第一章⑩『貴方のための感情』
イメージ通り……とでも言うべきだろうか。朝方であるとはいえ、やはり体育館裏という空間は人気がなく、妙な静けさに包まれていた。雑草の手入れがイマイチされていない点は誤算だったけど、それでも、今更場所を変えるつもりは無い。それどころか、ここで引き下がる気なんて毛頭無かった。
「いやー、思ってた以上に静かだね。 やっぱりなんか、こう、変な感じするっていうか、その……緊張しちゃうねぇ。 ……それで、私に話ってなあに?」
「
彼女は、嘘をついている。"緊張しちゃう"なんて言いながら、その表情に変化は全くと言っていいほど見られなかった。声にも相変わらず抑揚が無かったし、言葉もどこかぎこちない。何より、今もなお闇に呑まれ、微動だにしない彼女の
『……怯むなよ。 この機会を逃せば、もう二度と彼女に近づくタイミングは来ないだろうからね』
『分かってるよ……というか、僕の博打打ちはもう既に始まってるんだから』
『言い得て妙、だね。 そんな状態でちゃんと戦えるのかどうかは疑問だけど』
『思い出させないで……泣きたくなってくるから』
赤く腫れた左頬をさすりながら、僕は脳内でハナコにそう言った。これは、
頬の痛みだけじゃない。教室に入って、開口一番「一緒に体育館裏に来て欲しい」と
……それでも、僕は
「……腹を割って話そうと思ってさ」
どんな風に話を切り出すか。それは、会話をする上で最も重要となる要素の一つだ。縦に切るか、横に切るか……なんて具体的な話じゃないけど、ともかく、話の"切り口"というものは、そこから展開する会話内容の基礎となる。だからこそ、いきなり核心を突くのか、それとも、あえて端から切っていくのか……そういった事を考えながら、会話は切り出さなくてはならない。
それを踏まえた上で、僕の
「昨日の件、
相手の"核心"を狙って繰り出された
「んー、そうなの? 剣悟くんが気にしすぎてるだけじゃないかな? ほら、だって私、全然大丈夫だし、こんなに元気なのに!」
「……僕の知ってる
「そりゃあまあ、剣悟くんは転校生だもん。 私の顔なんて昨日見たばっかでしょ? あ、でも転校生の君に顔覚えてもらえてるのは、割とありがたアリゲーターかな?」
ヒラリ、ヒラリと、
「でもおかしいよ! あんなことがあって……
「んもー思い出させないでよぉ。 あの時は、こう……ワーってなっちゃって訳分かんなくなってただけだし。 ひゃー、思い出したら恥ずかしくなってきたー!」
「お願いだよ
「いやいや、これが本当の私だって! 正真正銘、
「でもっ……!」
「…………しつこいなぁ」
その時、やっと
「私が"大丈夫"って言ってるんだから、それはもう大丈夫って事だよ。 私が気にしてないのに、
意識をこちらに向けたものの、
(だったら尚更、僕が核心を見失っちゃいけないな……)
一気に畳み掛ける攻撃を止めて、僕の
「
「えぇ、そうなのかなー? なーんか
僕の
『気を付けろ。 あの闇……トゲのように形状を変化させている。 彼女自身にその意思がなくとも、闇が自動的に此方にダメージを与えようとしてくるようだ』
ハナコの言う通り、
「それで、
「……いや、そんな口先だけの肯定じゃ駄目だ」
それでも、僕の"正面突破"というスタイルは変わらない。自分までもがあの闇に飲まれないよう気をつけながらも、その剣は確実に
「じゃあ、どうしたいの?」
「……僕は、
「……へぇ。
『……おい、分かっているんだろうな? 彼女は
『分かってる。 ……でも、これは必要な事だから』
不安げに声をかけるハナコに、僕はそう答えた。
だから、彼女に自分自身の感情を自覚してもらう必要がある。感情を呼び起こし、自分の心が今何を思っているのかを分かってもらわなければならないのだ。先天的な
「酷い? どうして? 感情を曝け出すことの、何がいけないっていうの?」
「だってさ? 要は
「操ろうとなんてしてないよ。 ……僕はただ、
「無理なんてしてないってー!」
「してるよ。 ……僕は、そんな
その時だった。
「……何それ、偉そうに。 知ったような口聞かないでよ」
重いトーンで呟く
「昨日来たばっかの転校生に、私の何が分かるっていうの? 感情を押さえつけてるとか、無理してるとか……そんなの
「妄想じゃないよ。 今、
「うるさいっ! 私の気持ちなんて何も知らないクセに!」
この時から
「あーあ! せっかく穏便に済ませたと思ったのに、
「そうじゃないよ。
「嘘ばっかり! 私の事が嫌いだから、私を貶めたいから! そうやって私の心を踏みにじって楽しんでるんでしょ!」
「違う! 僕は、
「救う? ふざけないでっ! 元はといえば、剣悟くんが私に"体育館裏に来い"とか何とか言い出すから!!」
…………来た。
闇のトゲによる攻撃を払いながら、じっとそのタイミングを待っていた僕の
「……そうだね。 全ては僕が……というか、僕の気持ちを曲解した
「……っ」
真っ直ぐに突き出された剣は、彼女の
「その後、怒った
「そ、れは……」
「……ごめんね、嫌な事思い出させちゃって。 でも、これは大事な事なんだ。
『───だったら、精神騎決闘(スピリットバトル)の場所に体育館裏を選ぶのはどうなんだい? 全く、肝心な所でダメだな君は』
黙って僕らの様子を傍観していたハナコが、唐突にツッコミを入れてきた。カッコよく決めていたつもりだったのに、ペースを乱されてしまう。
『あ、いや、それは……そもそも、この場所を選んだのは"イメージ連結法"によって彼女の感情を思い起こさせる為、っていうちゃんとした意図があるんだ! あ、ちなみに"イメージ連結法"っていうのは記憶術の一つで、特定の場所と記憶とをリンクさせる事で事象を思い出しやすくする効果が……』
『あぁもう分かったから! 君は目の前の仕事に集中しろ!』
ハッとして、意識を
「……そうだよ、全部
「うんうん……そうだよね」
「急に「体育館裏に」なんて言われたから……恥ずかしくて何も言えなくって……そしたら、知らない間にケンカが始まって、私、どうして良いか分からなくなって……!」
「そりゃあ混乱するよね。 どう振る舞えば良いか分からなくなるのも、無理ないよ」
「だから、思わず逃げ出しちゃって……それで、それで……っ!」
次第に、
……でも、きっと
「……だから、全部皆が悪いんだよっ! 私になら何言ってもいいんだって……か、勝手に決めつけて、好き勝手言い合って……私の、私の気持ちなんか無視して……!」
「そうだね……そう思われても仕方ないことを、僕たちは
「そんなの! ……そんなの、分かって、る……」
「……そうだよね。 やっぱり
ふぅ、と息を吐く。核心を突く言葉は、僕の
「───感情を剥き出しにして怒鳴ってしまった、自分自身に対して怒っている。 ……違う?」
「……っ!!」
ヨロヨロと動く相手の隙を見逃さず、僕の
対人関係療法では『自己志向』と『協調性』を高めること……つまり、自己と自己、自己と他者といった関係を改善していく事が重要になる。そして彼女は今、『自己と自己』の関係を省みた。自分が、自分に対して怒りの感情を抱いているという事を自覚した。
「
でもね……と言葉を続ける僕を、
「自分の感情を押し殺してまで笑うのって、やっぱりしんどいよ。 笑顔は、"喜び"っていう心理現象に付随する行為だ。 ……だから、"怒り"や"悲しみ"までをも笑顔で塗り潰しちゃうのは、自分を自分で傷つけてるのと同じだと僕は思う」
「あ、あ…………」
ほろり、と
「人間には、心がある。 いや、あって然るべきだ。
「わ、たしは……私はっ……!!」
「辛い時は、"辛い"って言って良いんだよ。 怒りたい時には、怒れば良いんだよ。 ……
「───っ!!」
その瞬間、閃光弾でも打たれたかのような光が、辺り一帯を包み込んだ。
うわっ!? と声を上げて思わず仰け反る。半目になりながら見ると、光は、
『"イドア"だ! イドアが開いたぞ!』
『は、何!? イドア!?』
状況を理解する時間を与えようともせず、ハナコが何やら新出単語を脳内で連呼している。……というか、光と声が同時に来たせいで、頭がちょっと痛くなってきた。
『
『心を、開く……』
『あぁ。 そして、開かれた心への入り口を"イドア"と呼ぶ。 "イドア"を越え、彼女の深層心理に巣食う闇の根源を断ち切って初めて、彼女は元の心を取り戻せる』
『何をしている! 早くしないと、彼女の"放心状態"が解除されてイドアが閉じてしまうぞ!』
『え!? いや、閉じてしまうって言われても……どうすれば』
『君の
なるほど……要するに、
でも、ここまで来たからにはやるしかない。ようやく、
「……待っててね、
放心状態の
僕は、彼女の心を救う。その為にここにいるんだ……!
「行けぇぇぇぇぇぇっ!!!!!」
つづく
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