第一章③『心此処に在らず《メランコリック》』
「生徒達の、心を……?」
突拍子もなく告げられた謎の依頼に、僕はただただ唖然とするしか無かった。「心を救う」という聞き慣れないフレーズに困惑するしかない僕をよそに、ハナコは淡々と話を進めていく。
「君には覚えてもらわなければいけない事がたくさんあるんだけれど……そうだな、『
「メランコリック……? それって、物思いに沈むとか、憂鬱になるって意味の……?」
「ご名答。 しかし、私たちの間では、『
メランコリック、心を失う……言葉だけ聞くと、鬱病や記憶喪失などといった心理的な病を連想するが、そういったものに近いのだろうか? あるいは、今まで心理的病として扱われていた様々な病理に、この
「最近、この学校内で『
……だから君には、症状が悪化して心を失いかけている生徒達を救ってもらいたいんだ」
ハナコの声音が、この時だけ少し変わったような気がした。しん、と沈んだ静寂の中、僕はハナコの言葉を頭の中で整理する。生徒を救う……それってつまり、僕に精神病の危険がある生徒の治療をしろって事!?
「……ちょ、ちょっと待ってよ!」
思わず、そう叫んでいた。僕の隣では、
「その、『
僕の夢は、立派な心理学者になって人々を救う事だ。でもそれは、ちゃんとした学習をして、正当なキャリアを積み重ねて初めて可能になる事。……今の自分にはまだ、人の心を救えるような技量は無い、と思う。
しかし、そんな事はお構い無しだとでも言うかのように、ハナコは淡々と言葉を並べていく。
「知識が不十分かどうかは私の知ったことじゃない。 でもね、君は生徒達の心を救うに足る力を得た。 得てしまったんだよ。 ……君の運命は、もう既に動き始めている」
ハナコの視線が、僕の首にかかっているペンダントへと向けられる。
「でも、これは元々僕の物じゃ……」
「それを手にして、
「そんな……」
……そうか、僕はこんな得体の知れないものを拾ってしまったばっかりに、こんな事に巻き込まれなければならなくなってしまったのか。"運命"というフレーズを何度も口にしていた彼女の意図が、今ようやく分かったような気がした。
ふぅ、と小さく息を吐きながら、ハナコは再び後ろの机に腰かけた。そして、煽るような調子で盛って僕に語りかける。
「ま、君がこの学校の生徒達がどうなろうと気に留めないというのなら、別にそれでも構わないよ?
……その時には、ペンダントは譲渡してもらうし、君がここで私と逢ったという記憶も消させてもらうけれど」
ハナコは、そこで一度言葉を切ってじっとこちらに視線を注ぐ。その視線から逃れるように顔を横に向けると、僕の
ハナコの話をまだ完全に信用している訳ではない。もしかしたら、横にいる
(……でも)
でも、それは今重要なことじゃない。
僕が今判断すべきなのは、"今の僕に、生徒達の心を救うことができるのかどうか"だ。
僕がこのペンダントを拾ったのは、紛れもなく偶然だ。もしも、僕以外の人がコレを見つけていれば、きっとその人に同じ運命が課されていただろう。……つまり、これは"僕にしか出来ないミッション"なんかじゃないし"僕がやらなければならないこと"なんかでもない。
損得勘定で考えれば、圧倒的に損。信憑性で考えてみたとしても、圧倒的に疑。
……そんな、どう考えても断った方がいいという状況の中で、
「……分かった、やれるだけやってみる。 できるかは分からないけど」
「……へぇ。 "少し時間をくれ"とでも言うかと思っていたけれど、案外早く決断したね」
「勘違いしないで。 ……僕はただ、確かめたいだけだ。 これが本当に、自分のやるべき事なのかを。 だから、もし自分には無理だと思ったらすぐに辞めるし、自分以上に適任だと思う人が見つかったら、即刻その人に責務を譲る」
それに……と僕は続ける。
「好奇心旺盛なところと、前向きなところ。 それが、僕の長所だからさ」
そう言って笑うと、ハナコは一瞬目を丸くして僕を見つめた。そして、その意思を汲み取ってくれたかのようにフッ……と小さく笑みを溢すと、
「なるほど……じゃあ、さしずめ仮契約といったところかな。 感謝するよ、
ハナコはふふっと僅かばかり微笑んで見せた。どのような形であれ、協力者が得られれば何でも良かったらしい。……こちらからしてみれば、良い駒として扱われているみたいで、ちょっと癪だけど。
「……さて、じゃあ契約成立の証として契りを結んでおこうか」
さっきまでの、緊張感を漂わせる重い声音を止めて、ハナコはふぅ、と息を吐いた。軽い身のこなしで、彼女は腰かけていた机からヒョイッと降りる。
「は? 何、契りって……何も聞いてないんだけど……」
「まぁまぁ、そんなに怖がる必要はない。 大したことではないからね」
そう言って、彼女はおもむろに僕の
「…………なっ!?」
そのまま、僕の
「いやいやいやいやいや!! ちょっと、きゅ、急にななっ、なっ、何してんの!?」
突然の出来事に、僕は動揺せざるを得なかった。いくら自分ではないからといって、目の前で自分そっくりのちびキャラと女の子がキスしてるのを見せつけられたら、ビックリするに決まってる……! 何で? 何のためにそんな事? あたふたする僕の前で、彼女はキョトンとしながら首を傾げて、
「何って、さっき言っただろう? 契りを結んだんだよ」
「契りって……え、それってその、いわゆる、男女の契り的な感じなの……?」
ゴニョゴニョと一人でそんな事を言っていると、ハナコが冷やかな視線をこちらに向けながらため息をついてきた。
「……君は馬鹿か? もしくは童貞か?」
「ど、童貞は関係ないだろ!!」
すぐさま抗議するも、ハナコの呆れたような視線は未だ僕に突き刺さったままだった。やがて、はぁ……と大きなため息をついたかと思うと、ハナコは顔を真っ赤に染めてフラフラしている僕の
「君と私とが協力関係になった以上、情報交換をはじめとして様々な場面でコミュニケーションをとる事が必須になるだろう。 だから……」
と、ハナコが急に言葉を切って目を閉じた。不可解なタイミングで途切れた会話に首を傾げていると、
『───こうやって、君と私の心を繋げたんだ。 ほら、今まさに君と私の"心と心が繋がっている"だろう?』
「うわっ!?」
突然、頭の中に声が響いた。ビクッと、思わず身体が震える。耳を介してではなく、頭に直接響いてくるようなその声。それは紛れもなく、さっきまでずっと会話をしていたハナコの声そのものだった。
ファンタジーやラノベなんかでよく聞く"脳内に直接語りかけています"ってヤツ。あれが、今まさに現実に起こっているような感覚だった。怖さとか気持ち悪さも無くはないが、それよりも、言葉を発さずに会話ができているというその事実に、僕は驚きを隠せなかった。
「すごい……こんな事も出来るんだ……」
『まぁ、ただの通信手段として機能させているだけに過ぎないんだけどね。 私は訳あって校内を自由にうろついたり出来ないから、こうして遠方から君に助言をしたり、逆に情報を送ってもらったりすることになる。 分かってくれたかな?』
チラ、と此方の様子を伺うハナコ。『うん、何となく分かった』と、彼女の真似をして僕も念話で語りかけてみる。ちゃんと伝わったのかどうか不安だったが、ハナコがそっと目を開いてコクリと頷いたのを見て、ホッとした。色々話したけど、今この瞬間、やっとハナコと少し打ち解けられたような気がして少し嬉しかった。
───キーン、コーン、カーン、コーン
倉庫の外で、チャイムの音が響きわたる。なんか、長いようで短い時間を過ごしたような気がするな……なんて思っていると、ハナコがふと思い出したかのように、
「……そういえば君、どうして授業中だっていうのに校内をほっつき歩いていたんだい?」
「へ? ……あぁいや、この時間に職員室へ行って案内を…………」
…………。
…………あ。
思考がそこまで至った瞬間、僕と僕の
そうだった。僕は一時間目のこの時間を利用して職員室に行き、先生に校内を案内してもらう手筈だったのだ。ペンダントを拾った辺りから目まぐるしく色んな事が起きたせいで、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。今頃、案内役の先生は職員室でカンカンに怒って…………!
「うわああああああああああああ!!!!!!!」
我を忘れる程……とまではいかないけど、僕は慌てて倉庫の扉を蹴破って外へ飛び出していた。途中、ハナコが何か言っていたような気もするが、今はそんなことに構っている場合じゃない。早く、一刻も早く職員室に行って、何かしらの弁明をしなければ終わる。終わってしまう。
……と、慌てて飛び出したは良いものの。十秒も経たない内に、僕はまた迷子の子羊と化してしまっていた。元はといえば「職員室の場所が分からないから」という理由で色々と校内を彷徨うことになったのだ。外に出たところで、場所が分からなければ意味がない。というか、さっきハナコに場所聞けば良かったのでは……? でも、今から戻る暇なんて無いし……。と、グルグル思考を乱しまくりながら、宛もなく走る。どこに向かうでもなく、ただひたすら真っ直ぐに廊下を駆け巡って、そして───
───ドンッ!!
「きゃあっ!?」
「うわっ!?」
丁度、西館に繋がる通路に入ろうとした辺りで、反対側からきた生徒にぶつかってしまった。結構なスピードで走っていただけあって、身体への衝撃もそれなりのもの。鈍い痛みが、肩とお尻に滲んでいくような感じがする。
「いってて……。 あ……ご、ごめんなさい! 大丈夫で…………あれ?」
ヨロヨロと起き上がり、ぶつかった相手に謝ろうとした時に気が付いた。尻餅をつくその相手に、見覚えがあったのだ。この子は確かクラスメイトの一人……。そう、今朝僕が自己紹介でやらかした時に、唐突に意味不明なセリフを言って場を和ませてくれた、あの子だ。
「いったたあ~……。 って、誰かと思えば、朝のニャガシャカ星人クン! こらぁ~、廊下は全速力でランナウェイしちゃダメなんだぞ~!」
「ご、ごめん……。 えっと、
「そ、
お尻をペタンと床につけて、起き上がれない様子の彼女───
よっこらせ……と、古典的な掛け声とともに立ち上がった
「やぁやぁありがとう! 手を貸してくれた親切心に免じて、ぶつかった罪は不問としようではないか!
……ところで、そんな急いでどこ行かはるん?」
「え、えぇっと……」
コロコロと話し方の変わる彼女に困惑して、どう答えるべきか迷ってしまう。いや、それ以前に、今の僕の状況をどうやって説明すれば良いんだろうか……。
と、僕が返答にまごついていたその時だった。
『───ほう、丁度いい。 まずは彼女で試してみるとしよう』
突然、頭の中で声が響いた。言わずもがな、その声の主は、つい先程まで話していたハナコだった。
彼女で、って……もしかして、どこかで僕のことを監視しているのか? そう思ってキョロキョロと辺りを見回してみるが、どこにも彼女の姿は見当たらない。
「ん、どしたの? スナイパーに狙われてる?」
不思議そうに首を傾げる
と、あんまり彼女の前で不可解な行動をとり続けるのもアレなので、とりあえずさっきみたいに念話で語りかけてみる。
『試す、って……一体何をするつもり?』
『おや、気づかないのかい?』
気づいて当たり前でしょ? みたいな口振りがいちいち腹立つけど、余計な事でカッカしている場合じゃない。黙ってハナコの言葉を待っていると、彼女は一呼吸置いてから、とんでもない事実を言い放った。
『───
「え…………」
信じがたい事実に、思わず声を漏らす。窓から射し込んでいた日の光が、分厚い雲に遮られて周囲に影を落としていた。
つづく
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