第2話
空見は、何度も将棋盤に駒をたたきつけた。
部屋に戻ってきてずっと、先ほどの対局のことを振り返っていた。様々な可能性を探って、あそこで手を変え、ここで変化してみてとやってみたが、空見が勝ちになる手順は見つけられなかった。
何度駒をたたきつけてもどうしようもなくて、空見は枕を壁に投げつけた。枕がずり落ちると、そこには別のものが投げつけられてできた穴がぽっかりと空いていた。
空見は、視線を本棚の上に移した。先端の折れたトロフィーが飾られている。
「エウルリア、ねえ」
言葉にした後、空見は自分の顔が少し紅潮しているのを感じた。
「あほらし」
今度は、体をベッドへとたたきつけた。
空見は公園の入り口で、しばらく立ち止まっていた。ベンチに座っている光明の姿を見て、すぐに近づいてはいけないと感じたのだ。空見はその理由を考えてみて、一つの結論に達した。
光明が本当に友達と接しているように見えて、割って入るのが躊躇われたのだ。
光明は膝の上のパソコンに向かい、何やら話しかけている。パソコンは何も話しかけないが、光明には何かが聞こえているのだろう、と空見は思った。
公園の、別のところを見てみる。子どもたちがサッカーボールを蹴っていた。ジャングルジムは無人だった。ハトが木の下を歩いていた。
時間はそんなにつぶせなかった。空見はベンチへと歩いて行った。
「あなた、約束守る派ですね」
光明は、一瞥もせずに少しだけ顎を上下させた。
「対局させてよ」
「いいけど、昨日より成長しました」
「え」
「エウルリアは、天候や社会情勢で気分を変えて、指し手の性質も変わるようにしてみました」
「しゃ、しゃかいじょう……いいわ、とにかく将棋をすることには変わりがないから」
光明は、パソコンをベンチに置いた。空見は腰をひねって、取り出したノートの上にマウスを乗せる。
空見とエウルリアが対局を始めると、光明は立ち上がって背伸びをした。彼は、空を見た。雲がゆっくりと流れていく。月は細い。時折鳥が横切っていく。
「また負けた……」
「うん」
「負けるの確信してたでしょ」
「違います。森塚さんがどれぐらい強いかわからないし、今日のエウルリアの調子もあるし。でも、エウルリアが楽しいだろうってことは確信してました」
空見は何度か首を振って、そのあと小さくうなずいた。
「そう言うんならそうなんでしょうね。でも、私にはわからないし、今日はなんというか……昨日よりもまとまりがなかった」
「そうかも。新しい機能にまだ慣れてなんだと思います」
「もう一局してもいい?」
「もちろんです」
三人は、日が沈むまで公園にいた。
空見はベッドに寝転んで、トロフィーを見上げる。何度捨ててしまおうとしたかわからないが、結局はいつもゴミ箱から拾い上げた。
二年前、期待を背負うことはあきらめて、淡々と将棋を続けていこうと決めた。けれどもその時、彼女は指すべき相手を失っていた。
空見は、右の手のひらを大きく掲げてみた。何度も駒をつかんだその手は、昨日今日とマウスを操っていた。将棋を指すのをためらっていた時期、彼女は指を見るのも嫌だった。今は、きっちりと開いた指を見つめられていた。
「将棋は、楽しい」
エウルリアはただのソフトで、だからこそ安心できるのだと空見は考えた。勝って誇ることもないし、負けてののしることもない。純粋に将棋だけの関係。
では、光明にとっては。それが、どうにも彼女にはわからなかった。彼と自分との間で「友達」という言葉の意味が決定的に違うのではないだろうか、空見はそんな風に仮定してみた。
「やっぱり、変な奴」
指の間から透かして見ると、トロフィーが少し大きくなっている気がした。空見は、大きなあくびをして寝返った。
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