第3話

2018年4月8日。



スマートフォンが叫んだ。

「(警報ブザー音)大地震が来ます!!命を守って!!安全を確保して!!!」



午前5時42分に朴哲とメイリンは地震から身を守るように呼び掛けるスマートフォンの警報音で目が覚める。この地域は地震なんてめったに起きない場所だ。

大きな揺れが来るかもしれないと、テレビをつけた直後に二人は安全な場所に隠れる。

「メイリン、テレビを見ろ」

「はい、哲」

「今すぐに身の安全を確保しろ。今すぐだ」

「まさか今度の地震は……!!」

地震は50秒後にほぼ治まった。幸いにも建物倒壊などが発生するぐらいの生命に関わりかねない大きさの地震ではなかった。

メイリンはテレビでマグニチュードと震源地と芽岸市の震度、そして津波が来る可能性についてを確認した。

「……どうだ?」

「大丈夫です。マグニチュードは6.4、震源地は芽岸沖地下10km、芽岸市の震度は4。津波は来ません」

「そうか。しかし……なんて日だ」

「そうです。今日はなんて日でしょう。私たちの日常を壊すような、とても悪い日です」

二人はお互いの顔を見て、その表情からはお互いに「なんて日だ」と思っている事は分かる。


外を確認してみると、家の前の道路が車で渋滞している。地震で被害が出ていないかの確認でニコ鉄線や市電がストップしているからだろうか。すると、交差点を警察が交通整理を始めていた。実際にテレビの電源も停電で落ちて、テレビはもう使えない状態。

ラジオをつけて確認してみた。ラジオによると、先ほどからこの地震について停電以外の被害はないという情報だった。

5分後に停電は復旧し、家のテレビも外の信号機もついたので警察の交通整理も終わり、道路の渋滞もややマシになってきた。ニコ鉄線や市電もダイヤが大幅に乱れているものの、ストップしている区間はないとのこと。



午前6時になるとテレビのニュースが始まる。ニュースの冒頭でさっきの地震について言及があった。

今回の地震は芽岸沖にある長い断層により引き起こされたようで、芽岸市内でこの規模の地震が観測されるのは1960年以来とのこと。今回の地震の影響で交通機関が乱れ、また余震などが考えられるので、注意を呼びかけていた。

テレビでは横瀬州の地震災害についても言及があり、芽岸地方は地震は少ない地域である反面、横瀬州のある大都会の横瀬府は頻繁に地震災害に見舞われており、特に1976年の大地震ではマグニチュード8.4の地震で津波や建物の倒壊や地震火災などで3万もの死者がでたとのこと。2007年にも、横瀬市の臨海部にある平松空港なる国際空港付近の震源地でマグニチュード7.3の地震が起きて、横瀬府郊外のベッドタウンである外山県清水谷市で住宅火災が起きて3人の死者が出た。



しばらくすると、大学をもう卒業した二人にとってはどうでもいいような、ニコニコ国の最近の国語教科書事情についての特集が流れた。アナウンサーはこう語る。

「ニコニコ国では1980年代から教育のいわば民主化が始まり、1980年代にはそれまでいずれも必須であった高校での物理・生物・地学・化学が3科目履修でOKになったり、コンピューターのプログラミング言語が文系の数学のカリキュラムに取り入れられたりしました。1990年に国定教科書制度が廃止されたことにより、小学校・中学校・高校の国語の教科書が州ごとに違う教科書を採用するようになりました.

1991年には村上春樹や大江健三郎といった現代小説が、1995年からはいわゆるライトノベルが国語の教科書に採用されることが多くなってきました。」



このニュースを見て中学の頃に横瀬州に引っ越してきた朴哲はこう語る。

「中学1年のころ僕は初音都の初音市の瀬名というところから芽岸市に引っ越してきたんだけど、そこのクラスの人ってアニメやゲームにはまるきっかけが、国語の授業で登場するライトノベルの朗読だったり、アニメやゲームにはまるきっかけが、国語の授業で紹介されたライトノベルだったりして、何かダサいと思った。しかもそれが高校入試の国語で登場するもんだから……。」

ニコニコ国の生徒文化関連でのダサさはこれに他ならない。とにかく、一部を除いて日本や中国などの後追いが多い。数少ない日本に先駆けた取り組みともいえるニコニコ国内での高校生のバイク所持全面解禁は1994年のことだが、このときは既に車やバイク関連の乗り物文化はかなり下火になっていたし、ニコニコ国内では2000年からギャル文化が流行したが、こちらも日本の後追い。かなりわかりやすい例を言うと1980年代から流行した私学受験戦争ブーム。これなんて韓国や日本や台湾からそのまま持ち込んだのかというぐらいの丸写しっぷりである。しかも、学歴をステータス視する風潮はニコニコ国では現在でも続いているとのこと。



二人はそんなニュースを見ながら朝食であるサンドイッチを食べた。その後今日の用事を思い出した二人はテレビを消してスマホやノートパソコンなどの荷物をリュックに入れて着替えた後に家を出発した。

午前7時25分。二人は芽岸駅に行くべく路線バスに乗り込む。ちなみにバスに乗った時に思うことがメイリンにはあった。現実の日本の東京の一部地区で導入されている運賃前払い式のバスで運賃がバスを下りる場所で違うので乗るときにいちいち降りる場所を運転士に言わなければならないシステムについて正直に言って耳が聞こえずに声も出せない人がふざけんなよとよく怒らないなと思った。あれは歩道内条件付きでの自転車通行可ルールと同じくらいの日々の苛立ちの種だ。不便なのはもちろんのこと、障碍者にまったく優しくないシステムだなと思っている。せめて運賃が距離別の路線バスは今乗っている路線バスのように運賃後払い式に統一すべきだろう。

……と、どうでもいい苛立ちをしながらバスに乗って15分後に芽岸駅にバスがついた。運賃はICカードのチケット割引が適用されていたので100円。もちろんスマホ使用である。



芽岸駅に着くといわゆる日本の新幹線的な高速鉄道の切符売り場があった。ここで二人は朴哲の二人分の芽岸から横瀬の往復分の高速鉄道の切符をスマホ予約で買ったものを切符に交換した。もちろん運賃もこの場で払っている。ニコ鉄では高速鉄道の運賃は様々な割引制度があり、スマホ予約で買った場合は通常20%の割引となり、場合によっては最大70%割引になることもある。こういう割引制度は二人にとってありがたいなと思っている。ちなみにこの切符には20代・大卒者割引で50%の割引が適用されている。



駅で二人は嫌な光景に直面した。乗り込む列車であるCRH380BNが停車している高速鉄道のホームで鉄道好きのニコニコ人と旅行客の日本人が鉄道撮影をめぐって喧嘩をしておりその喧嘩を駅員と警備員が「怒号を一方的に子供に浴びせている親に他人が強い咳払い」「電車をとったぐらいで喧嘩するな。ここは日本じゃないだろ。」と言わんばかりに仲裁しているのだ。ニコニコ国では近年韓国人や日本人との文化的トラブルが相次いでおり、ニコニコ人と日韓両国の人々との友好感情は中国人以上に嫌悪的だといわれている。

厳格な序列意識をニコニコ国に持ち込む韓国人やいわゆる撮り鉄に不寛容な風土を外国のニコニコ国に持ち込む日本人は「郷に入れば郷に従え」という言葉を実践しろよと言いたくもなる。



午前8時12分、二人が乗り込んだ高速鉄道の列車は芽岸駅を発車した。途中の停車駅は、芽岸湖市、高野、梅園で、行先は横瀬。ちなみに列車番号はG203列車である。列車は16両編成で、一等車を4両、二等車を4両、三等車を6両連結している(二等車と三等車は料金体系のみ異なり、座席配置は同一である)。最高速度は300km/h(ただしこの列車のルートのうち半分の区間は保安装置のATPの関係や速度制限などの関係で250km/hで走る)で、自由席が設定されているのは三等車の6両のみで、残りはすべて指定席である。二人は二等車である2号車に乗った。

横瀬州を走る高速鉄道の料金体系は等級制を採用しており、列車の種別ではなく利用する車両の等級に応じて料金が異なる。一等車はいわゆるグリーン車、二等車は指定席特急車、三等車は自由席特急車に相当する。このうち一等車と二等車は変動料金制で割引内容によっては一等車が二等車より安く利用できたり、二等車が三等車より安く利用できたりすることがある。なお三等車は固定料金である上に当日に券売機で購入しないと利用できないようであり、一部の速達列車には設定されていない。

朴哲とメイリンはそれぞれ2号車のA席とB席に座っていて、その隣のC席には金髪の女性が座っている。

金髪の女性が朴哲に車窓撮影を手伝ってくれないかと頼んできた。朴哲は承諾して朴哲が座席のテーブルにデジタルビデオカメラを乗せる形で撮影することとした。車窓からは殺風景なトンネルとシェルター高架区間(シェルターは除雪作業などの手間をなくすための対策なのだろうか?)の光景ばかりが見えたが。

しばらくすると列車は芽岸湖市駅に到着。この駅は芽岸湖市最大の駅で、芽岸市の中心駅でもある。高原の上にある大都市の芽岸湖市の交通の要所であるが、芽岸県の厳しい気候を嫌った生活に余裕のある層が夏や冬に芽岸県を離れて気候が穏やかな横瀬州といった横瀬海という巨大な湾のような海沿いの地域の別荘に住むこともあって夏や冬にはこの新幹線やよく混み合う。しかし、今日はオフシーズンだったこともあってか列車はそこまで混み合っていない。駅に列車が止まるとC席の女性は朴哲のテーブルの上のカメラに手を触れて録画を停止し、テーブルから撮影用の代替わりの本も片づけた上に「撮影終わったから声出していいよ」と言った。せっかくなのでC席の人と話をすることにした。

彼女の名前は「ティア・フォン・アインツベルン」という。血液型はB型で、年齢は27歳。大学時代に家族とともにドイツからニコニコ国籍に帰化し、横瀬州の大学を出ている。大学卒業後はしばらくフリーターをしていた。そして、2018年に横瀬市の中層マンションに住んでいるとのこと。

「パクさん、この度は撮影に協力してくれてありがとうございます」

「いいです。僕もあなたと同じ撮り鉄ですし」

「あの、ティアさんは横瀬州のどちらに住んでるんですか?」

「横瀬州横瀬市に住んでるわ。横瀬州の大学の出身で、この国で生まれ育ったの」

ティアは1980年代に飛行機で横瀬州に渡った当時の西ドイツ人の両親のもとに生まれる。彼女は横瀬市内に拠点を置く瀬賀義塾に小学校から大学まで通い、彼女は大学を出て2013年に法学士を取得して大学を卒業する。鉄道との出会いは高等部でのとある男子生徒との出会いで、彼は高校を卒業後に科学ホールディングスなる横瀬市に拠点を置く巨大ゲーム会社に入社したという。

朴とメイリンと彼女とはブログやSNSで知り合っており、時々鉄道情報のやり取りを行ている。ティアは朴に芽岸市についての悪口を言い始めた。

「路面電車を歩道で撮影していた時に変な形で変な音がするバイクが路面電車とぴったり何台も並走していてビックリしたの。横瀬にはそんなバイクまったく走っていないから。しかもふざけていたのか知らないけど高校生らしき女の子がカメラに向かってピースしながらウェーイと叫んだの。私はそのあと電車で車窓取りながら芽岸湖に移動してそこで湖の野鳥やボートを撮影していたときにも、空ぶかしながら蛇行運転で走る似たような改造バイクの集団が近くの道路を走っていて、やっぱり芽岸県のダサい若者だけは好きになれないねと思ったわ。」

2000年以降、横瀬府都市圏、とくに横瀬府内には暴走族は存在しないという。というのも2000年に施行された横瀬府環境宣言都市条例で環境水準に満たないエコ性能の低い車やバイクは横瀬府内への乗り入れや市内での運転が厳しく禁止されているからである(ちなみに罰則は50万円以下の過料ないし4か月以下の禁固刑)。実際に横瀬市内にもバイクに乗る人々は存在するが、そのほぼすべてが2000年代以降に製造された4ストロークエンジンのバイクを利用する比較的静粛なバイクのユーザーだ。車についての規制も厳しく、1990年以前の車種についてはナンバーが発行されないことが普通である。鉄道にも環境性能の厳しさが適用され、SLの乗り入れは厳禁。気動車もJR世代以降の車両しか乗り入れることができず、電車も旧日本国鉄103系のような排熱量の大きいような車両は基本的に乗り入れない。なお、この条例は横瀬市内の公道にしか適用されず、施行後も駐車場まで車やバイクをトラックで運んで駐車場でそれらを下した後にエンジンをみだりに空ぶかしするパフォーマンス行為や、おもに有名観光地の駐車場で暴走行為を行うケースが後を絶たなかったが、こちらは2007年から進んだ駐車場管理業者の自主規制や道路交通法の拡大解釈を武器にした警察の取り締まりで姿を消した。また、横瀬府環境宣言都市条例施行後は特攻服と装飾が派手なハーフキャップを着用して著しい装飾の自転車で暴走したり、特攻服を着て男女が歩道や公園やショッピング施設や公共交通機関を屯する行為もあったが、こちらも2008年に施行された第1次改正横瀬府迷惑行為禁止条例で規制されて姿を消している。


そんなことを語っているうちに列車は長大トンネルを抜け雪国芽岸県から温暖気候の横瀬府内に入った。横瀬府は横瀬海なる湖のような大きな湾の沿岸のすべての自治体がテリトリーで、府の端から府の端まで新幹線がないと遠いと感じるぐらいにとてつもなく広い自治体である。芽岸県内は在来線と同じく防雪シェルター(立体交差化が完了した1971年より設置が進められ、1987年には全区間の設置が完了。これにより大雨と大雪に関する運休はほぼなくなった。もちろん変電所への落雷に関する運休は防げないまま)を走行することもあり最高速度は250km/hだが、ここからは防雪シェルターの代わりに防音設備のある区間となり、最高速度も300km/hとなる。

午前9時53分。列車は間もなく高野駅に到着する。高野駅は横瀬府の中でも大した特徴のない駅。何人かの乗客の乗り降りの後に列車は梅園駅に向かって出発。梅園駅までの区間は防音壁越しに野暮ったい市街地が続く風景だ。

午前10時12分、梅園駅に到着。横瀬市内に入る手前の最後の駅。ここからこの列車は二つの海峡大橋を渡って横瀬駅に向かう。3分後に出発すると列車は最初の海峡大橋を渡る。橋からは風光明媚な梅園港と共に貨物船などが沢山行き交う光景が見える。最初の橋を渡ると横瀬市郊外の久葉島市内に入る。今でこそ普通の島であるが、1976年の横瀬大地震では30メートルの津波による甚大な被害を受けた。

久葉島市内を15分ぐらい走ると2つ目の橋を渡る。この橋を渡れば横瀬市である。

午前11時20分。列車は終点の横瀬駅に到着。三人はホームに降り、改札を出て横瀬駅からE233系1000番台の電車で縦須賀駅に向かい、そこを降りて科学ゲームアリーナに行った。



歩行移動などの時間を費やして、午後0時10分。

横瀬市縦須賀駅前のの科学ホールディングスの保有するコンベンションセンターの鉄道展示会場に入った。その前に3人は食事をレストランでとることとした。

レストラン会場には鶴見と安城がいた。レストランで注文を終えると鶴見と安城はティアにそれぞれ異なる話をし始めた。

「ティアさん。今回の鉄道展示について旬のものは何かご存じですか?」

鶴見は質問をした。鶴見の知るかぎりではティアの知識量は多いとはいえない。

一方安城は

「ここの展示施設とは関係ないけど、縦須賀駅の再開発について思うことなんだけど……」

そしてどちらも相手の方が情報量が優れていることを認めながらも負けていないと思っている。



まず鶴見は、この鉄道展示についてホットな展示について話す。

「今回の鉄道展示の旬のものはなんといっても観光列車のモックアップです。あの魔法魔術系の映画『マギウスの翼』を題材にした観光列車が今夏から横瀬府内を一周する観光列車としてデビューします。系式的にはE353系電車をモデルにした車両を使うのですけど、見た目とか中身は完全に映画をモチーフにしたデザインになっていてかなり完成度が高いですよ。この列車は魔法の国横瀬を体現する10両編成の車両の塗装は藍色をベースにしていて。内装は魔法使いの映画のイメージを再現した暗色系で統一されています」

次に、安城は縦須賀駅の再開発について話す。

「縦須賀駅が再開発で新しくなったんだよ。その街のデザインが横瀬市のスローガンの『科学と人間が調和する大都会』を体現する素晴らしい出来栄えだったんだよ。だけど今夏に運行開始の観光列車がどうなることか……。私には想像できるような出来ないようなど宗教みたいにダサい電車が走っていそうな予感だわね。あれこれ考えると心配だよ。まず魔法魔術ってものがダサいよね。あの映画も魔法が出てくるから大嫌い。特に人が箒に乗って空を移動するっていう表現が吐き気がする。それに横瀬は科学の街でしょ?だから電車のコンセプトも変えるべきだし、色もそこは白系でしょ?なんでイメージぶち壊しの観光列車をニコ鉄横瀬支社は考えたんだよ!」

「そもそも魔法や魔術って宗教と一緒でダサいよね。意味のない上納金取られるし、修行で呪術とかやるんでしょ?嫌ー!マジ無理。若者には受け入れられないよ」

最後に、ティアが見てみたい展示を話す。

「私は209系電車の展示が見てみたいですね。自分は横瀬市に生まれ育ったのですが、幼少期から大学を出てしばらくした後まで使ったことがある電車ですし。」

朴とメイリンはこの鉄道展示そのものを始めて見るので、興味津々だった。

食事は午後1時に終わり、まもなく鉄道展示会場に入った。

そんな様子なので朴は、展示物の説明をするために展示車両のある場所へと向かう。

その前に朴はトイレに行くことにした。

トイレに行って用を足して出てくると、4人はもう既に外に出ていた。

朴哲が展示車両がある1Fのエントランスに向かった。車両は先頭車1両しか展示されていなかったが、209系現役時代の姿を想像することはできた。

ティアはこう語った。

「この車両は幼少期の私にとっての思い出です。小学生時代から大学生時代までこの列車で家の近くの駅から学校まで通ったりしていました。VVVFを使用しているのでAMラジオの利用者からはかなり嫌われていましたが、この車両はなんだかんだ言って好きですね。」

1992年に横瀬市の再開発が完成して外山県から横瀬市を結ぶニコ鉄の幹線鉄道の緩行線が横瀬市内で6の字運転を行うにあたり車両取り換えを行った。コストダウンが求められる時代の流れをコンセプトに209系が開発されたそうである。



その隣には旬の展示車両のE353系観光列車のモックアップがあった。こちらも展示車両は先頭車両1両のみだった。

鶴見はこの列車を見てこう言った。

「あっ、妖精さんみたいに可愛らしいE353系ですね。魔法のように美しい電車がもうじき横瀬の地を走るようですね。」

一方の安城。

「なんなのこれ?日本の観光列車ですか?科学の街の横瀬にこんなもの必要ありませんね。私は反対です。」

ちなみにティア。

「私はそもそも観光列車に乗ったことないんですよ。なのでいつか乗ってみたいですね。」



**********


こうして、鉄道展示を見終えた。時刻は午後6時になるところ。

一行は来た道を戻るような経路で芽岸の地に帰っていった。



ここで終わるのもつまらないので、安城鳴海の帰路について語っていくとしよう。



午後9時10分。高速鉄道で芽岸駅に戻ると、安城は改札を降りて路線バスに乗り継いだ朴やメイリンとは異なりそのままニコ鉄の在来線(正確には横瀬川鉄道なる子会社の運営であるが)に乗り継ぎ、東西本線の瀬賀駅に行った。時刻は午後9時22分。瀬賀駅を降りて約500mの道のりを進むと家に着いた。彼女は金属製のカギで家のカギを開けて中に入る。

中からカギを閉めて挨拶をした後にリビングでテレビのニュースを見ている家族に今日行った博物館の話をしたが、家族は朝に起きた中規模地震の話をしていた。

「地震の警報を聞いたの初めてだから今朝滅茶苦茶びっくりしたよ。芽岸ってほとんど揺れたことないよね?」と家族の人全員が驚いたらしい。

安城の家のガレージには鳴海のCB400Tのほかに、家族共有の日本製HVミニバン(8人乗り)があったが、いずれも無事だったようだ。

安城鳴子の自室には、普段利用するクローゼットやバイク用のクローゼット、そしてTVチューナー代わりのHDDBDレコーダーとテレビ代わりのモニターとスピーカーと短波ラジオ対応のラジカセ、そしてゲーミングノートパソコンが置かれている。

安物の短波ラジオ対応のラジカセがあるが、このラジカセは二次電池バッテリーと家庭用交流電源のどちらにも対応しており、夏や冬の落雷が絡む停電の時にはこれでCDの音楽を聴いて気分を紛らわせていたという。もちろん天候の良いときには短波放送で熊谷や初音や外国のラジオを聴いているという。

ゲーミングノートパソコンは仕事用に貸与されるノートパソコンと区別するためか、「E=mc^2」というステッカーが貼られている。安城は2010年からゲームはパソコンのみで遊んでおり、家庭用ゲームもPC用に移植された作品しか遊んでいないという。

今後何時間かは車やバイクの運転の予定がないことを確認してから、成人専用のコンビニで買ったCBDキャンディを舐め始めると、安城はコードのあるヘッドセットで充電中のスマートフォンを使ってYomTwbeのEDM音楽動画を聴き始めた。ちなみにお気に入りは欧米系のEDMだという。



音楽を聴き終えると、彼女は風呂場に行き、風呂沸き上がり時間のタイマーを確認した。彼女はいつも6時ごろに風呂に入っているという。

彼女は軽くシャワーを浴びた後にスマホのボリュームをゼロにして、スマホのアラームがきちんとセットされていることを確認して就寝した。

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題名のない短編小説 魔女木直樹 @majoki227

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