第二章【山頂と山麓】8

「ランチで予約した片桐です」


「お待ちしておりました。お席にご案内致します」


 案内された席は角のボックス席。角の席が落ち着く俺は、ちょっとしたラッキー気分だった。何故、人は角や端が好きなのだろうか。


「はい、メニュー。料理は予約制じゃないんだ。コース料理なら予約出来るんだけど、高校生でコース料理なんてちょっと分不相応な気がして除外したの。異議あり?」


「異議無し」


「良かった!」


 手渡されたメニューの最初のページには、大きくコース料理の案内が掲載されている。次と、その次と、その次のページもコース料理。それらは非常に魅力的なこと限り無しだが、俺は五ページからの単品料理やサラダセットなどを眺めることにした。


 片桐は既に真剣な顔で俺と同じページを見ている。そして、時折メニューの後ろの方をチラチラと確認していた。デザートのケーキなどを見ているのだろうか。


 メニューを開いてから五分程は経っただろうか。俺が顔を上げると、まだ片桐はメニューと格闘していた。そして、さっきよりも一生懸命です、という顔をしていた。


 一口、水を飲む。右に位置する窓から外を眺めると、主に緑や赤といったクリスマスカラーに彩られたいくつもの店が立ち並ぶ様と、真っ白な雪と、コートを着た行き交う人々が見えた。


 ホワイトクリスマスなんて何年ぶりだろうか。先日よりは少ないものの雪が積もったこと自体が奇跡的なのに、加えてクリスマスという日に雪が積もるとは。おそらく夜半から朝方に掛けて舞い降りた雪は、今はもう止んでしまっている。しかし、充分だ。片桐の祈りとやらは、半分くらいは聞き届けられたみたいだな。


「決まった!」


「じゃあ注文するか」


「あ、それ私が押したい」


 店員を呼ぶ為のブザーを渡すと、片桐はすぐさまそれを押した。その指には、桜色のマニキュアが薄く塗られていた。


 そして、やっぱりというか予想通りというか、当然の如くに片桐は非常に良く食べた。しかし、穏やかに流れる水のようなその動作は以前と変わり無くて。それは何処かでテーブルマナーなどを学んだ経験があるのだろうかと思わせる、それほどの流麗さなのだ。


 ハンバーグを切り分ける時にはほとんど音は立てず、銀色のナイフとフォークに軽く添えられた指先が、見る者――つまり俺に優美さを与える。一つの大皿に盛り付けられた二人分のサラダを小皿に取り分ける時も、水の入ったグラスを手に取り口元に運ぶ時も、付け合わせの楕円形をしたニンジンを食べる時も。全ての時において片桐はスマートだった。


「なあ、片桐ってテーブルマナーとか詳しいのか? 習ったとか?」


 食事中のタイミングを見計らって俺が尋ねると、


「習ってないよ? でも知ってると便利そうだよね。憧れはあるよ」


 と、あっけらかんとした様子で片桐は答えた。


「充分知っているように見えるんだよな」


「あら、儲かった」


 そう言って片桐はニッコリと笑って見せた。


 その表情は、まるで小さな子供がガラス玉を拾った時のような純粋な喜びに溢れていて、何と言うか――ひどく、好感が持てた。


 ふと、俺は自分の食べているペンネアラビアータに目を落とした。汚くは無い(と思いたい)が綺麗な食べ方でも無い。そんな気がした。辛過ぎず、しっかりしたトマトの味が口の中に広がるそれはとても美味だった。


 メインの済んだ後は、片桐が待望していたケーキタイム。


 至極真剣にメニューとの戦闘を繰り広げた後、勝者の顔付きで、


「ブッシュ・ド・ノエルと、アールグレイのミルクティー。やっぱりクリスマスと言えば、このケーキだよね」


 と、片桐は告げた。


「ああ、キリストの誕生を祝って暖炉で夜通し火を燃やしたとかいう……」


「凄い! 私は、クリスマスの薪、っていう意味を持つことしか知らなかったよ」


「いや、これくらいはネットで調べればすぐヒットするし凄くも何とも」


「あ、調べたの?」


 正面に座る片桐が、邪気の無い瞳で俺に聞いた。


「軽く。クリスマス、で検索していたら目に付いた」


「意外! 調べたんだね。クリスマスとか、そういうイベント事は割と嫌いそうに見えるから。あ、ケーキ決まった?」


 ああ、と返事をすると、テーブル横を通ったウェイトレスを片桐は呼び止めた。


「ブッシュ・ド・ノエルとアールグレイのミルクティーをお願いします。あと、えっと」


「ブッシュ・ド・ノエルとダージリンのストレートを」


 ウェイトレスは注文を復唱して下がって行った。


「ケーキ、お揃いだね」


「せっかくのクリスマスだし、ブッシュ・ド・ノエルを食べておくかと思って。ああ、そういえばさっきの」


「ん?」


「良く分かったな、俺がイベント事をあまり好きじゃないこと」


 あの時、サラリと言った片桐だったが少しばかり俺は驚いていた。観察眼が鋭いな、と。いや、しかしまさか今日の俺がつまらなさそうに見えたとしたらそれは片桐に失礼だな……。


 などと思考し始めた俺だったが、


「あれは勘よ」


 という、スパリとした片桐の発言に思考は中断された。


「勘? 俺が退屈そうに見えたとかじゃないのか」


「えっ、退屈なの」


「いや、違う。片桐からしたらそう見えたから、俺がクリスマスとかを嫌いそうに思ったのか、ってこと」


「ああ、違う違う。純粋蜂蜜のように純粋な勘だよ」


 退屈。その言葉に驚愕を見せた片桐だったが、続けた俺の言葉に心から安堵したようで、ふわりと笑って見せた。


「何となーくだけどね、相模原君ってイベントとかワイワイ騒ぐとかガヤガヤ集まるとか嫌いそうだなって。嫌いっていうかメンドいって感じかな」


「……本当に良く分かったな」


 非常に俺は驚いている。つい先程、片桐が俺に言った「エスパー?」という問い掛けをそのまま片桐に返したいくらいだ。


「単なる勘だよ。でもね、そんな気がしてたから今日、誘うことを実はちょっと迷ったんだ。と言っても、アールグレイのストレートティーにお砂糖を入れようかやめようか程度の迷いだけど」


 喩えが良く分からない。


「つまり、それくらいの小さな迷いだったってことなのです。伝わりづらいかなー」


 ――やがて、ケーキと紅茶が運ばれて来た。小ぶりのブッシュ・ド・ノエルが二つ、片桐にはアールグレイのミルクティー、俺にはダージリンのストレート。


 少し驚いたのが、紅茶がティーポットで出されたこと。


「珍しいな、ポットで出す店は」


「これなら二杯分はあるよね」


 片桐は慣れた手付きで紅茶を注ぐ。


「では、切望のケーキをいただきます」


 まるでナレーションのように言い、片桐は小さなフォークをサクリとブッシュ・ド・ノエルに入れた。そして、食べる。


 俺も紅茶をカップに注いでから、ブッシュ・ド・ノエルを一口食べてみた。ココアとチョコレートの味が広がる。甘過ぎず苦過ぎず、丁度良い感じだ。俺は、二口目を食べてから紅茶を飲んだ。ケーキの甘さがスッキリとした紅茶の味わいで緩和され、そしてケーキの糖分と紅茶の温かさのせいか、とても落ち着いた気持ちになった。片桐はと言えば、無言でサクサクとブッシュ・ド・ノエルを切り取っては、モクモクと口を動かしている。そして、その合間にミルクティーを飲んでいた。


 そういえば、片桐はミルクティーなんだな、と思う。俺は甘い物を食べる時は甘くない飲み物――紅茶ならストレートティー、他なら緑茶、ほうじ茶、黒豆茶など――が好ましい。甘いケーキを食べて甘い紅茶を飲んだら、体内が糖分尽くしになる気がする。ちょっと想像したら気持ち悪くなってしまった。


 片桐は、まだ沈黙を守ったまま食べ続けている。旨くて夢中になっているのか、マズくて腹立たしくなりつつ無理矢理に食しているのか、考え事でもしているのか……。


 何となく俺も静寂を壊さずに、ケーキを食べては紅茶を味わった。ケーキも旨いが、軽めの良い渋さがある、しっかりした味のダージリンも旨い。最近は紅茶では無くコーヒーを飲むことが多くなっていたので、新鮮に感じた。


「凄く、おいしいね!」


 唐突に片桐が言った。


「おいしさの嵐だね! すっごく夢中だったよ」


 どうやら俺の三つの予想のうち、一つ目が当たったらしい。


「ケーキは幸せの塊なんだよね。出来れば毎日食べたい」


「毎日……?」


 胸焼けしそうな日々だな。


「ケーキ屋さんに行くと、どれを買おうかなって絶対に迷うんだ。私には野望があってね。ここからここまで一個ずつ、って注文してみたいんだ」


 花咲くような笑顔で片桐は言った。よっぽどケーキが好きらしい。

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