第二章 婦婦(ふふ)の生活
婦婦(ふふ)の生活
築十五年ほどのマンション。
3LDKの部屋。
マンションらしく全く同じ部屋が何百もあるうちのひとつ。
「ただいまー!」
「ああお帰り」
そこに甲高さと言うより爽やかさを感じるような声が入り込んで来る。同居人の声と共に入って来た女性は荷物を床に降ろし、靴を脱ぎながら洗面台へと向かう。
「しっかしずいぶんと化粧するねー」
「それはあなたが使わなすぎなだけじゃないの。って言うかもっと使うべきだよ、一体誰のお金で買ってるって言うの」
「お前はいっつも真面目だな、あたしがお前のために買ってやってるってのに」
半袖のTシャツ一枚とジーパン、下にはコスト重視のスポーツブラとパンティ。それで平然と通勤するような彼女は、手を洗い終わるやすぐに風呂を沸かした。
「薫ももう少しおしゃれした方がいいんじゃない」
「それはお前の役目だろ。っつーか飲めよ静香」
風呂が沸くまでの間とばかりに、薫と呼ばれた女性は缶入りの飲み物を同居人に渡す。元々は漆黒だったはずの髪は汗にまみれたせいかやや茶髪じみており、それが却って勲章のように彼女の体を彩っていた。
一方で静香は帰宅してどれだけ経っているのかわからないが未だにパンツスーツであり、ルームウェアに着替える事さえしていない。
そんな彼女の性格を慮るかのように、缶に入っているのはアルコールではなくスポーツドリンクだった。静香はありがとうと言いながら缶に口を付け、ゆっくりと運ぶ。
「お前、ずいぶんと妥協してくれるじゃねえか」
「人を何だと思ってるのよ」
文面だけ見るとずいぶんな話にも見えなくはないが、静香からしてみればふざけ半分だった。その事が言える程度には、二人は仲良しだったのだ。
「そんで晩飯は」
「クリームシチュー。薫がお風呂入ってる間に作るから」
「サンキュー、缶ジュースを小四までコップに空けて飲んでた静香」
薫も軽口で返しながら、風呂場へと向かう。
あっという間に風呂が沸くからいいよなと言う理由で薫が購入したこのマンションに、二人が一緒に暮らすようになってもう三年が経つ。
その間この家を含め重大な買い物をして来たのは薫で、静香はほとんどそれに付いて行くような存在だった。そのくせ静香の方ばかり着飾り、薫は先ほど以上の格好をしようとしない。二年前にもらった指輪を含め、静香の私服は薫の十倍近い値段がある。
薫はすごい、何度もそう思いながら静香は鍋を回す。市販品のルーと野菜、それから鶏肉が鍋の中で共演しているのを眺めながら、なぜか薫の事ばかり頭に浮かぶ。
本当なら、同じ女同士として一緒に入浴もしてみたい。でもあまり強引なのはよろしくないし、それ以上に自分の身のほどと言うのがある。
(誰のおかげで暮らせてるんだとか押し付けるのは悪だけど、相手の事を尊重しないのは問題だよね……婦婦関係にもよくないし)
その手の論旨を撥ね付けるために作られたこの町で、「婦婦」お互いに尊重し合うのは当然の事だった。
二人の女性たちが同じ部屋で同居し、戸籍も同一にし、共同生活を行う。この図式がいつからできたのかはわからない。わかるのは自然とそういう関係が出来上がるようになり、その形で発展していると言う事だけだ。
そしていつの間にか片方が外で仕事をし、片方がうちに籠って家事をするようになるのもまたしかりだった。もちろん静香も立派な勤め人であり立派な収入源ではあったが、その額は薫の半分以下だった。無論額と関係なくきっちり貯金し共同生活を送るまでそれなりに蓄えもあったが、今思うと何とも貧相な家に住んでいたなと思い知らされる。
自分なりに必死に学問も積み、会社にも受かった。その過程で出会ったたくましそうな薫に魅かれ、あっという間にこの関係になった。自分のために相当に金をかけていたはずの親は微妙な表情をしていたが、それでも自分としては満足だった。
「♪~~」
風呂場からDKまで聞こえて来る歌声。自分は聞いた事もなかったような歌も同居生活で覚えた。親や同僚にその事を言った時には少しだけ眉をひそめそうになる人間もいたが、それでも皆すぐさま受け入れてくれた。
薫と言う存在と共にいると、不思議なほど安心できる。もちろん金銭的な面もあるが、それ以上に強くて頼りになるパートナーの存在がありがたかった。
そんな彼女のために、静香は小皿にシチューを掬い、口に付ける。全てが終わったのを確認し、ようやくスーツを脱いだ。
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