第二章⑨『覆す切り札』


 歌河うたがわの策略によって、事態は最低最悪の状況におちいっていた。


 ストレスの原因であるストレッサー……それが"黒い霧"となり、霧谷きりやさんと梓内あずさうちさん、二人の精神騎スピリットから放出され続けている。歌河の暴言……彼女らを深く傷つける"毒"の攻撃により、心が壊されてしまったのだ。



『心の壁が消え、その深層心理をあらわにした状態……それが、"心を開く"ということだ』


 

『そして、開かれた心への入り口を『イドア』と呼ぶ。 イドアを越え、彼女の深層心理に巣食う闇の根源を断ち切って初めて、彼女は元の心を取り戻せるんだ』



 ……前に、ハナコからそう教えてもらった。

 深層世界……すなわち、その人の精神世界に向かい、元凶であるストレスに対処することで『心此処に在らずメランコリック』は治療できる。そして、その深層世界に向かうためには、その人と心を通わせ、相手に"心の扉を開いて"もらう必要があるのだ。


 でも、歌河は『イドア』を……心の扉を開くなんてことをしなかった。心を壊し、扉としての機能そのものさえ壊す形で、深層世界から"黒い霧"を暴発させたのだ。


「……『クライドア』」


 破壊によって開け放たれた心の扉を、歌河はそう呼んだ。今、霧谷さんと梓内さんの精神騎スピリットには、ブラックホールのような渦が出来ている。まるで、地獄の門が開かれたかのような絶望感が、僕と僕の精神騎スピリットを襲っていた。



「『クライドア』から放出された霧は、いずれ精神騎スピリットそのものを包み込み、制御不能な怪物に変える。 そうすれば、宿主は心を失って、晴れて『心此処に在らず《メランコリック》』の仲間入りって訳だ。

 ……ちょうど、こないだの風晴かぜはれとかいうヤツみたいにね」


「っ……やっぱりお前の仕業だったのか!」


「まぁね。 ……でもアイツ、見かけによらずタフだったというか、『クライドア』を出現させるには至らなかったんだ。 だから失敗した。

 ……ま、心に傷を負ったから、"黒い霧"を吐き出させるには充分だったんだけどね」


「お前は……お前はどこまでっ……!」


 倒れ伏し、起き上がることさえ出来なかったはずの僕の身体に、再び力が込もる。目の前で、自分以外の誰かが傷つけられたのが許せなかったのだ。

 ……分かってる。今さら、ヤツと張り合うつもりはない。今は、"放心状態"にある霧谷さんと梓内さんを何とかするのが先決だ。

 でも……


「理解してると思うけど、君がどちらか片方の深層世界に飛び込んだら、もう片方は放置されることになる。 君が治療を終えた頃には、黒い霧による侵食は完了してるだろうね。 『心此処に在らずメランコリック』の完遂は避けられない。

……そうなったら最後、君はソイツを救えない」


「…………っ」


「シンプルに言おうか。

……君は"どっちかを見捨てなきゃいけない"んだ。 誰かを救うために、誰かを見殺しにする。 ……良いねぇ、それこそ本当のヒーローの真髄って感じだと思わない?」


 歌河は、どこまでも愉快そうに笑っていた。さんざん傷つけられた僕の心は、その痛みを憎悪に変える。

 ……許せない。今僕は、歌河を心から殺したいとさえ思っていた。それが伝播したのか、僕の精神騎スピリットも目の色を変え、怪しげに揺らめく赤い炎を燃やしていた。



「……僕は」


 ようやく、立ち上がることができた。憎しみと怒りを力に変え、震える身体を無理やり持ち上げる。……それでも、僕はその負の感情を歌河にそのままぶつけるような真似はしたくなかった。


「僕は……見捨てたりなんかしない」


「は?」


「霧谷さんも、梓内さんも……二人とも! 絶対に救ってみせる!」


「…………」


 ヘラヘラと乾いた笑みを浮かべていた歌河の顔が、一瞬ストンとその表情を失った。


「お前は……言葉は"毒"と同じだと言った。 "人殺しの道具だ"と言った。

 ……でも違う。 言葉は、人を救うためにも存在する。 誰かを傷つけるためじゃない……仮に傷つけたとして、それを癒すための"薬"にだってなる。 ……僕は、そのために言葉を使う」


「気持ち悪……比喩表現多過ぎて分かんないから。 そんなビジネス本みたいなウザい台詞で、何を決意しようっての?」


 ビュウ、と一際強い風が窓から吹き込んだ。僕と歌河の視界が、なびいたレースカーテンで遮られる。

 風音に合わせ、細く息を吐き出す。そして、僕は目を見開いて叫んだ。



「僕は誰も見捨てない! 霧谷さんも、梓内さんも……他に悩み苦しんでる全ての人も、みんな救ってみせる!



───そして証明するんだ! みんなが、心から幸せになれる世界を作れるんだって!!」



『……っ!』



 静寂が、異質な状況の保健室を包み込む。

 互いの精神騎スピリットが、バチバチと文字通り火花を散らしている。


 一歩も譲らない、意地の張り合い。ともすれば、再び精神騎決闘スピリットバトルが始まるかもしれない。もしそうなれば、間違いなく疲労困憊の僕が先に白旗を上げることとなるだろう。でも……だとしても、ここは引けなかった。

 静かに睨み合っていた僕らだったが、やがて、歌河が「はぁ……」と小さく息をついた。


「……だから嫌いなんだよ」


 ほとんど聞こえないぐらいの小声で、そう呟かれた気がした。「えっ……?」と僕が聞き返すよりも前に、歌河は死んだような目で僕を睨みながら言った。


「……勝手にすれば? 君がどういう理想を描いて、どういう結末を成し遂げようとしてるのかは知らないけど……せいぜい、足掻いて絶望すれば良い。 幸せなんてないんだって」


 また、毒針の猛襲が来る……! そう思って身構えたが、ヤツの精神騎スピリットは杖を構えただけで、攻撃はしてこなかった。そして、歌河がクルリと背を向けたと同時、ヒョコッとヤツの肩に飛び乗る。


「はぁ……久しぶりに人と話して疲れちゃった。 じゃ、後は頑張ってね。 君がこのゲームをどうやってクリアするのか、楽しみにしてるよ」



 パタン、と。まるでお手洗いにでも行くかのような自然さで、ヤツは保健室を後にした。再び、辺りは静けさに包まれる。今しがた精神騎スピリット達による激戦が繰り広げられたなんて、信じられないほどに。



「…………」


僕の精神騎スピリットの足元に、謎の細い糸が落ちていた。……"緊張の糸"、だろうか。フッと、肩の力が抜けたような感覚に見舞われた僕は、そのまま、ぐわりと歪む視界に合わせてその場に倒れ込んだ。



…………



……



『───剣悟けんごくん』



 失いかけた意識の中に、声が響く。

 久しく聞こえていなかったその声に、 安堵のような、不信のような、複雑な感情が宿る。



『───すまない。 ……こんな言葉、もう何の意味もないかもしれないけど……』


「…………」


 ハナコの声は、震えていた。それが悲しみによるものなのか、怒りなのか、それとも恐怖なのか……それは、僕には分からなかった。


『私は……何も出来なかった。 歌河に良いように言われて、傷つく君たちを目の前にしながら、ただそれを黙って見ているだけだった。

……見殺しにしていたのは、私の方だ』


「ハナコ…………」


『……いくら非難してくれても構わない。 蔑んで、見放して……もう私の言葉を聞いてくれなかったとしても、それでも良い』


 沈んだ声のハナコに、どんな言葉をかければ良いか分からず、押し黙ってしまう。荒み、乾ききってしまった今の僕では、気の利いた言葉を返せない。……というか、そんなことを考える余裕さえ、正直なかった。



歌河うたがわ針月しづき……彼のことは知っている。

……でも、その情報を君に話すことは、今はまだできない』


 震えた声のまま、ハナコは言う。


『話してしまえば、君はもう後戻りできなくなる。 "人助け"なんていう、生暖かい世界じゃない……もっと深く根を張る事件に、君を巻き込んでしまうことになる。 だから……今はまだ、言えないんだ』


 脳内に響く声しか情報がない中で、ハナコの表情を読み取ることは出来ない。……だが、僕はこと時なんとなく、ハナコが泣いているのではないかと感じていた。


『勝手なことばかり言っているのは、分かってる……。 それに今、結果的にこうして君を巻き込んでしまっているというのに……本当に、ごめん』


 でも……と、彼女は言葉を続ける。


『最後に一つだけ頼みたい。 私の一生のお願いを……君にしか頼めない願いを、どうか聞いて欲しい。 どうか───』




「───『二人のことを救って欲しい』、でしょ?」


 

『っ……!?』


 倒れ伏していた頭を、気力で持ち上げる。ハナコの言葉を聞く中で、自分が本来やるべきことを思い出したというか……気力が僅かに戻ってきたのだ。


『本当に、良いのか……? しかし、君はもう満身創痍で……』


「……でも、まだ心は死んでない。 僕には、精神騎スピリットを扱う力が……霧谷さんや梓内さんを救うための力がある。 ……今はそれで充分だよ」


 目の前には、大きな二つのブラックホールが未だ渦巻いている。それを真っ直ぐに見つめながら、僕はそう言った。


 身体へのダメージはない。しかし、精神騎スピリットの方はというと、身体全体が痛々しいほど傷だらけだった。しかもその一ヶ所一ヶ所が毒に侵されていて、そのせいで身体がぶるぶると震えている。

 ……でも、霧谷さんや梓内さんの精神騎スピリットは、今もなお放出する黒い霧に蝕まれ、苦しんでいる。彼女らの精神騎スピリットに比べれば、僕の方のダメージは浅い。……だったら、今僕にできることは、一つしかない。それを、ただ実行するだけだ。



「……でも、一つだけ約束して」


『え……?』 


「ハナコの知ってること……いつか全部話すって」


『っ……』


 ハナコが息を飲んだのが、分かった気がした。同期した心を通じて、ハナコの声だけでなく、他の色んな感情まで読み取れるようになってきた……のかもしれない。


「今はまだ話せないなら、それで構わない。 ……ただ、これだけは言っておくけど。


───僕は、この学校のみんなの心を救いたいと思ってる。 それは、ハナコのことだって例外じゃない。 君が苦しんだり、悲しんだりするのを見過ごすことなんて、僕には出来ないからさ」



 雲の隙間から漏れ出た光が、窓から差し込む。その光を背中に受けながら、僕はゆっくりと膝をついて立ち上がった。


「……だから、頑張るよ。

 ハナコが、安心して僕に悩みを話してくれるようになるまで。 歌河のことなんて怖くないぐらい、強くなって。

 そして……君のこともちゃんと救ってみせる」



『っ……ありがとう、剣悟くん……!』


 

 僕の精神騎スピリットが、赤く燃え上がる。さっきまで毒に見舞われ、恐怖と憎悪、絶望といった負の感情でいっぱいになっていた僕の心。しかし今は、歌河の思い通りにはさせないという決意と、ハナコを助けたいという想いで満ち溢れている。その熱意は、怪しく変色しかけていた精神騎スピリットの炎を、真紅しんくに変えた。


 もう、迷わない。

 精神騎スピリットが掲げた炎の剣が、その誓いを胸に焼き付けた。



***



「…………まぁ正直、どうすれば良いのか全然分かんないけど……」



 ただ、真面目な雰囲気で威勢を保つのは、これが限界だった。

 はぁ……とため息交じりの言葉を吐くと共に、また全身の力が抜けそうになる。気をしっかり保てたまでは良いが、状況が好転したわけでは一切ない。



『あぁ……ハッキリ言って、最悪の状況だ。

 "クライドア"は、謂わばスペースコロニーに空いた穴。 生命活動に必要な"空気"がどんどん放出され、心が"真空状態"になる。 ……一刻も早く修復しなければ、取り返しのつかないことになる』


「……でも、僕の精神騎スピリットは一体しかいない。 どちらかの深層世界に行けば、その間もう片方の"黒い霧"の侵食が進む……」


『そうだね。 ……深層世界に精神騎スピリットを向かわせている間、君は意識を失ってしまう。 加えて、彼女たちは"クライドア"によって心を壊されているからね。 以前の風晴かぜはれさんの時以上に、治療には時間がかかるはずだ』


 思わず、顔をしかめる。精神騎スピリットも、ガンガンガン! と激しく警鐘を鳴らしていた。何か手はないか……もし、僕の精神騎スピリット以外にも、一緒に動いてくれる精神騎スピリットがいたら、すぐ解決できるんだけど…………



「…………あの、さ」


 ふと、口を開く。


「ハナコの精神騎スピリットって、そういえば見たことない気がするんだけど……僕と一緒に戦ってくれたりとかって、出来たりする?」


 それは、ハナコと初めて会った時から抱いていた疑念。開かずの倉庫で出会った時から、僕は彼女の精神騎スピリットを見ていないのだ。もし、ハナコの精神騎スピリットが協力してくれたら……と、そんな希望的観測を持って尋ねてみたのである。

 でも、口にした直後に僕は「しまった」と思った。今しがたハナコに、「今はまだ話せないなら、それで構わない」と言ったばかりじゃないか……。それなのに、こんな探りを入れるような質問をしてしまった。きっと、何か言いづらい事情があるだろうに……


『……申し訳ないんだが、それは出来ない』


 随分と間を置いてからだが、ハナコは答えてくれた。しかし、その返答の理由は予想だにしていなかったものだった。




『───私には、精神騎スピリットが存在しないんだ』



「え……?」


 思わず声を上げる。まだ見せられないとか、協力はできないとか、そういう理由ではなく……"存在しない"? それは、今までハナコから聞いてきた精神騎スピリットについての存在証明を、根底から覆すものだった。


「ちょ……ちょっと待ってよ! 全ての人間には精神騎スピリットが宿っているって、君が教えてくれたじゃないか! なのに……!」


『すまない……そこから先は、まだ』


「あっ……」


 ……「まだ、言えない」。

 そういう意図を含んだ謝罪であったかのように感じた。そう来られると、僕もこれ以上聞けなくなる。ただ、僕の心にはモヤモヤとした謎が残されていた。


『私に出来るのは、心を繋いだ君をこうして監視し、助言をすることだけだ。 それから、君の精神騎スピリットは私と同期している。 だから一応、半強制的な精神騎スピリットの支配……一種のマインドコントロールによる戦闘補助のようなことも、出来なくはない」


「そんなことも出来たの……」


 だが、とハナコは言葉を遮る。


『……それはあくまで、君の精神騎スピリットありきの話だ。 ……私が単独で行動することは出来ない』


「そっか……でも、それじゃあ一体どうすれば……」


 落胆して、その場に座り込む。目の前には、依然として意識を失ったままの二人の姿があった。早くなんとかしてあげなきゃ……そう思ってはいるものの、手立てがない。悩めば悩むほど、虚しく時間だけが過ぎていく。ハナコもお手上げ状態ともなれば、もう無理なのだろうか…………。



……そう思っていた時だった。




 ───コンコン。



「……え?」


 保健室の扉がノックされる。

 あまりに突然の来客に驚いたためか、精神騎スピリットがボールみたいにバウンドした。

 保健室を利用しに来た生徒だろうか? それとも、保健室の草影くさかげ先生が戻ってきた……? と、あたふたしていると、扉の向こうから声がかけられた。



『……あの、すみません。 一年二組の風晴かぜはれです』


「風晴、さん?」


 声の主は、僕のクラスメイトの風晴さんだった。意外なその正体に、僕は思わず声を返してしまう。


『あ……その声、剣悟くん? 入ってもいい?』


 案の定、風晴さんは僕の返事を待たずに扉を開けた。窓から吹き込んだそよ風が、綺麗な金色の髪を揺らす。彼女は、今まで僕らを蝕んでいた重苦しい空気など露知らず、いつも通りの口調で、


「いやぁ、剣悟クン達あんまりにも遅いから~? 先生から「呼んでこい!」っつって頼まれちゃってさ~。 んまぁ、私も合法的に授業抜け出せれるから、ある意味ラッキーかな~みたい……な………………」



 そこで初めて、風晴さんは保健室内の状況を見渡した。


「あ……」


「……え?」


 保健室には意識を失ったままの二人。膝から下をだらんと垂らすようにして、ベッドと垂直に仰向けになる梓内さん。そして、入り口近くの書類の棚に凭れかかるような形で座り込む霧谷さん。更には、奥の方で壁に背を預けながら座り込む僕もそこに加わる。


 ……ある意味、異質すぎる状況。

 当然、風晴さんもすぐにそれを飲み込めるはずがなく、


「え、と……これ、どういうシチュエーション? 椿つばきちゃんだけじゃなくて、凛桜りおにゃんも倒れてるけど……なにこれ?」


「あの、違うんだよ風晴さん。 今これは、その、複雑な事情があって……」


 風晴さんの精神騎スピリットも、あたふたと慌てる素振りを見せていた。


「…………念のため、本当に念のために聞くけど。

……剣悟くんが、無人の保健室に女子二人連れ込んで、それで魔が差した的なことじゃない、よね……?」


「違う!!! 本当にそれだけは違うから!!! 信じて!!!」


 歌河との精神騎決闘スピリットバトルで消耗しきっていたはずの僕から、大一番の声が出る。本当に違う……本当に違うのに、この状況を的確に説明できない! 誤魔化そうにも、条件が悪すぎる! かなり絶体絶命のピンチに陥っていたことに、僕はこの時初めて気づいたのだった。


「いや、まぁ……剣悟くんがそんなことするはずないだろうな、ってのは分かるよ? 分かるんだけど……。 えと、そしたら何で凛桜にゃんはベッドで倒れてらっしゃるの……?」


「あ、えっと……それは……」


 目を回して狼狽える僕と、頭を白く変色させて動揺する僕の精神騎スピリット。最悪すぎる……二人の『心此処に在らずメランコリック』治療をどうするかも解決してないのに、風晴さんから誤解されて……。歌河から受けたダメージだって癒えてないというのに、踏んだり蹴ったりすぎる……。「えっと」「その」という場繋ぎ表現を繰り返しながら、僕はこの最低最悪の状況に、完全に意気消沈してしまっていた。



 ───しかし、ハナコはどうやら違う考えだったらしく、



『…………いや、むしろチャンスかもしれない』


『え……?』



 思いがけない言葉に、また声を出しそうになる僕。どういう意味? と聞くよりも前に、ハナコはまくし立てるように僕へ説明してきた。


『剣悟くん。 ……今から少しだけ、君の精神騎スピリットに介入する。 もし上手くいけば、霧谷さんと梓内さんの二人を救えるかもしれない』


『どういう事? 一体、何企んで……』


『いいから! ……今は、私のことを信じて協力して欲しい。 頼む』


 いきなり選択を迫られ、焦る僕。目の前には、心配そうな顔で僕を見つめる風晴さん。そして、意識を失った二人。……この最低最悪の状況を覆す切り札が、本当にあるというのだろうか?

 にわかには信じられないけど……でも、あの自信に満ち溢れたハナコの語気。それは、何となく信じられるような気がした。精神騎スピリットのことについては、ハナコが一番詳しい。その彼女がここまで言うのだ。こういう時のハナコは凄く信頼できるのだということを、僕はよく知っている。



『……分かった。 お願いね』


『っ! ……ありがとう。 あとは任せてくれ』


 ふぅ……と息を吐き出す。背中を預けるように脱力し、意識をハナコに託す。すると、今までなかったはずの気力が、どこかから湧いてくるような感覚がした。

 まるで、頭にポンポンとアイデアが浮かんでくるような、心の奥から行動のエンジンがかかるような、そんな感覚。完全な意識の自動制御……とかいうものでは無いんだろうけど、それでもすごい。僕の精神騎スピリットも、いつもとは違う黄色のオーラみたいなものに包まれている。


「……風晴さん」


 僕はそのまま、ハナコが心に浮かべた言葉や行動をトレースするように動き始めた。


「ぅえ……な、何?」


「ごめん……驚かせちゃって。 実は今、霧谷さんと梓内さんは、とっても危険な状態なんだ」


「そう、なんだ……。 ……え、いやてか、何か剣悟くん、さっきとちょっと雰囲気違くない?」


 たじろぐ風晴さん。僕は構わず言葉を続ける。


「二人のことを助けたい。 ……そのために、君の力を貸して欲しい」


「わ、私の……?」


「そう、風晴さんの力を」


 真っ直ぐ目を見つめて、言う。


「あ、えっと……そりゃまあ! 私が二人を助けるヒーロー! ってカッコつけられるんなら、そりゃもう万々歳で立候補しちゃいますですよー!

 ……それで、具体的にはどう」




「───風晴さん。 君の心が欲しい。


 ……君の全てを、僕に委ねてくれないかな」



「はぇ………っ!?」


 風晴さんの裏返った声が、室内に響く。


「……前に君のこと助けた時から、僕は君の心に惹かれてた。 君はすごく魅力的で、皆を癒す力がある。 僕は君が欲しいんだ」


「なっ、あ、いやいやいやいや待って待って待って!! どうしちゃったの剣悟くん!? いや、その、そんな風に言って貰えるのはめちゃめちゃのめちゃ嬉しいんだけど……っていうか、剣悟くん彼女いるって前言ってなかったっけ!? それで私が欲しいとかっ、え、一体な……」




 風晴さんの言葉は、そこで止まる。



 ───彼女が紡ごうとした言葉が、僕の唇によって遮られたのだ。



「ん……んんっ!!?!?」


 目を見開く風晴さんと、そっと瞳を閉じたままの僕。二人の唇は淡く重なり、呼吸も、心も、一つに混ざり合っていくように溶けてゆく。


「んぅ……っぷは、はぁっ……」


 長いようで、一瞬でしかなかった時間。唇の呪縛を解かれた風晴さんは、目をパチクリさせながら上気した顔を此方にむける。彼女の精神騎スピリットは……いや、風晴さん自身も、頭から煙を出してほぼ放心状態になっていた。



「あぅ……あ、え……けぇご、く……ぅ……」


「……もう一度、お願いさせて。 

 ───風晴さんの心が欲しいんだ。 君のその真っ直ぐで綺麗な心で、皆や、僕のことを救って欲しい。 ……お願い」


「……は、はひ……………………」




 その返答が最後だった。


 顔を真っ赤に染め上げた風晴さんは、そのまま蒸気を全部吹き出すようにして身体のバランスを失った。すんでの所で受け止めたが、熱を帯びた彼女はほとんど気を失い、放心状態になっている。

 てんやわんやだった状態から、またしても保健室に静寂が戻った。そこには、新たに気を失った人物が一人増えていた。



……………………



…………



…………って。




「───何やってんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!?!!?!!?!?」



 またしても今日一を更新した僕の断末魔が、保健室……いや、校舎全体に届きそうなレベルで響き渡るのだった。



つづく

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