第六章【片隅と隔心】3

 ――そして六月、最初の土曜日。文化祭というものがついにやって来た。


「追い返してやりたい」


「いやいや、落ち着けって」


  一緒に登校したいというメールが文化祭前日に片桐から届けられ、準備に伴って朝早くからこうして二人で歩いて来たわけだが、いきなり片桐は不機嫌だった。分からなくも無いが。


「片桐のクラスって何をやるんだ?」


「クレープ屋さん」


「それなら売り子とか係決めしただろ。時間、いつぐらい?」


「あ、私パスしたから気にしなくて大丈夫」


  あっさり言ってのけた片桐に、俺は少し面食らった。


「パス?」


「うん。売り子したい人いっぱい居たから充分なの。私のクラスは文化部の割合が高いから、みんな割と暇っぽいよ」


「片桐って部活やってるんだっけ?」


「うん、文芸部」


  朝、漂う空気はサラサラとしていて少々、冷たい。その中を歩き続けて、やがて正門を通った頃、片桐はそう言った。


  文芸部の存在自体を知らなかった俺は驚き、詳しく話を聞きたかったのだが、互いにそれぞれの教室へと向かう別れ道に来てしまった為にあまり詳細は尋ねられなかった。


  またあとでね、そう言って蝶の羽ばたきのようにひらりと片手を振った片桐は、今朝に会った時ほどは文化祭を面倒がっているようには見えなかった。俺はその後ろ姿を見送った時、ふと片桐が左手に持っている紙袋が目に入った。


「おっはよー! 早いな」


  少しぼうっとしていた俺の後ろから肩を叩いてのハイテンションな挨拶をされる。振り向くと響野がいた。


「うるさい」


「うわ、機嫌悪」


 俺は廊下を歩きながら、


「ウチの学校に文芸部ってあったっけ」


 と尋ねてみたのだが、やはり響野も首を傾げた。


「文芸部か……一年の時に見たパンフレットに書いてあったような無かったような。ほとんど運動部しか見なかったからなー。覚えてないな」


 文芸部がどうかしたか? と聞かれ、片桐がそうらしいんだけどさ、と話している内に一組の教室に足を踏み入れたわけだが、まだ時間には早いのにも関わらず半数以上のクラスメイトが集まっていた。ワイワイガヤガヤ。そんな擬声語がぴったりな空間が、そこにあった。


 やがてクラスメイト全員が揃い、担任が出席を取った後、今日の予定を確認した。そして皆、めいめいに散って行く。予定と言っても、たこ焼きを焼き続けるだけだろ。などと静かに思ってしまった俺は、やはりこの祭りに興味を抱いていないらしい。客観的にそう分析した後、一つ大きく伸びをして廊下に出る。そこには既に、いつもの放課後のように片桐が立っていた。


「早いな」


「イッツ・スピーディ」


 しばらくして、校内放送で音楽が流れ始めた。それがますます文化祭色を強め、普段の日常から高校を遠ざけて行く。


 展示や喫茶店などをおこなっている各クラスを横目に見ながら俺達は目的地も無く歩いた。


「さっき、文芸部って言ってたけど」


 そう言うと、片桐は俺を見上げて頷いた。


「文芸部ってあった?」


「うわっ、失敬な。ありますよー、文芸部。十二名しか居ないけれども。ちゃんと活動してるよ」


「でも片桐は毎日、俺と帰ってるよな」


「実は部室とかは無くてね、先生が文芸部扱いにしてくれているだけなの。あ、ねえ、これからどこに行く? どこでも良いなら帰宅したいけど」


 早くも退場希望を出して来た片桐。それを食い止めて、俺達はとりあえず外に出た。しかし特に行きたい場所など思い付かない。二人して、ただぼんやりと昇降口近くの壁に寄り掛かる。日陰になっていて、背中が僅かにヒンヤリとした。


「文芸部扱いって?」


「メンドいから部活動には入りません、って言ったら微妙そうな顔をされてね。一年の時、担任の先生に。その後、ずっと部活には入らなかったんだけれど。夏休みに書いた作文が入賞したら、先生が文芸部ってことにしてくれたの。何も部活に入ってないのは良くないんだって。私の他に似たような感じの人が十一名、私を含めて十二名が文芸部扱いとなっているようです」


 はい、説明おしまい。そう言い、片桐は口元を押さえて欠伸をした。早くも今日という日に退屈しているようだ。


「あれか、表彰されていた」


 入賞した作文とやらに俺は思い当たる節があった。


「あの、壇上で思いっ切りクシャミしたの」


「あ、それ私」


 あの印象深い場面が脳裏にありありと蘇る。あれは本当に印象深い。忘れられない。


「我慢出来なかったんだよね。だって寒かった」


「確かに寒かったけどさ」


 だからって、あんなに思い切り良く壇上でクシャミしなくとも。俺が付け足して告げると、我慢は体に良くないと当然のように片桐は返して来た。あの時も思ったが、片桐は肝が据わっているのかもしれないな。


「そういや、文芸部って文化祭に向けて何かしたのか?」


「一応、みんなで作品書いてまとめたよ」


「冊子みたく?」


「そうそう」


 聞いたところ、片桐も短い話を書いたと言うので、興味が湧いた俺はそれを読みたいと言ってみた。が、片桐はあまり気の進まなそうな様子を瞬時に見せ、やめた方が良いよ、と言葉を紡ぐ。しかし、他にすることも無いか、と半ば投げ遣りな感じで片桐は言い、図書室へと俺を誘った。図書室にその冊子が置かれているらしい。図書室だと目に留まりづらく無いだろうかと思ったのだが、置き場所は先生が決めたことだし、別に誰かに見てほしいわけでは無いので構わないそうだ。せっかく作ったのだから多くの人に読んで貰った方が良いような気がするのだが。


「入賞した作文って何について書いたんだ?」


「んーと、人生はビーズ繋ぎのようなもの、みたいな。先生が勝手にコンテストに出しちゃったんだよね。まさか入賞するとは思わなかったから驚いた、ホント」


 人生はビーズ繋ぎ。面白い喩えだ。読んでみたいな。


「今回は?」


 冊子には何を書いたのだろうか。それは純粋な好奇心から来る質問だったのだが、隣を歩く片桐は自身の黒髪を撫で付けながら黙ったままだった。やがて開いた口から生まれたのは、何処か焦ったような口調の言葉だった。


「創作だからね、あくまでも。真実を書きましたとか、そういうのじゃないから」


 図書室の扉を押す直前、片桐は振り返ってそう言った。

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