第二章④『インポスターは誰?』



「はぁ…………最悪だ…………」



 トイレを出た僕は、盛大なため息と共に重い足どりで廊下を進んでいた。目的地は、一年二組の教室。そこで先に待っている霧谷きりやさんの元へ向かわなければならないのだ。


 事の発端は、つい先ほど起こったボランティア作業中の出来事。精神騎スピリットの挙動に慌てた僕が、風晴かぜはれさんと梓内あずさうちさんの二人の胸を鷲掴みにし、そのまま押し倒すような格好になってしまったのだ。

 その場にいた人たちには、『小さいハチが飛んできた』っていうカバーストーリーで何とか誤魔化しが効いた。ただ、風晴かぜはれさんからは、


「いやぁ、よもや剣悟けんごくんのリビドーが大爆発しちゃったのかと思ったよー」


 とか返答に困る発言をされるし、梓内あずさうちさんからは、


「怖かったけど……でも、藤鳥ふじとりくんもわざとやった訳じゃないし、私は気にしてないよ!」


 という健気で逆に胸が痛む言葉をかけられるしで、散々だった。あと、遠くから小竹こたけくんが口パクで『こ・ろ・す・ぞ』って言ってた気がするので、恐らく明日僕の命はないだろう。



 それよりも問題なのは、この後の霧谷きりやさんとの会合だ。事件の後、ものすごい威圧感で僕を教室へと呼びつけた霧谷きりやさん。内容は十中八九、お叱りだろう。花壇の修復作業については、梓内あずさうちさんに指示を一任していた彼女だが、果たしてそうまでして僕へのお説教時間を確保する必要があるのだろうか……と、頭の上で渦潮みたいなものが巻き起こる僕の精神騎スピリットを見ながら思う。


『でも、霧谷きりやさんと二人で話す状況を作れるのは、逆にチャンスじゃないか。 上手く事が運べば、彼女の『心此処に在らずメランコリック』を治療する糸口が見つかるかもしれないよ』


「あぁ……僕にお説教することで怒りを発散して昇華する、とか?」


『……まぁ、そうなればそれはそれで結果オーライだね』


「冗談のつもりだったんですけど…………」



 と、ハナコにとやかく言われながら、教室へと歩みを進める。結局、花壇荒らしの犯人探しからは遠のいてしまったけど、こっちもこっちでやるべき事ではあったのだから、ある意味ラッキーかもしれない。それに、証拠集めに関しては風晴かぜはれさんや広崎ひろさきくんらを巻き込んでいるし、ある程度布石は打ったと言えるだろう。ならば、そっちの果報は待っていれば良い。今、僕の中での最優先ミッションは、霧谷きりやさんとの接触だ。



「でもなぁ…………あれ絶対怒ってたしなぁ…………」


『全く情けない……。 心療関係の仕事を目指す人は、どんな暴言クレームにも耐えて話を聞く訓練をしなければいけないんだろう? だったら、これぐらいで不安がっていては駄目なんじゃないのかい?』


「うぐ…………それを言われるともう何も反論できない……」


 はぁ……と、またしてもため息を吐く僕に、ハナコは畳み掛けるように言う。


『それに……彼女が『心此処に在らずメランコリック』の予備軍であるということは分かっても、その具体的症状がどのようなものかまでは、私には分からない。 そこを見極めるのは、あくまで君の仕事だ。 カウンセリングをするにしても、ある程度予測は立てておくべきだと思うよ』


 予測、か……。今までの霧谷きりやさんの様子を見ても、僕には彼女が『心此処に在らずメランコリック』にかかっているとは到底思えない、という結論しか出せなかった。


 彼女の精神騎スピリットは、ガチガチの鎧を身に纏った騎士ナイトだ。弁論で一戦交えたことはまだないけれど、その強さは容易に想像できる。正直、彼女の心には隙なんて無いように思うのだ。

 一応、怒りっぽい人とか真面目すぎる人とかにも、うつ病や統合失調症などの病理が当てはまることはある。もし霧谷きりやさんがそうなのだとしたら、さっき冗談混じりに言った「お説教でストレス発散」もあながち的外れでもなくなってくるだろう。僕は嫌だけど……でも、普段からあれだけクラスの皆のために頑張ってくれている霧谷きりやさんのためだ。だったら、これも僕にしか出来ない事だと割り切ってやるしかない。



「…………着いちゃった」


 と、あれこれ思考する内に、いつの間にか一年二組の教室の前までたどり着いていた。無意識とは何と恐ろしいことか。まだ心の……もとい、精神騎スピリットの準備もままならないのに、どうやって教室の扉を開けば良いのだろう。中では、霧谷きりやさんが僕のことを待っている。これ以上待たせては、余計に彼女の怒りを買ってしまうかもしれない。……それは重々承知なんだけど、どうしても勇気を出せない。うーん……と頭を掻きむしりながら長考した挙げ句、



「…………とりあえず、ちょっと覗いて様子確認するか」


『相変わらずヘタレだな、君は』


 ハナコの言葉を無視し、扉を数ミリほど空けて教室の中を覗いてみることにする。何が変わる、って訳でもないけど……例えば、足をパタパタさせたり、あからさまに表情が怒っていたり等の様子が見られれば、それは危険信号。より用心した上で扉を開ける必要がある、ということだ。


 頼むから、あんまり怒ってませんように……と、もう神頼みの台詞を脳内で唱えつつ、そっと教室を覗き見る。


 


 そうして、僕は目の当たりにした。



 ───目の当たりにしてしまった。





「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~っ……! どうしましょうどうしましょうどうしましょうどうしましょう……うわぁぁぁぁぁぁ~…………!」



 ───頭を抱えたポーズのまま、教室内をしきりにウロウロする、未だかつて見たこともない霧谷きりや椿つばきの姿を。




「あああぁぁ……あんな言い方したら絶対怒ってるって思われますよね、でも藤鳥ふじとりくんを呼び出して話をするにはあれしか無かったですし、でもせめて表情だけでももっと柔らかくするべきだったのに、実際藤鳥ふじとりくんはまだ来てませんし、もしかしたら私があんな風に声をかけたから怖がられて来るのを止めてしまったのかも、それでその噂がクラス中に広がって"無愛想学級委員"なんてあだ名で呼ばれてクラスに居場所が無くなって…………あああぁぁ……」



「こ、れは…………」


 あまりの光景に、僕も言葉を失っていた。僕も、僕の精神騎スピリットも、開いた口が塞がらなくなっている。

 この人が……目の前で蒼い顔のまま教室を行ったり来たりし、ぶつくさと小声のマシンガン独りトークを繰り広げる彼女が、本当にあの霧谷きりや椿つばきさんだというのか。今までに積み上げられてきた彼女へのイメージと、現在の彼女との解離は、まさに天と地。それは、にわかには受け入れがたい程のギャップであった。


「今から藤鳥ふじとりくんを探しに……いえ、でももしそれで入れ違いにでもなれば、藤鳥ふじとりくんに余計に迷惑をかけてしまいますし、そうしたら私の話なんて耳を貸さなくなってしまうかもしれませんし……」


「……」


「というか、修復作業の方は大丈夫でしょうか? 梓内あずさうちさん、私の指示が下手すぎて今頃困っているかもしれませんよね……でも、こっちの仕事も大事ですし、でもそれは花壇の仕事を他人に押し付けていい理由には到底なりませんし……無責任の烙印を押されて学級委員を……いや、むしろ学校を追放されてそのまま路頭に迷ってしまったり……!」



「いや流石にそれは無いからっ!! ……あっ」



 堪らず、ツッコミを入れてしまう。

 直後、「えっ……?」という霧谷きりやさんの声を最後に、教室とその一帯は静寂に支配された。扉の方……即ち、隙間から覗く僕の方を見て固まる霧谷きりやさん。扉の隙間越しにバッチリ目と目が合ってしまう中、僕たちの間には何とも気まずい空気が漂っていた。



「……………………」


「……………………」


「……………………あ、あの……」


「……………………えっと……遅れてごめん、なさい……」


「………………いえ……問題ありません……」


「……………………あ、良かった……です……」


「…………その……いつから、いらしたんですか……?」


「……………………いやぁ、その……い、いつだったっけなぁ……」


「……とにかく、中へ入ってください」


 海外中継かよ、って思うぐらい間延びした辿々しい会話が続く。ただ、霧谷きりやさんの方は、徐々にキャラを元通りにしようとしたのか、蒼白の顔でへっぴり腰だった姿勢を、少しずつ少しずつ立て直していた。こう、アニメのカットが変わる毎にちょっとずつ作画が変わっていくみたいに。

 観念した僕が、ガラガラと扉を開けて室内に足を踏み入れた時には、霧谷きりやさんはいつも通りの佇まいに戻り、夕日をバックに堂々と僕を待ち構えていた。



「随分遅かったですね。 まぁ、藤鳥ふじとりくんを急に呼び出したのは私ですから、その点については不問とします」


「…………」


「では、早速本題に入りたい所なのですが……その前に一つ、重要な質問をします。 怒ったりはしませんから、正直に答えてください」


「は、はい…………」


 ゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえてきそうだった。

 真っ直ぐに僕の目を見つめながら、霧谷きりやさんがその眼光を鋭く輝かせる。



「……………………いつから聞いていましたか?」



「……………………『どうしましょうどうしましょうどうしましょうどうしましょう……うわぁぁぁぁぁぁ~!』の所から」



「………………はああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~っ!!!!!」


 今度こそ、彼女のキャラクターとプライドは粉々に崩れ去ってしまった。

 その場にうずくまり、ダンゴムシのような格好で床をゴロゴロ転がり回る霧谷きりやさん。口からは、この世の終わりみたいな呻き声が耐えず漏れ出ている。対する僕は、本当にどうすれば良いか分からず、ただその場に立ち尽くし、変わり果ててしまった学級委員の無惨な姿を見下ろすしかできずにいた。


「最悪です……よりにもよってクラスメイトに見られてしまうなんて……きっと幻滅されたに違いありません……このまま私のウワサがクラス中に……いえ、学校中に広がって、ヘタレの学級委員と揶揄されて……イジメられて……何も出来ないまま学校生活を終えて大人になって……永遠にポンコツという肩書きを背負ったまま影の人生を歩んでしまうんです……」


「いや、飛躍しすぎだってば……。 その、確かにビックリはしたけど……でも、この事は他の人に言ったりしないからさ。 だから安心して」


 まぁ、言ったところで誰も信じないだろうし、僕自身も目の前で起きた事件を正確に言語化できる自信がない。こういうのは、お互いのためにも黙っておいてあげるのがお約束というものだろう。



「……ほ、本当ですか?」


「本当本当! 絶対言わないって!」


「……学校の裏サイトやSNSに書き込んだり、秘密にすることを条件に金銭を要求したりしませんか……?」


「しないしない! ……というか、僕そんなことする風に見える……?」


 

 起きて膝立ちの状態になり、懇願するように涙目で僕を見上げる霧谷きりやさんの姿。いつになく健気なその様子に、少しだけドキッとさせられる。まるで、虎がいきなり大人しく従順になったかのような、そんな違和感とムズムズが僕の心を渦巻いていた。


(……あ! そういえば)


 "心"というワードで、精神騎スピリットのことを思い出す。チラ、と横の方に視線を向けると、そこにはちゃんと霧谷きりやさんの精神騎スピリットがいた。……しかし、予想と違ったのは、その精神騎スピリットの姿だ。

 西洋の頑丈な甲冑を身に纏い、一分の隙もない完全なる騎士ナイトのように見えていた彼女の精神騎スピリット。しかし、今彼女の側に立っているのは、その甲冑を全て脱ぎ捨てて"初期装備状態"みたいになった、細くてか弱い見た目の精神騎スピリットだった。


「これが、本来の姿…………?」


 思わず、小さくそう呟いてしまう。それに反応した霧谷きりやさんは、眼鏡の奥で瞳を潤ませつつ、苦い顔をした。


「そう、ですね……私は、皆さんが思っているような立派な学級委員ではありません。 本当の私は、臆病でネガティブでダメダメな人間なんです」


「あ、いや! ごめん、そういう意味じゃなくって……!」


 今のは霧谷きりやさんじゃなくて、霧谷きりやさんの精神騎スピリットに言ったんだよ……! なんて言えるはずもなく、言葉の途中で詰まってしまう。しかし、伏し目がちな霧谷きりやさんの独白は止まらない。


「私……ウソつきなんです。 自分には何の能力もないのに、人から非難されるのが怖くて、能力があるフリをしている。 しっかりした真面目な人物を偽って、学級委員のポジションに居座っている……そういう人間なんです」


 ボロボロになった薄いウールのジャケットと、革の短パン。手には、"フルーレ"とかいうタイプの細い剣が握られている。霧谷きりやさんの精神騎スピリットは、今も剣で自分自身の身体をプスプスと突き刺し続けている。これは……自分の心を傷つけている行為、なのだろうか。


「でも、霧谷きりやさんは率先して学級委員の仕事をしてくれているし、実績だって……」


「実績なんてたまたまですよ。 ……それに、私が手を挙げなければ、他の誰かが手を挙げなければいけなくなる。 私のせいで他の誰かに迷惑がかかってしまうんです。 そうして動いていたら、たまたまそれが活動実績になってしまいました。 ……私は結局、何もしていないのに」



 フラフラして、戦闘どころか立っていることすらままならない彼女の精神騎スピリットが目に入る。彼女の言葉、そして精神騎スピリットの様子。……今までは、何故彼女が心此処に在らず《メランコリック》の予備軍なのか全く分からなかったけど、今こうして彼女の"本当の姿"を目の当たりにすると、嫌でも分かってしまう。


『ようやくたどり着いたみたいだね。 ……分かったかい? 霧谷きりや椿つばきのことが』


『うん……この症状、僕も知ってるよ。 恐らく彼女は───』




「───『インポスター症候群』だ」



「へ……?」


 ハナコへの語りかけと重ねるように呟く。ハナコも、霧谷きりやさんも、同時にハテナマークを浮かべるかのような反応を露にしていた。


「『インポスター症候群シンドローム』。 一九七八年に心理学者のポーリン・R・クランスとスザンヌ・A・アイムスによって提唱された心理状態の名称だよ。

自己肯定感が極端に低い人が陥りやすい症状で、他者からの評価を内面的に受け入れられない……つまり、"嘘だ"と思い込んでしまう。 結果、自分が周囲を欺いているかのように感じてしまう、という状態なんだ」


 『インポスター』というのは、今流行りの宇宙服を着た怪物……ではなく、"詐欺師"や"ペテン師"などと訳される言葉のこと。要するに、自分を偽っている人という意味だ。『インポスター症候群』に陥った人物は、自分が周囲の人を騙していると錯覚する。今までの成功を、「たまたまそうなっただけ」とか「自分ではなく周りのおかげ」というように極端に過小評価してしまうのだ。いわば、度を過ぎた"謙遜"。……今まさに、霧谷きりやさんが自身のことについて語った時の様子そのままなのだ。


「『インポスター症候群』は、勤勉で完璧主義な人や、空気を読んで自己主張が出来ない人、失敗することを極端に恐れる人なんかがなりやすい。 "偽物の自分を演じている"というプレッシャーが重なってストレスが溜まり、抑うつ症状なんかにもつながったりする。 物事をプラスに捉えることが難しくなって、幸福感を得にくくなる……好ましくない状態なんだよ」


「わ、私……心の病気なんですか……?」


「ううん、これはあくまで心理状態の名称であって、精神疾患とは違う。 実際、全人類の六~七割が、人生で一度は『インポスター症候群』の状態に陥ったことがあるのではないか、という見解もあるんだ」


 勿論、それは一時的な症状として、時間経過と共に回復するのが一般的だ。しかし、霧谷きりやさんの場合、それが長く続いている状態と見て良いだろう。


『なるほど……つまり彼女の甲冑は、鉄壁の防御を誇る"武装"としてではなく、自身を偽るための"仮面"として機能していたということか。 どうりで、見た目の割に戦闘力が低いわけだ』


『それと……多分、霧谷きりやさんの精神騎スピリットって、"氷属性"だよね? それも多分、彼女自身の冷えきった心と、砕けやすい繊細な心とが関係してるんじゃないか、って……』


『ほう……少しは精神騎スピリットの分析能力も身についてきたじゃないか』


 彼女の精神騎スピリットは、自分自身を"強く見せよう"としていた為に、あんな重装備を身に纏っていたのだ。でも、それは彼女にとって、文字通り重荷だった。"飾り"として手に入れた虚構の強さが、彼女を苦しめていたのだ。



「……大丈夫。 僕がきっと霧谷きりやさんのこと救って見せるから」


「え……?」


 そう言って、隣にいる僕の精神騎スピリットと目配せをする。精神騎スピリットの方も、準備オーケーと言わんばかりに、剣を構えて臨戦態勢に入っていた。

 しかし、


『残念だけど、彼女の『イドア』はまだ開いていない。 彼女の治療をするなら、もっと信頼を得て"心を開かせ"ないといけないよ』


『あっ…………』


 そうか……。風晴かぜはれさんの時と同じ要領で、と思っていたけど、霧谷きりやさんの深層世界に飛び込むための扉……『イドア』を開くには、まだ信頼関係の構築が足りないらしい。それもそのはず……僕は彼女の本当の姿を今さっき垣間見たわけだけど、彼女からしてみれば、僕の存在は『自分の見られたくない姿を許可なく見てきた信用ならない相手』になるわけだ。


『じゃあ、どうすれば…………』


 俯く彼女を見据えながら、考える。今はとにかく、互いのことを知るためのコンタクトが必要だ。心理カウンセラーも、ただ患者の話を聞くのではなく、アイスブレイク的に自分の話を織り混ぜたりする。即ち、オープンハート……カウンセラー側もまた、患者に対して心を開かねばならないのだ。



「あ……えっと、ところでさ。 霧谷きりやさんが僕をここに呼んだ件、まだ解決できてなかったよね。 ほら、僕へのお説教が」


 今回は、丁度よく話題が用意されている。先ほどのボランティア活動における僕の失態へのお説教だ。……まぁ、この状態の霧谷きりやさんがお説教モードになれるのかどうかは分からないけど、でも、いつもの霧谷きりやさんの調子を取り戻すためのキッカケぐらいにはなるかもしれない。僕は、メンタルブレイク覚悟でその話題を切り出した。

 しかし、傷心状態の彼女から返ってきた返答は、思いもよらぬものだった。


「お説教……? ……あぁ、やっぱり怒ってると思われていたんですね。 ごめんなさい、顔が怖くてごめんなさい……」


「あ、違う違う! そういうつもりで言ったんじゃな……ってあれ? お説教じゃなかったの? その……僕が風晴かぜはれさん達を、お……押し倒しちゃったことに対して……」


「ですが、あれは事故だったのではないのですか……?」


 え……それで処理されてたの……?

 事件があった直後、僕はとっさに「事故だ」と弁明した。当然、霧谷きりやさんには言い訳だと思われただろうな、って予想してたんだけど……まさかの「事故だった」でまかり通っていたらしい。もしかして、結構純粋なタイプだったりするのだろうか……?




「じゃあ……僕をここに呼んだのって……?」


 尋ねると、彼女はふぅ……と深く息を吐き出し、ゆっくりと立ち上がった。


「……そう、ですね。 私の本来の目的はそちらでした。 いつまでもこんなことをしている場合ではありません」


 霧谷きりやさんの精神騎スピリットが、横に転がっていた甲冑かっちゅうの頭部分を拾い上げた。身体は無防備ながら、頭だけ、いつもの精神騎スピリットの見た目に戻る。それは、霧谷きりやさん自身の目に、僅かながら凛々しさが戻ったのと同じ瞬間での出来事だった。


「……藤鳥ふじとりくん。 貴方に、協力していただきたいことがあるんです」


「協力……?」


 ふぅ……と、霧谷きりやさんが小さく息を吐く。



「えぇ。 私と一緒に、突き止めてください。


 ───花壇を荒らした張本人……犯人の所在を」




***



 生徒会役員の号令で、花壇修復チームはひとまず解散となった。集まった人数の都合もあり、未完成の部分についての作業は明日に持ち越しになったのだ。

 バラバラと散っていく生徒たち。その顔は、どこかやりきった感に満ちており、皆ヘトヘトなはずなのに表情は明るかった。


「いやぁ~、青春の汗水って感じでございますなぁ~……! ま、結局椿つばきちゃんも剣悟けんごくんも戻ってこなかったけど」


「あはは……霧谷きりやさん、あんまり怒ってないと良いけどね」


 風晴かぜはれ 陽葵ひまり梓内あずさうち 凛桜りおの二人は、人もまばらになった花壇の前で話していた。作業を終え二人のシャツは、剣悟けんごに押し倒された際に砂埃を被ったのか、少し汚れている。


「さ~てっと! そんじゃ、我らもそろそろ帰りましょうか! ……って、ありゃ? 凛桜りおちゃんは、まだ帰らない系?」


 昇降口に置いていた鞄を取りに戻ろうとした陽葵ひまりは、花壇の方に戻ろうとする凛桜りおに声をかける。


「あ……うん。 環境委員は、この後最終点検をしなくちゃいけないから」


「あやや……そかそか。 環境委員も大変なんだねぇ」


「ありがとう。 私のことは気にしないで、陽葵ひまりちゃんは先に帰ってて」


 言われて、陽葵ひまりはうーん……としばらく悩んでいたが、しばらくしてから、凛桜りおの言うとおり先に帰ることにしたようだった。

 それじゃねー! と、明るく手を振る陽葵ひまりを笑顔で見送りつつ、凛桜りおはその場にポツンと一人取り残される形になった。夕日が沈みかけ、辺りはオレンジ色から紺色へと変わっていく。ふぅ……と小さく息を吐いてから、凛桜りおは胸の前でギュッと両の手を握りしめた。

 まるで祈りを捧げるようなその格好のまま、瞳を閉じた彼女はそっと呟く。

 


「…………お願いだから……これ以上、勝手なことしないでね」


 ふっ、と冷たい風が彼女の髪を吹き抜ける。

 ほとんど沈みかけの夕陽の光と、昇降口の電灯が、二方向から彼女を淡く照らしていた。




つづく


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る