第一章②『開かずの倉庫のハナコさん』
「…………」
言葉が、頭の中から失われたように出てこなかった。今のこの心情を、どのような言葉で表現すれば良いのか分からなかった。
目の前に座る白髪の少女の姿を、僕はしばらくの間ずっと見つめていた。……いや、目が離せなかった、という表現の方が正しいかもしれない。少女には、それほどまでに僕の意識を引き付ける何かがあるのだと、そう思った。
顔つきは、僕よりも少し幼いぐらいだが、この学校と同じ(しかし、どこか色褪せているようにも見える)制服に身を包んでいる。真っ直ぐにのびた白い髪は、右側で軽く留められていて、サイドアップのような見た目になっていた。女神のような、どこかノスタルジックな感覚すら覚える美しさを
ただ、容姿はなんとなく分かるものの、倉庫の扉から入り込む光がどうにも少なすぎて、顔とかはよく見えない。今まで、同級生の女子の顔なんて気にしたことさえ無かったのに、今はどうしても、その子の顔をよく見たくて仕方がなかった。そんな
「───誰っ!?」
異変に気づいた少女が、慌てた様子でキョロキョロと辺りを見回しはじめた。マズいっ!? と、反射的に身を屈めようとする。しかし、思うように動く事すら出来ないこの狭い空間で身を潜められるはずもなく。僕があたふたしてる間に、あっけなく少女に見つかってしまった。
睨む彼女と、怯える僕。
「あ、あの……」
「っ!?」
たった一言声を発しただけなのに、彼女はものすごく驚いた様子だった。警戒心を剥き出しにしながらも、彼女はゆっくりと僕を見つめたまま近づいてきて、
「……君、やっぱりハッキリと視えてるんだね?」
「え? 視えてる、ってどういう……」
すると彼女は、僕が下げていたペンダントに目をとめて、おもむろにそれを掴んだ。首がキュッと締め付けられ、まるで少女に胸ぐらを掴まれているような格好になる。
「……このペンダントは、君の?」
「あ……いや、その……空き教室に置いてあったのをたまたま拾って、それで……」
けほっ、けほっ……と喉を押さえて咳き込みながら、改めて彼女の方に目をやる。彼女は、なにか考え事でもしているような素振りで俯いていた。やがて彼女は顔を上げ、もう一度大きなため息をつくと、
「珍しく来客があったかと思えば、まさかこんな事になるなんてね。 ……この子の事といいペンダントの事といい、どうやら君は、なんとも数奇な運命に導かれているようだ」
この子? と尋ねるよりも先に、さっきまで一緒にいたちびキャラが現れて、ピョンと彼女の肩に飛び乗った。ちびキャラは、すっかり彼女になついているらしく、甘えるように頬ずりしている。なんだか、自分自身が彼女に甘えているのを見ているようで、少し気恥ずかしい。
と、急にソワソワし始めたちびキャラの襟をつまみながら、少女が僕に質問をしてきた。
「……それで、君は一体何者? どうしてここに来たの?」
何者、ってのはこっちのセリフだよ……と心の中で文句を言いつつ、僕はさっきの自己紹介の二の舞にならないよう、落ち着いて自分の名前を言った。
「僕は、
「
「え? あ、えと……この倉庫は、学校説明の時に一度通りかかった事があって。 ずっと気になってたんだけど、今日は、ソイツがダッシュでここに入っていったから、慌てて追いかけてきて……!」
「なるほど。 知的好奇心、ってヤツだね」
いや、だから僕じゃなくてソイツが……! と反論しようとしたが、止めた。今はそんな下らない事はどうだっていい。それより重要な、聞かなくちゃならない事がたくさんある。
「僕の事はいい! この変なちびキャラの事、君の事を教えてよ! 君こそ一体何者なの!?」
不可思議の連続に悶々としていた自分の心を、全て曝け出すようにして大声で尋ねる。冷静さは取り戻したつもりだが、まだ頭の中を完全に整理できた訳じゃない。目の前にいるこの謎の少女がその全てを知っているというのなら、僕が納得のいくような説明をきちんとしてもらわなければ困る。
そんな、半ば八つ当たりにさえ見える感情で叫ぶ僕に、しかし彼女は一切動じる事なく、むしろ落ち着き払った様子で答えた。
「そうだね。 ……君が運命によってここまで導かれてきた者であるというのなら、私には君に全てを語る義務がある」
なんだか意味深な言葉ばかり口にする彼女は、近くにあったボロい机に腰掛けて、まるで読み聞かせでも始めるかのように、ゆっくりと優しく話し始めた。
「まず、自己紹介からだね。 私の名前は、そうだな…………『ハナコ』とでも呼んでくれたら良い」
「ハナコ……? あの、三番目のトイレの……?」
「そんな怪しいオカルトと一緒にしないでくれるかな?」
「いや、君も十分怪しいと思うけど……」
ハナコ。そう名乗った少女は、傍らで不思議な動きをしていたちびキャラをヒョイとつまみ上げると、
「ここからが本題だ。 ……この子、君にそっくりだよね?」
「あぁ……似てるって言うより、僕そのものって感じ」
「ふふっ、確かにその通りだ。 この子は君そのもの。 ……もっと分かりやすく言えば、君の奥底に眠る君、といったところかな」
全然分かりやすくないんだけど……などと思っていると、彼女───ハナコは、ちびキャラを両手の上に乗せて、僕の目の前に突き出してきた。
「これは、"
「………………すぴ、りっと……?」
その言葉の意味をちゃんと理解するのに、しばらく時間がかかった。目の前の少女は、大真面目な顔で、このちびキャラが僕の"心"であると言ってきた。……いや、どういう事だよ。
「これが、心? ……いやいや、全く意味が分からないんだけど……」
「……まぁ、最初は誰しもそういう反応をするだろうね。 混乱するのも無理はない」
そうだな……と、ハナコは顎に手を置いて何やら考え事をはじめた。と思うや否や、彼女は僕を突然指さし、
「例えば……君は今、ズボンのチャックが全開になっている訳だけど」
「…………はぁっ!?」
衝撃的すぎるカミングアウトを受けて、僕は慌ててチャックを確認する。ちびキャラの事とかよりも前にそれは教えて欲しかったんだけど!
早くチャックを閉じたいが、倉庫の中なので暗くて手元がよく見えない。何せ、まだ着なれてない制服だから、構造とかあんまり分かってなくて……。 せめて、灯りでもあれば……! などと、じれったく感じていた時だった。
ボッ!! という音と共に、目の前が一気に明るくなった。音に驚いて顔を上げると、なんとさっき
……いやいやいや大惨事じゃないか!!
「ええっ!? ちょ、何!? それ大丈夫なの!?」
「心配しなくていい。 多少ダメージは喰らうだろうけど、
落ち着いた声でそう
「顔から、火がでてる……!?」
そう。
「……あれ?」
自分の股間部分に目線を落とす僕。開いている、と指摘されたはずのチャックは、完璧に閉まっていた。
「あ、あの……チャック開いてないんですけど」
「当然だよ。 さっきのは、私が君に
「…………」
悪びれもせず、
ともあれ、チャックが開いていなかったと分かり安心した。僕がホッと胸を撫で下ろしたと同時に、
……どうやら、ハナコが言っていた事は本当らしい。あの時、
「信じてもらえたかな?」
「まぁ、うん……理解できなくはないけど」
「理解が早くて助かるよ」
人は、慣れていない新奇な刺激に触れたとき、思考や行動で以てそれを避けようとする。これを心理学用語で『ネオフォビア』と呼ぶ。僕は今まさに、ネオフォビアによって目の前の事象を
しかし、これはヴァーチャル映像でもなければ、夢でもない。紛れもない現実だ。僕は、それを受け入れるしかなかった。暗闇にだんだん慣れてきた目が、倉庫内で不規則に漂う埃や塵を捉えている。
「
積み上げられた備品に背を預けながら、ハナコは淡々と語る。
なるほど……要するに、一人の人間につき一体の
「というか、
僕の問いかけに、ハナコは少し呆れたような調子でため息をつきながら、
「そりゃあ、人がそんな簡単に相手の心を理解するなんて出来るはずがないよ。 君だって、人の心を理解したいが為に心理学という学問を学んでいるんだろう?」
「うっ……ま、まぁそりゃそうだけど……てか、何で僕が心理学の勉強してるって知ってるんだよ!?」
「さっき君の
なっ……さっきので、僕の心が読まれたっていうのか!? 特に大きなコンタクトなんかはなかったはずなのに、ただ"手に取った"というだけで、ここまで分かるなんて……。
「で、後者の質問に対する回答だけど……」
そう言って、ハナコはヒョイと机から降り、ゆっくりと僕の方に近づいてきた。そして、僕が首から下げていたあの妖しいペンダントをひとさし指でなぞるようにしながら、指さした。
「……まさか、このペンダントを着けている人には
「ご名答。 君は偶然にも、
「マジか…………」
なんたる偶然だろうか。さっきハナコが口にしていた「運命に導かれている」という言葉の意味がようやく理解できた。どうやら僕は、神様からとんでもない運命を与えられたらしい。
「このペンダントに付いている石。 これは、
ほら、テレビ番組なんかで、人の心を読める超能力者が出てきたりするだろう? 心理学の研究者でもないのに、そういった力を発揮できるような人たちは、この
勿論、私も所有しているよ。と言って、ハナコはYシャツの中から、僕と同じようにペンダントの状態にしてある
「あのさ……それってつまり、この
「残念だけど、それは難しいだろうね。 もし可能だとしても、それを人間が善意ある目的ばかりに利用するとは思えないし。 ……第一、
学術的にも、道徳的にもド正論な言葉で論破され、思わず口をつぐんでしまう。分かってる、人の心がそんな簡単なものじゃないって事ぐらい。でも、もしかすると……なんて、ついつい自分のいいように思考を巡らせてしまうのも、人間の悪い癖なのかもしれない。
と、一通りの説明を終えたハナコは、話を区切る合図のようにコホン、と咳払いを一つ挟むと、再び僕の方へと歩み寄ってきた。
「……さて、
「ちょ、ちょっと待った! まだ聞きたいことはたくさんある! この
頭に浮かぶ数々の疑問を矢継ぎ早に放っていると、ハナコはそっと僕の口を人差し指で塞いできた。
「……悪いけど、それについてはまだ話せない。 私にだって、黙秘したい事情の一つや二つはあるからね」
「…………」
人の心の中を勝手に覗き見ておいて、何だその言い草は……。心の中ではそう文句を言いつつも、口をふさがれ、その状況にドギマギさせられ、結局反論できない自分が情けない。そんな思いを感じとってか、僕の
「ギブアンドテイクといこう。 私は君に、
ゴクリ、と唾を飲み込んだ。僕が運命に導かれた存在なんだとしたら、当然、その先にも何かしらの運命が待っている事だろう。それが一体何なのか、彼女がどんなテイクを持ちかけてくるのか。……僕は、その運命を受け入れられるのか。
緊張してグッと手に力が入っている僕に対し、彼女はたった一言。……しかし、とんでもない運命の布石となる言葉を言い放った。
「……君には、この学校の生徒たちの心を救う
つづく
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