第一章④『触れ合う心と、その切っ先』
『
でも……少なくとも今の僕には、目の前でキョトンとしながらこちらを見る彼女───
「……ふざけるなよ! そんな筈ないだろっ!」
「ひゃっ!? ……え、なになに? ごめん、なんか気に障るような事言っちゃった……?」
どこか怯えた様子で僕の顔を覗き込む彼女の声で、ハッとする。しまった……つい勢いで声に出してしまった。
心を落ち着かせ、なんとか
『どういう事だよ、彼女が予備軍って……!』
『あははっ、少し落ち着きなよ。 彼女も驚いていたじゃないか』
そうケラケラ笑いながら、ハナコが僕の頭に直接語りかけてくる。その小馬鹿にするような言葉選びに苛立ちを覚えつつも、僕はなんとか気持ちを落ち着かせ、彼女の説明に耳を傾けた。
『改めて説明するけど……『
『予備軍って……?』
『例を挙げるとするなら……そうだな、「自分の心に関心がない」とか、「心に蓋をしている」、「心に闇を抱えている」。 こんな風に表現すれば分かるかい?』
あ……と思わず声を漏らした。なるほど、どうやら『
(でも……)
もう一度、目の前にいる
「……あのー、もしもーし? じっとしたまま無言は流石の私も対応に困りますですぞー?」
「ハッ!? あ、えと、ごめん……」
またもや、
「あー、ひょっとしてアレか! ニャガシャカ星との電波交信か! いやー、電波が精密すぎて流石の私も気づかなかったなー」
「あ……その設定、まだ続いてたんだ……」
例のよく分からない設定での会話に、苦笑いで返すしかない僕。……が、むしろ好都合かもしれない。彼女がちょっとしたおふざけで言っている事なのか、はたまた本気で僕を異星人だと信じているのかは定かではないけど……ここは都合上、その設定に乗っからせてもらうことにしよう。
「あ、えーと……そう、実は今ちょうど交信してたところなんだ。 ほら、こうやって頭の中で別の空間にいる人と電波でコミュニケーションを……」
我ながらアホらしいな……なんて思いながら適当な説明をでっち上げる僕を、
「あの……どうかした?」
「へっ? ……あーいや、君って割とノリが良いタイプだったんだなーって。
……ふむふむ、遂にカミングアウトしたなニャガシャカ星人! 私の目に狂いはなかったね!」
(やっぱりおふざけだったぁぁぁぁぁ……!!)
一瞬素に戻ってから、気を遣うように異星人設定を再開してくれた
『……雑談は終わったかい? なら、説明の続きをしたいんだけど』
退屈そうに、ハナコが頭の中に声を割り込ませてくる。無視して
『君も重々承知だろうけど、心の闇はふつう可視化できない。 君が彼女の言動から『
……そこで、君が今完全にその存在を忘れているであろう
ハナコに指摘され、そういえば……と、ふと思い出してキョロキョロと辺りを見回す。件のちびキャラ───もとい
『君に君の
言われるがままに、彼女の周辺をチラチラと目で蹂躙する。と……
「…………居た!」
「へ? 何が?」
「え、あ、その……人間の目には見えない異世界生物が……みたいな……」
「ほー! ニャガシャカ星人にはそんな特殊能力まで備わっていたとは! これは大発見でありますな、隊長!」
危ない、間一髪で誤魔化せた……かどうかは分からないけど。
彼女の足元に、僕の
きらびやかな装束と、透き通ったベールのような布があしらわれた衣装に身を包む、まるで東洋の踊り子さんのようなデフォルメキャラ。その見た目は、まさに
『あれが、風晴さんの
『あぁ、そうだ。 ……なるほど、彼女の
ブツブツと呟きながら、一人楽しんでいる様子のハナコに、質問を投げかける。
『あの、特性って何……?』
『
『……本当だ。 よく見たら、RPGに出てくる勇者の剣みたいなのがある……』
『そうだ。 君の
『……本当に、言葉遊びみたいな世界観なんだね』
改めて自分の
心的防衛機制とは、人間が無意識下に、自分が得た情報を良いようにねじ曲げたり、回避したりすることを指す。これによって、人間は心の平穏を保つことができるのだが、その防衛機制には様々な種類がある。例えば、不安を生み出した行動と逆の行動をとって心的安定を保とうとする『打ち消し』や、受け入れたくない欲求、現実を認めない『否認』。更には、『隔離』『投影』『同一化』『合理化』『反動形成』などなど。フロイトが示した十種類の機能によって人間の心は安定を保っていて───
『───何を一人でベラベラ喋っているんだい? さっさと彼女の
『……あ』
しまった、またいつもの癖で心理学解説を始めてしまった……
ハナコのイラついた声に怯えつつ、言われた通りに
『……てか、そもそもどうやって接触させる訳?』
『簡単だよ。 目の前にいる彼女と会話をすれば良い。 他愛ない会話から、徐々に相手の心に迫っていくんだ。 それこそ、
『会話、か……。 なら、精神科のカウンセリングみたいな要領で大丈夫って事?』
『ああ、その方が分かりやすいというならそれで良い。 大切なのは、ゆっくりと相手の心に歩み寄っていく事だ』
実際に精神科のカウンセリングやった経験なんて、ない。けど、方法さえ分かっていれば、きっと何とかなるだろう。僕は文字通り気持ちを切り替え、ハナコとの念話から、目の前でじっと僕を見つめている
「おっ、交信終わった?」
「あ、まぁ、うん……ごめんね、放ったらかしにしちゃって……」
「いーのいーの! ……って言いたい所だけど、流石に一分弱の沈黙タイムは
そりゃそうだ。というか、むしろよく愛想つかさずにずっと待っててくれたな、と改めて
さて、ハナコは漠然と「会話をしろ」と言っていたけど、どうしたものか。何か話題、話題は…………。
「えーっと……その、本日はお日柄も良く……」
「ほぇ?」
「あっ、ごめ、ごめん今のなし……」
あぁ……穴があったら入りたい。自己紹介の時にも感じたけど、僕って自分が思っていた以上に人見知りらしい。小学生の時は、もっと上手く人付き合いできてたはずなのに……。自分の口下手ぶりに思わず頭を抱える僕の横で、僕の
『……君はアレか、俗に言うコミュ障か。 よくそんなので心理学者になろうとか言えたね』
『うっさい! 別に良いだろ、治療と研究は別なんだから……』
頭の中で響くハナコの嫌味を一切無視して、もう
「あ、ごめんね……僕ちょっと口下手で……」
「あっははは! ニャー悟クンって本当面白いね! 周りの子から「変わってるね!」とか言われたりしない?」
「うぐ……ま、まぁよく言われるかも……」
図星を突かれた。どうやら彼女は、コミュニケーション能力だけでなく、人間観察力にも長けているらしい。彼女の
僕の素性を言い当てた事で気を良くしたのか、彼女はニンマリと笑いながら、
「やっぱり? ……だとしたら、私と貴方は良き変わり者仲間って訳だ! ふっふっふ、俺たち仲良くやっていけそうじゃねーの!」
「あ、自分で変わり者って言っちゃうんだ……」
「まぁね~。 ……ハッ、これは私も宇宙人デビューを果たすチャンスなのでは……!?」
「いや、デビューしなくて良いから……」
チラ、と
調子に乗って、僕は畳み掛けるように
「でも、
「えへへぇ~、皆から好かれてるなんて言われると照れますなぁ~。 まぁ? やっぱり私の中に秘められた愛されキャラの血が? 無意識に放出されちゃってる感じ?」
「いや、血が放出されてたらマズいんじゃ……」
「そーそー、もう全身傷だらけで血がブシャー! みたいな感じに……って、そんな訳あるかーい!!」
あはははっ! と楽しそうに笑う彼女に合わせて僕も笑うが、正直ちょっと疲れてきた。どんな話題でもテンション高く受け取って、終始笑顔を絶やすことなく喋りつづける
(なんだ、やっぱり彼女は正常じゃないか……)
遂には、そう信じ込んでしまった。ハナコの言っていた事はただの嘘で、風晴さんには何の問題もない。そう信じて疑おうとしなかった。
……それこそが、自分自身の心の逃避行動だったという事に、僕は気づいていなかったのだ。
「……
その時の僕は気づかなかった。
横で楽しそうに踊っていた僕の
『……バカが』
『え……?』
そう呟くハナコの声が聞こえた。間抜けな僕は、その言葉の意図にすら、まだ気づけていなかった。もしや……と思い、僕は目線を
「……あはは、そう見える?」
ほんのちょっと間を置いてから、
「まーね! 私ってば超超ポジティブスィンキングウーメンだから、悩みなんてこれっぽっちも持ってない訳でごぜーますですよ!」
「あ、あの……」
「ほら、私に悩みなんて似合わないし? ……そう、きっと悩める子羊であった私はもう、神の恵みを得て大天使級に成長しちゃった、的な……!?」
違う。そんな事思ってない。
気づくのがあまりにも遅すぎた。彼女の隣で、頬に受けた傷を押さえながら、なおもダンスを続ける
「……それに、私が悩んでる感じとか出したら駄目だから」
……彼女は、自分にウソをついている。
───キーン、コーン、カーン、コーン。
彼女の消え入るような呟き声に重なるように、チャイムが鳴り響いた。ハッとした顔で我に返った風晴さんは、すぐにいつもの様子に戻り、せわしなく足踏みを始めた。
「ヤバッ、もう二時間目始まっちゃってんじゃん!? ニャー悟クンのバインド能力にやられたぁ~!」
「あ……ご、ごめん! 変に引き止めちゃって」
「気にしない気にしない! 色々とお話できたし、転校生との友情ポイントが上がった! って考えればお得だしね~。
……って、そんな事言ってる場合じゃないよ! 急がないと!」
そうだった。僕も早く教室へ……というか、まず職員室の方へ急がなければならない。別の用事がある、という旨を伝えつつ、
「じゃ、また後でね~!」
そう言って、猛ダッシュしながら教室へ帰っていく
『私が悩んでる感じとか出したら駄目だから……』
もしも。彼女の中に、『
彼女のあの言葉は、それを示す重要なSOSだったのではないだろうか。
「
再び静寂に包まれる廊下の真ん中で、僕はただ、ギュッと拳を握りしめて佇んでいた。
***
屋上には、落下防止の為にフェンスが張り巡らされている。そこをよじ登ると、心地よい風がより一層肌で感じられると共に、学校全体を見下ろすこともできる。無論、それは各教室の中の様子や、中庭の様子……そして、授業時間であるにもかかわらず、廊下でポツリと佇んでいる男子生徒の様子だって例外ではない。
彼は、フェンス上部の有刺鉄線に手をかけると、そのままヒョイッとフェンスを乗り越えて、フェンスと校舎の縁との僅かな間に着地した。そして、何食わぬ顔でそこに腰を下ろす。
「なるほどね。 ……今後のゲームは少し難易度が上がりそうだ」
右の掌から溢れる血をペロッと舌で舐めとりながら、彼は不敵に笑う。ビュウビュウと音を立てて吹く風が、彼の首にかけられたペンダントを、小さく揺らしていた。
つづく
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