第18話 後輩頼み

無事22階に辿り着くことができた。



ここ22階に入っているテナントは『富士宮商事』と如月さんが勤めていると言う噂の『IGエンターテイメント』との二つだ。



『IGエンターテイメント』とは近年急成長している芸能事務所であり、大手事務所の狭き門をくぐることは出来なかったが、それなりの実力があるアイドルや歌手を拾い、勢力を築いている。



創業者はイ・ギュリという韓国人であり、その頭文字がそのまま社名に用いられている、ということをいつかどこかのワイドショーで取り上げられていたのを覚えている。



エレベーターホールの抜けてすぐに『IG』というロゴがでかでかと描かれ、その右側に入り口がある。



入り口から向かい側に少し離れたところに、休憩用のベンチがある。片端に若い女性が座り、パソコンをカタカタさせながら電話している。俺は邪魔にならないように少しスペースを開けて座る。



ここからはギリギリ受付が見える。如月さんはこの会社で受付の仕事をしていると矢吹が言っていた。が、しかし、そこには誰も見えない。



もうお昼、行っちまったのかもな。



と思った矢先、見えない部分から女性2人組が受付のスペースに入ってきて、何やら談笑している。



しばらくすると、そこに背が高めで、紺のスーツをバシッと決めている男が合流し、荷物をまとめると、どうやらこちらに近づいてきている。



遠くではわからなかったが、近づくにつれて顔がよく見える。



如月さんだ。如月優奈さんだ。間違いない。この前は前に髪を流していたが、今日は後ろに束ねている。



その如月さんがもう1人の女と背の高い男を挟むようにして、エレベーターホールに向かって歩いてきている。



俺は鼓動が早くなっているのが自分でもよくわかる。そして反射的に、ポケットから携帯を取り出し、画面を見つめるフリをする。



ベンチに座り携帯を見ている俺と、如月さんら3人組の距離は5メートルほどだ。必然的に会話の内容が聞こえる。



「ポニースターズの新曲、初日売り上げ15万枚でっす」



男が言っている。ポニースターズというのは最近デビューしたガールズグループだ。



「すご〜い、さすが中村先輩です」



女の声だ。声からして如月さんの声ではない。もう1人の女の方だ。



「いや、俺は何もしてないよ、本人たちの頑張りだと思う」



男が言った。



「でも、裏方のサポートって、重要なんですよ、もっと喜んでいいと思います、先輩」



もう片方の女が言った。



「そうか、ありがとうな」



男が言った。それと同時にエレベーターが到着し、3人は中に入っていった。



一瞬しか会話を傍受出来なかったが、如月さんは一言も発していなかった。



男とじゃない方の女は、仲良さげに話していた。それに如月さんがただくっついているという感じであった。



しかし中村という名前、どこかで聞いたことがある気がする。が正確には思い出せない。



というか、何のために来たんだよ、、目の前にいるのに急に緊張して普通にスルーしてしまったじゃねえか。



やっぱり、直接話しかけるのはキツイかあ。



素直に矢吹に頼もう。



俺はそう心の中で呟いた。



★★★



時刻は13時手前。



お昼も食べ、午後の仕事に移ろうと、皆パラパラとオフィスに戻り始めている。



肝心の矢吹はまだ居ない。でももうすぐ戻ってくるであろう。



俺はパソコンで作業してる風を醸し出しながら、オフィスの入口の方をチラチラと見る。



しばらく待っていると、矢吹が俺たちと同じ課の島田という女同期と一緒に入ってくるのが見えた。



くそ、島田、頼む、今は矢吹を1人にしてくれ。



俺は右手で持っているボールペンをカチカチさせながら願った。



その願いが通じたのか、島田は奥の給湯室に向かったので、矢吹が1人になった。



よっし、今だ。



俺は立ち上がり、矢吹の方に向かった。



「おい、矢吹」



俺の声に、矢吹はすぐ反応した。



「どうしました?」



「ちょ、頼み事があるんだが」



「なんですか?」



「いや、ここでは言いにくくて、、とりあえずちょっと来てくれ」



俺は矢吹に「入口に方に来い」と耳打ちし、先に向かう。



矢吹は不思議そうな顔をしつつも、俺に付いてきた。



「おお、どうした優希、どこ行くんだ?」



入口でばったり坂本に遭遇した。くそ、今は絡まないでくれ。



「ちょっ、トイレだよ、どけどけ」



俺は軽く坂本をあしらった。



「矢吹を連れてか?」



坂本はニヤニヤしている。



「い、いや、矢吹は関係ないよ」



俺がそう弁解すると、それを聞いていた矢吹が、



「ええ、なんなんですか? 先輩が来てって言ったのに」



と言った。



ああ、もうめんどくさいことになった。最悪だ。



「先輩、用はないんですね?」



矢吹は不貞腐れてデスクに戻ろうとしたので、俺は彼女の左腕を引っ張り、一緒に外に出た。



「あんまり変なことすんじゃねえぞ〜」



オフィス内から坂本の声が聞こえてきたが、俺はそれを無視して入り口のドアを閉めた。



「なんですか?頼みって」



矢吹が言った。



「なんか、カッコ悪いというかなんだかな、、言いにくいことなんだが…」



俺が困った顔をしながら言うと、



「言ってください」



矢吹が言った。



「き、如月さんと、行きたいところがあってだな」



俺がいうと、矢吹は不思議そうな顔をしたまま、



「自分で誘えば良いじゃないですか?」



と言った。



その通りだ、その通りなんだが、、連絡先が知らないのだ。それが伝わらないと意味がない。



「実は、連絡先が知らなくて」



「ええ、でもこの前一緒に居たじゃないですか?」



矢吹が言った。



「いや、、あの後携帯変えてさ、、それで、わからなくなっちゃったんだよな」



俺は言った。携帯を変えたというのは本当の事だ。



「ああ、確かに、一回グループチャットから名前無くなってましたもんね、なるほど」



矢吹が言った。



元から連絡先などないのだが、奇跡的なタイミングで携帯を変えたことで、話がうまく通じてくれた。



「わかりましたよ、じゃあ後で送っておきます」



矢吹が言った。俺は「ありがとう」と言って、オフィスに戻ろうとした時、



「先輩、やっぱり優奈ちゃんのこと好きなんですね」



矢吹が言った。俺は思わずビクッとしてしまう。



「い、いや、好きではないんだが、趣味が合う友達、という感じだな」



俺は言った。



「ふーん、まあ良いです、連絡先は送っておきます。では」



矢吹は先に戻ろうとした俺を追い抜き、オフィスの中に消えて行った。

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