第一章⑩『貴方のための感情』

 

 イメージ通り……とでも言うべきだろうか。朝方であるとはいえ、やはり体育館裏という空間は人気がなく、妙な静けさに包まれていた。雑草の手入れがイマイチされていない点は誤算だったけど、それでも、今更場所を変えるつもりは無い。それどころか、ここで引き下がる気なんて毛頭無かった。

 

「いやー、思ってた以上に静かだね。 やっぱりなんか、こう、変な感じするっていうか、その……緊張しちゃうねぇ。 ……それで、私に話ってなあに?」

 

風晴かぜはれさん……」

 

 彼女は、嘘をついている。"緊張しちゃう"なんて言いながら、その表情に変化は全くと言っていいほど見られなかった。声にも相変わらず抑揚が無かったし、言葉もどこかぎこちない。何より、今もなお闇に呑まれ、微動だにしない彼女の精神騎スピリットの存在そのものが、一番の証拠だ。

 

『……怯むなよ。 この機会を逃せば、もう二度と彼女に近づくタイミングは来ないだろうからね』

 

『分かってるよ……というか、僕の博打打ちはもう既に始まってるんだから』

 

『言い得て妙、だね。 そんな状態でちゃんと戦えるのかどうかは疑問だけど』

 

『思い出させないで……泣きたくなってくるから』

 

 赤く腫れた左頬をさすりながら、僕は脳内でハナコにそう言った。これは、小竹こたけくんから思いっきりグーパンチを喰らったが為にできた腫れだった。

 頬の痛みだけじゃない。教室に入って、開口一番「一緒に体育館裏に来て欲しい」と風晴かぜはれさんに言ってから、実際に彼女の手を引いて此処に連れてくるまでの道のり。その間に僕は、たくさんの肉体的、精神的ダメージを負わされていた。クラスメイト全員から「お前何考えてるんだ!」という大ブーイングを喰らうわ、広崎くんに胸倉掴まれそうになるわ、霧谷さんから「お前がそこまで分からず屋だとは思わなかった」的な冷たい罵声を浴びせられるわで、僕の精神的スピリットは戦う前からもうボロボロだった。挙げ句の果てには、激昂した小竹こたけくんに右ストレートをお見舞いされて……文字通り"身も心もボロボロ"って感じ。逃げるように風晴かぜはれさんの手を掴んで教室を飛び出した時にはもう、僕も僕の精神騎スピリットも死にかけていた。

 

 

 ……それでも、僕は風晴かぜはれさんを救うまでは死ねない。今の僕を突き動かしているのは、その強い意志だけだった。傷だらけになっている筈の僕の精神騎スピリットは、その胸にずっとメラメラと炎を宿し続けており、それをエネルギー源にして立ち上がっているみたいだった。その炎こそ、僕が風晴かぜはれさんを救いたいという意志そのものだと、感覚的に分かった。ならば、その炎を消さないように……僕は、風晴かぜはれさんの心を解放してみせる。

 

 

 

「……腹を割って話そうと思ってさ」

 

 どんな風に話を切り出すか。それは、会話をする上で最も重要となる要素の一つだ。縦に切るか、横に切るか……なんて具体的な話じゃないけど、ともかく、話の"切り口"というものは、そこから展開する会話内容の基礎となる。だからこそ、いきなり核心を突くのか、それとも、あえて端から切っていくのか……そういった事を考えながら、会話は切り出さなくてはならない。

 それを踏まえた上で、僕の精神騎スピリットは剣を真っ直ぐに構えると、風晴かぜはれさんの精神騎スピリットの心臓部分を狙って一直線に攻撃を仕掛けた。

 

「昨日の件、風晴かぜはれさんは「もう気にしてない」って言ってたけどさ……僕には、そうは見えないんだ」

 

 相手の"核心"を狙って繰り出された精神騎スピリットの攻撃を、風晴かぜはれ精神騎スピリットは、いとも容易くかわしてみせた。

 

「んー、そうなの? 剣悟くんが気にしすぎてるだけじゃないかな? ほら、だって私、全然大丈夫だし、こんなに元気なのに!」

 

「……僕の知ってる風晴かぜはれさんの笑顔は、こんな乾いた笑みじゃなかった」

 

「そりゃあまあ、剣悟くんは転校生だもん。 私の顔なんて昨日見たばっかでしょ? あ、でも転校生の君に顔覚えてもらえてるのは、割とありがたアリゲーターかな?」

 

 ヒラリ、ヒラリと、風晴かぜはれさんの精神騎スピリットは攻撃を避け続ける。その身のこなしは、まさにダンサーのそれだった。話の矛先をずらし、核心に触れさせない。……なるほど、これがダンサーの特性を持つ彼女の戦い方なのか。でも、その動きは"踊っている"ようには見えない。むしろ、無理矢理踊っているというか、"踊らされている"というか……妙なぎこちなさがどこかに感じられるような、そんな動きだった。

 

「でもおかしいよ! あんなことがあって……風晴かぜはれさんだってあんなに怒ってたのに、たった数十分で何事もなかったかのように振る舞うなんて……普通できっこない」

 

「んもー思い出させないでよぉ。 あの時は、こう……ワーってなっちゃって訳分かんなくなってただけだし。 ひゃー、思い出したら恥ずかしくなってきたー!」

 

「お願いだよ風晴かぜはれさん……君の本心を、本当の気持ちを見せてよ……」

 

「いやいや、これが本当の私だって! 正真正銘、風晴かぜはれ 陽葵ひまりさんのリアルな心の内ですよー?」

 

「でもっ……!」

 

「…………しつこいなぁ」

 

 その時、やっと風晴かぜはれさんの精神騎スピリットが、目線で僕たちを捉えた。眼を閉じて、闇のベールを揺らしながら攻撃をかわし続けていた精神騎スピリットが、初めてこちらに目を向けた。……風晴かぜはれさんが、僕の話に"意識を向けた"のだ。

 

「私が"大丈夫"って言ってるんだから、それはもう大丈夫って事だよ。 私が気にしてないのに、剣悟けんごくんばっかりが気にしてるってのも変な話じゃん?」

 

 意識をこちらに向けたものの、風晴かぜはれさんの精神騎スピリットがその戦闘スタイルを変える様子はない。言ってみれば、僕の精神騎スピリットを視界で捉えながら、相手の視界から外れようとしている、みたいな感じ。彼女の精神騎スピリットからこちらに攻撃を仕掛けてくる事はなく、相手の意識を逸らすことを目的としてたち振る舞っているらしかった。

 

(だったら尚更、僕が核心を見失っちゃいけないな……)

 

 一気に畳み掛ける攻撃を止めて、僕の精神騎スピリットは一旦相手と距離をとる。その間も、剣の先を真っ直ぐに相手の心臓部へと向け、核心を狙っているぞという意思表示を忘れない。そんな僕らを、相手は無表情でじっと見下していた。

 

風晴かぜはれさん自身が気にしていないなんて、嘘だ。 風晴かぜはれさんは、自分の感情を押さえつけてる。 辛い、苦しい、っていう感情を押し殺して、何事もなかったように振る舞おうとしているだけだ!」

 

「えぇ、そうなのかなー? なーんか剣悟けんごくん難しいこと言ってるねぇ」

 

 僕の精神騎スピリットが剣を振り下ろす。その一撃はまたもや軽々と避けられてしまったけれど、その際に、精神騎スピリットが纏っていた闇が僕の精神騎スピリットの腕を掠めた。ただそれだけなのに、僕の精神騎スピリットは、チクリと針で刺されたかのような軽いダメージを受けた。

 

『気を付けろ。 あの闇……トゲのように形状を変化させている。 彼女自身にその意思がなくとも、闇が自動的に此方にダメージを与えようとしてくるようだ』

 

 ハナコの言う通り、風晴かぜはれさんの精神騎スピリットを纏っている闇は、霧のように立ち込めながら、その表面をギザギザに尖らせていた。なるほど、霧のような物質なんだとばかり思っていたけれど、あの闇はどうやら、触れると傷を負う程度には実体があるらしい。というより、実体を自由自在に変化させているといった方が正しいのかもしれない。とにかく、アレに不用意に触れると危険だという事はなんとなく分かった。

 

「それで、剣悟けんごくんは私にどうして欲しいの? 私が「はいそうです、実は私まだ怒ってまーす!」って認めれば、それで満足してくれる感じ?」

 

 風晴かぜはれさんの言葉には、僅かながら刺があるように感じられた。僕の精神騎スピリットが傷ついた原因はあの闇のトゲだったのだから、それが風晴かぜはれさんの言動そのものにも影響を及ぼしているのだろう。

 

 

「……いや、そんな口先だけの肯定じゃ駄目だ」

 

 それでも、僕の"正面突破"というスタイルは変わらない。自分までもがあの闇に飲まれないよう気をつけながらも、その剣は確実に風晴かぜはれさんの精神騎スピリットの心臓部を狙って攻撃を仕掛け続けた。

 

「じゃあ、どうしたいの?」

 

「……僕は、風晴かぜはれさんが押し殺した感情をもう一度呼び起こす。 話はそれからだ」

 

「……へぇ。 剣悟けんごくんって、結構酷いんだね」

 

 風晴かぜはれさんから笑みが消えた。闇が大きく形状を変えて、槍のように此方へと襲いかかってきたのを、僕の精神騎スピリットは既のところで避けてみせた。もはやダンサーという見た目じゃない……悪魔使いのような風貌と化した風晴かぜはれさんの精神騎スピリットは、目論見どおり、此方に敵意を向けてきてくれたようだった。

 

『……おい、分かっているんだろうな? 彼女は心此処に在らずメランコリックにかかった被害者だ。 戦う必要はあれど、不用意に彼女の精神騎スピリット本体を傷つければ、彼女の心を殺すことになるんだぞ?』


『分かってる。 ……でも、これは必要な事だから』

 

 不安げに声をかけるハナコに、僕はそう答えた。

 失感情症アレキシサイミアは、大まかに言えば、自分の感情を自分で認知できない症状のこと。自分が今『嬉しい』のか『悲しい』のか『怒っている』のか、はたまた『苦しい』のか『痛い』のか……それらが、感覚が麻痺したように感じ取れなくなってしまう、というものだ。それが、今の風晴かぜはれさんの状態……感情を見失って、空虚に笑うことしか出来なくなってしまった状態だ。

 だから、彼女に自分自身の感情を自覚してもらう必要がある。感情を呼び起こし、自分の心が今何を思っているのかを分かってもらわなければならないのだ。先天的な失感情症アレキシサイミアの人にとっては、このやり方はただの荒療治でしかない。でも、少なくとも風晴かぜはれさんは、昨日の昼前の段階まで自分の感情を自覚できていた。"怒り"という感情を、外に向けて表現できていた。ならば、彼女の心の奥底には、間違いなく本当の"感情"が眠っている。闇を断ち切って、押さえつけられた感情をもう一度呼び起こすことが出来れば、あとは対人関係療法に近い形で彼女の心の歪みを矯正していくだけだ。だから、僕が今やるべき最重要事項は、"風晴かぜはれさんの感情を呼び起こすこと"なのだ。

 

 

「酷い? どうして? 感情を曝け出すことの、何がいけないっていうの?」

 

「だってさ? 要は剣悟けんごくん、ワザと私を怒らせようとしてる訳でしょ? 私、別に怒ろうとしてる訳じゃないのに、剣悟けんごくんがそれを勝手に操ろうとするのは違うと思うんだけどなー」

 

「操ろうとなんてしてないよ。 ……僕はただ、風晴かぜはれさんが無理してるのを見過ごせないだけだ」

 

「無理なんてしてないってー!」

 

「してるよ。 ……僕は、そんな風晴かぜはれさん見たくない」

 

 その時だった。

 風晴かぜはれさんの精神騎スピリットが、明確に此方に敵意を示したかと思うと、いきなり攻撃を仕掛けてきたのだ。グォン! と風を切りながら一瞬にして距離を詰める精神騎スピリットに、僕の精神騎スピリットは対応しきれず、闇のトゲに突かれて吹き飛ばされた。

 

「……何それ、偉そうに。 知ったような口聞かないでよ」

 

 重いトーンで呟く風晴かぜはれさん。その顔からは、いつの間にか笑顔が消えていた。ゾクリ、と背筋を駆ける悪寒に身震いしそうになるのをなんとか堪え、僕も真っ直ぐに風晴かぜはれさんを見つめ返した。

 

「昨日来たばっかの転校生に、私の何が分かるっていうの? 感情を押さえつけてるとか、無理してるとか……そんなの剣悟けんごくんの勝手な妄想じゃん! そこまでして私を辱しめたい訳!?」

 

「妄想じゃないよ。 今、風晴かぜはれさんが露にしてる思いこそ、君の本当の感情だ」

 

「うるさいっ! 私の気持ちなんて何も知らないクセに!」

 

 この時から風晴かぜはれさんの精神騎スピリットの攻撃が激しくなっていった。ダンスのステップなんかじゃない、まるで対象を狙って確実に仕留めに来る暗殺者のような身のこなしで、彼女の精神騎スピリットは間合いを保っている。その間、精神騎スピリットの動きに合わせるようにしながら、闇は形を変えて次々に僕の精神騎スピリットへと襲いかかった。槍の雨のように連続するその攻撃を、僕の精神騎スピリットは一つ一つ、的確に剣で払っていく。一瞬でも集中力を切らしたら死ぬ……そう思ってしまうような緊張感が、いつの間にか僕らの周りに渦巻いていた。

 

「あーあ! せっかく穏便に済ませたと思ったのに、剣悟けんごくんのせいで台無しだよ! 何でわざわざ解決した問題掘り返して私を責めるの? 私が傷つくのを見て楽しい?」

 

「そうじゃないよ。 風晴かぜはれさんを傷つけるつもりなんて全くない」

 

「嘘ばっかり! 私の事が嫌いだから、私を貶めたいから! そうやって私の心を踏みにじって楽しんでるんでしょ!」

 

「違う! 僕は、風晴かぜはれさんの心を救うために……!」

 

 

「救う? ふざけないでっ! 元はといえば、剣悟くんが私に"体育館裏に来い"とか何とか言い出すから!!」

 


 …………来た。


 闇のトゲによる攻撃を払いながら、じっとそのタイミングを待っていた僕の精神騎スピリットが、しっかりと風晴かぜはれさんの精神騎スピリットの"核心"を捉えた。そうして、熟練の戦士のような剣さばきで、剣がシュンッ! と突き立てられる。

 

「……そうだね。 全ては僕が……というか、僕の気持ちを曲解した広崎ひろさきくんが、「体育館裏に来て」って言った事が始まりだった」

 

「……っ」

 

 真っ直ぐに突き出された剣は、彼女の精神騎スピリットを纏う闇を貫き、そのまま精神騎スピリットの核心部分へと刺さった。トゲによる攻撃が止み、僕の精神騎スピリットへの攻撃が一時的に止まる。それに合わせて、風晴かぜはれさんの精神騎スピリットの動きも止まった。

  

「その後、怒った小竹こたけくんとケンカになって、当の本人はそっちのけで、皆の前で風晴かぜはれさんの名前をひけらかしながらバカにするみたいにして…………そうして、風晴かぜはれさんの心を傷つけてしまった」

 

「そ、れは……」

 

「……ごめんね、嫌な事思い出させちゃって。 でも、これは大事な事なんだ。 風晴かぜはれさんが自分の気持ちと向き合う為には、この事をもう一度、ちゃんと振り返らなきゃ駄目なんだよ」

 

 風晴かぜはれさんを此処に連れ出してから今の間まで、僕は敢えて、"昨日起こった事件"の具体的な内容については触れずにいた。そう、風晴かぜはれさんが自らその事について口にするのを待っていたのだ。

 風晴かぜはれさんは、無意識的に昨日の事件について思い出すのを避けているように感じられた。ずっと、事件を"無かったこと"にして振る舞い、作り笑いで誤魔化していた。だから、風晴かぜはれさんが自分自身の感情と向き合うには、そのプロセスの第一段階として……彼女自身が昨日の事件を振り返ろうとすることが必要不可欠だったのだ。

 


『───だったら、精神騎決闘(スピリットバトル)の場所に体育館裏を選ぶのはどうなんだい? 全く、肝心な所でダメだな君は』


 黙って僕らの様子を傍観していたハナコが、唐突にツッコミを入れてきた。カッコよく決めていたつもりだったのに、ペースを乱されてしまう。


 

『あ、いや、それは……そもそも、この場所を選んだのは"イメージ連結法"によって彼女の感情を思い起こさせる為、っていうちゃんとした意図があるんだ! あ、ちなみに"イメージ連結法"っていうのは記憶術の一つで、特定の場所と記憶とをリンクさせる事で事象を思い出しやすくする効果が……』

 

『あぁもう分かったから! 君は目の前の仕事に集中しろ!』

 

 ハッとして、意識を風晴かぜはれさんの方へ戻す。精神騎スピリットの攻撃は依然としてストップしたままだったが、剣による攻撃で一瞬意識を失っていた彼女の精神騎スピリットは、再び目をカッと開き、戦闘の体勢を整えようとしていた。

 

 

「……そうだよ、全部剣悟けんごくん達が悪いんじゃん! 私のこと無視して、皆で面白がってバカにして!!」

 

「うんうん……そうだよね」

 

「急に「体育館裏に」なんて言われたから……恥ずかしくて何も言えなくって……そしたら、知らない間にケンカが始まって、私、どうして良いか分からなくなって……!」

 

「そりゃあ混乱するよね。 どう振る舞えば良いか分からなくなるのも、無理ないよ」

 

「だから、思わず逃げ出しちゃって……それで、それで……っ!」

 

 次第に、風晴かぜはれさんの精神騎スピリットによる攻撃が、乱雑なものになってきた。闇のトゲはあらぬ方向へと空を切り、精神騎スピリット自身も、此方に焦点が合っていないのか、フラフラとした動きになっていた。彼女はきっと、"怒りの矛先を見失っている"のだろう。「悪いのは剣悟けんごくん達だ!」と主張しながらも、それが本当に正しいのか分からなくなっているのだ。

 ……でも、きっと風晴かぜはれさんはもう気づいている。自分が、何に対して怒っているのかを。行き場のない感情が、どこに向けられたものなのかを。

 

「……だから、全部皆が悪いんだよっ! 私になら何言ってもいいんだって……か、勝手に決めつけて、好き勝手言い合って……私の、私の気持ちなんか無視して……!」

 

「そうだね……そう思われても仕方ないことを、僕たちは風晴かぜはれさんにしてしまった。 ……でも、信じて欲しい。 誰も、風晴かぜはれさんが傷つくのを望んでこんな事をしたんじゃない、って」

 

「そんなの! ……そんなの、分かって、る……」

 

「……そうだよね。 やっぱり風晴かぜはれさんは、ちゃんと分かってたんだよ。 君は、僕らに対して怒っている訳じゃない。 そりゃあ、僕らへのヘイトがゼロってことは無いだろうけどさ……でも、それ以上に───」

 

 ふぅ、と息を吐く。核心を突く言葉は、僕の精神騎スピリットが剣を真っ直ぐに構えるのと同時に放たれた。


 

「───感情を剥き出しにして怒鳴ってしまった、自分自身に対して怒っている。 ……違う?」

 

「……っ!!」

 

 ヨロヨロと動く相手の隙を見逃さず、僕の精神騎スピリットは、風晴かぜはれさんの精神騎スピリットの心臓部に強烈な一撃を放った。キィン! と激しい音がすると同時に、風晴かぜはれさんの精神騎スピリットが後方に吹っ飛ぶ。そして、その衝撃波に押し退けられるかのようにして、精神騎スピリットを纏っていた闇が払われ、精神騎スピリットの元の姿が垣間見えた。

 

 

 対人関係療法では『自己志向』と『協調性』を高めること……つまり、自己と自己、自己と他者といった関係を改善していく事が重要になる。そして彼女は今、『自己と自己』の関係を省みた。自分が、自分に対して怒りの感情を抱いているという事を自覚した。失感情症アレキシサイミアによって抑圧されていた感情が甦り、初めて自分自身の感情と向き合えたのだ。

 

風晴かぜはれさんは、いつもニコニコしてて、明るくて、誰にでも分け隔てなく接する人だって……そう広崎ひろさきくんが教えてくれた。 確かに、いつも笑顔を絶やさない人って素敵だし、皆に元気を振り撒く意味でも良いことだと思う」

 

 でもね……と言葉を続ける僕を、風晴かぜはれさんは虚ろな目で見つめている。その瞳は、心なしか光が徐々に戻りつつあるように感じられた。

 

「自分の感情を押し殺してまで笑うのって、やっぱりしんどいよ。 笑顔は、"喜び"っていう心理現象に付随する行為だ。 ……だから、"怒り"や"悲しみ"までをも笑顔で塗り潰しちゃうのは、自分を自分で傷つけてるのと同じだと僕は思う」

 

「あ、あ…………」

 

 ほろり、と風晴かぜはれさんの頬を一筋の涙が伝う。その涙は、彼女に呼応するかのようにして精神騎スピリットからも流れ、その度に、精神騎スピリットを纏っていた闇が浄化されていった。

 

「人間には、心がある。 いや、あって然るべきだ。 風晴かぜはれさんの喜びも、怒りも、悲しみも……全部、風晴かぜはれさんのものだ。 我慢しなきゃいけないものじゃない」

 

「わ、たしは……私はっ……!!」

 

「辛い時は、"辛い"って言って良いんだよ。 怒りたい時には、怒れば良いんだよ。 ……風晴かぜはれさんの感情を妨げて良いものなんて何一つ存在しない。 だからこれからは、君の"心からの笑顔"で笑って欲しい。 ……僕たちみんな、風晴かぜはれさんの笑顔が好きなんだから」

 

「───っ!!」

 

 その瞬間、閃光弾でも打たれたかのような光が、辺り一帯を包み込んだ。

 うわっ!? と声を上げて思わず仰け反る。半目になりながら見ると、光は、風晴かぜはれさんの精神騎スピリットから放たれているようだと分かった。精神騎スピリットを包み込んでいた闇は、いつの間にか跡形もなく消え去っており、風晴かぜはれさんの精神騎スピリットは本来の踊り子のような姿を取り戻していた。

 

 

『"イドア"だ! イドアが開いたぞ!』

 

『は、何!? イドア!?』

 

 状況を理解する時間を与えようともせず、ハナコが何やら新出単語を脳内で連呼している。……というか、光と声が同時に来たせいで、頭がちょっと痛くなってきた。

 

風晴かぜはれさんの姿を見てみろ。 膝から崩れ落ちて、"放心状態"になっているだろう? あれは、君に対して彼女の"心が開かれた"証だ。 心の壁が消え、その深層心理を露にした状態……それが、"心を開く"ということなんだ』

 

『心を、開く……』

 

『あぁ。 そして、開かれた心への入り口を"イドア"と呼ぶ。 "イドア"を越え、彼女の深層心理に巣食う闇の根源を断ち切って初めて、彼女は元の心を取り戻せる』

 

 風晴かぜはれさんの精神騎スピリットは、意識を失ったかのように目を閉じながら、ゆっくりと宙に浮き上がり、依然として光を放ち続けていた。よく見ると、精神騎スピリットの身体には財布のガマ口のような裂け目が出来ており、光はそこから放たれているみたいだった。あれが、ハナコの言う『イドア』というヤツか。

 

『何をしている! 早くしないと、彼女の"放心状態"が解除されてイドアが閉じてしまうぞ!』

 

『え!? いや、閉じてしまうって言われても……どうすれば』

 

『君の精神騎スピリットを飛び込ませろ! 彼女の深層世界……それが、最後の精神騎決闘スピリットバトルを行う場所になる』

 

 なるほど……要するに、風晴かぜはれさんの心の中に入れって事か。 ……いや、冷静に考えるととんでもない要求だなそれ!?

 でも、ここまで来たからにはやるしかない。ようやく、風晴かぜはれさんが自分の気持ちと真正面から向き合えたのだ。このチャンスを逃せば、彼女はまた心から笑えなくなってしまう。そんなの……そんなの、絶対に駄目だ!

 


「……待っててね、風晴かぜはれさん。 もうすぐ終わるから」

 

 放心状態の風晴かぜはれさんに、そう呟く。その言葉が彼女に届いていなかったとしても、構わない。

 僕は、彼女の心を救う。その為にここにいるんだ……!

 

「行けぇぇぇぇぇぇっ!!!!!」

 

 精神騎スピリットが、イドアへと勢いよく飛び込む。その瞬間、ギュオンッ! という音と共に、光がさらに眩さを増した。僕は身構えながら、イドアに飛び込んだ精神騎スピリットもろとも、その白い閃光へと包み込まれていくのだった。

 

 

 つづく


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