第二章⑫『霧破る梓巫女の如く』
「う、んん…………」
白んでいた景色に色が浮き出るみたいに、意識がぼんやりと戻ってくる。
前に風晴さんの『
『───おや、今回はお早いお目覚めだね』
「……ハナ、コ…………?」
まだぼんやりしている脳に、いつも通りの声が響く。動きをふと止めて、僕は、いままでの記憶を整理した。
「そうだ……僕は深層世界で、
『……その様子だと、そっちも上手くいったみたいだね。 私も、
優しい声音で言われ、僕は初めて"成功"という二文字を実感した。この短い時間の中で色々なことがありすぎて、正直混乱しかけていたけど、でも……成功したんだ。二人のこと、ちゃんと救えたんだ……! その事実が、今までの苦痛を全て浄化してくれるようだった。
『でも、まだ後始末が残っているよ。 ほら、いつまでも夢枕に浸ってないで起きろ』
「ふぇ……夢、枕…………?」
言われて、ふと気づく。そういえば僕、どこで気を失ってたんだろ……? 顔に枕みたいなものの感触があるし、きっと保健室のベッドに倒れて、そのまま寝てしまったとかで…………
「…………ん?」
寝起きだった頭が急に冴えて、ハッとする。
……この展開、前にもあったような。
自分が仰向けになっていることは分かるけれど、何か違和感が拭えない。背中側はベッドだけど、その上に何かが乗っかっているような感じだ。顔に乗っかる感触……枕にしては、柔らかすぎるような気がする。それに、日射しの温かさとは違う、やわらかな温もりが身体全体を包んでいる。あと、さっきからめっちゃ良い匂いが……
「っ……!?」
バッ!! と、腕に力を込め、僕に覆い被さっているであろう何かを避けながら上半身を起こす。すると、目の前には案の定とでも言うべき光景が広がっていた。
───僕の隣に、ほんのりと顔を
しかも、胸元は上着がはだけてブラウス一枚。
しかも、さっきまで密着していたせいかほんのりと汗ばんでいて、中に来ている黄色いブラジャーらしきものが微かに見えてしまっている。
しかも、目線を下にずらすと、微妙に絡み合った足先と、軽く捲れたスカート、そしてブラジャーとセットの色まで目に入り……
「───うわあああああぁぁぁぁあああああぁぁぁ!!!!!?!!?!?」
これ以上を認識するよりも前に、身体が反射的にベッドから飛び退いていた。そのまま床にビターン! と尻餅をついてしまうも、その時の痛みよりも焦りの方が勝っていた。
「何っ、何でまたっ!? なんでまた同じ状況っ!?」
そう、この光景は二度目だった。
前に
『はぁ……落ち着きなよ童貞』
「ど、童貞は関係ないだろ!! というか、何でもっと早く起こしてくれなかったのっ!? ああなる前に!!」
『あー……残念だけど、それは不可能なんだ』
え……? と冷や水を浴びたように声が止まる。
『深層世界へのダイブは即ち、その人の心に入り込むということだ。
「は? いや、普通に脳でしょ? もしくは、身体と環境にまたがったシステムって解釈も……」
『…………そうだった。 君はそういうヤツだったな』
呆れた様子を隠そうともせず、ハナコは言う。
『心というのは、人間の中心。 心臓にあるというのが、王道の通説だろう? 少なくとも、
「と、いいますと…………」
『『イドア』に飛び込んだ段階で、君は意識を失うと同時に対象者の胸に密着するような格好になる。 聴診器で心音を確認しながら治療をしているのと同じだ。 つまり、避けられない』
「マジかぁぁぁ…………」
言うのが遅すぎる!! 時すでに遅しな衝撃的事実を突きつけられ、僕はその場にうずくまった。要するに、これから『
というかハナコ、この事を知ってた癖に今までからかってたの? この前はド直球に"
『それは、君の反応がウブすぎて目も当てられないからだろう』
心の中のセリフにまで、ド直球のツッコミ。前に風晴さんから言われた、「
「……あれ? そういえば僕、何で梓内さんの方に……その……くっついてたの? 僕は霧谷さんの方に行って、ハナコが梓内さんの方に行ったんじゃ……」
『ん? あぁ、それは
ほら、君は風晴さんの
言われて、僕はベッドからくるりと首を回転させて入り口側を見た。するとそこには、気を失って床に倒れる霧谷さんと、その上に覆い被さるようにして眠っている風晴さんの姿があった。最初、風晴さんはベッドに寝かせていたはずだから、移動してきたのだろう。よく見てみると、確かに彼女の頭は、霧谷さんの胸の辺りに埋まるように位置していた。
…………というか、風晴さんの下敷きになっている霧谷さんの方は、さっきの梓内さんと同じく、汗でほんのりとブラウスが透けている。中の灰色っぽいのは、ブラジャーなのか、シャツなのか……。そしてスカートの方も、風晴さんの手が引っかかって大胆に捲れている。真っ白なその太ももの先には、先ほどと同じ灰色っぽい色のパンツがチラリと…………
「…………ってまたか!!!!」
慌てて首をブンブンと振りながら、向かい側のベッドにあったタオルケットを投げつける。風晴さんの頭まですっぽりと覆ってしまったものの、見えてはいけない部分についてはしっかり隠れた。
『いいのかい? もう少し堪能しなくて。 今ここには君以外誰にも居ない……絶好の機会だよ?』
「いや、悪魔の囁きやめて! ……というか、どのみちハナコが見てるんだからダメでしょ!」
『……私が見ていなかったら良い、と?』
「あ、いや、そういうことじゃ……!
…………とにかく、折角『
「心の傷って……?」
「いやだから、三人が寝てるのを良いことに、あんなことやこんなことを……………………って」
思考とともに声が止まる。
何の気なく会話してたつもりだったけど、今の声……確かに脳内ではなく、直接耳に聞こえてきた。
「か…………風晴、さん……?」
「ん? あぁ、おはよぉ剣悟くん。 なーんか変な姿勢で寝てたからか首が痛いんだよねー、あ痛たたた……」
そこには、目を覚まして僕を見上げる風晴さんの姿があった。僕が投げつけたタオルケットを頭に引っかけたまま、床に手をつき女の子座りをする彼女。まるで、アニメに出てくる
「も、もう平気なの?」
「ほぇ? あぁー……まぁ、首痛い以外は大丈夫なんだけど……。 ……というか私、そもそも何ゆえ気ぃ失っちゃったんだっけ? んむむ……何かこう、重大事件みたいなのがあったはずなのに思い出せない……」
「あ、いや! 何もない! 何もないから! 無理して思い出そうとしなくて大丈夫だよ! ね!」
風晴さんの
「あーっ! 思い出した!!」
「え!? もう!?」
「私、剣悟くん達を教室に連れ戻すってミッション
「あ、なんだそっちか…………」
「そうそう! もう一時間目の授業も終わっちゃってますのよ~?
……でも、
お調子者スイッチを不意に切って、霧谷さんの顔を覗き込む風晴さん。霧谷さんがパニック
『……大丈夫。 二人とも、身体にはもう何の問題もない。 じきに目を覚ますはずだ』
ハナコが言う。僕も少し心配していたのだが、ハナコの見立てなら間違いないだろう。僕は、細く変形する
と、
「───私は、もう大丈夫だよ」
その声は、右隣から聞こえてきた。僕と風晴さんが同時に振り向く。保健室の窓から射し込む光で一瞬目が
「凛桜ちゃん……!」
「
微笑む梓内さんは、いつも通りといった様子だった。
「ん、んん……? ここ、は……私……」
「あ、椿ちゃん……!」
時を同じくして、床に倒れていた霧谷さんも目を開けた。すぐに風晴さんが駆け寄るが、霧谷さんは事態を飲み込めていない様子で、
「椿ちゃん……もう大丈夫そ? 気持ち悪いとか、頭痛いとか……」
「あ……風晴さん。 ……はい、今は平気です。 すみません、ご心配をおかけしてしまって」
「そんなのいいんだよ! 椿ちゃんが大丈夫なら、それで充分だから!」
ギュッと、霧谷さんの手を取って微笑む風晴さん。彼女の肩に乗る
その時、ふと霧谷さんと目があった。彼女は、僕の姿を見た途端、ふっと顔を
「
「えっ……?」
いきなりお礼を言われ、今度は僕の方が戸惑ってしまう。なんで急に……もしかして、深層世界での記憶が残ってたとか? いや、でもそれは
「あっ……と、突然すみません! その……ここまで送り届けていただいたことへの感謝も、勿論あるんですけど、その……。 ……何だか、どこかで藤鳥くんに助けられたような気がして……」
「あ……それ、私もかも!」
ベッドから足を下ろして座り直した梓内さんが、霧谷さんと僕を交互に見ながら言った。
「私も、夢の中で剣悟くんに……というか、剣悟くんみたいな誰かに、救ってもらったみたいな感じがしてるの。 だから、私からもお礼、言わせて」
霧谷さんと、梓内さん。二人から真っ直ぐに見つめられ、お礼まで言われてしまった。当然、
「うーん、何かよく分かんないけど、まぁ良い雰囲気だし、ヨシ! ……って、言いたい所なのだがねぇ」
頬をポリポリと掻きながら、風晴さんがきまり悪そうな顔で言った。
「これ……二時間目の後半に差し掛かっちゃってるヤツだねぇ……」
と、風晴さんはポケットから取り出したスマホの画面を皆に見せる。大きく表示されていたのは、家で飼っているのであろう白いマルチーズの写真。そして、その上部には大きく、十時四十分の表記が。
「……っ!? そんな、二時間も無断欠席してしまったなんて!? い、今すぐ戻らないと……!」
「あ、ちょっと待って……!」
真っ先に顔を蒼くして立ち上がろうとした霧谷さんを、梓内さんが呼び止める。僕と風晴さんも、不意にかけられた声で動きを止めていた。
「折角だし……このまま二時間目の終わりまで、皆で一緒にサボっちゃわない?」
「凛桜ちゃん……?」
「な、何を言い出すんですか!? 学級委員として、私はっ……!」
「……あのね。 ここに居る三人に、話したいことがあるの」
ヒュウ、と風が吹き抜ける。梓内さんの目は、日の光を背にしていながらもなお、真っ直ぐに輝きを宿していた。
***
「───では、一度目の花壇荒らしは、梓内さん自身が……」
「それに、凛桜ちゃんが『
梓内さんは、自分が『
風晴さんも霧谷さんも、真剣な表情で聞いていた。僕は、『
「……私はっ!」
と、風晴さんがおもむろに立ち上がる。
「私は……凛桜ちゃんのこと、許すよ! そりゃ、花壇の件は悪いことだと思うけど、凛桜ちゃん反省してるし……。 それに、紫陽さんだって、その……悪い人じゃないと思うから!」
まぁ、逢って話したこと無いんだけど……と付け加え、風晴さんは頭を掻いて笑う。
「……とにかく、話してくれてありがとう。 私、凛桜ちゃんがちゃんと皆に謝れるように、色々協力するよ! ドーンと私に任せんしゃい!」
「陽葵ちゃん……ありがとね」
微笑む梓内さん。そこにはもう、彼女を苦しめるわだかまりは残っていないように見えた。
彼女のもう一人の人格……紫陽さんは、出てきそうになかった。いつ出てくるかは分からない。もしかしたら、もう二度と会えないのかもしれない。けど……きっと凛桜さんと紫陽さんの間では、互いが納得できる答えを見つけられたんだと思う。ハナコが手助けしてくれたんだから、きっと大丈夫だろう。僕は、彼女たちを信じることにした。
「……そういうことだから、霧谷さん。 私のこと、生徒会に連れていっ」
「───ごめんなさいっ!」
梓内さんの声を遮るようにして、霧谷さんは声を張った。唐突な謝罪の言葉に、風晴さんと梓内さんはピクッ、と肩を震わす。
「……私も、皆さんに伝えなければならないことが……いえ、
「ざ、懺悔……?」
「……凛桜さんに罪を犯させたのは、私の言葉でした。 私は、花壇の管理責任を梓内さんに押し付け、追い込んでしまった……悪いのは私です」
「そんなっ! 霧谷さんは、学級委員として私に注意してくれただけでしょ? 何も気にすることなんて……!」
チラ、と霧谷さんの
霧谷さんの心の治療は済んでいる。でも、問題が全て解決した訳じゃない。霧谷さんの
「私……ほ、本当は、自分に自信が持てない弱虫なんです……。 それでいて、周りの人には厳しく接してしまって、それで自己嫌悪に
「霧谷さん……」
キュッ、と僕の
「あー……椿ちゃん、いつも教室で一人の時とか声上げてるもんねぇ……」
「私も……実は見たことあるんだ。 だから、余計に心配で……」
「「……………………え?」」
僕と霧谷さんの声がシンクロする。どこからともなく発射された豆鉄砲が、僕らの
「な、え……どうして、そのことを……」
「いやぁ、まぁ……一部の人の間じゃ、割と有名な話だし? あんまり本人に直接言っちゃうとアレだから、皆そっとしてる、的な……あはは……」
「……………………えええええええええ!!?」
過去一番の叫びが、保健室一帯に響き渡る。
……いや、霧谷さんだけじゃなく、僕もだいぶ驚いていた。昨日の放課後、僕が偶然目にした霧谷さんの裏の姿。僕は、それを自分しか知らないものだとばかり思い込んでいた。でも、どうやらクラスメイトの一部は、霧谷さんのそのキャラを知っていたらしい。それを知らなかったのは、周りにそれがバレていないと信じていた霧谷さんと、転校したてで何も知らない僕だけだったのだ。
「そ、そんな……私、全部知られて……さ、最悪です……皆にバレていた上に気を遣わせていたなんてしかもそれに気づかず学級委員として皆さんに厳しいことばかり言って……あぁ……」
「ま、まぁまぁ! むしろそのギャップが良い! って、一部では人気なんだよ? ね?」
「ものすごく複雑なのですが!!」
荒れた様子の霧谷さん。しかし、最初の頃と違って、
「でもまぁ、椿ちゃんが自分から話してくれて良かったよ! これからは、あんまり自分ばっかりで抱え込まなくていーからね?」
「私も、霧谷さんの……ううん、椿ちゃんの味方だよっ!」
「風晴さん、梓内さん…………ありがとうございます」
風晴さん、霧谷さん、梓内さんの
うん……これで大丈夫。後は、彼女たちが自分自身の力でやっていけるはずだ。僕は、彼女たちを影でそっと応援する立場として……
「そ、れ、にぃ……私たちには、め~っちゃ心強い味方がいるもんね~?」
「……え?」
風晴さんが、意味ありげに僕の方へ視線を送る。気づくと、霧谷さんや梓内さんまでもが、期待の込もった眼差しで僕のことを見つめていた。
「その……これから先、梓内さんの処遇についての決定や、花壇事件の
「それに、椿ちゃんのことも……生徒会から怒られちゃうかもしれないし、事件の後始末を全部椿ちゃんに任せることになっちゃうかもだから……。 だから、剣悟くんに助けてもらえたらな、って」
霧谷さんと梓内さんが、互いに目を見合わせる。不安を
「あ、いやそんな……僕はそんな大したヤツじゃ……」
「またまたぁ~! 私たち三人分のお悩み解決しちゃってるクセに、よく言うよ~!
……大丈夫だって。 私たち、剣悟くんのこと信頼してるからさ」
風晴さんの言葉を聞いた霧谷さんと梓内さんが、その場に座ったまま、僕に向かって手を差しのべた。同時に、心の輪を作っていた彼女らの
……僕のことを、輪に入れてくれようとしていたのだ。
「お願いです。 力を貸して下さい、藤鳥くん」
「もちろん、無理にとは言わないよ。 けど……今の私たちには、剣悟くんの協力が必要なの。 だから、お願い……!」
『───さぁ、どうする? ……って言っても、もう心は決まってるようだけど』
長らく黙っていたハナコが、急に茶々を入れてきた。……けどハナコの言う通り、僕の決意は固まっている。
誰かを助けるための力が自分にあって、そして自分を必要としてくれる人たちが居る。……こんなの、断る訳ないじゃないか!
「……うん。 僕で良ければ、喜ん
────ピーン、ポーン、パーン、ポーン
『はーい、二時間目が終わって呑気に
──────ゾクリ、と悪寒が走った。
繋ぎかけた手を三人とも引っ込めて、その場にいた四人全員が目を見開く。
希望を、文字通り鈍器で叩き潰されるかのような恐怖感が、僕たちの身体を縛っていた。
『今日は皆さんに、大切なお知らせがあります。 ……あー、サルじゃないんだから話の途中でキーキー喋ってないで最後まで聞いてね。
今日はなんと───前から何度も起きてた、"花壇荒らし事件"の犯人を、ここで発表しちゃいたいと思いまーす』
「なっ……!!?」
思い描いていた最悪が、最悪の形で実現しかけていた。
「ちょっ、剣悟くん! どこ行くの!?」
『おい待て、どうするつもりだ!?』
風晴さんとハナコが止めようとするが構わない。
僕は、どこにあるかもよく知らない放送室に向かって走っていた。絶対、言わせちゃいけない……その一心で、ただがむしゃらに、走り続けた。
『ま、もしかしたら薄々勘づいてるヤツもいるだろうけどね。 じゃあ早速暴露しちゃおっかな』
「やめろっ……やめろ、歌河ぁ!」
不適で嫌な笑い声が、マイクを通して学校中に響く。
『学校中を賑わせた花壇荒らし。
「やめろおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!」
『───
「…………………………え?」
その瞬間、
長きに渡って続いた、花壇荒らし騒動。
その最後は、"容疑者"歌河針月の大々的な自白という、誰もが予想しえない形での幕引きとなったのだった。
第二章 完
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