第五章【糖分と塩分】6

 ――予想に反して橘さんは、ものの二十分程で帰ってしまった。持参した手作りのカップケーキを十個差し出し、スコーンとバタークッキーを食べ、紅茶を飲み。そして俺達四人とそれぞれに少し言葉を交わして。


「えー、もう帰るの? 何しに来たの?」


「だから、お茶会に来たんだって」


「でも、こんなに早く帰るなんて聞いてないよ」


「ちょっと友人に呼ばれててさ。悪い。スコーン、特においしかった」


 名残惜しそうにする片桐の頭にポンと手を置き、橘さんは居間を出て行く。その後を、ととと、と片桐が付いて行く。


「何か、すげー親しくない?」


「もともと、仲は良いみたいなんですけど。でも確かにとても親しそうですね。親愛の情溢れる、って言うんでしょうか」


「何で別れたんだろう、あの二人」


「私も良くは知らないんですが、気は合うけど彼氏彼女には向かないとか言われたらしく」


「橘さんから別れたってこと?」


「みたいです」


 声を潜めるようにして、響野と九条さんがポソポソと話していた。その間も玄関先からは橘さんと片桐の話し声がしている。


 アールグレイを飲み干し、俺は何となく宙に視線を泳がせた。アールグレイはストレートで飲んだが、ジャムに含まれるであろう糖分は脳味噌に行き渡ったはずである。しかし、考えはまとまらない。糖分が真に頭に回るまでには時間が掛かるのだろうか。


 他者の心の中なんて一生を懸けても分かるはずが無い。自分の心の中だって本当に分かっているとは言い難いものだ。片桐が本当に何を思っているかだって、俺に理解出来るわけが無い。知ることは出来ても、だ。


 カチャン、と玄関の扉が閉まる音がして、それを合図にしたかのように響野と九条さんが会話を止めた。再び室内を静寂が支配する。


「あれ、無言?」


 戻って来た片桐が不思議そうに言い、俺のティーカップに視線を落とした。


「お代わり、淹れようか」


「ああ、ありがとう」


 注がれる、紅茶。穏やかな時間が流れて行く。しかし、その裏側には多種多様な想いが見え隠れしている。俺はそんな気がした。






 三時間程でお茶会は終わりを迎え、俺達はお土産の金平糖を貰い、帰路に着いた。色とりどりの小さな星のような粒を目にするのは久しぶりだった。袋の中でチカチカとひしめき合っているそれを、俺は家に帰ってから一粒、口に入れてみた。甘い。


 ベッドに横になりながら、その袋を蛍光灯に翳してみる。黄色、白、水色、桃色。それぞれがそれぞれを支え合うように、それらは透明なフィルムの向こうで黙りこくっている。


「喋ったら怖いよな」


 金平糖は何も語らない。しかし、片桐と俺は言葉を交わすことが出来る。


 ――気になるなら聞けば良い。そんな声が何処かから俺の中に響いた。全く以てその通りだ。正論だ。では、何と尋ねる? 片桐は橘さんが好きですか? と?


 じわじわと口内に広がる金平糖の甘さと連動するように、じわじわと湧き上がった疑惑のような焦燥のような想いが消化不良のまま体内に溜まる。体に悪そうだ。


 恋愛は複雑怪奇なジャンル。どうしてか響野の言葉が思い出された。その通りかもしれない。自分自身の気持ちも自分以外の気持ちも分からない人間が、互いを知ろうと寄り添うのだ。難しく無いわけが無い。


 カシャリと金平糖を噛み砕く。シャリシャリと音を立てて細かくなったそれは糖分の残滓を散らして溶け消えた。口の中には甘さの余韻が漂う。


 ――尋ねるというのも一つの方法だ。だが、それをせずに察するというのも一つの方法に違い無い。これから片桐と過ごして行けば俺の知りたいことは自然と見えて来るのでは無いだろうか。何も焦ることなど無いような気がする。しかし今日のお茶会での片桐の様子から浮き上がった疑問の置き場所はどうしたら良いのだろう。


 俺はどうするべきだろう。自問した結果、今は干渉しない、という答えが割とすぐに導き出された。糖分効果だろうか。俺は金平糖に感謝した。


 もうすぐ春休みが来る。それが過ぎれば三年生になる。俺は思考を切り替え、机へと向かった。

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