第二章【山頂と山麓】7
そして訪れた十二月二十五日、クリスマス当日。片桐綾の誕生日。
「十六歳になっちゃった」
「なっちゃった、って。嫌そうなニュアンスだな」
待ち合わせをした駅前、会って五分程度で片桐はそう言った。
「加齢は恐ろしいよ? 可能性が増えて行くようで、本当は減って行くのだから」
「まあ、そうかもしれないな」
白紙だった未来には、自分の知らない内に日々、色々なことが書き込まれて行く。大人に近付いて行くことで可能性を広げて行っているように見えて、その実、可能性を淘汰されているのかもしれない。
などと思わず真剣に考え始めた俺の思考回路は、
「雪がー降りましたー。でも、ちょっぴり物足りないのよー」
という、片桐の変な歌によって遮断された。
「ちゃんと祈ってから眠ったのにな」
「太平洋側なのに雪が降っただけでも奇跡だと思うぞ」
「それは確かに! でも、私はもっと大量の雪に出会いたかった。そこかしこに、かまくらが作れるくらいの降雪量」
「その降雪量は歩きづらくて困る」
あーあ。という声の後に大きく溜め息をつき、足元に僅かに積もっている雪を、歩きながらパサッと前方へ蹴飛ばした片桐。心なしか俯いているように見えた。その横顔は髪に隠れて見えない。
俺としては大雪にならなくて良かったと思っているのだが、あまりにガッカリしているような気がしたので、何か元気付けることを言おうと思った矢先、
「自然現象にいつまでも落胆していてもダメだよね! 今、考えるべきことはこれから食べるランチのことよ。うん」
と、俺を見上げて、
「ね、楽しみだよね。ドリンクとケーキのセットが無料なんだよ?」
同意を求めるように片桐は俺に尋ねた。
その表情には「期待」という感情が良く表れていて、雪への興味など何処かへ吹き飛んでしまったかのようだった。その様子がおかしくて、俺は少し笑った。
「あら、笑われちゃった。ひょっとして、食いしん坊大魔王とか思われているのかな」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」
片桐の頭の上にはクエスチョンマークが見えた。
「そういえば、前に行ったパンとサラダの食べ放題も割引チケットを持っていたよな」
話題を変えるべく、俺は口を開いた。
「……うん」
何故か返事に間があったような気がしたが、あまり気にすること無く俺は尋ねた。
「そういうのって誰かに貰ったりしてるのか?」
沈黙。どうしてか片桐は黙ってしまった。何かマズいことを聞いただろうか。
「うん。貰った」
さほど沈黙は続くこと無く。しかし、それは強く言い切るような反論を許さないような、そういった語調の片桐の言葉によって崩された。だが、また沈黙。雪道を進み行く二人の足音が、いやに耳に付く。俺は所在無さを感じていた。
そして今度、その沈黙を破ったのは俺の携帯電話の着信音だった。二人の周りだけ、しんと静まり返っていた中、明るく鳴り渡った着信音。
ちょっとは空気を読んでくれ、と心の中で呟いた俺は電話の相手に応対し、
「午後に行きますので、よろしくお願いします」
と告げて、通話を終わらせた。
「え、午後に何処に行くの? 一人で? まさかランチのドリンク&ケーキ無料が目当てで今日来ていて、それを食べたら、はいサラバイっていう予定なの?」
携帯電話を閉じた瞬間、質問責めに合った俺。合わせた片桐の目には、先程までの沈黙など少しも見当たらない。少し、ホッとした。
「俺をどういう奴だと思っているんだよ」
「お金大好き?」
「何で」
「何となく」
――街は、クリスマスの演出に溢れ返っていた。待ち合わせ場所でもあった駅前には大きなクリスマスツリーが二本も
こうして歩いていても、両側に見える店のほとんどがクリスマスに染められていて、赤や緑や銀色のモールでウインドーを飾り付けているところもあれば、小さなクリスマスツリーを入り口近くに配置しているところもある。「クリスマスセール」と書かれたポップは、そこかしこで見られた。街行く人々を含め、街全体がクリスマスに包まれて華やいでいた。
「ね、午後に何処に行くの?」
「あー……あ、あのケーキ屋の外観はオシャレだな」
「超、誤魔化した」
「まあ、見てみろって」
華々しい街の雰囲気とは逆に、片桐の服装は落ち着いたレトロモダンな感じだった。二色の色使いで、わりとシンプルなコートなのだが何故か目を引く。
「あっ、ホントだ可愛い! 屋根の上に煙突があるよ!」
左側を歩く片桐は、そう言って右側の通りにあるケーキ屋の屋根を指差した。俺の前を横切る袖口には、チョコレート色のリボンが蝶結びになって留まっている。
「ケーキって、どうしてあんなにおいしいのかな。幸せの塊だよね。ね?」
「どういうケーキが好きなんだ?」
「全般的に愛してるなあ。チョコレートケーキ、チーズケーキ、レアチーズケーキ。モンブラン、アップルパイ、タルトレット、プリン、焼きプリン。ドーナツも……」
「そうか」
途中からケーキ以外も入って来たが、そんなことよりも放っておくとエンドレスにお菓子やデザートの名前を挙げて行きそうだったので、僅かに言葉が途切れた瞬間を見計らって俺は返事をした。
片桐が挙げた中で、俺は一つ聞き慣れない単語があった。
「タルトレットって何だ? タルトじゃないのか?」
「タルトの小さいものがタルトレットだよ」
後方に流れて行くケーキ屋から首を前方に戻して、片桐は答えた。
よっぽどあの店の外観が気に入ったのか、ケーキが食べたかったのか。俺の予想では後者な気がする。
「もうすぐ着くよ。この通りにあるから」
サービスチケットの裏側にある、簡単な地図を見ながら片桐が言った。
「どんなケーキがあるんだろうね。メインより楽しみだな」
ワクワク。と、頭の上に書かれているかのような片桐。
ザクザクサクサクと雪を踏み、歩きながら、俺は片桐が右手に持つサービスチケットへと視線を向けていた。さっきの片桐の様子が、俺はどうにも気になっている。
――毎日は、楽しいことばかりでは無い。悩みの無い人間がいると言うのなら是が非でもお目に掛かってみたいものだ。どんなに明るく、それこそ三百ワット+αのような光を放つ片桐綾も、例外では無いだろう。当たり前に悩み事や迷い事があるはずだ。知り合って二週間強。その期間の中で片桐と関わっていた時間は少ない。メールは数える程、外出回数は今日を除けば一回で、会話をした時間も短い。
だが人間は、およそ表面に見えているものを、その全てだと認識してしまいがちだ。と、俺は思っている。言い訳なのかもしれないが、そういうわけで俺は片桐の表面しか見ていなかった……のかもしれない。片桐という光源から放たれる光の
「あ、あの赤い屋根のお店がそうだよ。結構広そうだね」
前方に見えて来たレストランを指差し、片桐が言う。
「まさに商売繁盛中って感じだね。でも大丈夫、ちゃんと予約しておいたから。意外に賢いでしょ?」
「意外にって自分で言わなくても」
俺は笑ってしまった。
「それが良く言われるんだよ、ちゃんと考えてる? とか、思い付きだけだと後で困るかもしれないよ、とか。阿呆だと思われているのかと、非常に心外なわけなのですよ」
「片桐は明るいイメージがあるんじゃないのか? それが転じて、ちゃんと考えているのかなと思われたりするとか」
「その通り! 良く分かったね! エスパー?」
「いや、ただの勘」
その勘に対して惜しみ無い賞賛を告げた後、
「あとは、悩みが無さそうとか幸せそうとか良く言われる」
と、肯定も否定も含まない淡々とした語調で片桐は付け足した。
それは、たった今まで俺が考えていたことに非常に近いことだったので、内心でドキリという音がした。
「それも、やっぱり明るいからだろうな。良く笑うしさ」
平静を装って俺がそう言うと、
「私、明るい?」
と、先程の淡々とした調子のまま、片桐が尋ねた。
俺を見上げる黒い瞳がリスのようにまるくなっている。そんな気がした。
「凄く明るいと思う」
「どれくらい?」
「三百ワットくらい」
「それはかなり明るいね!」
先程まで、あっさりとしていた片桐の声に明かりが灯った。
――そこで会話は一時中断、俺たちはカントリー調のレストランの扉を開けた。
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