたのは俺だけで、片桐はサンドイッチを頬張っていたのかもしれないが。そう思っている間にも、片桐はまた新しいサンドイッチを取り出そうとしている。腕時計を見ると、午前十一時になろうというところだ。まだ昼飯には早くないだろうか。


「読み終わった?」


 片桐が先程の問いを再び重ねる。俺が頷くと、じゃあこの後どうしようか、と退屈そうに呟いた。

 

 声は静まった図書室内に響き、吸い込まれ、消えた。カチ、という何処かにあるのだろう壁時計の針が時を刻む音を生んだ。


「いやいやいや、それはやめておこうよ。ね?」


 片桐の書いた物語が載っている冊子。俺はそれを手に図書室の入り口付近にある長机まで歩いた。文芸部発行のそれは一冊百円で販売されていたが、販売とは言っても図書室は無人で、机には本と張り紙と小さな箱、そして俺が今、手にしているこの冊子が三十冊程、寂しそうに置かれているのみだ。購入者は小箱の中に代金を入れる仕組みらしく、俺が制服のズボンのポケットからチャリチャリと小銭を取り出すのを見て、その意図するところを知ったらしい片桐は全力で俺を止めに掛かった。


「今、読んだんだし。もう良いでしょ?」


「気に入ったんだけど。何でそんなに嫌そうなんだ?」


「嫌っていうか微妙っていうか落ち着かないというか。とにかくやめよう。ね?」


 チャリ、と俺が百円玉を一枚、無造作に小箱に入れると、


「あっ! 何ていうことをしてくれたんですか!」


 と、その小箱の中を覗き込みながら片桐は焦ったように言った。


「ホントに買うの」


「買う。もう買った」


「いや、まだ返品可能ですよ。箱を逆さまにすれば相模原君の百円は返って来ます」


「返品しないし」


 あーあ、と絶望と諦めの入り混じった声を出しつつ、片桐は未だ箱から視線を剥がさないままだった。何がそんなに嫌なのだろう。


「片桐って物語書けるんだな」


 尊敬の念を込めて俺はそう言ったのだが、当の片桐は無関心のようだった。まだ箱の中を見つめている。


「なあ、さっきのサンドイッチ余ってる?」


 そう聞くと、やっと片桐は視線を上げた。


「あるよ。ツナサンドオンリーだけど良かったら食べる?」


 ガサガサと、手に提げた紙袋の中へ片桐は手を入れる。


「食堂で食べよう」


 俺がそう提案すると即座に手を引っ込め、うん、と言って片桐は笑顔を見せた。


「ちなみに、それは誰が作った?」


「あ、今回は私です。芳久は出張しちゃったから」


 図書室を出て食堂へ向かいながら、ああ、俺はやはり片桐の口から紡ぎ出されるその言葉を気にしているのだなと、何故か静かに再確認していた。


 ――結局、俺達は文化祭とは程遠い日を過ごした。昼は片桐が作ったというツナサンドを食堂で食べ(食堂にはほとんど人が居なかった)、各クラスの出し物や模擬店を見て回ることも、体育館で行われたらしい芸能人の誰かの話を聞きに行くことも、校舎前に特設されたステージでのライブ演奏を聴きに行くこともしなかった。


 それでは何をしていたかというと、特に何もしなかった。昼飯にツナサンドを食べて水を飲み、その後にミルクティーが飲みたいと言った片桐に俺は自販機でそれを買った(片桐は異常なくらいに喜んだ)。自分の分はアミノ酸系飲料水を買って、二人して示し合わせたわけでも無いのに自然に食堂へと足を戻した。そして文化祭が終わるまで、だらだらとそこに居座っていた(そういえば午後の点呼に行くのを忘れた)。特別な話をしたわけでは無い。例によって他愛の無い話だ。それでも俺は退屈など少しも覚えなかったし、片桐も模擬店などに興味は無さそうだったし、互いに満足した一日だった。


 ということを帰り際に、今日は片桐さんとどうだった? と尋ねて来た響野に淡々と俺が告げたら、お前らはちょっと変わっているのかもしれないな、二人してAB型か? と疑問そうに返された。何とも失礼な奴だ。


「そういうお前は、今日どうだったんだよ」


「延々と、たこ焼き焼いてた」


「それはお疲れさま」


「思ってないだろ。明日はサガミが午後当番、忘れてないよな」


 皮肉を込めてそう言って来た響野の言葉で、俺は今から明日が憂鬱になった。


「たこ焼き、ちゃんと焼けたのか」


「まあまあかな。引っくり返すのが意外に難しい。焼けたかハッキリ分からなくて、ほったらかしといたら焦げてて女子に怒られたし」


 そのセリフには同情を覚えたが明日は我が身だ。面倒なことこの上無いが、やるしか無い。


「何で俺らのクラスの女子は、あんなにうるさいんだろうな」


「さあな」


 文句があるならお前らが焼け、と呟いた響野の二の舞にならないように気を付けよう。そう、俺は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る