第3話

「え、うそ」

 空見は、目をまん丸くして口をだらしなく開けていた。画面を覗き込んだ。そして、頭をかく。

「あ、そういう設定なんです……」

「さすがに必要ないでしょ、これは」

 空見の人差し指が、盤面上の一点を突き刺す。そこではエウルリアの王将が、空見の角によって刺し貫かれていた。

 王手放置。王手されているにもかかわらずそれを受けないという、反則の一種である。

「いやでも、僕らでも気分がすぐれない時とか、すごく疲れてるときとか、見逃しがちじゃないですか」

「それを避けられるのがソフトのいいところじゃない」

「エウルリアに無機質なソフトになってほしくないんです」

 空見は光明をののしる言葉を舌の先まで乗せて、結局は飲み込んだ。光明は毎日、空見のために時間を作ってくれている。それがたとえエウルリアのためだと思っているにしろ、空見も安心して将棋を指せるという恩恵を受け取っていた。光明の感性がずれているからといって、罵倒するのは変だ、と空見は思ったのである。

「エウルリアは、僕の思惑さえも超えて成長してほしいんです。成長には失敗も必要だと思ったから……」

「ずっとなの」

「えっ」

「ずっとそうしていくの。エウルリアに着地点はないの」

「それは……考えたことがなかったです」

「そう」

 成長を期待するエウルリア。空見は心の中でつぶやいた。あなたは将棋が楽しいの、ねえ、エウルリア。

「楽しいさ」

 どこからか声がして、空見は視線をきょろきょろと動かせた。しかし、いるのは光明だけだ。

 そのはずだった。

 けれども、空見は誰かいると確信した。その声の主の姿を、何となく想像できた。

「帰るね」

「はい」

 空見はその可能性について、否定したいと思った。けれども、彼女の心は、どうしても一つの答えにたどり着いてしまうのだった。



 どこまでも続く明るい部屋の中を、空見は漂っていた。ふわふわと浮いているのはわかるのだが、どのように浮いているかはわからなかった。それもそのはず、彼女には体がなかった。

 空見は事情がよくわからないまま、あっちに行ったりこっちに行ったりした。手を伸ばして何か捕まえようとするが、そもそも手がなかった。

 ぼんやりと、温かさを感じた。そちらに「感じ」を向けてみる。

「やあ」

「こんにちは」

 昼間と同じ声だった。

「いつもありがとう」

「エウルリア、ね」

「もちろん」

 姿は見えなかった。それでも空見には、イメージができていた。

「男の子なんでしょ」

「はは、そうなのかなあ」

 空見には、ぼんやりと見えていた。元気な男の子の姿が。

「でも、なんで」

「どういうこと」

「なんで私なの」

「だって、君は俺のことをわかってくれそうだから」

「わかるって」

「俺は、ソフトだ。人間じゃない。ソフトとして、勝負したい」

 空見は、歯を見せて微笑んだ。

「やっぱりね」

「俺は反則を避けられる」

「うんうん」

「最善手が指したい」

「そうだよね」

 突然、世界から光が消えていく。空見は手を伸ばした。

「あっ」

 目を開けると、天井が見えた。いつもの、朝だった。

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