第三章【目撃と訪問】4
「なあ。そういえば最近、あの子が来ないよな」
響野は機会を見付けては俺と片桐のことを尋ねて来る。悪いが、ちょっと鬱陶しい。
「あの子?」
分かってはいつつも、俺はわざと空とぼけてみた。
「ほら、良く廊下でお前を待ってる子だよ。肩辺りまで髪を伸ばしてる」
「髪の長さまで覚えてるのか」
「だって結構頻繁に来てるし。でも、ここのところ見ないよな。どうしたんだろ」
「忙しいんじゃないの」
素っ気無く言った俺だったが、実は俺も響野同様に気になっていた。
毎日とは言わないが、割とちょくちょく片桐は教室までやって来ていた。二日連続して来る時もあったし、一日置きの時もあった。連続して五日間来なかったことは今までに無い。そこまで考えて、俺は片桐が来ない日数を数えていたことに気が付いた。
「冬休み明けだし、体調崩したのかな」
響野が、やや心配そうに言った。
「随分、気にするんだな」
「え、サガミは気にならないのか? としたら、お前の中に流れている血は凍っているに違い無いな」
凍っていたら血は流れないがな、と冷静に俺は心の中でツッコミながら、確かに片桐は急に姿を見せなくなったなと思った。
俺と片桐は時々、帰り道を共に歩いてはいるものの、毎日一緒に帰ろうね、などという約束をしているわけでは無い。帰りのホームルームや小テストが終わった後、俺が帰り支度をして廊下に出ると、教室の後ろ扉を開けた真正面の壁に寄り掛かっている片桐がいる。それだけだ。だから、そこに片桐がいなければ、それはそれとして俺はいつもの通りに一人で帰途に就く。
「お前、メールとかしないの?」
「誰と?」
「時々、教室前でお前を待っているあの子とに決まってるだろ。そういえば、名前何て言うんだ?」
「片桐綾」
なるほど、片桐さんか、と響野は頷いている。
「で、片桐さんとメールしないのか?」
「用が無ければ特に」
俺の回答が不満だったのか、響野は大仰に溜め息をついて見せた。
「ダメだ、冷酷人間だ。人間冷凍庫だ」
そんなコメントを貰っても全然嬉しくない。
これ以上、響野に付き合っていても発展性の無い会話が続くだけになりそうだったので、俺は鞄を持って立ち上がった。
「あれ、会話終了?」
「終了です」
すると、これだけは言わせてくれと口早に前置きして、
「心配ならメールの一通でも送った方が良いぞ。友人としてでも、体調とかを気遣ってメールするのは全然不自然じゃないからな」
と、何故か「友人としてでも」を強調して響野は言った。
「アドバイスありがとう」
「棒読みで言われてもな」
不服そうな響野を残し、俺は教室を出た。
昇降口に向かいながら、響野は教室に何の用があるのだろうと、ふと考えた。明日は第二土曜日で休日、つまり、その翌日と合わせて二連休になるというのに。ちなみに俺は素早く帰宅するつもりだったのだが、響野に捕まっていたというわけである。
「あ、相模原」
廊下の向こう側から声をかけてきたのは、担任の城井。面倒なことになった、と俺は咄嗟に思ってしまった。教師が話し掛けて来る場合、何か頼み事をしてくるケースが九割だからである。
「お前、一年の片桐とは親しいのか?」
片桐の名前が挙がるとは予想していなかったので、俺は少し驚いた。
「友人ですが」
多分。
「片桐と連絡は付けられるか?」
「と、言いますと?」
スパリと用件を先に言って貰いたいものだ。その方が余計な手間が省けるし合理的で良い。
「先週の金曜日、職員室で片桐が柳田先生とぶつかっていただろう。あれから学校を休んでいるみたいなんだよ。土曜日の朝は体調不良で休むと連絡が来たんだが、それからは連絡無く欠席しているらしくてな。片桐のクラス担任が心配しているんだ」
一度言葉を切り、頭に片手をやってから、また城井は話し始めた。
「で、それを知った柳田先生が気にしているらしくてな。それに、担任が何回か電話をしているらしいんだが誰も出ないそうだ」
「家の人もですか?」
「そうだ」
ザワリ、と心に小さな音が生まれた。
「担任はクラスの女子に何か知らないか聞いてみたようだが、誰も何も聞いていないということで、ますます心配になったらしい。欠席の連絡が無いから余計だろうな。それで、あの時お前がいたことを思い出して、もしかしたら片桐と親しいのかもと思ってな」
再び、城井は言葉を切った。その間に俺は何か言うべきなような気がしたのだが、何も思い付かなかった。
「もし、片桐と連絡が取れるならお願い出来ないかと思ったんだが」
「あ、はい。連絡してみます」
ほとんど反射的に、俺はそう答えていた。
「そうか、助かるよ。連絡付いたら教えてくれ」
ホッとした様子で言い、城井は職員室方向へと歩き去って行った。逆に俺は嫌な緊張感に包まれた。
片桐が六日間の欠席。その内、五日間は無断欠席。そして、家に電話しても誰も出ないという。これらが示すものは何だ?
まさか、自宅で倒れているとかじゃないだろうな。その様子を思わず脳裏に描いてしまい、底冷えした何かが俺のつま先から頭のてっぺんまで瞬時に走り抜けて行ったのを感じた。二連休に浮かれていた気分は何処へやら、俺はさっきまでとは違う理由で足早に昇降口を目指した。そして正門を出てから、だんだんと歩くスピードが速くなって行った。
スタスタと歩いて行った先で、タイミング良く公共のバス停にバスが停車していた。俺にしては非常に珍しく、迷わずバスに乗り込んだ。
一応、バス内を見渡してから、俺は携帯電話を取り出して開いた。開閉ロックを解除する時間も惜しみつつ、新規メール画面を立ち上げる。
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To:片桐綾
Sub:体調
Text:学校休んでるって聞いたんだけど、体調悪いのか?
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片桐にメールを送信し、俺は携帯を閉じた。
落ち着かない気分のまま帰宅し、夕食を食べて部屋に戻ると、片桐からメールの返事が来た。夜十時過ぎだった。
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From:片桐綾
Sub:メールありがとう
Text:こんばんはー!体調はそんなに悪くないんだけど、なんだか行く気がしなくて休んだんだ。心配かけちゃってごめんね。
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文面的には、おかしなところは無い。いつもの片桐のような気がした。それでも俺は何かが引っ掛かっている。
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To:片桐綾
Sub:月曜
Text:担任とかも心配していた。月曜日は来る?
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俺の返信から五分後。携帯電話が音と光でメールの着信を知らせる。
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From:片桐綾
Sub:Re:月曜
Text:どうしようかな…なんだか面倒になっちゃったんだよね。考え中。
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俺はどう返信するか迷った。やはり先日のことが原因なのだろうか。リセットするとは言っていたが、うまくリセット出来なかったのかもしれない。人間は意識だけではどうにもならないこともある。片桐が落ち込んでいたとしても、それは不思議なことでは無かった。
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To:片桐綾
Sub:提案
Text:今、時間があって体調が落ち着いていたら、電話しないか。
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五分後、俺の携帯は音と光を放つ。それは電話の着信を知らせていた。
「もしもし」
「もしもしもしもし」
俺の呼び掛けを二回繰り返した片桐。意外に、その声は明るかった。
「元気そうだな」
「まあまあ元気だよ?」
それでどうしたの? と問いたそうに語尾を上げた片桐に、
「風邪を引いたとかじゃないのか?」
と尋ねると、
「先週の金曜日に、ちょっと熱出たけど治ったから大丈夫」
と、返って来た。
「いつ治った?」
「土曜日」
治ったけれど学校に来ない。土曜日に治ったとするならば、以降、五日間休んでいることになる。これが意味するところは何だ?
「じゃあ、もう具合は良いのか?」
「そんな感じです」
確かに片桐の声は明るいし、無理をしているような雰囲気は感じない。それなのに、俺は何故か何かが引っ掛かったままだ。それが何かと聞かれても、明確に答えることは出来ないのだが。
「月曜日はどうするんだ、学校」
「そうねー……行かないとダメだろうね」
本当は行きたくないと、片桐は暗に告げていた。
「やっぱり、気にしてるのか。この間の」
直球すぎるかと思ったものの、俺は聞かずにはいられなかった。けれど、それを尋ねたところで何が出来るのだろうと、片桐の言葉を待つ僅かな時間の間に俺の脳は自問していた。
「や、正直に言うとね、気にしていないつもりだったんだ。だってあんなの単なる出来事の一つで良くあることだと思ったし。ホント、全然平気のつもりだった」
予想に反して、片桐は
「でも、ダメだったみたい。なんだかグッタリしちゃって。あれぐらいで馬鹿みたいって自分でも思うし、つまんないことしてるなって分かってる。分かってるけど止まっちゃってた」
電話口から小さな溜め息が聞こえた。
思わず俺が口を開き掛けた時、
「あ、悪い。電話中だったんだ」
という見知らぬ男性の声が、カチャンという扉の開くような音の後に携帯の向こう側から届いた。そして再び、カチャンという音。元の静けさを取り戻した、携帯電話の向こう側。
「あれ、今のって誰?」
「えっと……家庭教師」
再度、訪れる静寂。
「あ、あのさ。相模原君、明後日は時間ある? 日曜日だし、どこか出掛けちゃう?」
「いや、暇」
「じゃあ、良かったらなんだけど、お見舞いに来てくれない?」
「お見舞い?」
ついさっき、具合は良くなったと言っていたような気がするのだが。という俺の頭の中を覗いたかのように、片桐が続きの言葉を紡いだ。
「体調は良くなったんだけど、何だかぼんやりしちゃってね。相模原君と話すと楽しくなるかなって。ダメかな」
「俺は凄く楽しい話が出来るとかいうスキルは無いけど、それでも良いなら」
自分でも意外なほどに、即答する俺がそこにいた。
「やった! ダメもとでも言ってみるものだねー!」
ちょっとびっくりするくらい、片桐は声を弾ませて言った。そして、続く言葉の中で都内にある駅名を告げる。
「相模原君の家から遠い?」
「いや、一時間くらいで着くよ。駅から片桐の家は近いのか?」
「あー……えっと、近いよ」
何故か、片桐は僅かに困惑を滲ませながらそう言った。そこに違和感を覚えつつも家の詳しい場所を尋ねると、
「駅に着いたら連絡くれる? そうしたら飛んで行くよ、ビュンビューン!」
「体調は?」
「こんなの仮病みたいなものだから迎えに行くくらい、モーマンタイだよ」
「そうか?」
「そうそう」
「じゃあ何時が良い?」
「お昼の十二時頃希望です」
「分かった」
俺と片桐は日曜日の約束を取り付け、その後は少々の雑談をした。そして夜も遅いということもあって、俺達は電話を終えた。通話時間は三十七分五十九秒、時刻は夜の十一時を過ぎたところだった。
名目としては「お見舞い」に行くわけなので、何かお見舞いの品を持って行った方が良いのだろうかと俺は携帯電話を閉じて考えた。お見舞いと言うと、立派な果物カゴとか立派な花束とかしか浮かばないのだが……何を持って行くのがベストだ? 勿論、やたらと値の張るものは無理だ。
果物カゴって結構高いイメージがあるよなと思いつつ、とりあえず明日行く前にスーパーを見てみるかと考えて、俺は携帯をもう一度開き、乗換案内のサイトへ飛んだ。発着駅を入力しながら、ふと思い出したことがあり、俺の手はピタリと止まった。高校の帰り道、俺と片桐は別々の電車に乗る。俺の電車は上り、片桐の電車は下りだ。都内に出るには上り方面の電車に乗る必要がある。さっき、片桐は俺に都内の駅名を告げた。そこから自宅までは近いという。
片桐の家は二つあるとでも言うのだろうか。湧き上がった疑問が消えることは無かったが、とりあえず俺は明日に備えて乗換案内サイトへの入力を進めて行った。
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