剥奪の魔王
紫山はイリスの反対方向に動き、魔王の目線をイリスと反対方向に引き付けつつ、イリスと目を合わせて声を上げた。
「イリス!」
イリスが頷く。
今のだけで、意思疎通は十分だったようだ。
魔王は"何を話したのか"が読めず一瞬迷ったようだが、すぐに切り替える。
無様なものである。
いかに強くとも、所詮は魔王。
異界より来訪した悪意が獣の形を取ったに過ぎない。
人の心は理解できないのだ。
アイコンタクトで意思疎通ができる、それが絆。
人は他人を思いやれる。
他人を大切にできる。
他人の気持ちが分かる。
だから、口に出さなくてもその人が何を思っているか分かる。
それは魔族にはなくて、人間にある、確かな強さと言えるものだった。
魔族などという畜生では、紫山が伝えた言葉を把握することはできないだろう。
あ。
あ、くっ、魔王の影響で紫山さんの思考が読めない!
今アイコンタクトで何話してたんです!?
教えてくださいよ!
「下がってください! 自分が抑えに入ります!」
セレナが部屋の装飾から引っ剥がした大盾を構え、騎士鎧と合わせて大きな鉄の要塞の如き騎士となり、魔王に向かって走り出した。
防御に専念すればある程度は時間を稼げる、という読みだろう。
だが、その目論見は甘い。
女神は、"紫山がカバーに入らないと危ないかもしれない"と思考した。
「武器を持たず盾と鎧だけなら……!」
魔法補助のある大きな鎧と大きな盾で、セレナは自分の身体を縦横それぞれ1.5倍以上に大きく見せて、その巨体で猛進し―――鎧と盾が一瞬で消えた。
ギリギリ身長150無いセレナの小さな体が、こてっ、と床に落ちる。
「それも、武装でしょう? フ、フフフ、フ」
そこに迫る致命の一撃。
魔王はただ、装備を剥がし、腕を振り下ろしただけ。
しかし無造作に振り下ろすそれは、重機の破砕作業のそれすら凌駕する。
地を岩盤単位で砕くような振り下ろしを、セレナはかわせず、とっさに焼け石に水程度の防御行動として頭を庇い目を瞑ったが、そんなセレナを掴んで紫山が飛んだ。
攻撃は当たらなかった。
しかし、床があまりのパワーに粉砕される。
四階・謁見の間の床が派手に爆散し、下の階の人間が巻き込まれ、余波で紫山らも吹っ飛んだ。
吹っ飛ばされて転がりながら、紫山は青髪の小さな騎士に傷一つつけまいと、少女を覆うようにぎゅっと抱き締める。
紫山の腕の中で暖かさを感じていたセレナは、紫山が離すと、ちょっと名残惜しそうにした。
「あ……っと、ありがとうございます、ミナアキ殿」
「構わない。……こいつは強い人間無しに勝てる相手じゃないからな」
立ち上がる二人。
だが、嘲笑う魔王に対抗する手段はない。
攻撃力が足らなすぎる。
防御力が足らなすぎる。
紫山らの素手の攻撃力では一万回攻撃しても魔王テルーテーンを倒すことはできず、逆に魔王の攻撃は直撃で即死、余波だけでも致命打足り得る。
いや、そもそも。
テルーテーンが全力を出さずにいたぶっていなければ、もうこの戦闘はとっくに終わっているはずだ。
魔王の油断だけが、人の命脈を繋いでいる。
ささやくように、セレナは言った。
「ミナアキ殿、悪い知らせです。今アマリリス最強の騎士団長と近衛は国境の諍いに出ていて、すぐには戻れません」
『ゲッ、マジかよ。アガルレネイト団長いねえの?』
「そりゃ大変だ。俺達だけでこいつに誰も殺させず勝つのは、骨が折れそうだな」
とん、とん、と、魔王が城の床を踏む音がする。
ぎち、ぎち、と、魔王が存在するだけで空間が軋む音がする。
ひっ、ひっ、と、魔王の裂けた大口から声が漏れる。
その全身が、人におぞましさを感じさせるもので満ちている。
恐ろしくはあるが、女神視点、だいぶ油断があるようにも見えた。
「フ、フフフ、フ。まぁるで、牙と爪を抜かれた犬よね、武器の無い人間って」
「つまり、装備持ってなきゃいいんでしょ!」
セレナミリエスタ・アリカリア・アフェクトゥスは武器も防具も諦め、緩やかに近寄ってくる魔王に、先の一撃で砕けた床の石片を全力で投げつけた。
メジャーリーグに参加すれば試合終了の前にキャッチャーが死んでいるであろう剛肩、プロのダーツのような正確さ、そして石片を掴んでから投げるまでの速さ、どれも最高レベルだ。
"武芸百般のアフェクトゥス"―――その家名に相応しい。
拳大の大きさの剛速球を、魔王は指一本で容易く切り裂く。
切り裂かれた石片はバラけながら後方に飛んでいき、魔王の後方にあった鉄製の旗をバキン、バキンと、何本もまとめてへし折っていった。
にぃぃぃっ、と、魔王の口が裂ける。
意識の向きが変わり、魔王のターゲットが紫山からセレナに移った……ように、女神には見えた。
気を付けろってことですからね! ああ、ああ、誰も死なないで……!
「いい、いいわ、いいね、いいわよね、もっと遊んでも、もうちょっとつっついても。フ、フフフ、フ」
「!」
魔王が本気で踏み込んだ、その瞬間。
紫山とセレナは、ほとんど目で追えなかった。
影を追うのが精一杯だった。
魔王の両手が、紫山とセレナに同時に迫る。
女神の直前の警告もあって、紫山の方が反応が速かった。
半ば反射的に、紫山に掴みかかる魔王の手を、屈むようにしてかわす。
対し、セレナは低めの構えから即時石片を拾い、それを魔王に投げつけ反撃としようとした。
それを、魔王の力が、剥奪する。
魔王の足元に、石片が転がった。
「―――!?」
"武器であるという認識"がそこに存在した時点で、強制的に剥奪する。
ゆえにこその剥奪の魔王。
紫山はとっさに、屈んだ状態から素早く身体を捻って、セレナに向けて伸ばされた魔王の腕を蹴る。しかし、まったく軌道が変わらない。ほんの僅かにも逸らせない。
迎撃に失敗したセレナの首を掴み、魔王はそのまま疾走、壁に叩きつける。
そしてそのまま、壁が力を受けて壊れ始める前に、セレナを床に投げつけた。
「ほーら、お返しよ」
「ぐっ……ぎっ……!?」
壁が崩壊した。
床が崩壊した。
セレナの身体もまた、そうなっていく。
魔法素材によって強化されているはずの城の床を、セレナの体が一枚突き抜け三階へ、一枚突き抜け二階へ、一枚突き抜け一階へ。
一階の床に大穴を空けて、そこでようやく、血まみれのセレナは止まった。
魔王が踏み込んだその瞬間から、セレナが壁と床に叩きつけられるまで、おそらくは百分の一秒もなかった。
大きなダメージを受けた一階のセレナの横に、軽やかに魔王が降りてくる。
セレナが落ちたのは城一階食堂。
四回の謁見室からなら北部階段から一気に一階まで降り、大廊下を逆時計回りに行くのが最も速いだろう。
大廊下を逆時計回りに進んだ先の、両開きの茶色い扉の向こうが、セレナが落ちた食堂である。
セレナが突き抜けていった穴を落ちて行けば空中で魔王の迎撃を受ける可能性が高いため、これが事実上の最速ルートのはずだ。
「かっ……ふっ……」
「フ、フフフ、フ。貴女、硬いわね?強化魔法で一瞬限定の耐久強化を瞬時に……いえ、それ以外もあるのかしら。噂には聞いていたけど、流石は第一王女の側付護衛」
「ふぅー……こひゅー……」
「でも、ここまでだわ。さようなら」
その瞬間。
最短ルートを最高最速で駆け抜けて来た紫山水明が、間に合った。
最高にかっこよく、駆けつけた。
魔王は、この城に来たことがない、つまりこの城の内部構造に詳しくないはずの紫山が、最速でここに辿り着いたことに意表を突かれて、目を見開いた。
その心の隙を突き、紫山は先んじて鉄片を投げ、目を蹴り抉るようなつま先によるトゥ・キックで、尖った鉄片をテルーテーンの眼球に蹴り込んだ。
「さようなら、なんかさせるか」
「……みなあ……どの……」
しかし、刺さらない。
眼球なのに。
鉄片なのに。
人間に砂をかけた程度の目潰し効果すら、現れない。
にちゃりと、魔王の笑みが歪んだ。
「フ、フフフ、フ。やっぱり的確に上手いわね。強力な武器が揃ってたら違ってたかもしれないわ」
「……地球に居たら、"ガイアデビルの幹部より硬い"と言われていただろうな、この常識外れの強さは……!」
「ま、貴方がどんなにいい装備持ってたとしても、奪うんだけど」
紫山はセレナを抱えて逃げようと考えるが、逃げ切れないと判断して構える。
魔王から逃げるのではなく、あえて魔王の気を引いて仲間を助けることを、紫山は選んだ。
食堂の包丁に手を伸ばすが、指先が触れた瞬間に包丁、のみならずまな板まで魔王の足元に行ったのを見て、装備を得るのは諦める。
素手で対峙するなど、自殺行為だ。
女神は紫山の補助を継続しつつ、魔王に妨害されている視野を全力で広げる。
このままでは駄目だ。
何か、勝機を見つけなければ。
私が、彼らに世界を救ってくれと頼んだのに、何もできないなんて、許されない。
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