第二章【山頂と山麓】4

 日々は淡々と過ぎる。そこに何の不満も無い。得てして学生生活とはそんなものだろうと思う。アルバイト禁止で働けないから大きく自由になる金は無いし、一日の大半を学校で過ごすことになっているから自由では無いし、勉学に励むことが専らの課題であり義務であり、摩訶不思議な事象なんて無いに等しい連続した毎日。それは、平和とも言えるのかもしれない。勉強さえしていれば大抵のことは許される。大人になれば、そんなわけにはいかないだろう。やがて訪れる何かを漠然と感じながら、二十四時間という区切りを持つ日常を流されるままに俺は生きている。


 そういえば、有名な覚え方のある、二十三時間五十六分四秒だが、あれは地球の自転周期であって、イコール、一日の長さというわけでは無い。


 などと考えていると、


「なあ、最近あの子良く来るよな」


 と、頭上から声が降って来た。


 それに答えずにいると、


「一年生だよな?」


 と、更に尋ねられたので肯定した。


「どうやって知り合ったんだ?」


「どうって……石を落としたって言うから探してさ」


「石?」


「この間の雪の日に落としたらしくて、雪に手を突っ込んで探してたんだよ。確か、水晶とか言ってたかな」


「それがきっかけで仲良くなったってことか」


「仲良く……?」


 そこで一旦、会話は途切れた。


 俺がこれ幸いと帰り支度の出来た鞄を持って立ち上がると、


「もう付き合ってるのか?」


 と、興味深そうに尋ねられた。


 引いた椅子を入れながら、俺はそれを否定する。


「じゃあ、これからか。高校生といえば恋愛だよな」


「何だそれ」


「高校生の時の恋愛は高校生の時にしか出来ない。だから大切にした方が良い。と、俺は思う」


「そうか。ご高説どうもありがとう。良い冬休みを過ごせよ」


「お前、人の話を聞いてないだろ。絶対」


「じゃあな」


 まだ何か言っている気もする友人を後ろに、俺は教室を出た。


 ――廊下には、壁に寄り掛かりながら携帯をカチカチやっている片桐綾の姿があった。


「校内で携帯はマズいって」


「あ、相模原君」


 顔を上げた片桐は三百ワットくらいの明るい笑顔で。しかし、右手に持った携帯電話を仕舞おうともしない。


「とりあえず、それ仕舞えって。面倒だから」


「面倒?」


「教師に見付かったら面倒だろ」


「確かに。激しく納得!」


 俺は、前にも同じような会話をしたような気がすると思った。


「明日から冬休みですね。超楽しみですね!」


「超、ってほどでも無いかな」


 片桐が携帯電話を鞄に仕舞ったことを確認してから、俺は歩き始めた。その左隣に片桐が並ぶ。


「じゃあ、どれくらい楽しみ? 真夜中に流れ星を期待してワクワクするくらい? それとも、明日は芽が出るかなってアサガオの種が埋まった鉢植えを眺めるくらい?」


「喩えが分かりづらい」


「そう? 分かりやすくしてみたつもりなのに。あ、そういえば私の誕生日はお祝いしてくれる?」


「二十五日だっけ?」


「そうそう、大正解」


「えーと……」


 そうこうしている内に、俺は下駄箱に辿り着いた。


「あ。じゃあ、あとでね」


 一年生の下駄箱は一階にある為、片桐は階段を一段飛ばしで勢い良く下りて行った。あんなに急いで転がり落ちたりしないのだろうか。


 ――明日から冬休みということで、校内は妙に浮き足立っていた。放課後のざわめきはいつもより大きく、ふわふわとした雰囲気が辺りを包んでいる。


 俺はといえば、別に特別嬉しくは無い。とりあえず連休になって良かったくらいの感動だ。ああ、この寒空の下を薄っぺらなコートで行き来する日々が一旦終わることは嬉しいかな。


「やっほー」


 下駄箱を出て外階段を下りたところに片桐が立っていた。そういえば片桐はコートを着ていない。


「なあ、コート着ないの?」


「相模原君は着てるね?」


「高い上にセンスのカケラも無い服だけどな。無いよりはマシだと思った。暖を取るということにおいてだけは」


「ほほー」


 フクロウか? と、瞬時に思ってしまった。


「で、片桐は?」


「私も、高いなーと思ったからっていうのもあるし、可愛くないって思ったのもある。一万円もして、あれは一体何様なんだろうと」


 思わず笑いが生まれた。


「だって一万円だよ? それで素敵センスな服なら良いけど、あれは無いと思うの。パッと見、レインコートみたくない? しかも、色は紺と黒をグルグル混ぜたような……魔女が大きな壷で煮込んだような色。無理」


 その無理な服を着て、今、歩いている俺は何なのだろう。


「そんなわけで購入には至らなかったんだけどね。でも、それ以上に大きな理由があるんだ。あ、そういえばバスが良かった? 公営のバスに乗る?」


 片桐のその言葉で、校内にある通学用のバス乗り場に行くことを互いに提案せず、ここまで歩いて来てしまったことに俺は気が付いた。


「片桐は? バスが良いならそれで良いよ」


「私は歩く方が良いな。バスは百五十円掛かるんだよ? 長距離でも無いし、歩きが良いな」


 同感だ。ということで、俺たちは公営のバス停を素通りし、しばらくは一直線に延び続ける駅への道を歩くことにした。


「さっきの続きは?」


「続き?」


「ほら、コートを買わなかった大きな理由」


「あ。そうそう、そうでした。聞きたい?」


 何故か少し勿体を付けた様子で片桐は尋ねた。


「聞きたい。気になる」


 端的に俺がそう告げると、


「では、お話しましょう。昔々、あるところに一人の女の子がいました。名前は……えーと、名前はカタギリリと言いました」


 いや、待ってくれ。何だそれは。昔話なんか頼んでいないぞ。俺が聞きたいのはコートを買わなかった理由だ。それにカタギリリって何だ。虫の名前か? えーと、って明らかに今、考えているだろう。


「カタギリリは、いつも毎日を楽しく過ごすことを目標にしていました。あ、カタギリリの好物はアイスクリームです。冬でも食べます」


 俺の心情など露ほども知らぬ勢いで、片桐は話を続けた。


 ……カタギリリ、って、まさか「片桐」から考えたのか?


「いつもいつでも明るく楽しく。それをモットーとしているカタギリリにとって、あのコートは激しく論外でした。何故なら、あのような薄暗い、重い空のような色の洋服を身に着けることは、そのままモットーを覆すことに繋がりかねないからです。つまり、明るくも楽しくも無い日々へと転化する可能性が大きかったということなのです」


 ストーリーテラーのような口調で、片桐は物語った。


「そういうわけで、カタギリリは、たとえ冬の寒い空気の中を震えながら歩くことになろうとも、あれには頼らないぞと決意した次第なのです。めでたしめでたし、ハッピーエンド」


 めでたしめでたし……か?


「っていうのは、嘘なんだけど」


「嘘!?」


「いや、ホント」


「……どっちだよ」


 意に反して、わりと大きな声が出てしまった。それだけ、片桐の話を心ならずも俺は真剣に聞いてしまっていたということだろうか。


「ホントだけど、あれは理由の四十パーセント程度かな。それより、カタギリリって響き良くない? 即興だけど気に入っちゃった」


「やっぱり今、考えたのか。カタギリリって何か虫みたいだと思ったけど」


「虫! 何ということを! 虫だって毎日を一生懸命、せっせと生きているのですよ?」


「いや、別に俺は虫を馬鹿にしていないから」


 ……何で俺はこんなことを弁明しなければならないんだ?


「そっか。それなら良いんだ。虫が生きられないところには人間も生きられないと聞くし、だから虫が周りにいることは喜ぶべきことなんだよ? さすがにスズメバチがブンブン大量に飛び回っていたら困るけど。防護服必須だよね」


「蜂蜜はうまいけどな」


 俺がそう言うと、やたらと嬉しそうな声で片桐が答えた。


「蜂蜜は神の味がするよね……! レモンとの相性が抜群でね、レモネードにすると素晴らしくおいしいんだよ」


「ああ、そういえば良く飲んでるよな」


「こういう寒い日に飲むレモネードは、また格別のおいしさなんだよね」


「レモネードって甘いのか?」


 俺が問うと、駅に着くまでの約十分間くらい、レモネードの味や作り方や魅力について片桐は切々と語ってくれた。その間、片桐の目は夢みるように輝いていた。そう見えた。


「あ。お誕生日をお祝いしてくれるならメールしてね。それでは、良い冬休みを」


 蜂蜜やレモネードの話が終わる頃に駅前に着き、そこにあるコンビニでレモネードを買った片桐は、その残りを片手にベンチから立ち上がり、そう言い残して電車に乗って去って行った。


 ちなみに、電車が来るまでの約七分程の間の話は、サンタクロースについてだった。北極に住んでいるのかとか、煙突の無い家にもプレゼントは配られるのかとか、子供にしかプレゼントは配られないというけれど、そもそも子供の定義って何? とか、そういうことを約四百二十秒間、ペラペラと話したり尋ねたりしていった。その片桐がいなくなると、急に世界が静かになったような気がした。


 サンタクロース。確かに、あの存在については誰しも一度は考えたことがあるかもしれない。サンタクロースは一人しかいないのか、たった一人で一夜にして世界中の子供たちにプレゼントを配れるのか、どうしてサンタクロースは子供のほしいものが分かるのか、サンタクロースは何処にいるのか、どうしてソリに乗っているのか……考え始めるとキリが無い。色々な角度から考えてみて、サンタクロースという存在はいないのかもしれないが、いるのかもしれない。


 物事を断定するには、客観的かつ信憑性に足る証明材料が必要だ。今のところ、俺の知る限りではあるが「サンタクロースはいない」と証明した奴はいない。ゆえに、サンタクロースはいないとは言い切れない。というのが俺の持論だ。


 ……何故、俺はそんなことをこんなにも真剣に考えているのだろう。いつもと同じように電車の中で後方へと流れ行く景色を見ながら、俺の頭は、ふと現実に戻された。


 そういえば、片桐の誕生日は今月の二十五日、つまりクリスマスだと記憶している。俺にサンタクロースについての話題を振り、サンタクロースがイメージさせるもの、すなわちクリスマスイヴやクリスマスを連想させ、更に自分の誕生日を思い起こさせようという片桐の作戦なのだろうかという邪推が一瞬、頭に浮かび上がったが、泡がはじけるようにすぐに消えた。片桐は、そういう計算の元に話をするようなタイプでは無い。と、思う。


 年内最後の登校日、普段と変わり無く定期券を改札機に通しながら、俺は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る