第五章【糖分と塩分】7
学年末考査という苦難が終わり、そして近付いている春休みを前にして、校内は何処となく浮き足立っていた。
確かに連続した休暇というものは素晴らしい。何より、退屈な学校という場に来なくて済むという点においては特に素晴らしい。その考えは以前と変わらず俺の中に存在しているのだが、
「やっほーう」
こうして帰りのホームルーム後に廊下に立つ片桐が見られなくなるのは、少し物足りないなと思う。
付き合い始めて数日経った時、
「これから毎日一緒に帰りませんか?」
と片桐が言った。
断る理由も無く俺が頷くと、パッと花開いたように片桐は笑った。あの笑顔が忘れられない。
「春休み、何処か行ったりするの?」
その声で俺は我に返った。
「特に予定は無いな」
「私も。多分ダラダラして終わる」
「勉強もしろよ」
「分かってますー」
ちょっとだけ不満そうに語尾を伸ばし、片桐は一瞬だけ片頬をプッと膨らませた。すぐに元通りになる。面白い。
公共のバス乗り場を通り過ぎ、そこから五分程を歩いた辺りで、まるで思い出したかのような、素っ気ないような口調で片桐が口を開いた。それが、おそらくは照れ隠しのようなものだったことに俺が気が付いたのは、それから更に五分、あとのことだった。
「私達さ、付き合ってるよね」
「ああ」
唐突な話題に少しばかり驚きながらも俺は答えた。
「つまり、お互いがお互いを好きってことだよね」
「ああ、そうだな」
「それ、相模原君はちゃんと分かってくれているよね?」
「どういうことだ?」
見ると、隣を歩く片桐が、微風に遊ばれるように揺れる自身の黒髪を撫で付けていた。その顔は俯き加減で表情が見えなかった。
俺の問い掛けに片桐は黙ったまま、髪を撫で付けたまま、下を向いたまま、てくてくと歩き続けて行く。
「今日ね、楓とちょっと話したんだけど。恋愛について」
楓。ああ、お茶会に来た九条さんのことかと、俺が結び付けた後、更に片桐が話を続けた。
「もしかしたら、誤解してるんじゃないかと思って。私が好きなのは相模原君なの」
それをね、分かってくれているか不安になって。そう付け足して、片桐は黙った。
「いや、誤解はしてない」
沈黙を破るべく、俺は言葉を発した。しかし、その中身を信じていないかのように片桐は小さく呟くように尋ねる。
「ホント?」
「ああ」
俺は短く肯定の意を返した後、それに繋げるべき言葉を探したのだが、なかなか見付からない。語彙力不足だろうか。
俺が不可抗力で口を閉ざしたままでいると、片桐も同じように言葉を紡がないままだった。静かな時間が気まずい。
長い道のりを、二人共に言葉を無くしたようにして歩き続けた。やがていつもの本屋が見え、それを通り過ぎる。このまま行くと、すぐにコンビニが見えて、そして駅に着くだろう。そして互いに別の電車に乗るのだ。それは避けたい気がした。
俺と片桐の周囲を、微風が踊るようにして通り抜けて行く。そのせいか、片桐は何度も左手で髪を押さえていた。
やがて、当たり前のように傍らにコンビニエンスストアが姿を見せる。そこでようやく俺は言葉を口にすることが出来た。無意識に立ち止まっていたのは、きっと時間稼ぎの為だろう。
「片桐。時間あるなら、そこの喫茶店に寄らないか」
俺と同じように足を止めていた片桐は、ゆっくりと顔を上げて俺を見た。二粒のまるい目が、不安に包まれ揺れているように見えて仕方無かった。
「怒るなら、行かない」
その少し拗ねたような口調が、俺にいつも通りの平常心を取り戻させた。焦燥感に囲まれていた心が次第に落ち着いて行くのを感じる。理由は分からない。
「怒るわけ無いだろ。ケーキとか奢るから」
ケーキという単語に、僅かに片桐の両目が輝いた気がした。片桐が返事を返すのに、さして時間は掛からなかった。
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