間章 『動き出したもう一つの運命』(side.風晴陽葵)



 気がついた時には、私は……風晴かぜはれ陽葵ひまりは、学校中の廊下をあてもなく駆け回っていた。


 剣悟けんごくんを保健室まで運んだことは覚えている。けど、その前後の記憶が覚束おぼつかない。

 とにかく必死で、全力で、死に物狂いで…………自分が何のために走っているのかさえ忘れてしまいそうになるぐらい、無我夢中で走っていたのだ。



 何のために……?

 ……そうだ、私は剣悟くんのために走っているんだ。

 教室で血を流し倒れていた剣悟くんを見つけて、早く処置しないといけないと思って、それで走っていたんだと思う。

 けど、私は彼を無事保健室まで運ぶことができたはずだ。後のことは、きっと保健室の先生が何とかしてくれる。


 じゃあ、今私は何のために……?

 胸の内に渦巻くのは、怒り。ただ、"許せない"という一点の感情。それは、誰に向けられた怒りか……そうだ、剣悟くんをあんな目に遭わせた人に、だ。

 何があったのかは知らない。どんな事情を剣悟くんが抱えていたのかは分からない。……でも、だからこそ知らなければならない。剣悟くんが血を流して倒れなければならない理由が、そこにあったのかを。それは、理不尽な傷つけ合いではなかったのかを。


 どうして、私がそこまで……?

 私は、剣悟くんにとっての何者でもない。ただのクラスメイトという関係。それなのに……この突き動かされるような焦燥しょうそうは何なんだろう? こんなにも胸がザワザワして、苦しいのは何故だろう?


 ……いや、今はそんなことどうでもいい。

 保健室で剣悟くんのそばにいる、という選択肢もあったかもしれない。……ただ、じっとしていられなかった。このまま剣悟くんが苦しんでいるのを、黙って見過ごしたくない。その一心で、私は今、走っているのだ。



「はぁっ、はぁっ…………ぅわあああもぉ!! もう訳分かんなぁぁぁい!!!」



 ムシャクシャした気持ちを叫びに乗せながら、多分もう通ったであろう西棟の階段を、全速力で駆け上がる。電気代節約のために校舎内の電気はほとんど消されていて、今は片付け中の野球部らを照らすグラウンドのライトだけしか明かりがない。毎度、暗い沼に足を突っ込むみたいな緊迫感に冷や汗を垂らしながら、それでも私は階段を登る足を止めなかった。



 歌河うたがわ 針月しづき

 剣悟くんに危害を加えた人物は、彼で間違いないと思う。剣悟くんに届いた手紙は彼から宛てられたものだったし、その時の剣悟くんの深刻そうな表情も、事態の重さを物語っていた。



 ……剣悟くんを救えなかった。

 私は以前、彼に救われた。自分自身の感情と向き合う機会を与えてもらって、悩みから解放された。だからこそ、今度は私が彼のことを助けたい! そう思っていたのだ。

 ……でも、遅かった。私の預かり知らぬ所で、剣悟くんはボロボロになってしまっていた。歌河って人が本当に犯人だとしたら、私はそれを許せないだろう。でも、それと同じくらい……いや、それ以上に。私は、剣悟くんを助けてあげられなかった私自身を、許せずにいた。


 剣悟くんが倒れた今、動けるのは私だけ……なんて、大層な話ではないけど。でも、彼が成し得なかったことを、私が代わりにやるぐらいのことは出来るかもしれない。だから、私が何とかする。救えなかった分を、取り返したいのだ。そのために私は、歌河って人を取っ捕まえて、そして…………


 そして…………



「…………私にできることって、何……?」



 廊下の突き当たりで、はたと足を止め、気づく。


 私には、何の力もない。


 歌河を捕まえて、その後私はどうするつもりだった?

 剣悟くんがやられた分だけ、ボコボコに殴り返す?

 悪いことはしちゃ駄目だと、言葉巧みに説き伏せる?

 剣悟くんのところに連れていって、二人を仲直りさせる?


 ……それは、本当に私にできること?



 そもそも、歌河が今どこに居るかさえ分かっていない現状。どこを探すのか、探してどうするのか。そのプランさえ立てないまま、私は校舎内をぐるぐると巡り巡っていただけなんじゃないのか?


 力も、知恵もないくせに。

 何かを成そうとして、空回りして。

 ……私は剣悟くんと違って、ただの無力な存在だというのに。


「…………っ……」


 

 気づいたら、目尻にいっぱいの涙が溜まっていた。顔の真ん中に熱が込もって、お腹とか胸が苦しくて、辛い。階段の手すりを掴みながら、フラフラとした足どりでゆっくりと階段を下る私は、さながら魂の抜けた人形のようだった。触れたくても触れられない、何の質量も持たない、空虚な亡霊のように。



 私は、皆を元気づけるムードメーカーだと思っていた。

 自分で言うな、って怒られちゃうかもだけど……でも、ありのまま、お調子者っぽい感じで皆と接しているうちは、皆が笑顔でいてくれる。それが、皆を元気にすることなのだと、そう思っていた。

 

 でも……剣悟くんは、どうだっただろう?


 転校生だったこともあってか、緊張してあまり自分からはしゃべらない。いつも大人しくて、真面目。でも、心理学が大好きで、その話になると途端に饒舌じょうぜつになる。そして、いざという時にはその知識を生かして、私や、皆を正しい方向に導いてくれる。そんな、芯のある一面も持っていた彼。


 ……彼は、私と一緒にいて元気を貰えていただろうか?

 剣悟くんが笑っているところ、あまり見たことがない気がする。そりゃあ、クラスメイトとして一緒にいた期間がそもそも短い訳だから、仕方ないけど。

 実は、私の知らない所でずっと人助けに奔走して、色んなものを抱えながら突っ走っていたのかもしれない。立派な心理学者になるという夢を叶えるために、他の何にも興味を持たずに努力をしているのかもしれない。はたまた、そのどちらでもないかもしれない。


 …………あぁ、そうか。


 …………私って。



「私、剣悟くんのこと、何も知らなかったんだ……」



 階段を降りきった所で、溜まっていた涙が溢れ出した。ポタポタと、あの時見た血の跡みたいに、涙の粒が廊下に模様を描く。グラウンド側から射す光がそれをキラキラと輝かせていたのも束の間……グラウンドのライトは、完全下校時刻のチャイムと共に、あっけなく消されてしまった。職員室と、一部の教室の明かり。そして、非常口の明かりだけが残された暗闇の中で、行く先を見失った私は、一人立ち尽くす。


「っ……情けないなぁ。 私……」



 しゃくりあげるように泣きながら、とぼとぼと歩くことしか出来なかった。光のない道を、壁に手を沿わせながら進んでいく。それが、今の私の精一杯だった。


 悔しい。


 こんなんじゃ、剣悟くんから受けた恩を一パーセントさえも返せない。


 私、どうすれば…………




 そんな、真っ暗な世界を彷徨さまよう中。



「……あれ…………?」



 私の瞳に、小さな小さな光が映った。

 それは、グラウンドからの明かりでも、職員室の明かりでも、教室の明かりでもない。非常口の明かりでもない。それよりももっと小さくて、淡くて、どこか温かみを感じるオレンジの光だった。


「…………」


 光に吸い寄せられる虫のように、私はヨロヨロと歩いていく。そこは、一階フロアにあるどこかの教室だった。でも、どこか様子がおかしい。机や椅子は乱雑に散らされ、閉め切られているはずの窓ガラスから強く風が吹き込んでいる。そして、床に残る微かな血痕を見た時、私はそこが、剣悟くんの倒れていたあの教室だということに気がついた。


 あの時は剣悟くんを運び出すのに必死で、教室の様子なんて見ていなかった。けど、今はその中で微かな光を発している謎の物体が、嫌でも目に入る。おもちゃのライトや光の反射なんかじゃない。ガラスの破片に混じって転がるオレンジの結晶みたいなものが、ちらちらと豆電球みたいな光を発しているのだ。


「これ、って……」


 先端が欠けてしまっているそれを、私が拾い上げたその時だった。




 パタ、パタ……と、遠くの方で音がした。


 誰か来る。

 しかも、一人じゃない。

 完全下校時刻を過ぎた今、ここを訪れるとしたら、それは……


「っ……!」


 嫌な予感がした私は、音を殺して教室を飛び出した。グレースケールのような暗がりの中、廊下を出て、咄嗟とっさに隣のスペースに向かい、ロープをくぐってドアの向こうへと転がり込んだ。ほどなくして、集団の声がすぐ近くから聞こえてくる。


「はぁ……花壇荒らしの次は暴力事件とか、もう勘弁して欲しいですよ……」


「あぁ……面倒なヤツばっかだな、ウチの生徒は。 ま、去年の事件みたいな大事にならんと良いが」


「で、僕らはその教室の掃除ですか。 はぁ、また残業かぁ……」


「空き教室だっただけマシですよ。 じゃ、ガラス片から片付けてしまいましょう」


 ……やっぱり、先生たちだ。生徒らを皆帰宅させてから、この荒れた教室を片付けるつもりだったらしい。電気のついた教室内の様子が、廊下の窓に反射して映し出される。人数は……三人か。とりあえず、見つからずに済んで良かったと、私は扉の陰に隠れながらホッと胸を撫で下ろし、静かに扉を閉めた。



「……あれ、そういえばココって…………」



 安堵した所で、自分が今いる場所のことを思い出す。空き教室の隣……ここは確か、お化けが出ると噂の『開かずの倉庫』だったはずだ。さっきくぐり抜けたロープも、"立ち入り禁止"を示すものだったに違いない。ホッとしたのも束の間、また不安と心細さが私を襲う。

 どうしよう……今手元には明かりも何もない。こんなことなら、教室に置いてきた鞄を……少なくともスマホぐらいは持ってきておくべきだった。


「あ……そういえば、さっきの……」


 ふと思い出し、握りしめたままだった手をそっと開く。オレンジの結晶は、さっき見たときと同じように、淡く綺麗な輝きを灯したままだった。 ……けど、これはライト代わりになりそうもない。暗すぎるし、何よりろうそくの明かりみたいで、逆に不気味さを増幅させている。かと言って、今外に出れば先生たちに見つかるかもしれない。……ここで、じっとしているしかないのか。



 ───カタンッ


「ひっ……!?」


 音がして、思わず悲鳴をあげそうになってしまう。口を押さえながら辺りを見回すも、暗すぎてよく見えない。というか、怖くてあまり周囲を注視したくない。

 まさか、本当にお化け……? それとも、動物? 虫? 他に人がいる? 色々な可能性が頭をぐるぐると渦巻くたび、私から冷静さが奪われていく。


 その時だった。


 バッ、と私の目の前に大きな影が現れ出る。結晶の光の下に入り込むように現れたそれを見た瞬間、本当に私の心臓は止まりかけた。幸い声は上げなかったけど、ビックリして尻餅をついてしまう。絶体絶命……もうお化けに襲われる! と、パニックになりかけた私の膝に、影の正体が現れた。



「……………………え?」



 ───それは、見たことのない、ちみっちゃいぬいぐるみのような物体。

 私と同じ顔をした、得体の知れないデフォルメキャラだった。



「な、に……これ…………」



 東洋の踊り子さんみたいな、紫の綺麗なドレスを身に纏う、私そっくりの子。でも、人形や赤ん坊とかいう訳でもない。まさに、私の等身をギュッと縮めたデフォルメイラストのような見た目、という説明が一番しっくり来る。ただ、どことなく痩せこけている気がしないでもない。

 見た目の愛らしさからか、恐怖心はちょっと和らいだけど、理解は全く追いつかなかった。



 これって、夢……? それとも、幻覚……?

 そうでなきゃ、こんな意味の分からない生物がこんな所に存在してるなんて、説明がつかない。それに、私の顔によく似てるのも謎だ。

 一体、この子は…………


「…………」


 恐る恐る、手を差し出してみる。何故、そうしてみる気になったのかは、自分でも分からない。ただ何となく、手を伸ばしたい気持ちになったのだ。




 私の目を見て、コクリとうなずくその子。

 次の瞬間、その子はピョコンと軽快に私の手に飛び乗った。



 ───刹那。


 ───私の頭の中に超特急で情報が流れ込む。


 体育館裏に呼び出された記憶。そこで、剣悟くんと言い争いをする光景。光が私の体を包む。 

 真っ暗闇の中で、私が暴れている。目の前には剣悟くんと、知らない女の子が立っている。その隣には、剣悟くんに似たデフォルメの子もいる。その子は私に剣を構えて、私と戦っていて。剣悟くんは、真剣な眼差しで私に何かを訴えかけている。


 


『───人間には、心があるんだ。 風晴かぜはれさんの喜びも、怒りも、悲しみも……全部、風晴かぜはれさんのものだ。 我慢しなきゃいけない感情なんて存在しない。 ましてや、それがニセモノな訳がない』


 

『───常に笑顔でいなきゃいけないなんて、誰が決めたの? 怒っちゃ駄目とか、泣いちゃ駄目とか、そういうのって何のためのルールなの? ……自分の感情を押し殺すことは、自分を自分で傷つけてるのと同じだよ』



『───君は、君なんだ! 君の思いも、心も、感情も、全部君だけのものだ! だから───僕が、君の本当の笑顔を取り戻してみせる!!」





「あ、あ……………………」



 それは、抜け落ちていた記憶。

 忘れちゃダメなほど大事なはずだった、剣悟くんとの思い出。

 まるで、白黒写真が鮮やかな色を得るように。じんわりと、記憶の彩が広がっていく。



「……あなた、は…………」



 そっと、呟く。オレンジ色の結晶は、さっきよりも光を強めていた。その輝きが照らす先には、私の顔をしたデフォルメ人形。



 ……いや、違う。


 この子は、私。 私の、心…………




「───わたしの……精神スピリット……?」





つづく





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