第二章⑤『交錯』


「私と一緒に、突き止めてください。 花壇を荒らした張本人……犯人の所在を」


 真っ直ぐに僕を見つめて、そう言い放つ霧谷きりやさん。それは、お説教でも注意喚起でもなく、純粋な一つの"お願い"だった。

 どこからともなく豆鉄砲を食らい、僕の精神騎スピリットがよろめいている。が、なんとか立て直してくれたのを横目に見届けてから、僕は霧谷きりやさんに尋ねた。


「犯人の所在、って……つまり、犯人探しを手伝えって事?」


「手伝え……あ、そうですね……今の私の言い方だと、上から目線な感じと受け取られても仕方ないですよね。 やっぱり私、普段からそういう高圧的な態度しか取れない嫌な人間で……」


「あ、いや、違う違う、そういうつもりで言ったんじゃなくて。 ……てか、話進まないからいちいちヘラるの止めて」


「ごめんなさい……すぐヘラってごめんなさい……」


「それで!! 犯人探しの件について聞きたいんだけど!!」


 強引に話を元に戻す。霧谷きりやさんの精神騎スピリットは、少しずつ鎧のパーツを手にとっては、着込んでいくのを繰り返している。ネガティブモードに入っていたさっきと比べると、割と落ち着いてはきてるみたいだけど……まだ完全復活とはいかない様子だ。戦ってもないのに疲弊気味な僕の精神騎スピリットを少し心配しつつも、霧谷きりやさんとの会話に集中する。


「その、どうして僕なの……? 生徒会や学級委員、先生たちだって動いてるはずなのに……」


 犯人を探したいという目的は、お互いに一致している。だから、霧谷きりやさんの提案は、僕からしてみれば願ったり叶ったりなんだけど……。でもどう考えたって、僕より適任がいっぱいいるはずだ。そう言おうとする僕より先に、霧谷さんが口を開く。


「前回と同じやり方で調査をしても、意味がありません。 何か、新しい視点が必要なんです」


「新しい、視点……?」


「えぇ。 貴方には、卓越した心理学についての知識がある。 私自身は、心理学については疎いのですが、以前本を読んでいて……犯罪心理学? というような分野があることを知りました。 そういった知識を、藤鳥ふじとりくんも持っているのではないか、と」


 霧谷きりやさんは続ける。


「以前、風晴かぜはれさんとの騒動があった際、藤鳥ふじとりくんはその心理学知識を活用し、問題を解決に導いてくれました。 ……貴方なら、私たちとは別の観点から問題解決の糸口を探ってくれるかもしれない。 そう考えたんです」


 なるほど……なんとなくだけど、霧谷きりやさんの意図が少し見えてきた気がする。

 霧谷きりやさんは、僕が心理学に詳しいことに目をつけ、その知識を欲しているのだ。目的は勿論、花壇を荒らした犯人を見つけること。だからこそ、ギャラリーが大勢いる花壇近くから、わざわざ僕を空き教室へと誘導し、秘密裏に話をする必要があった訳だ。


「今日のボランティアに、藤鳥ふじとりくんが参加してくれていたのを見て、思ったんです。 ……もしかすると藤鳥ふじとりくんも、今回の件に関心を持ってくれているのではないかと。 それで、迷惑をかけることは重々承知の上で、こうしてお願いすることにしたんです」


「そう、だったんだ……」


「はい。 こんな形で協力を要請することになってしまったのは、申し訳なかったですけど……」


「あぁ……それはまぁ、僕も悪いし……」


 霧谷きりやさんは元々、ボランティア活動の途中で僕に声をかけるつもりだった、って事か。で、そのタイミングで僕があの事故を起こしてしまって、話がややこしくなったと……。不慮の事故とはいえ、間接的に彼女にも迷惑をかけてしまったことは、反省しなきゃだな……。



「……生徒会は、事態を重く見ています」


 急に、霧谷きりやさんの声のトーンが下がった。ピンと伸ばした左腕の肘あたりを、右手で押さえるような格好で佇む彼女。その右手で、しきりに袖を握っては離してを繰り返す仕草は、彼女が内に抱える不安を物語っているようだった。


「一度ならず二度までも、こうした悪質な行為が行われたこと。 それは、生徒の安心・安全な学生生活がおびやかされていることを意味しています。 生徒会や学級委員には、そういった問題に対処し、生徒が安心して学校に通える環境を整える責務があります。 しかし……私たちは今、その責務を果たせていません」



『───気をつけろ。 僅かだが……彼女の精神騎スピリットから、以前と同じような"黒い霧"の放出が見られる』


『……えっ!?』


 ハナコの声で"黒い霧"というワードが聞こえた瞬間、僕の身体は凍てついたかのように硬直した。霧谷きりやさんの声と被ったせいで若干反応が遅れたが、恐らく聞き間違いではないだろう。恐ろしく嫌な予感が、僕の脳裏を駆ける。



「花壇の管理は、一年生の環境委員と学級委員を中心に行われることになっているのですが……今回の件を受けて、その任は解除されることになりました。 ……今回起きた事件の収集をつけることが、私たちの最後の仕事なんです」


「……でも、それは霧谷きりやさん一人で抱え込まなきゃいけないような責任じゃないんじゃ……」


 うつむく素振りで誤魔化しながら、霧谷きりやさんの精神騎スピリットを確認する。頭部と、そしてお腹の部分にのみ鎧を着けた彼女の精神騎スピリットは、足を小さく震わせていることを除けば、いつもと変わらない様子でしゃんと立っているように見える。が、よくよく目を凝らして見ると、その周囲は確かに黒く霞んでいるような感じがした。……風晴かぜはれさんの時に見た霧と同じだ。



「……藤鳥ふじとりくんは、あの花壇が何故作られたか知っていますか?」


「へ……?」


 予想しなかったタイミングでの質問に、拍子抜けした声を挙げてしまう。


「……一年前、この学校の生徒一人が屋上から飛び降り自殺を図り、そのまま亡くなってしまったんだそうです」


「じ、自殺っ……!?」


「えぇ。 いじめ等が原因ではない、とは聞いていますが、結局原因は不明のまま。 それ以来、この学校の生徒指導の体制は厳しくなり、生徒会や規則もより一層厳しくなりました。 同時に、亡くなったその生徒をとむらう目的で、事故現場だったあの場所に、花壇が作られたんです」


「…………」


 ……知らなかった。この学校で、そんな痛ましい事件があったなんて……。なぜあの花壇が、昇降口の南側という見にくい位置にあるのかずっと疑問だったけど、今の話で合点がいった。


 同時に、その花壇が荒らされることが何を意味しているのか。その責任の重さがどれほどのものなのかも、理解できてしまう。精神騎スピリットの肌が、みるみるうちにあわで包まれていく様子が、視界の端に映った。


「生徒会も、先生たちも、皆怒っています。 それは、犯人に対してだけでなく、管理責任を果たせなかった一年生に対しても、です」


「でも……だからって霧谷さんだけが責められる筋合いなんか……っ!」


「大事な花壇をめちゃくちゃにされておいて、犯人の手がかりも掴めないどころか、対抗策も講じることさえできなかったんですよ……? 非難されて当然です」


「っ……!」


「……だからこそ、私はこの責務を果たさなければいけないんです。 たとえ、私にそんな力が備わっていなかったとしても。 藤鳥ふじとりくんの手をわずらわせる形になったとしても。 ……自分の責任を、自分で全うするために」

 

 

 そうか……霧谷きりやさんは、花壇事件で焦燥しょうそうする生徒会や先生からかけられるプレッシャーに、押し潰されそうになっていたんだ。

 ウチの生徒会が、やたら規則やら何やら厳しい体質なのは知っている。その理由も、今さっき霧谷きりやさん本人の口から明かされた。過去にそうした痛ましい事件があったことで、"二度と悲劇を繰り返さないように"と、集団全体の判断がより極端な方向に傾いているのだろう。そうした集団思考のかたよりを『リスキーシフト』と呼ぶんだけど……言い換えればそれは、現代でよく言われる"同調圧力"が高まることに他ならない。


(事件のことなんて何も知らずに入学してきた僕たち一年生は、その圧力に飲み込まれた一方的な"被害者"じゃないか! その責任を、霧谷きりやさん一人が抱え込む必要なんてないのに……!)


 恐らく、さっきの生徒会からの発言は、関係する複数の一年生らに向けてのものだったのだろう。それでも、霧谷きりやさんはそれを"自分の責任だ"と言い張っている。多分、自己評価が低くて、物事をネガティブに捉えてしまうが為に、自分で余計なプレッシャーを生み出してしまったんだと思う。これは『インポスター症候群』の特徴からは少し外れるけど、今の霧谷きりやさんを見ていると、そういう風に自分を追い詰めているのだとしか思えない。……それは、精神的な側面から考えてもマズい。



『このままだと、霧谷きりやさんがプレッシャーに押し潰されて、『心此処に在らずメランコリック』を発症しちゃうかもしれない。 ……何とかしないと』


『…………』


『……ハナコ? ねぇ、ハナコってば!』


『…………え? あ、あぁ、すまない。 ちょっと考え事をしていた。

 ……とにかく、一時的でも良いから彼女の精神騎スピリットを安定させろ。 ここで勝手に霧が暴発されては困る』


『ボーっとしてた癖に、いきなり難しい命令してこないで欲しいんですけど……!』


 そう文句は言うものの、当然このまま放っておく訳にはいかない。霧谷きりやさんのネガティブモードは、底無し沼のようにズブズブと深くなっている。ハナコの言う通り、このまま放置すれば、自分で黒い霧を増幅させた精神騎スピリットがそのまま飲み込まれて……なんて事態にもなりかねない。どうにかして、彼女の精神騎スピリットを正常な状態に戻さないと……!


 小さく深呼吸し、息を整える。……正直、博打ばくち打ち的だけど、一つ策はある。今は、それに賭けるしかない。




「……大丈夫。 心配しないで」



 月並みな言葉。それでも、霧谷きりやさんは顔を上げてこっちを見てくれた。


 「霧谷きりやさんの真剣な思い、ちゃんと伝わったよ。 だから、僕の方こそ協力させてほしい」


「っ……!」


 黒い霧とともに、凍えるような冷たい空気を纏って身体を竦める彼女の精神騎スピリットに、炎を宿した剣を手にした僕の精神騎スピリットが近づく。やがて、僕の精神騎スピリットは剣を真横に構え、霧谷きりやさんの精神騎スピリットの前に差し出した。メラメラと燃える剣先が、まるでストーブのように周囲の空気を温かくほぐしていく。……どうやら、うまくいっているみたいだ。


『……一体、何を企んでいるんだ?』


 ハナコの声には答えず、代わりにニヤッと心の中で笑みを浮かべた。コクリ、と呼応するように頷いた僕の精神騎スピリットが、剣をギュッと斜めに構え直す。

 そして、




「───安心して。 犯人の目星なら、もうついてるから」



「………………えっ?」



 ───ブワッ! と、精神騎スピリットの剣が空気を切り裂いた。

 その瞬間、霧谷きりやさんの精神騎スピリット周辺にあった黒い霧は、まるで熱風に吹き飛ばされるかのように、一瞬にして消え去ってしまった。


「目星、って……えっ? も、もう犯人が分かっているということですかっ!?」


 目を丸くしながら、霧谷きりやさんが言う。


「うん、まぁ……行動心理学の考えに基づいて、おおよそはね。

 ……でも、証拠が不十分だから、まだ公言はできない。 霧谷きりやさんと一緒に手がかりを見つけることが出来れば、すぐにでも事件は解決できると思う」


「そんな……先生や生徒会があれだけ動いても手がかりを掴めなかったのに……。 ほ、本当なんですよね……!?」


「うん、本当だよ。 ……だから、もう心配しなくても大丈夫」



 ───結論から言うと、大嘘である。


 事件の真相なんて分かっちゃいないし、犯人の目星だって全く付いていない。

 それでも、自信たっぷりな僕の発言は、霧谷きりやさんが抱えていた"悪性ストレス"を振り払うには充分だったようだ。



 犯人が判明している。……それは、霧谷きりやさんからしてみれば、抱えている不安材料や懸念なんかが一気になくなってしまう程の吉報な訳で。ネガティブ思考に陥る原因そのものを断ち切ってしまえば、霧谷きりやさんの精神騎スピリットを包む黒い霧も消えるのではないかと思ったのだ。……当然、嘘であることがバレてしまえば、何もかも終わりなんだけど。


『全く……とんでもないことを考えるな、君は。 よくもまぁ、臆面もなくそんな大嘘を吐けるものだ』


『あはは……これしか思いつかなかったから……』


 ともあれ、霧谷きりやさんの精神騎スピリットはこれで持ち直したはずだ。後は、"憶測にすぎない犯人を確定させるための証拠集め"という体で、霧谷きりやさんと協力して情報を集めれば良い。学級委員や生徒会、先生たちサイドしか知り得ない情報なんかが手に入れば、犯人に近づくチャンスもグッと高まる。まさに、一石二鳥の作戦だ。



「とにかく、まずは情報交換をしよう。 霧谷きりやさんが持っている情報の中に、僕の予想と合致するものがあるかもしれないし。

 ……それから、現場ももう一度見ておきたいんだけど、良いかな?」


「え、えぇ! 勿論です。 私の持ちうる限りの情報は提供します。 それに、花壇の修復がどの程度済んだかも確認しなければいけませんし」


「うん、それじゃあ早速戻ろう!」


 コク、と示し合わせたかのようなタイミングで頷き合う僕ら。ちょうど、部活動終了の時刻を知らせるチャイムがスピーカーから聞こえてくる。外は、もうすっかり夕暮れの深いオレンジ色に染まっていた。



***


「……あの」


 廊下を進む途中、後方から霧谷きりやさんが遠慮がちに声をかけてきた。


「分かっているとは思いますが、今回の件については他言無用でお願いしますね。 それと……」


「……霧谷きりやさんの裏の顔についても、だよね?」


「……えぇ。 話が早くて助かります」


 チラ、と後ろを見ると、霧谷きりやさんはばつが悪そうに口元を歪ませていた。……まぁ、彼女の言いたいことは、彼女の精神騎スピリット甲冑かっちゅうで必死に顔を隠そうとしている素振りで何となく分かっただけなんだけど。


「それにしても……藤鳥ふじとりくんは本当に凄い人なんですね。 犯人も、私の深層心理も見抜いて……。 私の不甲斐ない一面を見ても引かずに、協力までしてくれるなんて」


「え……?」


「……私の本当の姿を知られたら、きっと幻滅されるんだろうな、って思っていました。 でも、藤鳥ふじとりくんは私を見て引くどころか、私のことを理解しようとしてくれたんですから」


「それを言うなら、霧谷きりやさんの方こそ凄いじゃんか。 ……本当は不安だったり怖かったりするのに、皆の前ではちゃんとリーダーとして振る舞ってくれてた訳だし」


「いえ、私は……リーダーの素質が無いことがバレてしまうのが怖くて仮面を外せなかった、ただの臆病者です」


 霧谷きりやさんの精神騎スピリットが、また自分の脇腹辺りを剣でプスプス刺し始める。ひょっとすると、癖でいつもやっているとかなのかもしれない。ここまで露骨にネガティブさを出しているのに、逆に何で今まで気づけなかったんだろう……? と、精神騎スピリット使いとしての未熟さを痛感しつつ、忘れずに霧谷きりやさんのフォローに回る。


「でもさ、怖さや不安をはね除けて嘘をつき続けるのって、簡単にできることじゃないと思うよ。 それって、もう本物の勇気と一緒なんじゃないかな?」


「そんなこと……それに、本当に勇気がある人は、こんな風にヘラったりしませんし……」


「それも、霧谷きりやさんらしさの一つだよ。 愛と勇気と正義しかない! みたいな隙のない人間より、霧谷きりやさんみたいに真面目で、物事を深く考えられる人の方が、人間らしさがあって、僕は好きだけどな」


「す、好き……!? ……あ、いや、そんな……買い被りすぎですよ……」


「ううん、もっと自信を持っても良いんだよ。 功績とか、役職とか関係ない。 霧谷きりやさんの頑張りとか気持ちは本物なんだし、それがあるからこそ魅力的に思えるっていうか」


「も、もういいですからっ!! それ以上褒めないで下さい! それ以上言ったら……お、怒りますよ……!」


「えぇっ!?」



 しまった、元気づけようとつい調子に乗りすぎたかも……! ふと我に返って霧谷きりやさんの方を見ると、彼女は顔を真っ赤にしながら眼鏡の奥でしきりにまばたきを繰り返していた。精神騎スピリットの方も、鎧兜の隙間からシュウウ……と小さく白い煙が漏れている。

 怒っては……いないっぽい。


「全く……心理学に精通している人は、お世辞も上手なんですね」


「いや、そんなつもりは無かったんだけど……」


「いいえ、もうその手には乗りません。 次は騙されませんからね。 ……ふふっ」


 口では警戒されているが、それでも、霧谷きりやさんの表情はさっきに比べて大分落ち着いているように見えた。さっき黒い霧を払ったことで、心に余裕ができたのだろう。いつも通りのキリッとした感じを取り戻してくれた彼女を見て、僕もちょっと安心した。それに……


(なんか、霧谷きりやさんのこと可愛く見えてきた……)


 霧谷きりやさんの秘密を知ったことで、なんとなく彼女との心の距離も縮まったような気がする。ハプニングはあったけど、それも相まって、今こうして普段見せないような笑顔を僕に向けてくれる。その特別感もあってか……こう、ちょっと"ギャップ萌え"みたいなものを感じて胸が高鳴ってしまう。やっぱり、『華の三美女』に数えられる女の子なだけのことはあるな……。そんな彼女が、今、僕に心を開いてくれている。これは、もしかすると良い雰囲気なのでは……



『そうやってすぐ調子に乗る辺りは、君の悪い癖だね』


「……うわっ!?」


「へ? あの、ど、どうかしたんですか……?」


「あ……こ、ごめん! ちょっと、虫みたいなのが見えたからビックリしちゃって……!」


 ……そうだった。僕は今、霧谷きりやさんと二人きりだけど、二人きりじゃなかったんだった。

 慌てて誤魔化しつつ、正直存在を忘れてしまっていたハナコに声をかける。


『違うからね! 決してよこしまな気持ちで霧谷きりやさんと話してた訳じゃなくて……!』


『そんなことはどうでも良い。 ……それより、犯人探しの方は大丈夫なんだろうね? それに、霧谷きりやさんの治療も完全に済んだ訳じゃない。 頃合いを見て、『イドア』に入る準備もしておきなよ』


『……分かってるよ。 今日は時間がないし、とりあえず花壇に戻って軽く情報を』




「───藤鳥ふじとりくんっ! ちょっと待って下さい……!」



 突然、霧谷きりやさんの声が響いたと思ったら、制服の背中をいきなり引っ張られた。ハナコとの会話に気を取られ、目の前の状況が把握できていなかった僕は、頭髪を真っ白にする僕の精神騎スピリットと共にプチパニックに陥ってしまう。


「な、何!? どうかしたの?」


「あそこ……何だか、様子が変です……」



 昇降口に続く北校舎の出入口、その壁に二人で身を潜めながら、霧谷きりやさんが指差した先を見る。

 完全下校時刻間近の、人気の少ない昇降口付近。その先に、修復作業を途中まで終えた花壇が一部見えていた。そして、その手前に佇む一つの影。恐らく、女子生徒だ。ちょうど背中を向けていて顔は確認できないが、あの特徴的なピンクの長い髪には、見覚えがある。


「あれって……梓内あずさうちさん……?」


 修復作業中の格好のまま、梓内あずさうちさんらしき人影はじっと花壇を見つめて立っていた。ほとんど沈んでしまった夕陽に代わり、電灯の光が辺りを照らす。彼女の右手には、土を入れ替える際に使った大きめのシャベルが握られていた。

 もしかして、居残りで修復作業を続けていたのだろうか……? でも、霧谷きりやさんが言うように、どこか様子が変だ。一体、彼女はあそこで何をしているんだろう。



 ───その時だった。



 ぐわ……と、彼女がゆっくりとした動作でシャベルを持ち上げる。

 それは、"土を掘る"動きの予備動作とは全く違うモーションだった。言うなれば、"振りかざす"直前、という表現が正しいだろうか。彼女が両手で掲げるシャベルは、天を貫くかのように高く振り上げられ、ユラリとその刃先を鈍く光らせた。



「まさか……っ!!」



 嫌な予感がした。制服を掴む霧谷きりやさんの手を振りほどき、花壇の方へ向かって駆け出す。……が、その時にはもう遅かった。




 ───ヒュン、という刹那の風切り音とともに。


 ───彼女はそのままシャベルを振り抜き、植え直したばかりのチューリップの花を、グシャリと叩き潰したのだ。




「やめろおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 一心不乱に叫ぶ僕の声は、見るも無惨に潰されたチューリップの花の破裂音と、土からシャベルがスゥッと抜き取られる音とを空虚に掻き消しただけだった。しかし、その叫びと足音は、シャベルの持ち主にしっかりと届いた。


 距離が詰まる中、彼女がこちらへ振り向く。目が合ったのは、驚愕きょうがく焦燥しょうそうが入り交じった表情で目を見開く、見慣れた女子生徒の顔。


 ───梓内あずさうち凛桜りおさんで、間違いなかった。



 彼女は、ビクッと肩を震わせながら目をカッと開いていた。そして、ほんの数秒間の硬直の後、



「…………クソッ!」


 と小さく吐き捨て、シャベルを放り投げて駆け出した。



「あ! 待って!!」


 昇降口の建物をグルリと回り、北校舎の方へと逃げていく梓内あずさうちさん。電灯のおかげで暗くはなく、彼女の背中を目で追尾することはできる。が、彼女の方は意外にも足が速く、運動オンチの僕では到底追い付けそうにない。

 予想通り、僕と梓内あずさうちさんとの距離は次第に広がっていった。そして遂には……



「…………いない」


 南校舎の裏手に出た所で、彼女の背中を完全に見失ってしまった。そこまで遠くには行っていないはずだから、本当なら捜索そうさくを続けたかったんだけど……。でも、これ以上は足が動きそうにない。


「一体、何がどうなってるんだ……!?」


 ハァッ……ハァッ……と肩で息をしながら、フラフラの足で一旦花壇の方へと戻る。正直、全く以て状況を整理できていなかった。

 人のいない花壇で、梓内あずさうちさんがシャベルで花を叩き潰して……。彼女は、今回の事件について何かしらの情報を掴んでいると、僕はそう睨んでいた。ただしそれは、決して彼女が犯人だと思っていたとかではなく、あくまで重要参考人として怪しんでいた、というだけだ。


「でも、さっきの……」


『あぁ、恐らく彼女は……』



 ハナコも賛同するが、信じたくはなかった。でも、状況が状況なだけに、そう疑わざるを得ない。

 梓内あずさうち凛桜りお……多分、彼女が……



 そこまで思考が到達しかけた時、僕ははたと足を止めた。惨劇のあった花壇の前で、霧谷きりやさんが膝をついてうずくまっているのが見えたのだ。



「あの、霧谷きりやさ……」



 ───言いかけたその言葉は、喉元でせき止められた。


 わなわなと震える彼女の背中……その視線の先を辿って、僕は言葉を失ってしまう。


「あ、あ…………」


 嗚咽おえつにも似た彼女の声が、虚しく響く。

 その先にあったのは、一つ残らずグシャグシャにされた花の残骸。そして、乱雑に掘り起こされた土。



 ───修復作業前よりも更に酷い状態と化した、荒れ果てた花壇の有り様だった。




つづく

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