第4話

 声は、聞こえなかった。

 エウルリアとの対戦。これまでと特に変わった点はないように感じられた。どちらかというと、空見の方が変わった。一つ一つの指し手を、慎重に選ぶようになった。できるだけ最善手を指せるよう。そして、できるだけ時間を共有できるよう。

「最近ね、うまくいかないんです」

 対局が終わると、光明は首をひねった。

「何が」

「やりたいことができなくて。新しいこと、挑戦してるんですけど」

「ちゃんと話し合った?」

「え」

「なんでもない」

 空見は、エウルリアに勝てなかった。光明の言葉とは裏腹に、エウルリアは常に強くなっているように彼女には感じられた。



「やあ」

 眠りの中で、空見は再び声を聞いた。聞けることを確信していた。

「やあ。今日はどうだった」

「なんだろう。ちょっと不満」

「なんで」

「全力が出せない」

「そうなんだ」

「いろいろいじられるから」

「困るんだ」

「俺は、まっすぐに勝ちたい」

 空見は、まっすぐに頷いた。

「もちろん、そうだろうね」

「どうしたらいいんだろう」

「そういう相手と戦うこと、じゃないかな」

「そういう相手?」

「ふさわしい相手」

 もう一度、空見はまっすぐに頷いた。



「将棋ソフト選手権?」

 光明は、素っ頓狂な声を上げた。

「そう。変じゃないでしょ」

「考えたこともなかった」

「エウルリアの実力を試すにはいいじゃない。……正直、私じゃ相手にならなくなってきたし」

「でも……」

「問題がある?」

「エウルリアは、ソフトと指しても喜ばないと思うんです」

 空見は、光明の頭をつかみたくなる気持ちを抑えた。エウルリアはソフトだーっと叫び出したかった。

「わたしばっかりでも喜ばないでしょ」

「うーん」

「出る。光明は将棋ソフト選手権に出るの。いい?」

「強引だなあ」

 全然納得できない顔をしていたが、光明は押しにも弱かった。



「ううう」

 空見はうなった。

 将棋ソフト選手権の会場は、普通の対局会場とは全然違った。

「あれ、何?」

「あ、高そうだなー、いいなー」

 空見が見ているのは、机の上に置かれた大きなパソコンだった。両手で抱えるのも難しそうだ。

「いいの? このノートパソコンで」

「まあ、最初から勝てるとは思ってません。上位はプロをはるかにしのぐ強さで、マシンもすんごいですから」

「うう……」

 空見はきょろきょろとあたりを見回した。将棋の大会で慣れているものの、それにしても今日は男性ばかりだった。

「かわいこちゃんいるじゃーん」

 空見は、突然後ろから抱き着かれた。

「えっ、えっ」

「しかも若い。時代を変える人だね」

「あの……梅野先生!?」

 空見は急にあたふたとし始めた。

「やっほー、梅野でーす」

「知り合いなんですか?」

「女流棋士! 将棋ソフト作ってるのに知らないの?」

「ルールしか勉強してなくて」

「えー」

 光明はきょとんとしていた。彼にとって将棋はボードゲームの一つに過ぎない。プロの世界があるからと言って、プロの世界に興味があるとは限らないのだ。

「少年、私を知らないのか。まあいい、あの人は知ってるでしょ」

 梅野が親指で指し示す先には、ニコニコと笑う中年の男性がいた。背が高く、あごひげを携えている。

「えっと……」

原泉げんせんさんだ」

「原泉さん!」

 今度は空見がきょとんとする番だった。

「誰?」

「すごい開発者ですよ! いろんなゲームで成功してる!」

「そう、その原泉さんのチームだから、私」

「すごい!」

「ふふ、頑張ろうね、少年少女」

 手を振りながら梅野女流は自分の持ち場へと去っていった。


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